人喰い賊

せとかぜ染鞠

人喰い賊

身共みどもぬしも逃れられますまい。思い切りなされ」

 峠をこえる遥か手前で果緒かおが言った。おのれは両腕に力をこめた。

「何を弱気な――必ず逃げおおせてみせようぞ。なれを人身御供なんぞにするものか」

「身共ならよいのです」

 果緒が微笑んだ。

 果緒と馴れあってじき四年よとせになる。いくさにて名をあげようと金で雇われはしたが,加勢した軍は負け戦ばかり。這うほうの体で退却し,追っ手から逃れるために何日も死体の山に潜りこみ,食うに困窮すれば躊躇なく死肉を貪った。

 満身創痍で逃げ込んだ先が敵方の配下にある果緒の村だった。村人たちの目に触れぬよう砕心したが,相手が女と見れば施しを請い,己の存在を他言せぬよう言い含めた。女たちはみな親切で,果緒ともすぐに打ち解けて親兄弟に内密で通うまでの仲になった。しかし最近は泣いてばかりいる。ようやく理由を聞き出せば人身御供にされるというではないか。4年に1度若い女が得体の知れぬ神に供されるという決まりがあるらしい。2人で悩み抜いた果てに村を捨てて出奔した。

 国境くにざかいで敵軍の武将に見つかり捕縛されそうになったが,一騎当千,八面六臂の活躍で敵方を全滅させた。関所で悶着を起こし,やむなく後戻りした湯治場で果緒が倒れ,肉塊を産み落とした。宿屋の主人が敵軍に渡りをつける現場に居合わせ,湯治場を火の海にした。万策尽きはて闇夜に沈む山中に逃げ込んだ。野犬の大群に取り囲まれる。数十匹を撲殺したが,果緒が首筋をやられた――腕に抱いて逃げた。あちこち噛みつかれながら首領らしき白犬の喉を食い破ってやった。一斉に群れがひいた。爽快だった。

 藪のなかに無数のうごめきを感じた。野犬どもの甲高い鳴き声が響き渡る――

 果緒がぶつぶつと繰りかえす。

「身共も主も逃れられぬのです。思い切りなされ」

「しっかりせぬか」

「身共ならよいのです。喜んで人身御供となりましょう。御覧なさりませ――神が御座りまする」

と,指先を宙にむける。

「戯言を申すでない」

 そう叱りつけはしたものの,己自身がとりとめのない妖気を気取っていた。これまで経験したことのない異様で残酷な気配を放つ強大で圧倒的な存在との対峙を予期し,緊張と恟然と興奮に打ち震えた。そして己は奴との戦いに敗北するに違いないと直感された。

 いかん,いかん,いかん,いかんのだ!――何故にこうした浅ましきことになってしまうのか。

 折り曲げた全指でくうを搔きむしり果緒が激しく身悶える。むせび泣きながら欲求に従った。もはや己を制圧できない――

 野犬よりも遥かに甘い血の味だった。喉もとから下腹部へと飛び,濃厚な肉と内臓を堪能する。再び上部を逍遥して胸を裂き,収縮する心臓を食いちぎったとき,

ようやく生贄が息絶えた。抉り取った目玉をしゃぶりながら,頭蓋骨を割って脳髄を啜る。

「おかしら――己らにも残しておいてくだせぇよ」

 甲冑を帯びた子分どもが藪から這い出してくる。脳みそを吸いつくした野犬の頭蓋骨を捨てられず,片眼の空洞に通した草茎を,肩に担いだ刀の切っ先に引っかけ

る輩もいる。

「しけた真似はよさぬか」

 食い残しを投げてやる。子分どもが群がるなり,奪いあって手足や肉を引きちぎり,むしゃぶりついた。第8子分が骨をかじりながら言う。

「親分ときたら4年でカミさんに飽きちまう。忽然と消えた若い女は人身御供にされたなんて噂がたってますぜ」

 満更見当違いの話でもなかろう。若い女がいるうちは村に手出しはしない。だが女が尽きれば金や絹を奪って焼き払ってしまうのだから。果緒の村にももう用はない。男の肉はうまくはないが,若くて上質な肉にありつけぬ下々の子分の空腹を満たすには最適だ。狩りの後は一切の証拠を消し去り,次の村をさがすとしよう。

                                  (終)

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