君に会う季節
荒城美鉾
君に会う季節
だってそう思い込んでいたんだから、ということがある。
子どもの頃、赤鼻のトナカイの歌詞を「デモッソの年」と思い込んでいたことがある。 外国には、うるう年みたいな「デモッソの年」という特別な年があるのだとずっと信じていたのだ。
「デモッソの年」。きっと特別なことが起こる、特別な年なのだろう。デモッソの年には、みそっかすみたいなトナカイがヒーローになれるのだ。
そう、俺みたいな。
デモッソの年には、俺もヒーローになれるのかもしれない。
成長して、正しい歌詞を文字で知ると、俺の中の「デモッソの年」は消えてしまった。俺がヒーローになれる可能性も消えてしまったような気がした。
彼女のことは知っていた。ここに立って、俺に声をかけて来たんだ。
いじめられ始めたアカデミーの一年の時、両親が離婚した五年の時、ハイスクールへの進学を諦めた九年の終わり頃、それぞれ彼女に声をかけられた。
ついでに思えば、ツキのない人生だな。
いま考えると、約四年に一度、彼女を見かけていたことになる。
彼女は俺の中で──まるで不幸の女神のようだった。
そして、今年。
「そう、ここを出ていくのね」
彼女は俺にそう言った。
彼女のアバターは、透き通るような白い肌に、肩までの黒い髪をチョイスしていた。それに、旧世紀の制服。セーラー服、と言われるやつ。
俺たちはみんな、眼球にはめ込んだ義体の一種、網膜ディスプレイを通して世界を見ている。アカデミーのやつらの顔は知らない。俺が知ってるのはアバターだけ。オンラインでもオフラインでも、俺たちは本当の顔を晒すことはまずない。
アバターを装うことはセキュリティ上、常識だ。ルッキズムによって自意識が傷つくこともない。思春期の俺たちにもうってつけだった。
俺たちはIDかアカウントを確認しなければ、相手が本当に友達かどうかさえわからないのだ。安全と引き換えに絆を失った、と大人たちは嘆くけれども、もともとその世界しか知らない俺達にとっては何ということもない。近頃は本当の顔を知ることなく結婚するカップルだっているくらいなのだ。
もっとも、うまく感触をリンクできないため、触れるとアバターにブレが生じることがある。アバターが上手く起動しなくなるため、アバターで触れ合うことを嫌う人も多い。アバターの他人に触れるのはよっぽど親しい人でなければマナー違反なのだ。
「ああ、仕事が無くなりそうでね。このケレスで食べていく見込みが無くなった。火星に会社ごと移ることにしたんだ」
そう親方──うちの会社では社長をそう呼ぶ。曰く、そういう社風だから──が発表したのだ。多くの社員が付いていくことにした。残ったところで、俺らのような小さな樹木管理会社の庭師には仕事が無くなるのは目に見えていた。
なぜなら、この地区全体が工業プラント化されることが決まっていたからだ。個人宅や学校は全て移築され、樹木の類もここには残らない。
「そう。残念だわ」
彼女はそう言うと、手を差し出してきた。
俺は驚愕した。握手。
俺はその手を反射的に握り返した。柔らかく、温かく、しかしどことなく心もとない、その手を。
つまり、彼女は、アバターではない。
同時に、どっと汗が出る。
ならば。ならばなぜ。
彼女の見た目は変わらないのだ。
「私は今日、年をとるの」
風が吹いた。
桜の花びらが、音もなく舞い散った。
ケレスは約四年半の時間をかけて、太陽の周りを回る。
ケレスの一年は、地球の一年、その名残で俺たちがカウントする一年の、約四倍半あるのだ。
「人の姿でいられるのは、一年の中で、生まれたこの日だけ」
「君は、この桜なのか?」
彼女はうなずいた。
「どうして、どうして俺の前に?」
さぁ、とばかりに彼女は首を振った。
「多分──恋をしたのね」
そう言うと彼女は初めて、笑った。
「あなたは私の、ヒーローのようなものだったのかもしれない。なぜだか知らないけれど」
知らなかったんだ。まさか。まさかそんなことが。
アバターだって、そう思い込んでいたんだから。
俺にそんなことが起こるなんてあり得ないと、そう思い込んでいたんだ。
俺は作業服をランドリーに放り込んだ。
会社の寮から、咲き始めた桜が見える。土下座してあの桜を植え替えてくれと頼んだ俺に、親方は「出世払いだぜ」と笑った。
火星の公転周期は二年弱だ。 やきもきしたが、無事根付いて、どうやら咲くことができそうだ。
彼女に再び会えることができるかはわからない。
会うことが出来たら、きいてみたい。
デモッソの年はもうないけれど、ツキがなくてみそっかすな俺でも、君のヒーローになれただろうか、と。
君に会う季節 荒城美鉾 @m_aragi
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