第383話 「クリーガ攻防戦①」

 転移門が安置されている部屋を抜け、廊下を走り抜ける隊員たちは、辺りの惨状に目を疑った。

 廊下の小さな窓からは、外の様子がうかがえる。赤紫に染まった、あの夜空が。

 しかし、真に驚くべきは外ではない。外から染み込むように、赤紫の光が照らし出すその廊下には、人の形をしていたと思われる白い砂の塊がいくつも転がっている。

 その中に人間の姿はなく、多くの隊員は安堵したものの、それは逆にあの″長官″が一人で蹴散らしていった可能性を示唆している。転がっている砂の塊を組み立てていくと、魔人5体分程度にはなるだろうか。

 いつの間にか集団の先頭に躍り出たラナの、「警戒を怠らないように」という一言で場は引き締まる。が、それでも多くの隊員の表情には、信じがたいものを見ているという驚きが張り付いている。

 やがて出口が近づいてくると、ラナとともに先頭を走るエリーが、落ち着いた声で言った。


「少し探ります。待ち伏せの恐れがありますから」


 普段と変わらない冷静な彼女の物言いに、教えを授かったことがある隊員たちは、わずかな不安を残すものの、より強い信頼を示した。

 静かに様子を見守る隊員たちの前で、エリーはラナに軽くうなずくと、魔法の展開を始めた。透圏トランスフェアだ。紫のマナに染めて書くその魔法陣は、アイリスほどの力はないものの、周囲のマナをくっきり映し出す。

 すると、建物の周囲には赤紫のマナを持つ者がいないことが判明した。しかし、相当離れたところに、いくつか禍々しい赤紫の塊があり、街の中央と思われる箇所には、赤く輝く2つの光点――そして、その光点の傍らにも、赤紫の光が。


「近辺はおそらく安全です。ですが、殿下が……」

「ラナさん!」


 ラウルの呼びかけに、ラナは難しい顔でうなずき、即座に指示を飛ばす。


「ラウル、ハリーを乗せて現場へ駆けて! 一騎打ちが終わってなければ、ただ見守って。終わっていたら、勝敗に関わらず、殿下を連れてその場から避難。どうせ、私たち以外の横槍が入るわ」

「了解! いくぜ、ハリー!」

「ああ!」


 ホウキの後部にハリーを乗せると、相当な負荷があるにも関わらず、ホウキは力強く発進した。

 転移門管理所を出て、ラウルはホウキを地面すれすれの高度で飛ばしていく。すでに上空では、敵の飛行戦力が展開されているからだ。小型の魔獣が多く、それらは大きな脅威ではないが、中には初めて目にする巨大な翼竜もいる。不用意に高度を上げれば、連中に察知されかねない。

 それに、ショートカットのためにと建物の上を跳べば、自分たちが転移門を通して潜入したことが明るみになる。奇襲の威力を高めるためにも、それは可能な限り隠匿したい情報であった。

 幸い、エリーの透圏により、魔人や魔獣の出現配置はわかっている。それを、脳裏に叩き込んだ地図に照らし合わせ、ラウルは安全な最短ルートを飛ばしていく。


 そして……二人は、少し遠くの前方に、王太子の姿を認めた。そのそばで倒れている青年の姿と、城の上から加えられる、マナの砲撃も。

「ラウル!」とハリーが鋭く叫ぶと、ラウルは即座に応じる。


「直前で下ろすぞ! そのままの勢いでカバーに入れ!」

「了解!」


 全速力で街路を駆け抜けるホウキが、中央広場の敷地に差し掛かったところで、ラウルはホウキを宙で滑らせた。進行方向は直線に、ただホウキの向きだけを回転させるように傾ける妙技で、後ろに乗っているハリーが前に押し出される形になる。

 そこからは合図も何も必要なかった。投げ出されるような勢いを全身に受けながらも、ハリーはすぐさまバランスを整え、双盾ダブルシールドを携えながら彼は全力疾走する。

 そして、彼は降り注ぐ火砲カノンの雨の中に、その身を滑り込ませた。


「ハリー!」

「ご無事ですか、殿下!」


 救援の到着に、アルトはその場でヘたり込んでしまう。その彼の姿を一瞬目で追って、ハリーの表情が青く固まる。

 今やアルトの足元には、はっきりとわかるだけの血だまりができている。足を負傷しているのだろう。ズボンの膝から下は、赤く染まっていた。息も絶え絶えに、彼は状況を語る。


「火砲で飛び散った、石畳の破片が……それと、追光線チェイスレイもたまに来て、防ぎきれなかった」

「ですが、これまで耐えられたのなら、ご立派です!」

「……ありがとう」


 そんなやり取りのすぐ後、火砲に混ぜて横から迫る光線が現れるも、ハリーは的確に泡膜バブルコートで対処した。

 エリーからの教えを受けたということもあるが、彼自身の技術や精神力も並々ならぬものがある。こと守りの技においては近衛でも随一の、彼の広く頼もしい背中に、アルトは痛みに顔をしかめながらも、安堵を浮かべた。

 やがて、ハリーが覆う守りのすぐ後ろに、ラウルが率いる救護班の小隊が到着した。


「念のためにって、ラナさんが別ルートから送ってくれてたんだ」

「わかった。まずは、殿下から!」


 ハリーの叫びに、救護の隊員たちは自分たちの主君に視線を向け、その痛ましさに表情を曇らせた。

 隊員の一人がアルトの手を取り、ホウキに乗ろうとする。その間、他の隊員たちは光盾シールドで防御を固めている。

 そして、いざ発進となったその時、アルトは息も絶え絶えに言った。


「私の、兄も……頼む」

「もとよりそのつもりです、殿下!」


 ラウルが即答すると、アルトは満足そうな笑みを浮かべ、そして彼を乗せたホウキが飛び立った。

 次いで、"兄上"の番だ。いずれの隊員の目にも、彼が魔人であることは一目瞭然ではあった。傷口から白い砂が剥落している。

 そのうえ、彼は敵となったこのクリーガの君主でもある。さすがに複雑な表情になるが、それでも殿下のためならばと、また一人隊員が動き、クレストラを担いだ。幸いにして、クレストラに戦意はなく、彼は黙して救護を受け入れた。

 そうして駆け出したホウキも、無事に危険域を離脱した。最後はハリーとラウルの番である。マナの爆風が舞い踊る中、ハリーは声を上げる。


「俺の双盾と泡膜が生きている状態で離脱したい!」

「ああ、動き出したら構えなおせないからな! 俺の光盾でしのいだ隙に、一気に離脱するぞ!」


 即席の打ち合わせを済ませると、彼らはホウキにまたがった。そして上方から降り注ぐ攻撃の合間を見計らい……やがてその時がやってきた。光盾一枚でしのげる攻撃を受けると、これを好機にラウルはホウキを飛ばした。

 もちろん、それを追う攻撃はある。火砲を諦めたのか、追光線がホウキに迫る。さすがに魔法よりも速く飛ばすことは難しい。二人乗りであればなおさらである。振り切って逃げようにも、二人乗りでは重量がありすぎ、安定を欠く。迫る光線を防ぐため、ハリーが用意した泡と盾が露と消える。一枚、また一枚。

 しかし、その守りのおかげで、距離は十分稼ぐことができた。後一本、追いすがる光線をしのぐことができれば……。

「剣で受けるか?」とハリーが問うも、すぐさまラウルが返答する。


「いや、向きが悪いだろ? うまく受け流せるか?」

「ホウキを横に回して振ってくれ」

「マジか……」


 ハリーが言う理屈はこうだ。ホウキが斜めを向き、それに乗っているハリーも向きを整えれば、そのままの体勢よりも有利に攻撃を受け止められるだろう。

 しかしそれは、タイミングを誤れば自滅しかねない連携技だ。話している間にも、追いすがる光線は間近に迫る。


「悩む時間はないか……」

「ああ、頼む」

「まったく、リッツみたいな無茶言いやがって!」

「いや、そこまでのものでもないぞ」


 しごく冷静にハリーがツッコミを入れると、ラウルは笑って応じた。

 そして――「今だ!」という鋭い掛け声に、ラウルはホウキを直進させながら、向きだけを斜めにターンさせた。

 すると、背後に迫っていた光線がハリーの右にやってくる。その光線を、彼は剣を横に構えて受け止めた。

 瞬間、衝撃が二人を襲い――その衝撃を受け流すように、ラウルはホウキをまっすぐ滑らせながら、空中でくるりと横回転させた。氷の上をスピンする車のように。

 やがて、ホウキが本来の進行方向を向いたところで、ラウルは元通りの向きで先へとホウキを飛ばした。彼の額に汗が吹き出る。


「あ~、吐きそうだ……」

「すまん」

「追手は?」

「ない」


 ハリーは首を後ろに向けて確認した。もう、彼らを追う角威はない。

 しかしながら、空にはおどろおどろしい赤紫の瘴気が広がり、それを背景に大小の魔獣が飛び交っている。

 一騎打ちと、それに付随する緒戦は終わった。だが、夜はまだまだこれからである。

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