第384話 「クリーガ攻防戦②」

 眼下の広場から奴らが離脱し、もはや攻撃の手が届くなった俺は、ベランダの柵に両手をたたきつけた。

 あの“我らが陛下"が負けるというのが、そもそも予想外だった。何を考えているかわからないところはあったものの、弟よりは強いはずだ。あえて勝ちを譲るような奴にも見えなかった。それなのに、無様に負けやがって。

 その上、せめて一緒に始末してやろうと手を貸してやったら、これだ。どこに潜んでいたかもわからない奴らが、突然しゃしゃり出て、俺の獲物をかっさらっていきやがった。

 しかし、気に入らないことはこれで終わりじゃなかった。背後に手下の気配がして振り向く。


「グレイ」

「何だ、見つかったのか?」

「いや、どこにも……」

「クソが!」


 俺は傍のイスを思いっきり蹴り飛ばした。それは柵にぶつかって少し跳ね上がり、高い音を立てて逆さに落ちた。

 手下には避難民を探させていたが、この城内にはいないという。

 しかし、俺たちに取り入ろうという下級貴族の密告では、この城の中に民衆を入れて保護しようという決議が通ったはずだ。それが、急に取りやめになったのか?

 だが、あの貴族が俺を騙していたとは思えない。膝をついて両手を合わせ震えていたその様は、地位も権力もない、無様で哀れなほどだった。

 となると……俺たちに察知されるか、情報が漏れるのを前提に決を採り、実際には別のところに逃がしたというわけか。


 どうにか冷静に考えを巡らそうとしても、はらわたが煮えくり返る。手下もこの状況には大いに不満のようだ。露骨に落胆している。

 気持ちはわからないこともない。防衛戦のためにと、ここの連中が城壁に戦力を集中させている今、街の内側は手薄だ。そんな中で住民をひとところ――たとえば、この城なんか――に集めたら、もう殺りたい放題だ。

 しかし、その期待が空振った。城に手ごろな獲物は誰一人としていなかった。俺たちが、ここを拠点とするのを読んでいたかのように。

 こうなると、ちまちま家探しして住民を殺すか、家に火をつけるかって程度だ。街には、すでに動き出している、気が早い連中もいる。だいぶ遠くの方で、火の手が上がったのも見えた。


「お前も下に行ったらどうだ」


 手下にそう告げてやると、勇み立った奴は、べランダの柵を軽く乗り越え飛び降りて行った。よほど我慢していたらしい。まぁ、人間側の潜入者に殺されるかもしれないが、別にどうだっていい。大勢苦しんで、この街が滅茶苦茶になれば。


 大師は、人同士の争いになるのだから、魔人が干渉すべきではないなどとのたまっていた。

 しかし、現実はどうだ? この街の外を囲う軍隊では、殺し合いを免れた腰抜けどもが、仲良しこよしで手を取り合ってやがる。吐き気がしそうだ。

 それに、あの陛下の一騎討ちの申し出を、向こうの王子サマは受諾して、さらには勝ちやがった。これで抵抗の芽を摘んで、平和裏に併合しようって腹積もりだろう。

 こんなんで、本当に禍根が残るのか? 静観なんて甘っちょろい態度で、茶番劇を見届けろと?

 バカバカしい。


 もはや大師の思惑なんて、どうでもよかった。むしろ、それもひっくるめて全てをぶち壊したかった。

 それに、この街の連中も気に入らない。

 一騎討ちなんて言葉を信じて総大将サマがノコノコやってきたってのに、どうしてここの連中は、奴を取り囲んで叩かないんだ? 死ぬのが当たり前の兵を死なせないようにってことで、奴はやってきたんだ。平民に手を出せないことなんて、奴らの足りない頭でも理解できそうなもんだが。

 それとも、ここの連中は、いまだに自分の善良さって奴を信じて疑わないんだろうか? あるいは、自分に都合のいい何かを望むばかりで、その手を汚す覚悟もないんだろうか?

 だとしたら、俺たち魔人よりもよほど醜いじゃないか。あんな奴ら、街と一緒に灰になってしまえばいい。



 中央広場から逃げおおせたラウルとハリーは、低空飛行を続けてクリーガ市街を駆け抜けた。

 王都に比べると、道幅は少し広く作られているようだ。建物の間もゆとりがある。そもそも、街自体が王都よりも大きい。

 しかし、そんな街も、通行人のたぐいはまったくない。赤紫の空の下、人が消え失せた街路をホウキでかっ飛ばす。物寂しくも不穏な街並みに視線を走らせながら、ラウルは複雑な表情をした。


 そうして彼らが向かったのは、大通り沿いから少し入ったところにある宿屋だ。事前の取り決めで、今回の作戦における仮拠点の一つとして扱うこととなっている。

 目的地に近辺に着いた二人は、そこでホウキを下りて周囲の様子をうかがった。追手はいない。魔人にこの場所は、まだ悟られていないようだ。注意を払いつつ、彼らはその建物へ駆けていく。


 堅牢な石造りの宿に入り込むと、先に到着した隊員たちが二人の名を呼んだ。

 しかし、互いの無事を喜ぶ暇はない。ハリーが「殿下は」と問うと、建物入り口の人の集まりが二つに分かれた。その中を二人が進んでいくと、ソファに寝かされ、脚の手当てを受けるアルトの姿が。

 一方、別のソファには彼の兄君が寝かされている。あいかわらず敵意も戦意も無いようで、まだ生きているようには見えるが、それがいつまで続くかといったところだ。そちらを一瞥してから、ハリーはアルトに言った。


「空の安全を確保でき次第、外へお連れいたします」

「わかった……すまないね、仕事を増やしてしまった」

「いえ、殿下でしか成し得ないお役目でした」

「そうか……」


 その言葉に、アルトは表情を歪めながらも精いっぱいの笑顔を作った。

 彼の負傷の度合いは、一人での自力歩行は難しいであろうが、命に別状があるほどではない。この困難な状況にあってそれは幸いであった。少し顔に安堵の色を見せ、ラウルはアルトから視線を外して「状況を」と問いかける。

 その先には、テーブルに広げた地図に視線を這わせ、外連環エクスブレスで連絡を取り合う魔法庁職員が数名いた。当然、この街の魔法庁職員である。

 連絡がひと段落すると、代表らしき女性職員が、ラウルの問いに若干の緊張をにじませながら答えた。


「現在、都市内に小規模な″目″を20以上確認しています。衛兵と冒険者、それに私たち職員が対応に当たっています。今のところ、問題なく陸生の魔獣は処理できていますが……」

「問題は、これから?」


 眉間にしわを寄せてラウルが問うと、彼女はうなずいた。


「時間経過とともに、目から魔獣が湧出する勢いが増すものと考えられます。まだ宵の口ですから。それに、今の目が囮になる可能性も……」

「全体像を把握できればいいんですけど」

「現状では難しいです。各所からの断片的な情報を、中央の司令部で統合しているところですので……。飛んでいる魔獣さえ排除できれば……」


 ラウルは彼女の言葉にうなずいてから、表情を渋くさせた。

 今回の攻撃において、魔人側は航空戦力を先に多く用意したようだ。その中でも、目撃報告が少ない、大型の翼竜数体が一番の難題だ。それらへの対応にかかろうとすれば、普段は問題にならない小型の鳥も、相応の脅威となる。

 とはいえ、この航空戦力を排除しないことには、道は開けない。この広いクリーガの街で、陸からの視点だけで状況を把握するには無理がある。それに、アルトと彼の兄を、できれば早くに外へ連れ出したいという事情もある。

 ラウルはほんの少しの間考え込み、そして職員に尋ねた。


「急ぎの救助対象は?」

「いえ、各部隊は自前の処置で間に合っているようです」

「わかりました。ハリー、俺たちは空戦の補助に回る。ここの防備は頼むぞ」


 ラウルの呼びかけに、ハリーは力強くうなずいた。それから、ラウルは彼の元で動く班のメンバーに視線を巡らせる。すると、彼らは班長に、頼もしいまでの笑みを返した。

 そうやって腹が決まったところで彼ら一団が動き出すと、建物から出ようとするその背に、この街の職員が言葉を投げかける。


「あのっ! どうかご無事で!」


 その声援に、これから飛び立つ勇士たちは、それぞれの思いを込めた笑みで応えた。

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