告白
増田朋美
告白
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今日も何だか曇りの日で、パッとしない天気のパリ市内。そんな日であっても、路上では植木市もやっているし、飲食店も普通にやっている。日本では、天気で落ち込みやすい人が多いが、ヨーロッパでは、そうでもないらしく、明るい顔して、曇り空でも、店をやったり、占いをしたり、路上ライブをやったりするのだった。
その日も、モーム家では、、いつも通りに、一日が始まっていた。マークさんが、いつも通り朝ご飯を作って、お客の杉ちゃんと一緒に、朝ご飯を食べていると、トラーが台所にやってきた。
「なんだお前、今日は、早く起きたのか。」
マークさんがそういうと、トラーは、もう当たり前じゃないの、という顔で、
「そうよ。やることがあるんだから、もうちゃんと早起きするのは当然でしょう。」
と言って、すぐに台所に向かうのである。
「朝ご飯食べないのか。」
マークさんがそういうと、
「まずは水穂に先に食べさせてからにするわ。自分のは、その後よ。」
トラーは、そういって、冷蔵庫から食材を出して、料理を開始した。と言っても、一人でやるのはまだ自信がないらしく、
「ねえ、雑炊の作りかた教えてよ、杉ちゃん。」
と、杉ちゃんにそういうのである。
「ああいいよ。この間みたいに、砂糖と塩を間違えたりしないでくれよ。」
杉ちゃんは、さっそく、彼女の「料理監督」に取り掛かった。彼女は、危なっかしい手つきながらも、ニンジンを切ったり、ラディッシュの皮をむいたりしている。そのうちに、壁にかかっていた時計を見て、マークさんは、じゃあ、仕事に行ってくるよ、と言って、邪魔にならないように出て行った。
「それでは、これを、まず、出汁を入れて煮るんだな。先ず、鰹節と煮干しの使いかたは、大丈夫かな?」
と、杉ちゃんが指示を出すと、
「えーと、これが鰹節で、この魚が煮干しよね?」
トラーは、冷蔵庫から、指示されたものを出した。本来なら、冷蔵庫に入れなくてもいいものであるが、それが彼女にはよくわからないらしく、何でも冷蔵庫に入れたほうがいいと、思い込んでいるらしい。
「よし、これで出汁をとるよ。鰹節と、煮干しを鍋に入れて、火にかけろ。」
トラーは、その通りにした。以前は、火にかけろと意味が分からなくて、コンロに水をかけてしまった事もあった彼女だが、今回はそういうことはなく、すぐに鍋をガスコンロの上に置くことができた。
「おう、だいぶ、日本語も理解できるようになったじゃないか。じゃあ、お湯の色が変わったら、お玉で中身を出してみてくれ。」
杉ちゃんにそういわれて、トラーは、こうすればいいのね、と、煮干しと鰹節のみをお玉で取り出す。
「できるようになってきたな。じゃあ、その出汁の中に具材を入れて、柔らかくなるまで煮るんだ。」
「わかったわ。」
トラーは先ほど切った、ニンジンとラディッシュを、だし汁の中に入れた。
「よし、いいぞ。柔らかく成ったら、その中に、炊いたご飯を入れるんだ。これで暫くにて完成だよ。」
トラーは、炊飯器からご飯を取り出して、その中に入れる。日本のお米とちょっと違うけれど、雑炊の完成だ。
「ようし、出来た出来た。水穂さん喜ぶぞ。本当は行平鍋があったら最高なんだけどね、まあ、ここにはないので、お皿に盛りつけて、水穂さんに持って言ってやろう。」
「ねえ杉ちゃん。」
トラーは、雑炊をお皿に盛りつけながら、そういうことを言った。
「いつも、朝昼晩と雑炊ばかりで、水穂、可哀そうじゃないかしら。他に食べる者と言ったら、蕎麦でしょう?病気のせいと言っても、その二つだけじゃ、ちょっとね。」
「ウーンそうだねえ。日本でも、これくらいしか食べるもんがないので、まあ、飽きるという事もないだろうから、そのまま出してやってくれ。」
杉ちゃんは、そういうことを言うが、トラーは、まだ不満そうにこういうのだった。
「でも、蕎麦と雑炊だけじゃ、可哀そうだわ。もっと、いろんなもの食べさせてやらなきゃ。あたし達は、いろんなもの食べているのに、水穂だけ、毎日毎日蕎麦と雑炊だけで、きっと寂しい思いをしているんじゃないの?」
「いや、それはないね。それしか食べるもんがないと考えればまた別。」
杉ちゃんがそう答えるが、
「嫌ねえ、それしか、じゃなくて、日本では、水穂は何を食べてきたのよ。若しかして、日本でそういうモノしか出していないから、ずっとよくないんじゃないの?違う?」
と、トラーは詰問するように言った。杉ちゃんが思わずこう答える。
「まあねエ。食べるもんとしたら、納豆とか豆腐だな。でもよ、ここでは納豆も豆腐もどこにも売ってないじゃないか。手に入らないもんをねだっても、無駄だって、あいつだってちゃんとわかってるさ。」
すると、トラーはこういうことを言い出すのであった。女性ならではの激しい気性のせいかもしれないが。
「だったらその、納豆とか、豆腐とかそういうモノを、こっちでも作れない?店に売ってないなら、家で作るしかないでしょ。先ず、何を用意すればいいのか、教えてよ。」
「何を言っているんだよ。納豆も豆腐も、専門的な知識がないと作れないよ。何よりも、ここには大豆ってもんがないじゃないかよ。」
杉ちゃんがそういうと、
「大豆ってなあに?」
とトラーは言った。
「大豆というのはな、日本で作られているナッツみたいなものだ。まあ、アーモンドみたいなもんだ。」
杉ちゃんがそういうと、トラーは、わかったわ!と言って、猪突猛進に家を飛び出してしまった。トラーは一度何かひらめくと、必ずそうなってしまう癖があった。何処へ行ったのか知らないが、いずれにしろ、車いすの杉ちゃんには、追いつくことは出来なかった。
「こんにちは。」
玄関先から声がする。
「水穂さんは、大丈夫ですか?何かお手伝いすることあればと思って、手伝いに来ました。」
お客さんは、チボー君だ。多分心配になってきてくれたのだろう。西洋人は、他人に迷惑をかけるから何てことは気にしないで、自分が心配だと感じたら、行動に移してしまう人が多い。
「おう、せんぽ君。いつもありがとうな。丁度朝ご飯作ったところなんで、食べさせるのを手伝っておくれよ。」
杉ちゃんはいつも通り明るく返答する。チボー君は、お邪魔しますも言わずに中に入って、
「あれ、トラーはどこに行っちゃったんですかね?」
と、言った。
「ああ、納豆の話をしたら、また頭に血が上ったらしく、部屋を飛び出していったよ。何をひらめいたんだろうね。」
「またですか。」
チボーは、そう杉ちゃんに言うが、最近、トラーの様子が心配になってきた。どうも彼女は、最近活発に動いている。買い物に行ったり杉ちゃんにお料理を教わったり。しまいには、杉ちゃんに裁縫を教えてよ、という始末である。兄のマークさんは、やっと動き出してくれたか、と、感心しているようであるが、チボーはちょっと心配だなという気がしてしまうのだった。
「まあ、トラちゃんの悪い癖はしょうがないとして、それよりも、早く水穂さんにご飯をくれることを考えよう。じゃあ、行こうぜ。」
杉ちゃんに言われて、チボーは、一緒に客用寝室へ行った。水穂さんは、ベッドで静かに眠っている。
「おーい、起きろ、ご飯だぞ。」
杉ちゃんが、水穂さんの体をゆすって起こす。チボーは水穂さんの事を複雑な気持ちで見つめた。実は、トラーが、昨日、杉ちゃんとこういうことを話しているのを立ち聞きしてしまったからである。
「ねえ杉ちゃん。水穂が持っている、何とか問題について教えてよ。ほら、水穂の住んでいた所のせいで、人種差別を受けたってこと。」
トラーは、料理をしている杉ちゃんにこういっていた。
「はあ、またそれか。だから、つまりこういうことだ。日本には、死牛馬処理権と言って、死んだ牛や馬の処理をする身分があって、その革を剥いで、鞄とか作ってた人がいたんだよ。そういう人達は、特定の地域に暮らしていて、一般の人は、立ち入り禁止だった。そういう立ち入り禁止区域を、今の言葉で同和地区というんだって。水穂さんはそこから来てるから、バカにされたり、いじめられることが多かったわけ。」
杉ちゃんがそう説明すると、トラーは、
「ああ、そうなのね。だったら、日本に居れば、何時でもどこでも、そういう扱いをうけちゃうの?」
ときいた。
「まあ、そうだね。何処に行っても、いじめはなくなんないよ。同和地区は、全国どこへでもあるんだから。」
と杉ちゃんは答えた。
「だったら、ずっとこっちにいてもらえない?あたしたちは、怠けないで世話もするし、言葉の問題だって何とかするようにするから。あたしは、そうやっていじめられるしかないところに、わざわざ帰りたいっていう、気持ちがわからないのよ。」
トラーは、そんな事を言い出した。
「でもねえ。水穂さんは、あんなに日本に帰りたいと言っているんだからねエ。」
杉ちゃんが曖昧に答えると、
「だったら、あたしも一緒に行ったっていいわ。ここに居ても、あたしは、お兄ちゃんの邪魔をして居る程度にしか見られないわよ。それに、日本ではまたいじめられるんでしょ?それなら、すきな人が、一人そばにいたほうが、一寸生活も違うんじゃないかしら。」
と、トラーはそういうことを言い出すので、杉ちゃんもびっくりした。その時は、まあ、それだけ気持ちがあるんだったら、水穂さんの事を、大事におもってやっていると表現してくれよ、と、杉ちゃんは言っていたが、チボーはそれを立ち聞きして、トラーがパリから出て行ってしまうという意思があるんだという事を知って、胸が切れそうな、衝撃を受けたのであった。
不意に、前方から、咳き込む音がして、チボーはハッとする。
「おい、ちょっと手伝ってくれよ。タオルかなんか持ってきてくれる?」
と、杉ちゃんに言われて、チボーは、は、はい、と言って、急いで風呂場へ行って、タオルをとってきた。戻ってくると、杉ちゃんが、水穂さんの口元を濡れたチリ紙で拭いてやっている所だった。そのチリ紙は、真っ赤に染まっている。急いで、チボーは、タオルで水穂さんの顔を拭いてやったが、
ちょっと、自分の恋敵にあたる人物の顔を拭くのは、勇気が要ることだった。
「どうしたのせんぽ君。ぼんやりしちゃって。」
杉ちゃんにそういわれて、チボーは、頭をかじりながら言った。
「あ、ああ、何でもありません。なんでもないんです。」
その時はそれでよかったのだが、後で自分の想いが杉ちゃんに知られてしまったらどうしようと、一瞬ヒヤリとしたのであった。
一方その数分後、トラーがでかい足音を立てながら戻ってきた。なぜか、右手には大きな紙袋を持っている。
「トラちゃんどこ行ってきたんだ?」
と、杉三が聞くと、
「ミゲルさんの農園に行って、アーモンドを買ってきた。これがあれば納豆は作れるんでしょ?すぐに作ってやって、食べさせてやってよ。」
と、トラーは、紙袋を突き出す。何だろうと思ったら、中には大粒のアーモンドがいっぱい。
「君も、人の話を聞かない人だな。納豆は、アーモンドではなくて、大豆というまた別の種類の豆から作るんだ。」
チボーは、ちょっとあきれた顔をしてそういうことを言った。
「でも、杉ちゃんがアーモンドって。」
「そうじゃないよ。それは、例えるために言ったんだよ。唯、アーモンドに近い物だって、おしえたかったんじゃないの?」
チボーがそういうと、トラーは、わっと泣き出してしまった。チボーは、そのあとの説明、つまり納豆は、納豆菌という特殊な細菌がないと作れないという説明をしようと思っていたが、これを見てまよってしまう。
「だから、納豆は、特殊な製法じゃなきゃ作れないのさ。ここではなかなか売ってないだろうし、作れないよ。まあ、アーモンドが大量に手に入ったから、これで、蕎麦ケーキにアーモンドを入れた、面白いケーキが作れるよ。やり方を変えればいいのさ。ありがとうよ。トラちゃん。」
杉ちゃんがそういうことを言ってくれたおかげで、まだ救われたなあと思ったチボーだが、トラーは何時までも泣き続けるのだった。もう人前で泣かないで、ほかのところで泣きなよ、とチボーが言うと、彼女は分かったわと言って、部屋に向かってしまった。
数分後。水穂さんが、客用寝室で、静かに眠っていた時の事である。
「ねえ水穂。」
とトラーの声がして、目を覚ますと、枕元にトラーが立っていた。
「水穂、私も、日本へ一緒に行ってはダメかな。」
いきなりこんなことを言われて、みずほさんは、困った表情をした。
「そんな顔をしないでよ。水穂がどうしても、日本に帰りたいっていうから、あたしも一緒に行きたいと言っているだけじゃないの。」
トラーにそういわれても、水穂さんは、返答のしようがない。唯、
「いえ、やめた方がいいですよ。僕みたいな人間と一緒に居ると、トラーさんまでつらい思いをしてしまいますよ。」
とだけしか言えなかったのである。
「でもさ、水穂。一人だけ愛する人がいれば、また生活も変わるんじゃないかしら。大勢の人があなたに冷たくしても、あたしがそばに居れば、生きていかれるってこともあるんじゃないかしら。そうでしょう?」
トラーはいかにも西洋人らしいセリフを言った。
「そんなことありません。僕がバカにされれば、トラーさんもバカにされることになってしまいます。」
水穂さんが言うと、
「そういう事は慣れてるわ。あたし、リセでさんざんいじめられてきたのよ。だから、多少誰かにバカにされたとしても生きていける。今だって、お兄ちゃんの厄介者くらいしか見られてないでしょうし、馬鹿にされることは、もう慣れてるから、あたしは大丈夫。」
と、トラーは言った。
「ねえ水穂、あたしの気持ち、真剣に考えて。あたし、水穂の事大好きよ。これまで、男の人を好きになることはなかったけど、今は違うの。本当に、水穂の事、心から愛しているの。だから、この気持ち、しっかり受け取ってほしいわ。」
それを聞いて、水穂さんの目がたじろいだ。どうしようという感じの目つきになった。急にトラーから愛の告白をされて、どうしたらいいのか即答できないのが、水穂さんというモノである。返事の代わりに、咳き込んでしまったのである。
「ねえ、咳で返事しないで。あたしの気持ち、受け取ってくれたかどうか、それだけでも教えて。」
丁度その時。トラーの忘れて行った鞄を届けるため、客用寝室の前を通りかかったチボーは、
「あたし、水穂の事大好きよ。これまで、男の人を好きになることはなかったけど、今は違うの。本当に、水穂の事、心から愛しているの。」
という言葉を聞いてびっくり仰天した。幼馴染の自分を好きになったこともなかったという事か、それに、もう自分には思いも何もなくて、水穂さんの事を心から愛してしまっているのか!ああ、僕は何をしてきたんだろう。チボーは、トラーの鞄を持ってきたことも忘れて、わっと泣きたくなってしまった。いつまでも戻ってこないので心配してやってきた杉ちゃんは、何が起きたのか顛末を知って、
「せんぽ君、カフェでも行くか。」
とだけ言った。
そのまま、杉ちゃんに連れられて、チボーは、カフェに行く。先ほどの衝撃で、杉ちゃんをカフェに連れていくのに、道案内するのも忘れていたが、杉ちゃんの方が覚えてしまったらしい。もう、カフェがどこにあるのかわかっていた。
とりあえず、二人は、一番奥の席に座らせてもらうが、チボーは座席に座るや否や、もう涙が止まらなくなってしまう。周りにお客さんは誰もいなかったのが、救いだった。杉ちゃんが、チボーに水を渡すと、チボーは、一気に飲み干した。そして、声も立てずに男泣きに泣いたのである。杉ちゃんは、何があったかとか、そういうことを言って慰めたり窘めたりすることもしなかったが、ただ一つ、
「男らしく、告白しろ。」
とだけ言って、チボーの肩をポンとたたいた。
「このままだと、トラちゃんは、水穂さんのものになってしまうぞ。」
それを聞いてチボーはハッとする。そうだ、そういうことをしなければ!そうしないと、本当にトラーは僕の前から姿を消してしまうぞ!
「杉ちゃん、ありがとうね。僕、大事なことを忘れていたよ。」
チボーは、そういって、ウエイターが持ってきてくれたコーヒーを急いで飲み干した。
「まあ、恋愛は大変だけど、頑張りや、せんぽ君。」
「うん、わかったよ。応援してくれてありがとうね。」
これでやっと、頭に刺さっていたものがとれた気がして、チボーは、急いで立ち上がった。
その同時に、モーム家の客用寝室では。何とか咳き込むのが治まった水穂さんが、トラーにこういうことを言っている。
「トラーさんの気持ちはうれしいです。ただ、僕は、あなたを日本に連れていくことはできません。なぜなら、日本で生活したら、僕だけではなく、トラーさんまで不幸になってしまう。それでは、いけないから。」
「でも水穂。」
トラーは、涙をこぼしながらこういうことを言った。
「一人だけでもいいから、あなたを愛した人物がいたってことだけは、わかってもらえないかしら?あなたは、自分の事を誰からも愛されない、だめな人だって思っているでしょうけど、そんな事はないんだって、考え直してくれないかしら?」
水穂さんも、そういわれて、一寸顔の表情が変わった。
「あたしは、どうせ、社会から誰にも愛されないだめな女だけど、水穂は少なくとも、そうじゃないんだって、思い直しいてほしいわ。」
「ええわかりました。でも、トラーさんも、トラーさんなりに自信を取り戻してください。そのほうがきっと幸せになれるのではないかと思います。」
トラーの発言に水穂さんは静かに言ったのであった。トラーは、水穂さんにからだを預けたいようだったが、それはやめておく、とだけいった。
告白 増田朋美 @masubuchi4996
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