第2話 アイラ
目の前の少年が、あからさまにその命を自ら断とうとしていた。
それが私は、許せなかった。
少年の首筋に向けられたナイフを思いっきり掴んで、愚かな行為を無理やりやめさせる。そして、困惑と怒りをはらんだ表情でこちらを見てくる少年の頬を、ナイフで傷のついた痛む手で力一杯に打った。
そのまま、少年の反応なんて気にせず自分の思いの丈を叫ぶようにぶつけていたが、
「アイラ」
私の名前を呼ぶ、優しくて大好きな声で冷静になる。
顔をあげれば、はぐれたはずの王様が目の前に立っていた。
「アイラ、何言ったって意味ないよ。ほら、いこ? そんなに血を流して……手当てしてあげるから、ね?」
王様はそうして傷ついていない方の手を優しくとると、少年など放って進むように促してくる。
少年にこれ以上何を言っても無駄だとわかっていた私は、素直にその手に従った。
最後に一言だけ、恨み言を残して。
「命の重さも知らないくせに」
その言葉を受けた少年の表情は知らない。
どうせ、意味なんてわかるわけがないのだから。
私は王様と二人で、静かな森の中をしばらく無言で歩いていた。
その間に、ひっそり傷を治す。
するとそれに気がついたのか、少年からの距離が十分に離れたと考えたのか、王様が繋いでいた手を離して適当な木の根に座る。
「アイラ。彼らには何を言ったって無駄だってわかってたでしょ? お願いだから、もうあんなことはやめてね? あなたが傷つくところなんてもう、みたくないの……」
祈るように懇願されて、断れるわけもなく渋々頷く。
それでも、割り切れるわけがなかった。割り切りたくはなかった。
記憶の継承などされない、私は。
渋々とはいえ私がうなずいたことに安心したのか、王様は泣き笑いを浮かべた。それを見て、私はあの日を思い出す。
誘拐じみた、王様との出会いの日を。
全てを知ったあの日を——。
普通じゃない私は、普通の村に生まれた。
過去の話は互いの同意なしにしない、というルールがあったおかげで、なんとか普通を装って生きてきたが、それは私にとって苦痛でしかなかった。
みんなが何回目? と聞き合っている意味がわからなかった。
辛いことがあった時、「もう死んじゃおう」といって本当に死んでいく人がいることが恐怖でしかなかった。
誰かが死んだ時、誰一人として悲しむことなく、祝福と笑顔が飛び交うことが理解できなかった。
外では笑っていても、過去を持たない自分が何者なのかわからなくて、不安で、私は壊れそうだった。
それでもなんとか日々を重ねて、生きて生きて生きて、ある日私は王様に出会えた。
なんてことない日だった。なのに、村を訪ねてきた旅人が全てを変えた。村の人たちと談笑していた彼女は、私を視界に入れると同時に、その場で崩れ落ちたんだ。
旅人は、笑っていた。嗚咽を漏らしながら笑っていた。
「アイラ」
甘く優しい声でそう言って、旅人は私に手を伸ばした。
あっという間に抱き竦められた私は、困惑と安心感に包まれていた。
私をアイラと呼ぶその声を、その姿を、その表情を、知っている気がしたから。
いつまでたっても泣き止まない旅人の背に、ぎこちなく腕を回すと、急に彼女は立ち上がった。私を抱えたまま。
その後の行動は、今でも信じられない。
「あの、ありがとうございました!」
旅人はそれだけ言って、村から飛び出したのだ。
抱えられたままちらりと確認した村の人たちは、何が起こったのかわからず呆気に取られているだけだった。
本当に今思い出すとただの誘拐だ。
それから、旅人は、私に全てを教えてくれた。
この世界のこと。私のこと。旅人の、王様のこと。
旅人は、王様だった。みんなに尊敬される、初代王の一人。
王様は真実を私に語った。普通なら到底信じられないようなものだったが、私はすんなりそれを信じた。
王様があまりに真剣だったから。記憶はなくても、王様のことは魂に刻み付けられていたから。私が、魔法を使えたから。
私は、魔女だった。だから、記憶の継承を許されないのだと王様は語った。
魔法は神の領域である。魔女は、それを侵した罪人。故に、魂の輪廻は許せども、記憶の継承は許さない。
こう神様に告げられた王様たちは、記憶はなくても魂が自由であるならと了承したそうだ。
これが、どれほど残酷で、悲惨な罰なのかも気がつかずに。
これが全て。それを知った私は、王様と旅に出ることにした。
誰にも私たちのことを知られないように。
困っている誰かを助けるために。
傷ついている誰かを癒すために。
「アイラ? どうかしたの?」
「え、あ、ごめ、なんでもない。ただ、王様との出会いを思い出してただけ」
ぼうっとした私を心配する王様に慌ててそう言うと、王様は苦々しく笑った。
「あの時のこと? 忘れて欲しいんだけど……」
アイラを見つけた嬉しさで理性ぶっ飛んでたから、と王様は続けた。
そう言ってくれるのが嬉しい。
誰もが繋がりあっている世界でたったひとり、誰とも繋がりのない哀しみは、全てを知り、受け入れた今でもくすぶっているから。
それをふとした言葉で簡単に取り去ってくれることが、とっても嬉しい。
同時に、私じゃ王様の哀しみをどうにもできないのが歯がゆい。
それどころか、傷を増やしてしまうだけの存在ということが、辛い。
「ねえアイラ」
「……なあに?」
私がどれだけ願っても。
「約束だよ。もう二度と……」
王様がどれだけ願っても。
「ひとりに、しないで」
「…………うん」
それは、叶うはずがないことだって。
ごめんね、王様。
やっぱり私は約束を守れないみたい。
今回の私はもうさよならだけど、次は、つぎは、もっと上手に——。
不意に手をつかまれる。
驚いて振り返ると、そこにいるのは全く知らない、私と同い年くらいに見える少年。
「あの……どなた、ですか?」
そう尋ねると、少年の顔が青く染まる。
ああ、また失敗したのだと、私は悟った。
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