第7話
強盗騒ぎから十日ほどが経った。オーレリアンは毎日のように〈春の妖精〉さんとデートを重ねている。ジルベールの報告によれば、さいわいなことにカネの無心はしていないようだ。
もっとも二回目からは追い払われて遠目にしか観察できないので、何を話しているのかは不明だが。相手の女性は人目にたちたくないようで、たいてい馬車でパリ市内をぐるぐる回ったり、郊外に止めた馬車の中で話し込んだりしている。
とはいえ、つねに侍女を伴っているので絶対にふたりきりにはならない。
「あのお嬢さん、優しくてとってもいいひとですよ。それにたいそう気前がいいんです」
ジルは毎回小遣いをもらってすっかり手なずけられたのか、持ち上げてばかりいる。ジゼルは不審そうに鼻にしわをよせた。
「身分目当てに違いありませんよ、お嬢様。気をつけたほうが」
「そうねぇ。うちでめぼしいものと言ったらもはや爵位だけだし……」
「えー。美人で優しくて親切だぞ。それに、旦那様のこと本当に好きみたいだ。恥ずかしそうに見つめ合ったりしてさー。なんかこう、むずがゆくなってくる感じ?」
「ねぇ、ジル。そのひとがどこの誰だかわからないの?」
「それが全然。乗ってくる馬車はいい造りだけど、家紋もついてないし。でもたぶん、爵位のある貴族じゃないと思います。裕福な町民か平貴族ってとこかな。とにかくお金には不自由してないみたいですよ」
「そう……」
クロエは考え込んだ。収入源がほとんどない現状を考えると、もはやアピールできるのは爵位と家系図だけだ。領地は借金のかたに切り売りして、残っているのは倒壊寸前の城とその周りのわずかな森、荒れた農地しかない。
それでもパリを引き払って田舎に引っ込めばどうにか暮らしはたつと思うのだが、祖母も兄も田舎が大嫌いで、クロエの提案には耳も貸さなかった。
「田舎の城でニワトリとヤギを飼って暮らすのも悪くないと思うんだけどな……。森へ行けばタダで薪も手に入るわ」
「あたしはどこまでもお嬢様についていきますから」
きっぱりと宣言するジゼルに、クロエは苦笑した。無理に田舎に引っ込んだところで、カトリーヌの癇癪がひどくなるだけだろうし、兄は早晩享楽の都へ逃げ戻ってしまうのが目に見えている。
「……こうなったら背に腹は替えられないわ」
「どうなさるおつもりです?」
心配そうにジゼルが問う。クロエはぐっと拳を握った。
「そのお金持ちのお嬢さんを、我が家のお嫁にもらうのよ。お兄様のことが本当に好きなら、お相手にとって悪い話でもないと思うの。侯爵夫人という称号も得られるわけだし」
「それはまぁ、そうですけど……」
ジゼルはまだ何かひっかかりがあるようで、浮かない顔で曖昧に頷く。
「ともかくお兄様の気持ちを確かめないと。今日帰っていらしたら訊いてみるわ」
「それがいいと思います」
「問題は、おばあさまよねぇ。何しろこだわっていらっしゃるから……」
クロエは重い溜息をついた。
オーレリアンは日が落ちる頃になって戻ってきた。出迎えたクロエは兄から
「お兄様、少しお話があるのだけど……」
「僕もだ。おまえとおばあさまにぜひ聞いてもらいたい。さぁ来て」
いきなり腕を取られ、クロエは面食らった。どうにか帽子をジゼルに手渡すと、クロエはわけがわからないまま祖母の部屋に引きずられて行った。
「おばあさま、お話があります」
入室早々、オーレリアは切羽詰まった声を張り上げた。寝台のなかで読書していたカトリーヌが、驚いて本を閉じる。
「何ですか、挨拶もしないで」
「おばあさま、僕は結婚します」
クロエはぎょっとして兄を見た。その横顔は見慣れた昼寝中の天使ではなかった。すっかり思い詰めて紅潮している。祖母は目をぱちくりさせた。
「やぶからぼうに何の冗談?」
「冗談ではありません。僕は本気です。本気でマドモワゼル・パドルーと結婚します。できれば明日にでも」
「ちょ、ちょっとお兄様!?」
「誰ですか、そのパドルー嬢というのは」
いくらか落ち着きを取り戻したカトリーヌが、寝台の中で厳めしく身を起こす。
「ブランディーヌ・パドルー。やっとめぐり逢った僕の理想の女性です」
例の〈春の妖精〉はブランディーヌというのか。やっと名前がわかった。
「パドルーなんて聞いたことないわね。爵位は?」
「ありません」
「なんですって!? 平民なの」
「実家はニシン売りから始めて、今では手広く商売を──」
説明を始めたオーレリアンを、悲鳴じみた叫びを上げてカトリーヌが遮った。
「あ、あなたは魚屋の娘と結婚するつもり……!?」
「いえ、ニシン売りは祖父の代で、今はもうやっていないと──」
「そういう問題ではありません!」
カトリーヌはこめかみに青筋をたててわめいた。
「我が家は三百年以上続く旧家なのですよ! 冗談ではありません。是が非でも由緒正しい帯剣貴族でなければだめ! 新興貴族にしても、少なくとも三代以上続く家系でなければ絶対にいけません。それを何、爵位も持たない魚屋ですって……!?」
「ですから今扱っている商品は魚ではなく──」
オーレリアンの台詞は、わめきたてる祖母の怒声で聞こえなくなった。癇癪を起こしたカトリーヌは、手に触れたものを次から次へと投げつけた。避ければいいのに、オーレリアンは頭を両手でかばいながら、じっと立ったまま耐えている。
そこへ例の空っぽになった宝石箱がぶちあたった。後ろにひっくり返ったオーレリアンを、クロエは慌てて部屋の外へと引きずり出した。
閉じた扉の向こうから祖母の罵り声とものの壊れる音が響いてくる。歳を取るにつれ、祖母の癇癪はひどくなる一方だ。意に沿わないと、ささいなことで逆上する。こうなったら激昂の発作が収まるまで放っておくしかない。
扉の外でおろおろしていたジゼルに鎮静効果のある
「いててて……。何だか最近よく頭にものがあたるなぁ」
寝転がったままオーレリアンは苦笑いを浮かべる。クロエは兄の額をそっとなでた。
「……お兄様。もしも、お金のためだけにいやいや結婚するのだったら、わたし……」
「違うよ。ブランディーヌを愛してる。彼女はとても優しくていい人なんだ。僕が金に困ってることも知ってる。ろくな贈り物もできないのに、軽蔑するどころかいつも気遣ってくれるんだ。『人生には浮き沈みがつきもの、今は冬でも必ず春は来るわ』、ってね、そう言ってくれた……」
「プロポーズしたの?」
「うん。最初は断られた。身分が違いすぎるって。でも何度も口説いて、今日やっと承諾してくれた」
「今までお兄様がつきあってきた女性とはだいぶん違う感じね。会ってみたいわ」
「彼女も会いたがってる。今度連れて来よう」
「でも、大丈夫かしら。こんなボロ屋敷を見たら、さすがに気が変わるかも……」
「言っただろ、僕が貧乏なことは彼女もよく知ってる」
苦笑してオーレリアンは起き上がった。
廊下に座り込んだまま、兄妹は小さく笑いあった。
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