第587話 「王都への帰還①」
戦場と付近一帯の安定を確立し、報告書もあらかたまとまったということで、俺たち近衛部隊は王都に帰還を果たした。8月7日、あの戦いが終わってから2週間ほど経ってのことだ。
転移門管理所を出ると、殿下を先頭とするこの行列は、待ち受けていた人々の歓呼の渦に包み込まれた。世紀の一戦からの帰還ということで、盛り上がり様が凄まじい。
それでも、俺たちが道を行くのに不自由しないよう、行列整理が行き届いている。整えられた人垣からなる街路を、俺たちは練り歩いていく。北区の転移門管理所前から始まり、王都の主要な街路を一通り回り、最後に王都北の王城へ……というパレードだ。
一応、正式な戦勝式典はまた別にやる予定だ。ただ、帰還した殿下や勇士へのお出迎えが無いのではということで、王都政庁の中で企画が持ち上がり、気が付けばあれよあれよという間に
そんないきさつながら、これも立派な行政サービスだ。主に冒険者からなる近衛部隊に対し、前もって依頼の公文書をいただいている。公費からお給金も出る。
ただ、そういう稼ぎを抜きにしても、大変な名誉には違いない。隊員の反応はまちまちで、得意げな奴、感無量といった感じの子、照れくさそうなのもいれば、平然とした風の奴も。
そんな中にあって俺は、こちらに向けられる視線に、なんとなく複雑な感情を覚えてしまう。
というのも、三角巾で吊った右腕に、なんとも痛ましそうな目を向けられているからだ。隊における序列から、殿下のすぐそばを歩いているということもあって、なおさら目立つ。
できれば、こういう痛々しい格好ではなく、何事もなかったように歩きたかったところ。とはいえ、さすがにドクターストップがかかり、意地を張るのは許されなかった。
もっとも、これは名誉の負傷ではある。骨一本を引き換えに、敵の大物を倒したわけでもあるし。
それに、今こうして向けられる視線は、この後の挨拶回りの予行演習だと思えば……きっと、どうってことはない。
パレードにおいて、特に問題は起こらなった。すし詰めになった観客同士のトラブルだとか、殿下に対する不敬や凶行とか。全て滞りなく事が進み、俺たちは王城前へ到着した。ここが終着点だ。
――着いたときは、そう思っていた。
しかし、俺たちを置いて一人歩かれていく殿下は、数歩進んだところで振り向かれた。
「まだ終わりではないよ」
「……城内までご一緒せよと?」
「陛下も、君たちには何か言いたいだろうからね。公式な場は、またいずれという話だけど……せっかくだから、いいじゃないか」
まぁ……この近衛部隊は、国や陛下のためのものというより、殿下のための部隊だ。その殿下が着いてきてほしそうになさっているのなら……迷いや戸惑いがあろうと、ついていくのが筋だろう。
とはいえ、パレードの時以上にみんなガチガチだ。俺とアイリスさんとラックスは、過去の経験もあって、まだ落ち着きを保てているけど。
それでもみんな、腹をくくってくれた。一人も欠けることなく、俺たちは王城へと足を踏み入れていく。
中に入って一つ気づいたのは、このご訪問がノーアポだってことだ。もっとも、今回のパレードの話が立ち上がった時点で、こうなる想定があっただろうとは思う。殿下が俺たちみたいなのを引き連れてご入城なさったことに対し、城内におられる様々な身分の方は、それが当然であるかのように受け入れているようだった。
ただ、単に無視されたり、腫れ物扱いされている感じはない。列の先頭を行かれる殿下に対しては恭しい態度で応じられるものの、続く俺たちに対しては好奇や関心の目を向けられる方が少なくない。お立場柄、平民に混ざってパレードの列にというわけにもいかなかったのだろう。
そう思えば、城内も街路の延長みたいなものだった――いやまぁ、緊張感は段違いだけど。
壮麗な建物の中、俺たちはゆっくりと歩を進めていく。
しかし……どこに向かわれるというのだろう? この城内の構造には詳しくないけど、大ホールっぽいのや応接室、貴賓室らしきものはすでに過ぎたように思う。
それでも殿下は何も仰らず、上へ上へと進まれる。城内を上がるにつれ、ただでさえ静かな城内から、人気がさらに少なくなっていく。柔らかなじゅうたんを踏む音が、スッと耳に入ってくるくらいに。
そして……少しずつ空気が張り詰めていく。殿下が向かわれる先について、察しがついたのは、俺だけではないようだ。この先を思い巡らし、声を出すのもはばかられる、張り詰めた緊張が場を満たす。
俺の記憶が確かなら、この先は――玉座の間だ。
前に見たことがある重厚な扉の前に着くと、殿下が俺たちの方に振り向かれ、にこやかに微笑まれた。
「この中だよ」
この城内にご案内された時点で、陛下にお目通りするのだろうとは考えていた。しかし、もう少しこう、一般向けの部屋で事を済まされるのかと。
それが、まさか玉座とは。いや、アポ無しで入り込んだんだから、ある意味では自然な流れなのでは?
頭の中でぐるぐる思考が回る。さすがに平常心を保つのが難しい。急に深呼吸を始めた奴もいる。事ここに至っては、アイリスさんとラックスの二人でも、冷静さを維持するのは難しいようだ。硬い表情に戸惑いを押し込めているように見える。
すると、殿下は少し悲しそうな笑みを向けて仰った。
「ごめん、無理そうなら帰ろうか?」
「いえ……その、我々が入っても、問題は?」
「大丈夫だよ。父上も、君たちには興味をお持ちのようだったし……戦友ぐらいは紹介したいんだ」
ああ――初めてお家に友達を連れてきたとか、そういう軽いノリではないんだけど、そういうのに憧れていらっしゃったのだのだろう、きっと。
この方からどう思われているか、正確な胸の内は決して知りえないところだけど、俺としてはご厚意や親愛の情にお応えしたいと思う。
互いの立場を踏まえた上で、友でありたい。
覚悟を決めてもなお、陛下の御前に参上するプレッシャーはあるけど、どうにか落ち着けそうではある。そこで俺は、みんなの方に向き直った。
「俺は、拝謁するつもりだけど」
「マジで~?」
「肝座りすぎじゃない?」
「……玉座の前で交わす言葉遣いじゃないな」
思わずツッコミを入れると、みんな苦笑いになった。それから、ガチガチに固まっているラウルが問いかけてくる。
「割と平気そうだけど……アイリス様とラックスも。もしかして、召し出されたことが?」
「まさか~」
実を言うと、俺はここまで来たことはある。内戦終結の折、殿下の兄上の亡骸をこちらまで運んだ。
しかし、ここまで来たとか言うと、変に追及されそうだし、殿下はあの時のことを絶対思い出される。場が湿気るのを嫌って、俺はごまかした。実際、中には入っていないことだし。
女の子二人も、この中には入ったことがない。つまり、この場にいる中では、殿下以外の全員にとって未知の空間になるわけだ。
そうして少しまごついたものの、全員の覚悟が決まって殿下に向き直ると、殿下は心底嬉しそうに微笑まれた。これだけでもう、応諾した価値はあるかも知れない。
そして、殿下が扉を開かれる。こういうとき、代わりに開けるべきなんだろうか。それとも代わりにだなんて恐れ多いのか。立ち入る前から、わからない正解を求めて思考が迷走する。
静かに厳かに開いていく扉の向こうには、赤いじゅうたんが見えた。荘厳な雰囲気を目と肌で感じると、つい先日別の城の玉座をぶっ壊したことが、とんでもない
いや、他事を考えている場合じゃない。完全に開いた扉、その向こうに広がる光景を目にして、頭の中が真っ白になりそうなプレッシャーを感じつつも、俺は殿下の後に続いて進んだ。
陛下の前でみっともないところを見せれば、それはたちまち殿下へのご迷惑となる。この場に立ち入るだけの何かをお認めいただき、俺たち自身がその覚悟を抱いたのなら、相応に振舞わなければ。恐れ多さに伏せそうになる視線を気力で持ち上げ、俺は陛下のお姿を直視した。
陛下の視界に入るほどお近づきになったのは、これが初めてじゃない。内戦終結の折、陛下直々に勲一等を下賜していただいたことがある。
その時同様、今拝謁を果たした陛下も、さほど強い圧を感じさせるご様子ではない。静かで穏やかな空気をまとわれておられるように見える。少なくとも、殿下のご意向とはいえアポなしに入り込んだ俺たちに、怒気をあらわにされている様子はない。
希望的観測でなければ、ご尊顔はどこか安らいでおられるようにさえ感じる――というか、そうであってほしい。
やがて御前に、殿下を始めとする俺たち一行が揃うと、殿下に倣って俺たちは片膝をついた。そして、殿下が帰還の旨を口にされる。
「陛下。人類の興亡を賭けた一戦に勝利し、帰還を果たしたこと、ここにご報告申し上げます」
「無事で何よりだ……
「はっ」
返事をなされたのは殿下だけだ。しかし……俺たちに向けたお言葉でもあったのだろうか? 迷ってすぐには動けずにいると、間を置かずに次のお言葉が続いた。「近衛の諸君も」と。柔らかな口調で促されたことに、安堵と妙な気恥ずかしさがこみ上げてくる。
顔を上げてみると、こちらへ振り返っておられる殿下が、苦笑い気味に微笑んでおられるところだった。そして、陛下も。不慣れな俺たちに対し、親子揃って温かな目を向けておられることに、なんだか感じ入るものがある――そういう場でもないと思って、顔に出さずに押し込んだけど。
それから、陛下が口を開かれた。
「此度に限った話ではないが、諸君には王子が世話になった」
「はい。父上よりは確実に」
凄まじい皮肉を聞いた気がして、時が固まった。
殿下の応答は、一応は二通りに受け取れる。“陛下よりも殿下の方が、俺たちの世話になっている”というのと“殿下は、陛下よりも俺たちの方に世話になっている”というものだ。
俺の直観は後者だけど……陛下はただ困ったように苦笑いされているばかりで、殿下はややイジワルな笑みを浮かべておられる。マリーさんが良くやる顔だけど、殿下のお顔でこういうのは珍しい。
ただ、こちらの親子の間柄では、こういうやり取りが普通というか……過去のいきさつを笑い話にできているのかもしれない。直に聞き出せるわけもなく、一人でそう納得して、しんみりした感じを覚える。
ただ、そうした感慨に浸る時間は、長くは続かなかった。俺たちに向かって、陛下が問われる。
「王子は、諸君の前でもこのような感じなのか?」
「陛下、『このような』とは何を意味しておられるのですか?」
「王子には、このように言葉尻を捕らえて、相手を困らせる趣味があるのか?」
殿下からの横槍を受けると、陛下はオブラートに包まずにハッキリと問われた。
ご質問に対しては明らかに「No」なんだけど、どう切り出したものか。背後からは、仲間たちの視線を感じる。俺がお答えするしかない。
深く息を吸い込んだ後、俺は腹を括って口を開いた。
「陛下、近衛を代表して申し上げます」
「うむ、君か」
「……少なくとも私共の前では、殿下はそういったことを控えられているように思われます。恩情深く、下々の言にも耳を傾けられ、開かれた心をお持ちであらせられます」
「……そうか」
陛下は……嬉しさと安心が入り交じるような、穏やかな表情を浮かべておられる。
片や殿下は、俺に対してほんのわずかに非難がましい感じの、冷ややかな目を向けてこられた。「余計なことを」みたいな。
ただ、俺から視線を外し後ろにいるみんなに目を向けられると、照れ臭そうになってわずかに顔を伏せられた。みんなも俺と同じように思っているとお察しになってのご反応だろう、たぶん。
こうして言葉を交わし合うだけで、いつになく殿下は心を動かされているように見える。普通の家庭には決してなり得ないのだろうけど……それでも人の子としての殿下を垣間見たような気がして、心温まる思いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます