第4話 拒絶

「アーイーラー!! 起きろ、今すぐ起きろ!」

「ん、何事……?」

「あー、や、まてすまん。服を着てからにしてくれ……」

「ふにゃあ……? や、ば、ばか! 変態!!」


 目が覚めた途端目の前にテオの顔があるわ昨夜のことを思い出すわで顔が羞恥に染まるのを感じる。

 慌てて服を着替えながら、後ろを向いてしまったテオに声をかける。

 

「もう……何かあったの?」

「なんか旅の人が来て、人を探してるらしいんだけどその人が並べた特徴がアイラそっくりらしくって」


 その言葉に私は表情を曇らせる。


「嫌なのはわかってるけど……長い旅をしていたみたいなんだ。あってやってくれないか?」


 テオは自分と重ねでもしたのか、少しだけ旅人に同情的だ。

 この優しい旦那様にしょげられると弱いことを自覚しつつも直せない自分にため息をつく。


「しょうがないなあ……」


 渋々ベッドから起き上がった私を見てほっとするテオの様子から鑑みて、きっと向こうは私のことを知らされていたのだろう。

 本当、わかりやすいひと。


「そういえば、その人が言った特徴ってなんだったの?」

「……サファイアの瞳」

「そか。ならきっと、私だね」


 鏡台に座って軽い化粧を施しながら、指摘された瞳を見つめてみる。

 星でもちりばめたかのように煌めく深い青の瞳は、他に見たことがない。

 いやでも目立つこの瞳を恨めしく思いつつ身支度をあらかた済ませ、最後に長い髪を一つに括って立ち上がる。


「ね、テオ。手を引いていてくれない?」


 私の要求に従って繋がれた手は、とってもとってもあたたかかった。



「わたしを探しているのは、どなたで——」

「アイラ……!」


 テオに手を引かれながら街の中央にある広場に出ると、街の人たちに囲まれていた綺麗な女性が抱きついてくる。あまりの勢いにバランスを崩して転びそうになる私を、繋いだ手がささえてくれる。この人が件の旅人なのだろう。案の定見覚えはなかったが、胸の奥の方が少しだけざわついた気がした。


「アイラ、アイラ、アイラ……ごめんね、こんな年まで見つけられなくて……いつもより時間がかかっちゃって……でももう大丈夫、今回はちゃんと説明もしてあげるから、ね、じゃあ、いこっか?」


 旅人は一気に捲し立てる。

 私はただ、その内容が分からなくて、怖かった。


「あの、離してください……私には、過去の記憶がないのです。だからあなたのことは知りませんし、ここには大切な家族がいます。なので、お引き取りください」


 旅人は、私のその言葉を聞いて、絶望と、悲しみをはらんだ笑みを浮かべた。


「うそ、だ。アイラは、何回やり直したって、記憶がなくたって、毎回私を選んでくれて、事情が飲み込めなくても、すぐ私についてきてくれて、笑って、

くれて……ねえ、アイラ、私だよ? ルシアだよ? 他の二人じゃなくて、あなたの、あなただけの。ほら、笑って? こっちを、みて……!」


 怖かった。狂ったように訳のわからない言葉を紡ぐ旅人……ルシアが。

 確かに、ルシアに懐かしさのようなものは感じるし、私だけがこの世界の条理から外れてしまったその理由を知りたくないわけがない。でも、それより大事なものを、私はここで手に入れて、作ってしまったから。

 たとえ私を裏切ることになるとしても、私は、テオのそばを離れない。

 決意を示すように繋いでいた手をさらに強く握る。テオは、穏やかに笑いかけてくれた。大丈夫と、信じていると言われているような気持ちになる。

 それだけで、私は強くなれる。


「ごめんなさい、ルシアさん。私は、あなたと行けません。自分のことを知りたくないといえば嘘になりますが、私はここを、彼のそばを離れるわけにはいかないのです」


 ルシアは地面にぺたんと力なく座り込んで、いや、いや、と言いながら首を横に振っている。

 私はその様子を見つめながら、自分の下腹部に手を添えた。


「ここに、彼との子供がいます。だから、わた」

「ええ!?」


 この後に再び断る文句を繋げようとしたのに、テオの声に遮られる。

 

「もお! なんなの!? 大事なとこでしょ! 第一テオにはいったじゃ……」


 私とテオの間に間抜けな空気が漂う。あれ? そういえば私——。


「いって、なかったっけ?」


 テオの首が何度も縦に動く。そういえば、昨日テオがお酒によっていたこともあって、いってなかったような気もする。


「あーーー……うん、ごめん。昨日教えてもらったんだけど、私、妊娠した」


 周囲にいた街の人たちも、さっきまでは心配げにこちらをみていたのに、表情が柔らかくなっている。呆れたようにこれだからアイラちゃんは……と言う声が聞こえてきて、自分が冷静でなかったことに気がつく。

 街の人たちにごめんなさい、といいながら、泣き始めたテオの頭を撫でる。

 それで、終わればよかったのに。


「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!」


 ルシアの叫び声で今が日常でないことを思い出す。

 座り込んでいたルシアはゆらりと立ち上がる。


「ねえ、どうして……? 約束、したのにっ! 離れないって、魔女の私には、王様のところ以外居場所がないっていったのは、あなたじゃない!」


 叩きつけるような言葉が怖くて、その気迫に圧倒されて、ルシアから目が離せなくなる。

 一度はいつもみたいになった雰囲気も、今は張り詰めている。 

 情けなく泣いていたテオでさえ涙を止めて、私を守るようにきつく抱きしめてくる。

 ……いや、そんな状況どうでもいいのだ。ルシアは、今私のことをなんていった?


「ま、じょ?」


 ルシアは嬉しそうに笑う。そうだよ、と唇の端をあげる。


「アイラはね、魔女だよ。私の魔女。魔法という神様の領域に踏み込んだから、記憶の継承を許されない魔女。ほら、その手にさ、火をイメージしてみてよ」


 そんなわけないと思いながらも、自分の掌をまじまじと見つめてしまう。

 もしルシアの言っていることが本当なら、テオがすぐそばにいる今、火なんてイメージするわけにはいかない。

 でも、そんなことを考えること自体が、火をイメージする行為に等しかった。


「つっ……!」


 テオの温もりが、小さな叫びと共に離れた。


「え……?」


 ルシアは笑っていた。街の人たちは私を恐れていた。テオも、きっと恐れていた。

 私は、なにも考えられなかった。

 自分の掌の上に炎が浮かんでいるという事実を、受け止めることができなかった。

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