第513話 「決戦に向けて①」

 思えば、黒い月の夜の総指揮権を得たのは、今回が初めてだ。責任者として私は、事の顛末てんまつを手短に語った。話すべき事項など、総力戦の提案を行ったことと、せいぜい跳ねっ返りが命を無視して突っ込んだぐらいだが。

 報告を耳にした面々の反応はというと、大方が予想通りだ。豪商どのは信じられないといった風で、私に対して目を見開いている。聖女は、相変わらず興味なさそうに――いや、実際に興味などないのだろうが――手持ちの書物に視線を落としている。

 そんな中、懸念でもあった大師殿の反応は、驚きをあらわにするほどではないが、それでも私の選択が予想外ではあったようだ。私に対して、わずかながら疑うような素振りを見せ、彼は口を開いた。


「この件に関し、事前に通達しようとは思われなかったのですか?」

「ハハハ、大師殿は面白いな。そなたがこれまでに、事前に話を漏らしたことなどあったか? 余もそれに学んだまでよ。邪魔されたくはなかったのでな」


 言い返してやったが、さすがに悔しそうな素振りを見せるほどの可愛げは、彼にはない。私の振る舞いをあっさりと受け入れたようにも見える彼は、先の発言に拘泥することもなく話題を変えてきた。


「総力戦を行おうというその意図は、どのようなところに?」

「人間側の国々が、互いに手を取り合おうとしているであろう? それを逆に利用しようと思ったまでのこと」


 私の発言に、彼は若干ではあるが興味を示したようだ。私がこういうことを気にしているということ自体、意外に思われているのかもしれないが。豪商殿も耳を傾ける中、私は発言を続けた。


「多少は間を開けての開戦を申し入れてやった。それに向こうの協力体制が整わないようであれば……出鼻ぐらいはくじけるかもしれぬ。逆に、無理に間に合わせたところで、それを我々が打ち崩してしまえば、世の流れを一変させられるのではあるまいか?」

「……そういった自信がお有りであれば何よりですが、負ければ後がないのではありませんか?」

「何を今更。人間側が、自国の優位性の確保よりも、手を取り合うことを志した今、すでに分水嶺は越えているではないか。降り掛かった試練を、人間側は耐え忍んで乗り越えてきた。試されているのは、今や我々の方ではあるまいか?」


 私の指摘に、大師殿は反論せずに押し黙った。豪商殿も苦い表情をしている。

 思えば我々は、フラウゼ・リーヴェルムを始めとして、他の国々にも有形無形の嫌がらせを重ねてきた。それで国と民が揺らぐことはあっても、崩れはしなかった。立ち直るたびに彼らは何かを得て、今の世がある。敵を育てたとまでは言わないが……大師の悪気なき謀略まで糧にできるほど、彼らは悪食だったのだろう。

 世の流れは、少しずつではあるが、人間側に傾きつつある。それはこの場の――聖女以外の――共通認識のようだ。とはいえ、未だに優位は魔人の側にあるだろう。後は、いかに戦うかだ。

 すると、大師殿は「命に反発した者共の処分は?」と問いかけてきた。気にしすぎかもしれないが、私を値踏みするような、探りの気配を感じる。とはいえ、私としてはすでに腹が決まっているのだが。


「それは不問とするつもりだ」

「しかしながら、軍権を掌握して早々にこれでは、示しがつかないのではありませんか?」

「従順な兵と、そうでない者とが事前に判明して何よりではないか。それに、命を聞かぬ者には相応の使い方があろう。そなたには言うまでもなかろうが」


 実際、命令を無視した者は、全体から見ればごくわずかだ。もともと軍師殿の方針に、そりが合わなかった連中が、総指揮が私に変わったことで、これ幸いにと動いた程度のことだろう。各前線の兵は、全体として統制が取れている。私の傘下の兵とも、うまく連携できることだろう。

 私としては、下々について問題はないと踏んでいる。私に従順な傘下と、命をよく聞く軍師殿の傘下の兵であれば。問題はむしろ、上にある。

「大師殿には、戦闘中の諜報などを依頼したいのだが」と告げると、彼は少しばかりではあるが、意外そうな目を向けてきた。私が彼を頼ったのだから、そう思われても仕方のないことではある。豪商殿も同じ気持ちのようだ。


「さすがに、一戦で全ての決着がつくとは思えぬのでな。むしろ、今後を見越してこその戦になるであろう。そこで、各国が集う戦いを仕掛ければ、そなたの働き如何では、水面下の動きを明るみにできるやもしれぬ」

「それは無論、心得ておりますが」

「であろうが……事前に申せと言われたばかりだったのでな」


 先の発言を持ち出し、彼に微笑みかけてやったが……真顔の彼から特に反応はない。まぁ、友好的にやろうというつもりは、私としても特にはない。ただ、これで彼は、人間側の動きに注視してくれることだろう。


 次なる戦いに向け、概ね方針が定まったところで、私はそれぞれに異論があるか問いかけた。しかし、帰ってくる言葉はない。

 これを信じるのなら――何も邪魔が入らなければ、後は私たちの問題だ。



 魔人四星による会議が終わり、居室へ向けて歩を進める聖女は、部屋の前に見慣れた少女の姿を認めた。

 その少女は、カナリアだ。先の敗戦から未だ立ち直れないでいる彼女は、しかし、体を小刻みに震わせながらも聖女の前に立った。そして、勝手に声が上ずってしまう惨めさも気にせず、彼女は思いつめた表情で言った。


「聖女様、どうか……どうか、私にもう一度お力を」


 対する聖女の視線は、普段とさして変わらない。冷ややかな目で見つめられ、カナリアの体が自然とすくみ上がる――が、それでも彼女は逃げはしない。

 そうして数秒間向き合ったところで、聖女は手にした分厚い本を胸の前に持っていった。息を呑むカナリア。すると、聖女はか細く抑揚のない声で尋ねた。


「希望する”徳”は?」

「そ、それは……」


 言い淀んだカナリアは、やや間を開けてから「孤高と、冒涜」と答えた。その返答に、聖女は少なからず興味を抱いたようだ。彼女は「付いて来なさい」とだけ言い、静かに居室へと歩いていく。カナリアは、その背を複雑な表情で追った。


 聖女の部屋からは、儀式のための部屋がつながっている。そちらは、誰が呼んだか「生誕の間」と呼ばれている。王侯貴族であれば、自らのマナで魔人に生まれ変わり得るが、平民にそのような力はない。聖女が儀式によって赤紫のマナを植え付けることにより、平民が魔人へと変ずる。生誕の間は、その儀式を行う部屋だ。

 平民の出自である魔人にとって、聖女は第二の生みの親とでもいうべき存在だ。とはいえ、慈愛や慈悲とは程遠い性質の彼女は、大師やカナリアとは違う形で畏れられている。生誕の間などという呼称は、皮肉めいた冗談であろう。

 その暗い石造りの部屋は、他と気温が変わらない。しかし、その部屋の陰鬱な雰囲気に、カナリアは体の底から冷えるような感覚に襲われた。

 そして、部屋の中央にある赤紫の魔法陣を見て、カナリアは身を強張こわばらせた。幾重にも模様と文が重なり合い、詳細が判然としないそれは、傍目には単に塗りつぶした円のようである。


 魔法陣を前に立ち止まってしまったカナリアだが、聖女は何も言わずに魔法陣の傍らに立った。彼女はカナリアを急かすでもなく、単に立っている。それがどういうわけか、カナリアには恐ろしくてたまらなかった。

 聖女は、下々から等しく畏れられている。生意気な者も自信過剰な者も、彼女には逆らえない。生まれ変わる時に、力と一緒に本能的な恐怖を植え付けられたのだろう――そんな冗談に、真実味があるほどだ。

 そうした感情は、かつてのカナリアには縁遠いものであった。彼女の精神操作という固有の強みと自尊心が、畏れを抱かせなかったのかもしれない。しかし、術士としては未だ健在でありながら、聖女の前にカナリアは、もはやその他の有象無象と同じになった。


 だが、カナリアは意を決し、闇の中で煌々こうこうと輝く魔法陣に踏み入った。すると、聖女が淡々とした口調で語りかける。


「楽になさい。まずは”孤高”を植え付けます。その方が、力の馴染みが良いでしょう」

「は、はい」


 聖女は、凡庸な人間に対しては、単に赤紫のマナを植え付けることで魔人と変じている。しかし、より強い力の器に相応しい者には、赤紫のマナとともに”徳”と呼ばれる力を与えている。

 そして、カナリアにとってかつての同輩、デュランに植え付けられていた孤高の徳は、マナの色を自在に染める力を与える。人間社会へ溶け込むという彼の苦役により、その力には磨きがかかったはずだ。

 後は、カナリアが耐えればいい。しかし、同一の魔人に複数の徳を植え付けることは、対象にかなりの負担を強いる。徳一つをとっても、それまで”苗床”となってきた者たちの情念が染み付いているからだ。苗床が死すことで回収される徳に、負の思念がまとわりつくのは道理である。


 これからの儀式について、聖女はカナリア以上に理解をしている。しかし、カナリアにとって危険極まりない儀式であっても、聖女にとってはそうではない。怯えを隠せないカナリアとは裏腹に、聖女は感情を見せず、淡々と事を進めていく。

 聖女が本を開き、該当のページに行き当たると、そこから這い出るように赤紫の光がこぼれ出た。単なるマナの固まりではない、負の情念を持っているように見えるその光は、這うように地面を進んだ後、カナリアの足元の魔法陣に一度吸い込まれた。

 すると、魔法陣の輝きが一際ひときわ強いものとなり、次いで魔法陣からマナの輝線が立ち上る。それらはカナリアの脚から這い上がり、全身をくまなく覆う紋様のようになった。そして……。


「あッ……く、かはっ……」


 カナリアは苦悶の表情でうめいた。全身にまとわりつく紋様は、彼女を拘束しつつ、外から内へと浸潤していく――マナと、徳の力、そしてこれまでの所有者の怨嗟えんさが。

 そうして反応が進んでいき、カナリアは声にならない悲鳴を上げた。閉じた目の端からは涙が流れて落ちる。

 だが、こうまでしても耐えねばならない理由が、彼女にはあった。こうして新たな力を得れば、それを自分の物にできれば、かつての師に拾ってもらえる――そんな希望だけが、今の彼女を支えている。


 自身の存在価値を賭けてまで儀式に臨んでいるカナリアだが、一方で聖女はあくまで冷淡だ。カナリアを静かに見つめる聖女は、感情の動きを毛ほども見せはしなかった。

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