第543話 「変転」

「人間側に動きがございます」


側近の発言に、皇子はすぐさま興味を示し、「ほう」と言って先を促した。


「敵陣右翼に再び、土石からなる巨兵の姿が。それに土石の兵と人間の兵が随伴、こちらへ前進を開始しました」

「待ち続けても好転しないと踏んだわけだ。それにしても、少し落ち着いて早々に動くとは……中々の見立てじゃないか」

「加えまして」


 その言葉に皇子はさらに関心の色を強め、側近は表情を少し崩した。


「敵前線が、わずかにではありますが、横方向に収縮しているようです。また、空を飛ぶ部隊の出撃も確認されました。こちらは、右翼の動きに比べれば、兵力としては小規模ですが……」

「ああ、そう来るか……右翼への加勢をにらみつつ、こちらの回り込みをけん制しているな。前線を収縮させているのは、空から手が届く範囲に収めようというのだろう。前線の裏では、騎兵が待ち構えているはずだ」


 皇子は自身の目でも、ホウキに乗った兵やゴーレムの姿を遠くに認め、視界にない部分の陣容まで思考を巡らせた。

 そして、彼は側近に「ここが勝負どころだな」と声をかけた。真剣そのものだった側近の顔に、より強い緊張の色が浮かび上がる。

 一方、皇子は落ち着いた様子だ。彼は何も言わずに、ただ地面に鮮烈な赤いマナを刻み始めた。その魔法陣は、出来上がるや否や急速に拡散し、大地をその手中に収めていく。この天令セレスエディクトを以って、皇子は下々に語りかけた。


「余の声が聞こえる者よ、もし聞こえない者がいれば、後で伝えてやってくれまいか」


 このような魔法を扱う魔人としては、あまりにらしかぬ殊勝な切り出しである。その後、さっそく本題に入り、彼は語調を少し強めて声を上げた。


「諸君にも見えるであろう、人間側が攻勢をかけようと動き始めている姿が。これに対し、我々も隊伍を組んで応えようではないか! 我こそはという勇士よ、戦列に参じて剣を取るがいい!」


 この言葉に、今まで律儀に言いつけを守ってきた魔人たちは、気勢を上げて叫んだ。しかし、再び天地に皇子の声が響く。「済まんが、まだ続きがあるのだ」というその声に、今度は笑い声がいたるところから漏れ出た。

 一大決戦を前に締まらない感じではある。だが、彼の号令の下に動こうという態勢は完全に整った。静まり返ってただその言葉を迎えるだけになった中、彼は口を開く。


「すでに余の傘下にある者は、諸君らの後ろに着かせる。後詰、あるいは督戦隊と言ったところか。まぁ……いずれにしても、諸君には不要であろうがな」


 その発言に、下々から威勢のいい笑い声が上がる。それが収まるのを待って、皇子は言葉を結んだ。


「さあ、選りすぐりの勇者たちが向かってくるぞ! 見事打ち倒して力を示し、きざはしを駆け上って見せよ! 魔人の頂には、差し当たり二つも空席があるぞ!」


 鼓舞に続いて大歓声が天地を揺らす中、皇子は静かに魔法陣を解いた。そして、遠くで響く雄叫びを背景に、側近へ問いかける。


「こちらの配置は?」

「各前線の部隊に、すでに展開済みです」

「例の後詰は?」

「出たがる連中の規模次第ですが……十分な数かと」

「そうか。まぁ、その辺は任せる」

「はっ」


 それから、皇子は空を見上げた。自身で切り裂いた空は、今や遮るものがない晴天が広がっている。空を覆っていた黒い雨雲も、今は戦場の熱に押されてか、かなり端の方まで追いやられている。

 しばしの間、彼は無言で空を眺めた。その後、側近に静かな口調で話しかける。


「仕掛けるタイミングは任せる。遠慮はいらんぞ」

「はっ」

「機を見て私も動く」

「ご武運を」

「生きて帰れたら何よりだが……一応、後事はお前に託す。面倒ばかりかけてすまんな」

「いえ、良いお役目を賜りました」


 そう言うと、側近は深く頭を下げた後、魔人が詰めかけつつある左手側へと駆け出していった。その背を目で追い、皇子は深いため息をついた。



 今日の戦闘始まって以来、最大級の衝突が近づいている。

 連合軍右翼側には、もともと配備されていたマスキアの兵と操兵術士部隊に加え、貴族部隊が合流している。

 また、彼らの動きを横からサポートしようと、近隣の部隊も前線を押し上げている。こちらの部隊はマスキア国軍をベースにしつつ、リーヴェルム銃士隊と、他国の魔法使いに弓兵の部隊が帯同している。

 前者の魔法使い部隊は、スフェンディア王国という、列強国の中でも魔法普及度が飛びぬけて高い国の物。後者の弓兵部隊は、エイバーク王国のもので、強国とはいわないものの、剛弓を操る兵の練度で名高い国だそうだ。

 さらに、彼らをサポートするため、上空にはリーヴェルムの偵察部隊が布陣。また、あまりあちらにばかり戦力は割けないというで、俺たちのフラウゼ近衛第一部隊は前線中央、サニー率いる第二部隊は前線左翼から前に前に出ている。

 事態の進行次第では、俺たち第一部隊も右翼への戦闘に参加する。そうなった場合、左翼側に控えていた第二部隊が中央側に寄ってバックアップに回る予定だ。


 空から戦場の流れを見ていると、心臓が早鐘を打った。右翼までの距離はかなりあるものの、土と石からなる巨人の威容ははっきり目視できる。そして、それを中心に動く人の群れと、迎え撃とうと動く魔人の集団も。

 これだけの数の魔人が動くのを目撃するのは、今日が初めてだ――あるいは、今日で最後になるかもしれない。

 事の次第によっては俺たちも動くという話だったけど、おそらくそうなるのではないかという予感がある。そして、出て行ったとして、出る幕があるのかどうかという不安も。

 交戦域から離れてその時を待つ間、俺たちは一言も発せずにいた。何もしていないのに、時間が凝縮されているような気がする。普段よりも遅々とした歩みで、しかし確実に、時間が流れていく。


 そして、ついに戦闘が始まった。仕掛けたのは魔人側だ。あの巨兵に向かって、赤紫の矢弾が放たれている。

 しかし、まだ間合いが遠すぎるのか、巨兵はびくともしていない。圧に耐えかねて動いてしまったのだろう。敵ながら、妙なシンパシーを覚えてしまった。

 それから程なくして、ゴーレムによる前線を中心に、本格的な交戦が始まった。土石による人の壁が即座に展開される。連合軍側は、その壁を避けるように射撃を繰り出し、魔人側も負けじと応じる。

 しかし、互いに攻撃が有効打になっている気配はない。いまだ間合いは遠く、放たれた攻撃も、それぞれの防備で無力化されている。

 そうして、射撃の応酬が繰り広げられる中、両軍はゴーレムの戦列を中心に、じりじりと間合いを詰めて

いき……。


――事態が急変した。


 ラウルの腕輪から、殿下の切迫した声が響く。


「ラウル! 高度を上げて、敵前線の様子を見てくれないか!?」

「御意!」


 何の意図があっての命令かわからない。しかし、明らかに火急の件だ。

 問いただす間も惜しむように即答したラウルは、すぐさま行動に移った。さっきの声は隊員みんなに聞こえていたものの、改めて復唱。その後、彼の指揮の元、俺たちは殿下の指示を実行した。


 やがて、敵陣の様子が視界に入ると――俺は目を疑った。巨大魔獣による壁の裏で、魔人同士が仲間割れをしている。

 それも、すぐそばの部隊だけじゃない。左右に目をやっても同様だ。視線が通らないずっと向こう側でも、同じ状況なのたろう。

 そして、おそらくあちらの主戦場でも。


 ひとまずの偵察が終わると、ラウルはすぐさま「退くぞ」と言って部隊を引き戻し、殿下に見たままを伝えた。


「連中、仲間割れをしているようですが……中央付近はいずれの部隊でもそうでした」

「やはり……右翼側でもそうでね。リーヴェルムの偵察部隊が最初に気づいたんだ」


 なるほど、右にいるあちらの偵察部隊は、俺たちよりも先行する形で動いていた。偵察に専念しているということもあって、発見が早かったのだろう。

 しかし、わからないのは……なんでそんなことになっているかってことだ。

 主戦場を見る限り、人間と魔人の戦闘がそのままのようだ。敵集団の内、前方は継続して戦っている中、後ろに控えていた連中が同士討ちを引き起こしているんだろう。


 予想だにしない事態に困惑していると、俺の右腕から紫の光が漏れ出た。

――総帥閣下だ。こんな状況ではあるものの、密命としてこの腕輪を持たされている以上、注意は払わなければ。

 そこで俺は、腕輪を軽く掲げて「魔法庁から連絡がきた」とだけ言った。どこまで通じたかは定かじゃないけど、なんとなく察してくれたのか、「外れた方がいいか?」とラウル。

 それにうなずくと、俺に一人になるよう手で促してきた。さっそくみんなから距離を取り、俺は腕輪を通話状態に。

 すると、お気遣いいただけているのか、総帥閣下は小声で話しかけてこられた。


『悪いね。そちらも忙しいだろうけど、伝えたい事象が』

「何か?」

『そちらの戦場から、転移反応を検出した。赤色だから、おそらくは敵総大将だ。居城へ戻った形跡がある』


 一体、何が起きているんだ?

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