第542話 「反攻の機」

 腐土竜モールドラゴン及び砦亀フォータスといった、巨大魔獣の転移による前線の押し上げから始まった第二波は、人間・魔人双方から小部隊が突出するという形で、小競り合いが前線各所で頻発した。そうして前線から先走ったのは、大方魔人側であった。

 しかし、それはあくまで、小規模な戦闘が散発する程度の結果に終わっている。おそらく、魔人側でも基本的には「あまり前に出過ぎるな」という命が下されているのだろう。にも関わらず抜け駆けする者が出て、他の者も触発されたというのが実際のところだろうか。

 こうした各所での衝突において、結果はおおむね人間側の勝勢で終わっている。魔人側は、どうやら隊伍を組むことはできても、部隊間での連携を取るところまではできない――か、やらないようだ。

 一方、連合軍側はマスキアの兵を主軸にし、各国の部隊がそれを補助する形で、即席ながら連携力を発揮していた。

 本格的に魔人と干戈を交えたということもあり、連合軍にも相応の被害は発生している。だが、倒した魔人の数に比して考えれば、″割に合う″損害ではあった。


 連合軍中枢の野営陣地、その中央部では、大地図を囲んで各国の将官が戦場の動向をにらんでいた。

 現在のところ優勢という情報が、戦場各所から届く。そのことは、将官たちに今後の流れを考える余裕を与えつつも、敵の動向に対して抱く感覚は様々であった。

 元はと言えば向こうから提示してきた、この大戦である。まだまだ戦力に余裕はあるのだろうが、現状においての統制が取れないこの拙攻は、不穏であり――不愉快に感じる将官もいた。

「なぜ、このような形で、小出しに兵を出してくるのでしょうか?」と武官の青年が口を開くと、壮年の将官が冷ややかな口調で答えた。


「おそらく、この戦闘は奴らにとって、勲功争いの場に過ぎないのだろうよ」

「舐められたものだな」


 強面こわもての武官が気色ばみ、吐き捨てる。そこへ白髪が目立つ将官が口を挟んだ。


「しかし、これも連中なりの練兵であり、あるいは内治なのかもしれぬ」

「なるほど……」


 老将への敬意と見識に、それまでいきり立っていた将官たちも、その怒気を少しずつ収めていく。

 そんな中、今度はラックスが口を開いて提言した。


「こうして敵の一部が先走る事態は、双方ともに予測済みの事態でしょう。向こうはそれを前提として、先の戦術まで構想しているのではないかと。こうした先走りにも、意味を持たせているとも考えられます」


 彼女はこれまで、アルトに無言で発言を促され、そのたびに口を開いては場の一同をうならせてきた。彼女の見識が突出しているのではなく、歴戦の将帥と同レベルで物を考えられることに、猛者たちは感銘を受けているのだ。

 今回の発言もまた、各国の将官たちには、もはや同僚の言のように自然と受け入れられた。先の発言を受けて、若い将官が口を開く。


「連合軍各部隊の対応力の差を把握しようというのでは? マスキアのみの軍ならいざ知らず、各国の部隊込みとなると、やはり前線各所で一様にというわけには参りませんから」

「確かに、得手不得手というものはあるか……」

「しかし、そういった探りは捨て石同然の役目になるが……いや、将の意図を伏せた上で、勝手に先走らせようというのか」


 喧々諤々けんけんがくがくの議論となり、意見が飛び交う。そんな中、アルトは地図を静かに見つめ、あることに気が付いた。

 彼が「少し、よろしいでしょうか」と口にすると、それまで論を戦わせていた将官たちは、スッと口を閉ざしていく。アルトはそれに「ありがとうございます」と答えてから、考えを述べた。


「一度目の転移により、敵方は壁を前線へと一気に押し上げました。二度目もありえるのでは?」

「……確かに、何かの準備をするのを隠すのに、あの壁はちょうどいい。そういう備えがあると考えるのは妥当でしょうな」


 壮年の将帥が腕を組んでうなずいた。そこへ別の武官が口を挟む。


「そういう懸念を抱かせた上で、今あちらへと誘って迎え撃とうという腹では?」

「実際には両方でしょう。こちらから動くのなら、迎え撃てば良し。こちらが動かないのであれば、転移でさらに前線を押せば良し」


 アルトが答えると、連合軍総司令であるマスキアの将軍ジュリアン・クルーズは、硬い口調で「こちらから仕掛けねばなりませんか」と言った。それにアルトがうなずくと、将軍は先の発言を補足していく。


「あれらの魔獣を盾にしつつ、前線各所で瘴気を展開されれば、連合軍全体が窮地に陥ります。兵数の優位を大きく損ないますから。ああいった巨獣を相手取れる猛者が、いないわけではありませんが……前線すべてをカバーできるものではない。それに、そういった精鋭を釣り出されて失うリスクもあります」

「なればこそ、敵がおとなしいうちに、こちらから打って出るべきと?」

「しかし……先程仰せになられた話は、全ての前線が同時に押し上げられたらの話でございましょう? そのような統制力が、敵にまだあるものでしょうか」

「それを疑わせるため、抜け駆けをあえて止めなかったのではありませんか?」


 疑念を抱く若い武官にラックスが口を開くと、彼はその言を認めて押し黙った。ラックスはさらに言葉を続けていく。


「今見えている動きは、下っ端の小手先でしょう。第一波から第二波の流れを見るに、敵軍に強い統制力で支えられた骨格があることは、疑いないものと思われます」

「そういう面では、むしろ我々にこそ懸念はありますな」


 落ち着いた口調でクルーズ将軍が口にすると、ラックスは硬く緊張した面持ちで「はい」と答えた。二人の意図するところに察しがついたのか、将官たちの間に緊迫感が伝播していく。

 そんな中、総司令官は平静さを保って静かに言った。


「現状では、各国の精鋭部隊をうまく用い、敵部隊を撃退できています。ですが、これは小競り合いだからでしょう。これから本格的に撃って出るとなると……精鋭部隊の力に頼らざるを得ませんが、そこには各国の思惑が入り混じるのは避けられぬものかと」


 結局のところ、連合軍とはいっても、敵の申し出を受けて結成された急造の軍だ。状況に迫られて手を組んでいるという面は否めない。そのような軍中にあって、他国の兵よりも自国の兵のことを優先する感情が働くのは、無理からぬことであった。

 そして……連合軍総司令官は、そういった感情を把握した上で、居並ぶ諸将諸官に向かって口を開いた。


「こちらから仕掛けるにあたり、その陣容等は腹案があります。異論あれば忌憚きたんなく、お考えを賜りたい」


 彼の堂々とした物言いに、各国の将官たちは腹をくくってうなずいた。


「では……」



「こちらから出てほしいって」と、アル・シャーディーン王国王太子ナーシアスは周囲に告げた。

 彼の言葉に、多くの兵は強い緊張を示した。王太子の側近たちも、それまで余裕のある態度から変わり、表情に深刻さをにじませていく。

 そんな中、王太子だけが平生と変わらない、朗々とした様子である。彼は周囲の皆々に向かって言った。


「実際、ここから攻めるのがベストではあるね。すでに壁を壊してあるから、敵は大型魔獣に頼らず戦わざるを得ない」

「……となると、魔人と人間が真っ向からぶつかり合う形になるのでは?」

「そうなるね」


 武官の問いに対し、王太子は何でもないことのようにうなずいた。

 ゴーレムを用いた戦法により、こちらの戦場ではさほどの損害が出ていない。その事実に、兵の間では、決して声には出さないまでも安堵の雰囲気があった――期せずして命拾いをした。操兵術師ゴーレマンサーの方々がいて良かったと。

 しかし、そういった安心も、もはやこれまでかもしれない。こちらから大々的に攻めていくとなれば、次の戦闘規模は先程の比ではなくなるだろう。魔獣の壁がない分、連合軍としては射線を通しての包囲をやりやすくなるが、魔人側も黙ってはいまい……。

 この先を思ってか、にわかに緊迫した空気が漂う。すると、王太子は真剣な表情で言った。


「待つだけで勝たせてくれる相手じゃないんだ。いずれ、こうしなければならないのはわかっていた。ゴーレムで戦線を支えることはできる。だけど、それだけじゃ手が足りないんだ。どうか、君たちの力を貸してくれ」


 この言葉と、王太子の真摯でひたむきな姿に、マスキアの兵たちはハッとした。この場の誰よりも若い彼が、異国の王太子が、この国の領地を守る戦いに自分たちよりも真剣に向き合っているではないか。

 確かに、王太子は常人離れした力と術の持ち主だ。だが、前線に出るリスクを負っているのに変わりはない。それなのに、自分たちときたら……。

 周囲の兵たちは、自ずと膝をつき、異国の王太子に強い敬服の意を示した。すると、彼はニコッと笑って、明るい口調で言った。


「若いのに大したもんだろ~? ゴーレムだけじゃなくって、民心もチョチョイのチョイってね」


 ややふんぞり返り、誇らしげに言うその姿は、あまり照れ隠しのようではない。

 普段通りの調子に、側近たちは呆れたような笑みを浮かべ……他国の兵たちは、階級の差なく上から下までが表情を綻ばせた。

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