最終章 星の未来

第586話 「俺たちの先々」

 8月1日、10時。あの戦いから一週間ほどが経過した。

 マスキア王国、王都セーヴェスの王都政庁内の一室。俺用にあてがっていただいた応接室は、ちょっとした事務室のようになっている。今部屋の中にいるのは、俺とラックスだ。

 読み終えた書類から視線を外し、俺は新たな書類に左手を伸ばそうとした。すると、右腕に鋭い痛みを覚え、顔が少し歪む。


「大丈夫?」


 慌てた様子でラックスがサッと動き、俺の前に書類を差し出してきた。素直に頼んどけば良かった。少し申し訳なくなって愛想笑いしながら受け取り、新手に目を通していく。

 あの戦いの後、軍本陣へと帰還した俺は、結局丸一日寝ていた。その後、目を覚ますとともに、腕の痛みがようやく襲い掛かってきた。

 触診のようなことは、俺が寝ている間にしていただけていたらしい。何人かの軍医の方々に診ていただいたところ、右前腕部の骨折で、全治2~3ヶ月といったところだ。

 それで、痛み止めに内服薬と塗り薬を処方されている。といっても、前世のドラッグストアで手に入るような薬じゃないから、そこまでストレートに効く感じはない。確かに痛みが緩和する感覚はあるけど、常に鈍い痛みが持続し、時折強く襲い掛かってくる感じだ。当分はこれとお付き合いする形になる。


 まぁ、痛み以上に面倒なこともあって、それは利き手を使えないってことだ。左手で飯ぐらいは食えるけど、筆記はおぼつかない。それに、今いる王都みたいに魔法を使えない都市部においては、視導術キネサイトで筆を操るわけにもいかない。

 なお都合が悪いことに、俺が書くべき報告書ってのはかなりある。そこで、口述筆記等の事務のために、ラックスに手伝ってもらっているわけだ。

 彼女は彼女で、フラウゼ近衛部隊として取り掛かるべき諸々の報告書というものがあるけど、彼女自身の仕事が速い上、そちらはウィンを中心とするデスクワーク組も頑張ってくれている。


 また、報告書作成以外にも任務はまだある。ラウル、ハリー、サニーを中核とする実働向けメンバーは、交戦地域一体の安定化を図るために、マスキア国軍と連携して偵察を行っている。

 連合軍に参加した諸国の軍はというと、それぞれの国に帰還しつつある。マスキア国軍も、戦場付近に駐留するのは半数といったところだそうだ。


 そうした駐留軍が監視すべき対象に関しても、大きな変化があった。

 最終的に総兵力を大きく減らした魔人の軍勢は、それでも脅威となり得る存在ではある。ただ、大幹部を全て倒されたという衝撃は、彼らの戦意を喪失させるに十分だったようだ。目の前であの怪物が倒されたということも。

 そうして気力を失ったところに、さらなる一手が打ち込まれた。

 リーヴェルム共和国が捕虜としていた軍師――いや、もう本来の名前で呼ぶべきかもしれない。ルーシア・ウィンストン卿に対し、共和国を主体とする国際社会の要請があったという体裁で、彼女に敗軍を管理・統治してもらうことになった。

 この決定には、彼女自身の意向もあったらしい。再び軍を組織して戦おうというのではなく、行き場のない同胞たちを守ってあげたいのだと。

 こうした決定に対し、疑念の声が上がらなかったわけじゃない。しかし、かの卿が軍権を握っていた頃、手勢の戦いぶりは紳士的だともっぱらの評判ではあった。戦火を交えた相手に対する、確かな信頼と評価が、歴戦の将帥たちに根強くある。

 加えて、下手に敗残兵を散逸させるよりは、一か所にまとめてもらった方が監視・警戒しやすいという合理的な打もある。

 そういったわけで、彼女を筆頭とする魔人の一集団の存在が、国際社会において暫定的に承認されるに至った。この話について、連合軍の末端にまでは、詳しい話が伝わっていない。ただ、いずれは色々なことが明るみに出るのではないかと思う。


 この件に関する書類から視線を外し、天井を見上げると、ラックスが問いかけてきた。


「どうしたの?」

「いや……世の中色々変わりそうだと思って。今まで忙しかったけど、これからも忙しさは変わらないか……」

「リッツの場合、特にね」


 そう言って彼女は、同情するような笑みを向けてきた。


「渦中の人だから、これからきっと大変だよ? だからこそ、今もこうして手伝ってるわけだし」

「ああ、わかってる。ホントありがと」


 とりあえず、今回の戦いの終結は、単なる一戦の終結に留まらない。長きに渡る魔人との戦争の終結だ。それだけでも歴史的な大事件であり、その最終決戦に係る論功行賞も、大掛かりなものになる。

 それで、俺はその褒め称えられる対象の筆頭だ。正式な内示が下る以前から、軍の中核にあらせられた方々にそう請け合っていただいている。それも、我が事のように喜ばれながら。

 で、この論功行賞って奴が、どうも一国で終わりそうにない。連合軍に関係した諸国の戦勝式典にお邪魔する形で、歴訪する流れになるという見立てだ。


 また、戦後のそうしたお祭り騒ぎが収まっても、まだまだ忙しくなる要素はある――というか、俺にとってはこっちの方が本命だ。

 アイリスさんと結ばれるために、世の中に認めさせなければならない。

 ただ、魔人との戦いが終わったばかりであり、それを受けて世の中も大きく動き出すことだろう。そうした流れの中で、俺たちがどうなるのか、見当もつかない。だからって、戦後のドサクサに紛れてってのも……俺たちに関わる多くの方に迷惑をかけたくないから、こういうことはちゃんとやりたい。

 そういうわけで、俺たちの仲に関しては、世の流れを見ながら動いていくことになるのかなと思う。必要になれば、社会運動みたいなことをすることになるかもしれない。


 しかし、先々のことを考える前に、まずは報告書の作成だ。これまでのことを思い出し、話を組み立てていく。そうして目を閉じ、考え込む俺に、ラックスが話しかけてきた。


「ちょっといい?」

「どうぞ」

「大した話じゃないけどね……あなたって、武勇伝とか盛る方?」

「いや、まさか」

「だと思った。だったら、ちょうどいいかもね」


 何を指してちょうど良いと言っているのかわからない。黙って言葉の先を待つと、彼女は微笑みながら言った。


「アイリス様がね、『功績を盛られると、私じゃ釣り合わなくなるかも』って」

「まさか~」

「ちなみにだけど」


 笑顔を急に少し引き締めて、彼女は前置きをした。


「あなたの中では、アイリス様の方が上なの?」

「まぁ……そのつもり」

「だと思った」


 そう言うと、彼女は少し呆れたように微笑んだ。


「アイリス様は、あなたの方が上だと思ってるみたい」

「……それはわかる」

「お互い、相手のことを上に置くあたり……なんていうのかな。お似合いというか、ごちそうさまっていうか」


 少し頬を紅潮させながら、嫌味のない笑顔で楽しんでいる彼女は、やはりこういう話が大好きなのだろう。今までもそういう感じの子だった。

 ただ、その点を指摘すると、地雷を踏みそうな気がしないでもない。彼女自身、貴族ではないものの名家の生まれで、自由恋愛みたいなものとは縁遠いはずだ。

 だから、色々と思うところはあるのかもしれない。

 彼女の顔を見ながらそんなことを考えていると、彼女は少し恥ずかしそうになって口を開いた。


「ごめん、ちょっとはしゃいじゃったね」

「いや、いいよ。こういう一面もあるんだな~ぐらいに思ってただけだし。それに、色々助けてくれて嬉しいよ。ありがとう」

「ふふっ。まぁ、任せてよ。支援者も増えたところだしね」


 支援者と言うと、あの一連の戦いで仲良くなった、王侯貴族の方々だ。俺たち二人の仲みたいなのが一般化されれば、あの方々も自由恋愛できるようになる。そういうご自身の事情以外にも、何かしらのお考えはあるのだろうけど、ともあれ俺たちの仲を後押しする心強い存在は確かに増えた。

 ただ――高貴な家系同士が結びつき、それぞれの家が存続することを望んでいるのは、決して家の当事者だけじゃないんだよな、きっと。

 そうして考え事をしていると、また別の疑問が頭に浮かび上がってくる。そこで、俺はラックスに尋ねた。


「さっきの、俺に釣り合うかどうかの話だけど」

「どうかしたの?」

「二人っきりで話した?」


 すると、彼女の顔が少しずつ渋い苦笑いになっていく。これでもう、おおよその事情はわかった。なんとなく恥ずかしくなって、頬が少し熱い。


「女子会か何かだった?」

「鋭いね……さすが」

「何がさすがなんだか……まったく」

「でも」


 一言口にした彼女は、俺をまっすぐ見つめながら、穏やかな笑みを浮かべて言った。


「みんな、あなたたちの味方だから」

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