第395話 「クリーガ市街戦⑥」
日が沈み、黒い月が昇ってから始まった市街戦は、いよいよ深夜を迎えた。空の穴より漏れ出る赤紫は、さらにその濃さを増していく。街路に浮かぶ宙の黒い裂け目は、空の禍々しさに呼応するように、次々と魔獣たちを吐き出していった。
しかし、事態に先んじて準備を整えていたこともあり、統一軍とクリーガ在住の戦力は、これにうまく対応した。むしろ、夜が始まって以降、一番の安定を見せているほどだ。
制空権は、完全に人間側が掌握した。そのおかげで、空戦にはまだ不慣れな軍属の偵察兵を、安全に空に上げることができた。
また、空戦の必要性が薄れ、近衛部隊の空戦要員が陣頭指揮のために、高位の指揮権を持つ者を同乗させられるようになったことも大きい。
こうして空からの偵察、伝令、指揮の態勢ができあがったところで、統一軍の戦力も本領を発揮できるようになった。もともとクリーガ側の戦力とは、命令系統の違いと土地勘のなさから、うまく連携できない部分があった。
しかし、俯瞰的な状況把握と指揮伝達の手段を得たことで、より機能的に軍を動かせるようになったというわけだ。
空の脅威を排除できたことは、情報面のみならず、陸戦においても大きな助けとなった。市街にある数多の”目”のうち、魔獣の出現頻度が高く危険なものに対しては、陸戦要員は距離を開けて待機。魔獣が出現すれば、まずは空戦要員が空から射撃を加える。
こうしてイニシアチブを取ったところで、陸上部隊が動く……といった流れで、陸同士のぶつかり合いしかできなかった頃よりも、兵の消耗を抑えて対処できるようになった。
しかしながら、市街の広範において優位を築きつつある中で、多くの将官にとって不穏な要素もあった。魔人の姿がほとんど見えなかったということである。
その事に思い至った者が、クリーガ城奪還を口にするのは、極めて自然な流れであった。
☆
魔法庁と並び、冒険者ギルドは、クリーガとしての戦力の中核の一つとなっている。魔法庁と比べると、このような荒事や軍事行動には手慣れたものがあり、ギルドの中は、今や即席の司令室となっている。
また、この戦いに先立つ内戦において、ギルドは中立の立場を保っていた。そのことは、”両軍”にとっては都合の良いものであった。ギルドが仲立ちとなることで、より落ち着いて協議ができるからだ。
とはいえ、都市の象徴とも言える城が敵の手に落ちている。この状況は大勢にとって心を騒がせるものであり、平静を保って議論をすることは難しい。
誰かが、持ち寄った情報と意見を口にすると、別方向からそれに対する反論が返る。すると、言葉が切れるのを待つのももどかしそうに、別の誰かが口を開き、そのまた誰かががなり立てる……。
すると、議長席に座る男性が手を叩いた。筋骨たくましい坊主頭のその男性は、この支部の長である。彼は空中戦の様相を呈してきた論戦を抑え込み、どっしりと構えて言った。
「まずは全体の状況把握から。透圏を使える方はおられるか?」
「……では、私が」
室内を見回してから、一人の男性が手を挙げた。彼に視線を向けてから、支部長は「では頼みます、子爵」と言った。
すると、声をかけられたフォルス子爵は、一度深呼吸をしてからテーブル上に紫の魔法陣を刻む。そうしてでき上がった紫の半球は、さすがに街全体をカバーするものではなかったが、今回の議論について言えば十分な大きさではあった。
ここ、冒険者ギルド・クリーガ支部は、クリーガ城からはさほど離れておらず、透圏でも内部の様子はいくらかわかる。城の上層ともなると圏外のようで、半球の内側に収めきれていないが……。
それよりも注目すべきは、城の下の方には光点がないということだ。それをクリーガの軍士官が指摘した。
「陸は監視下にあるでしょうが、地下通路から侵入して奇襲を掛けるというのは?」
「いえ、それも承知済みでは?」
「それ以前に、地下通路は全て固く封鎖されています。決して開けるなと」
魔法庁職員が難しい表情で、しかしキッパリと答えると、提案者は持論をあっさり引っ込めた。人間側での戦力として、魔法庁は多大な貢献をしている。その上、都市の”構造そのもの”について魔法庁は強い権限と責任を有しているためだ。
地下からの侵入が否定されると、次は正面からの突入を主張するものが現れた。
「城にある敵戦力が、いつ市街へ繰り出すかもわかりません。であれば、いっそのことこちらから打って出るべきでは?」
しかし、その意見は支部長が即座に否定する。
「この状況で城内に残っているのは、連中の中でも相応の実力者だろう。室内戦という、数の有利を活かしにくい状況で、こちら側も上位の戦力を差し出さねばならない。それが、今後のために容認されるかどうか、だ」
つまるところ、有能な人物を失う可能性を受け入れてまで、城を奪還すべきかどうかということを彼は問うているわけだ。
この場に集う面々は、彼の言葉に苦々しい口調で押し黙り、テーブル上の半球を睨みつけた。すると、一人の士官が「このままだとどうなりますか?」と静かな口調で言った。それに支部長が答える。
「夜明け前には帰還するだろう。おそらく、落ち着いて帰還するための籠城だと思われる。ここまで打って出るべきタイミングはいくらもあったろうが、それでも出てこなかった。それを踏まえると、自身の身の安全を優先しているのだろうな」
人間側の被害を抑えることを念頭に置くのであれば、このまま城にこもらせて帰還を待つのが上策ではある。それはしかし、心情的に中々受け入れがたいものでもあった。立派な制服で身を包みながらも、悔しそうにうめき声を漏らす者の姿も。
だが、結局はこのままの膠着を維持することで話がまとまった。締めくくりの段になって、自身が作った半球をぼんやり眺めながら、子爵が口を開く。
「市街に目が出たことを踏まえれば、相当の仕込みがあったということでしょう。それをここまで抑え込めているのですから、現状それ自体が望外の成果です。それに、現場の負担もあるでしょう。無理を押してまで、さらなる戦果を求めるのは難しいかと」
「……というわけで、
☆
それからも、戦いは人間側有利で進行した。
無論、その間犠牲者が全く出ないということはなかったが、それでも、後から考えれば相当の被害を抑えられたと言って良いだろう。統一軍が市街へ突入できなかったら、制空権を掌握できていなかったら、一騎討ちの後に王太子が戦死していたら……綱渡りを踏み外す要素は、いくらでもあったのだから。
やがて夜更けが近づいてくると、目から湧き出す魔獣の数も、目に見えて減少を始めた。深夜以降、時間経過とともに勢いが収まっていったことから察するに、緩急をつけようという目論見はないのだろう。ぞれぞれの目に当てられていた部隊は、少しずつクリーガ城を取り囲むように移動していった。
そうして将兵と民間戦力が徐々に集まっていき、クリーガ城を包囲した。特に、城のエントランスにつながる中央広場は陣容が厚く、今夜の戦いに参じた勢力が終結している。
そんな中、近衛部隊は今夜初めて完全な合流を果たした。戦いはまだ終結していないものの、とりあえずの無事を喜び合う。
エリーも、魔法庁から近衛部隊に出向した後輩と再会し、誇らしそうにする彼女の肩を優しく叩いた。それから、城を範囲に収めるように透圏を使う。
「ちょっと減ってます?」と隊員が首を傾げながら問うと、エリーは「そうですね」と返した。城に入っていた魔人が、少しずつ帰還しているようだ。門と思われる、濃い赤紫の光も見える。
しかし、城の上の方が途切れているのが、エリーにとっては気がかりであった。今の大きさでは、城の上部を収めきれていない。
すると、「おい、見ろよ!」という大きな声が辺りに響き、それに続いて悲鳴が起きた。
声を上げた彼らの視線が向かう先は、城の最上層に近いバルコニーだ。そこには、二人の人影があった。白髪の青年が、少女をこれ見よがしに拘束している。少女は猿ぐつわをかまされ、後ろから首に腕を回されている。
その少女というのは、ベーゼルフ侯爵令嬢レティシアであった。
中央広場に集うほぼ全員の視線がバルコニーに向かう。すると、青年はよく響く声で叫んだ。
「どうもお疲れさん、人間諸君! もっと派手にぶっ殺したりぶっ壊したりするつもりだったんだがな、お気に召されなかったかな? アハハ!」
いかにも挑発的な言葉に、広場から怒声が上がりかけるが、それを各所属の指揮官がやめさせる。そうして静かな怒りに満ちた広場へ、青年は言葉を続けた。
「そこに居るよな、侯爵閣下! 中々話が通じるあんたに、いいトレードがあるぜ。あんたの死体と、こいつの交換だ。どうだ、呑むか~?」
心底楽しそうに大声で話す青年の言葉に、場の視線は侯爵へ注がれた。すると、彼はわずかに瞑目した後目を見開き、腰の剣に手をかけ――傍らに立つ統一軍の将軍に後頭部を強打され、地に崩れ落ちた。
唖然とする兵たちに、将軍は「拘束せよ」と有無を言わさぬ口調で命を飛ばし、兵たちは我を取り戻したかのように粛々と動いた。
そして、将軍は腰を落とし、地に伏せる侯爵に話しかける。
「卿まで死ぬことはなかろうが」
――娘はもはや助からない。そんな含みの発言に、侯爵は朦朧としながらも奥歯を強く噛み合せた。
それからまた、精神を逆撫でする言葉が響き渡る。
「決心がつかないのか~? だったら、ここでいたいけな少女に命乞いでもしてもらおうか!」
青年は、レティシアの猿ぐつわを解いた。すると、彼女は間を置くことなく敢然と叫ぶ。
「お父様! お母様! 私がお言いつけを守らなかったばかりに、このようなことになってしまい、本当に申し訳ありません! どうか、このような輩の妄言に惑わされないで! もう……覚悟はできていますから!」
「ハッハッハ! こりゃ傑作だ! 大相ご立派なご教育を受けられたと見える! こんなクソガキにここまで言わせるんだからな~、体面以上に大切な物なんてないんだろうな~?」
青年は、愉快そうに煽り、高笑いを始めた。
一方、広場に集った大勢は、多くがその場に立ち尽くすしかなかった。囚われの令嬢を見上げ、悲嘆に暮れて両手で顔を覆う者。無力さに
そんな中にあって、先のために動く者も一部にはあった。統一軍総将軍は、渦中のバルコニーに視線を向けつつ、傍らの側近に指図を出す。この動きが陽動かもしれぬと、周囲の警戒を行うためだ。
そして……将軍たちが動き出すよりもさらに早く、二人の青年が動き出していた。誰にも気づかれないよう、こっそりと。しかし、迅速に。
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