第381話 「血の螺旋③」

 息もつかせない猛攻をかいくぐりながら、私は勝ち筋の検討を始めた。あの男を打ち倒すために。

 上がった息とともに、胸と血が弾んで踊るようだ。こんな戦いに喜びはない。それでも、彼らとの歩みが私の血肉になっている。こんな時でも一人じゃない。そう信じられる喜びは、確かにあった。


 そして、生き物のように、時には艶かしくさえある緋色の刃に精神を集中させる。結局の所、これを攻略しなければ勝利はない。

 さらに言えば、これを打ち崩すだけでは足りない。この剣がなくても、最前線で鳴らしてきた経験と自負が、あの男にはある。あの剣に頼らずとも、相当の技量があることに疑いはない。

 だから、あの剣を打ち崩したそのタイミングで、一気呵成に攻め立てなければ。


 やがて、私は勝ち目を見出した。できるかどうかも定かではない、か細い道だ。

 しかし、私の戦友たちは、そんな道の数々を踏破してきた。私は、その貢献に応えなければならない。覚悟を決め、前へ歩き出す。

 すると、男は悲しそうな顔になり――何の呵責かしゃくもなく剣を横に薙いだ。それを跳んでかわすと、後方の地面の右から左へ蒸発音が聞こえた。

 続く斬り返しは右手で行い、男の左手からは火砲カノンが放たれる。

 しかし、攻撃の軌跡は読めている。火砲は避ける必要も撃ち落とす必要もないブラフだ。左上から右下へ斬り落とされる刃の下をくぐるように、私は駆け抜ける。ほんのすぐそばを、炎がかすめ通るような熱を感じた。


 近づくほどに、危険が増していくのがわかる。汗にまみれた全身の肌に、熱い緊張の針が刺すようだ。

 決着に向け、確実に近づいている。男の表情は、もう笑ってなどいなかった。射貫くような視線を私に向けている。

 近距離で直接受けられるような剣ではない。しかし、それは距離を開けても同じことだった。他に仲間がいればいざ知らず、一騎打ちの場であの炎刃を受ければ、即死はせずとも最終的には同じことだろう。

 そして、刃が届く程度の距離であれば、それは男の間合いだ。付け入る隙はない。

 ならば、活路は死線の先にしかない。そもそも、飛び道具で仕留め切れる男ではない。この剣で切り伏せなければ。


 距離を詰めるほどに、男の迎撃はますます苛烈になった。しかし、私にはその軌跡が読める。これは、私の才覚だった。

 顔の横をボルトがかすめ飛び、頬に鋭い痛みを覚えた。しかし、後退する男との距離は縮んでいる。

 そして、あと少し……もう2,3歩というところで、しなる炎の刃が私をとらえた。胴を斬り抜けるように横薙ぎに放たれた炎の刃は、上にも下にも、避けようがない。


 ここが正念場だ。

 今夜死ぬ覚悟はあっても、それを望んではいない自分に、今更気づいた。体の奥底が震え、しかし表面は冷静でいてくれる。そんな自分に妙な感謝を覚えながら、私は宙に魔法陣を刻んだ。

 宙を滑るように迫る炎の刃、その軌跡と同じ平面に刻んだのは、反魔法アンチスペル磁掌マグラップだ。

 炎の刃が私のすぐ横に迫ると、反魔法がその炎を呑み込み始めた。長く伸びた炎の、全てを吸う必要はない。短い範囲だけでも、芯になっている刃をさらけだしてくれれば――。

 その祈りが通じたのか、反魔法で巻き込まれるマナの奔流の中で、炎の覆いを剥ぎ取られた溶鉄の刃が見えた。その刃は薄く引き伸ばされていて、一枚の紙のように見える。

 橙のマナも奪われた今、その薄い刃は、横薙ぎに振られた勢いそのままに宙を滑るだけだった。そうして流れのままに迫る刃を、今度は磁掌で受け止める。

 すると、むき出しになった刃はそのスピードを緩め……剣の腹で受け止めると、炎の宝剣は金属音を立てて分断された。男が手にした側と、その先に延びていた、もはやマナの通わない鉄くずとに。


 そのやり取りは、ほんのわずかな間の出来事だった。代名詞ともいえる宝剣を打ち破られ、男は目を見開き、隙をさらしている。

 あと2歩。剣を構え、踏み込む。それをみすみす許す男ではない。自己を取り戻し、役立たずの剣を放り捨てると、私に右腕を向けた。

 しかし、間に合わせない。もう一歩。踏み込んで私は剣を振り下ろす。その瞬間、視界が赤に染まり、私の体を矢が撃つ。胸部に走った激痛を、奥歯が砕けそうなくらいに噛み締めてこらえ、私は剣を振り切った。


 視界が元に戻る頃には、胸元を抑えて前に屈みそうになる男の姿があった。血は流れていない。

 胸部の痛みをこらえ、私はもう一振り、斬撃を繰り出した。すると、無抵抗の男の右前腕部が切り飛ばされ、血のような赤いマナが舞い散る。それぞれの切り口からは、さらさらとしたものがこぼれ落ち始めた。白い砂だ。

 やはり、この男は……私の兄は、魔人になり果てていた。わかっていた事実を目の当たりにして、言いようのない感情に体が震える。

 そして……男は、もはや戦意が無いようだった。少しずつ崩壊していくその体は、諦めた魔人のそれだ。やがて、その場に腰を落とし、男は天を仰ぎ見た。そんな男に、思わず私は問いかける。


「あれで、本気だったのか? もっとやりようはあったんじゃないのか?」

「……ははは、随分と謙遜するじゃないか……まぁ、私はどっちでもよかったんだ、どっちでもな」


 負け惜しみではない。偽りのない本音に感じられる。一騎打ちに先立つ勇壮で堂々たる宣告、戦っている間の自信と余裕に満ちた笑み、その背後にあったのが、これだ。どうしようもない虚無感を漂わせながら、男は私から視線をそらし、どこか高いところを見つめ始めた。


「なぜ、誰も加勢に来ないんだ?」

「狂ったのか? そういう命令をしたのだろうに」

「だとしても、馳せ参じるのが忠義じゃないのか? 命令違反を自身の命であがなおうと、それで私が救われるのなら、安いものじゃないか。わかるか? 連中は、私一人の命より、自分の命を取ったんだ」


 馬鹿げた主張だった。そう思ったのに、心に突き刺さるものがあった。下々に命じておきながら、自分のためにそれを反故にせよという。人の上に立つ者の言葉じゃない。しかし……。


「お前になら、言っている意味はわかるんじゃないか?」

「黙れ」

「一人で行くと言って押しとどめても、誰かについてきてほしかったんじゃないか?」

「黙れ! 私は、お前とは違う!」


 すると、その言葉に虚ろな笑みが悲しみで曇った。それから、男はつぶやくように続けた。


「お前が生まれ、母が死んだとき、大勢泣いたよ。でも、王妃を喪った悲しみに打ちひしがれたんじゃない。もう、王族を産んでもらえないことに悲嘆したんだ、奴らは。母がなくなった時、奴らの胸を占めたのは、それまでの感謝じゃなく、これからの不安だったのさ。私が死んだときも、きっとそうだったんだろう」

「……それで、舞い戻ったお前は、何をしたかったんだ?」

「別に。大勢が苦しんでくれれば、それでよかった。生まれてから死ぬまで、国のために戦い続けさせられた、私の苦しみの万分の一でも、刻み付けてやりたかった。連中は、年若い王侯貴族までも称揚し、戦場に駆り立てている。その醜さを思い知らせたかった。そうまでしてしがみつくこの世が、生き抜くに値しない世だと知らしめたかった。この世をそうまでおとしめているのが、連中自身だと思い出させてやりたかった」


 虚空に消え入るような、兄の独白を、私は否定できなかった。誰にも打ち明けたことのない、心の深いところに、その言葉がスッと入って行く。そのことに不快感と……ほんのわずかに、救いのようなものも、感じてしまった。

 何も言えなくなって、私は押し黙った。兄から視線を逸らすと、私が断ち切った剣が視界に入った。きらびやかに輝いていた緋色の炎の下、本来の剣は見るも無残に焼けただれている。その様が、なぜか胸を締め付けた。


 そうして何秒か静かにしていると、白亜の城の高いところに、一瞬だけ赤紫の輝きを認めた。

 思わず跳ね上がるように腕が動いて、光盾シールドを構える。すると、予想通りに火砲カノンが飛来し、マナが辺りに爆ぜ飛んだ。


「最初からこのつもりだったのか?」

「いや。やるだろうとは思ったが……特に干渉はしていない」

「クソッ!」


 思わず悪態が口をついて出る。最前線で幾度となく聞いたものだ。なおも飛んで来る火砲を受け止めようと、私は魔法を構える。すると、背中に声を掛けられた。


「私なんて放って逃げればいいだろう」

「……もし、生まれた順番が逆でも、私たちは今日を迎えていたんじゃないか? そう思うと、もう……一人にはしたくない」

「……そうか」

「それに、生死を問わず、お前を父の前に突き出すつもりだったんだ。それが、私の戦いなんだ」


 しかし、そうは言ったものの、この場を動けないというのは明らかに不利だった。降り注ぐ攻撃の雨を耐えしのぐことしかできない。

 やがて、視界の端々、街中の遠方に不穏なものが見え始めた。宙を砕いたような黒い裂け目から、赤紫の瘴気が染み出している。

 やはり、仕込みはあったのだろう。最悪の事態にも関わらず、この状況を言い当てた友人を思い出し、変に頼もしさを覚えた。


「狙っているのは、上の奴だけじゃないぞ」

「わかっている。それでも……私たちは勝つ」

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