第379話 「血の螺旋①」

 3月11日夕方。俺たち統一軍は、ついにクリーガ最寄りの小都市、レンドミールに到着した。

 やはりここも、もぬけの殻だ。それなりの大きさの街にも関わらず、人っ子一人いる気配がない。茜に染まる街路に伸びる建物の影が、なんとも物悲しい。

 ここを引き払っている理由は、明らかだ。俺たちの動き次第ではあるものの、これからの戦に巻き込まれる可能性は、極めて高い。そのように判断したのだろう。

 人が取り残されているかもと、ここの出身者が思いつめた感じで駆け回るも、結果は変わらなかった。

 誰もいない街は、だただた静かで、どことなく不気味だった。ポストアポカリプスものとでも言うんだろうか。何かの大災害が起きた後、住む人がいなくなった……そんな筋書きの映画を想起させる。


 そんな中、一つだけ注目に値する建物があった。郵政の事務局だ。建物に損壊はないものの、中はひどく荒らされている。机とイスは無造作に転がされ、書類がそこら中に散乱している。荒れ果てた光景は窓からの黄昏に染まって、なんとも陰鬱だった。

 その様子を見て、殿下にお付きの武官の方が、事情を教えてくださった。


「こちらの職員の方々は、クリーガでの動きを“革命”ではなく“事変”と捉えたようです。”正統な政府”に協力するということで、諜報部指揮下のもと、重要書類を迅速確実に届けてくださいました」

「……では、その……彼らは」

「無事に逃げましたよ? 諜報部の手もありますし、彼ら自身、情報が早いのでしょうね」


 こんな、本丸の喉元から、情報を送り続けたというだけのことはある。覚悟も判断力も、並々ならぬものがあったのだろう。そんな勇敢な方々が無事だとわかって、みんな胸をなでおろした。


 翌朝、ここレンドミールを仮の拠点とし、いよいよクリーガ包囲網の形成に入った。軍をいくつかに分け、それぞれのまとまりを少しずつ動かし、一つずつ包囲のための陣地を構築していくわけだ。

 ここで気にかかるのが、峡谷ルートを通るはずだった敵軍だ。あの時追い返したものの、諜報部からはクリーガに帰還してはいないとのことだった。おそらく、王都への出撃には参加しなかった兵で内側を固め、峡谷ルートの軍を遊撃に回そうという考えなのだろう。

 ただ、夜襲の心配はないだろう。どうせ明日は例の夜だ。大半の兵が夜を徹して対応に当たる。そのため、多くの兵は今日から睡眠時間を調整する。つまり、夜も起きて警戒するわけだ。向こうが、明日その日だとわかっているかはともかく、兵が起きていて警戒していることぐらいはわかるはずだ。


 仮拠点から動き出し、移動と陣地形成に取り掛かった各軍は、夕方にはほぼ作業を完了した。

 この間、向こうからの動きはなかった。打って出るわけでもなく、使者を出すわけでもなく、ただ沈黙を保っていた。こちらから矢文を何発か送ってやっても、だ。降伏には応じない腹らしい。少なくとも、今は。



 明日の夜に備えるため、今日は徹夜だ。事前に昼寝していたおかげで、そんなに眠くはないし、眠気覚ましにハーブ類はいくらでもある。焚き火を囲んで暖を取りながら、沸かした湯でハーブティーを煮出す。

 苦味と酸味の強い茶をチビチビすすりながら、俺は周囲に視線を向けた。それぞれの顔色は十人十色って感じだ。緊張した顔もあれば、今から勇み立つ感じの顔もあるし、心配そうな顔も、落ち着き払った観音みたいな顔もある。

 仮に明日の夜、戦いになるとすれば、それはおそらく魔人とのものになるだろう……それが、大多数の見立てだ。少なくとも、こちらは人間相手に自分たちから仕掛けようって腹はないし、向こうも特に動きを見せない。油断させておいて……ってことかもしれないけど。

 ただ、魔人が何か仕掛けるんじゃないかとは思っていても、その規模がどうなるかは未知数だ。焚き火を囲んだ仲間同士、色々と話し合っても、統一的な見解には至らない。一つ言えるのは、正確には読めないってぐらいだ。


 しかし……俺は今までの黒い月の夜のことを思い出した。

 1回目は、お屋敷からすぐそばの、目の森での戦いだ。あのときは、犬を捕縛しまくって敵戦力を奪い、その隙にアイリスさんが魔人を撃退した。

 2回目は、世界間の転移を成功させたときの奴だ。その転移自体も綱渡りだったし、その後にやってきた白いマナの魔人との戦いも、一歩間違えれば死ぬところだった。

 いずれの夜も、どうにかなった……どうにか、してみせた。今回も、なにが起こるかわからない。でも、奴らにしてみれば、俺に何をされるかわからないんじゃないか……そう思うと、だいぶ気が楽になった。

 人類からすれば、魔人は何を仕掛けるかわからない厄介者だろう。そんな連中に対し、俺が俺らしくあるだけで予想外の障害になるのなら、こんなに胸がすくことはない。



 日が昇ってだいぶしてから眠りにつき、目が覚めたときには日が暮れかけていた。時間帯としては、だいぶいい感じだろう。

 動きの方は、やはり何もなかった。矢文に対する返答も何も。あまりに静かな向こうの様子に、「あそこ引き払ったんじゃ」というジョークまで飛ぶ始末だった。

 潜り込んでいる方からの情報は、今のところはない。地域一帯の避難が始まって以降、一人で出歩くと露見しかねないということで、諜報員の方々は避難民と一緒に動かざるを得なくなっている。いざとなれば、他の避難民よりもうまく立ち回って離脱してくれるだろうけど、今はまだその時じゃない。


 やがて、日が沈むと――沈んだ日に代わって、別方向から黒い月が空に上った。空に穿たれたその黒い穴からは、禍々しい瘴気が絶えず漏れ出て、夜の闇を黒から赤紫に染める。

 天文院の予報通りだ。今日は年に一度の、黒い月の夜。世界を覆うマナの膜が緩くなり、いつも以上に魔人が転移しやすくなる。


 誰の目にもハッキリわかるくらい、地平のきわから黒い月が昇って姿を表すと、クリーガの方で動きがあった。城壁がほんのりと赤い。その赤みは、見張りの兵が詰めている上端が一番濃い。

 すると、天地を揺るがすような声とともに、城壁から赤い粒子が四方八方へ飛散した。


『私の名はクレストラ・フラウゼ。クリーガより興った新政府の君主だ。この街を囲う兵よ、よくぞここまでたどり着いた……いや、よくぞ帰ってきたとも言うべきだろうか?』


 これは、天令セレスエディクトだ。たぶん、城壁を魔法陣の一部として効果を増大させているんじゃないか。そんな事ができるとは知らなかったけど、現にやられているこの状況を見ると、そういうことなんじゃないかと直感した。

 ふと周囲を見回すと、多くの兵は動揺していた。囲まれている側とは思えない、その落ち着きと言葉遣いに困惑しているようだ。そして、王族と対峙している畏怖を、改めて感じているようでもある。

 少し間を開けてから、声の主は言葉を続けた。


『そちらからは何度か矢文をもらったが、さすがに臣民全体に関わることなのでな。愛すべき民に隠し立てすることもあるまい。今のこの場で、公明正大に言葉を交わそうではないか、我が弟よ』


「よく言うぜ」と、そばで誰かが毒づいた。不意に出た言葉だったんだろう。声の方に向き直ると、「しまった」といった表情で口に手をあてている。

 気持ちはわかる。何も知らない民を前線に走らせたのは、紛れもなくあちら側だ。それが今更、公明正大などと……ひどい笑い話だ。


 ただ、殿下は一笑に付して捨て置かれなかった。名指しで呼ばれた以上、受けねばならないとのお考えがあったのだろう。クリーガ正面に位置する陣地から、殿下は近臣と俺たち近衛を引き連れ、前へと歩かれた。

 そして、殿下は斜め上に向けて天令の魔法陣を描かれた。それはクリーガの城へ向けて構えられたメガホンのようになり、続けて放たれた殿下のお声を、赤い粒子に乗せて天地に響かせる。


『私はフラウゼ王国王太子、アルトリード・フラウゼだ。最低限の慈悲をと思い、貴兄らが恥をかかぬよう矢文にしたためてきたが、今あらためて万民に宣する。武器を捨てて降伏するがいい』


 震えるほど堂々とした物言いだ。しかし……これで素直に応じる者なら、そもそもこんな戦いにはならなかっただろう。殿下のお言葉を笑殺し、向こうは言った。


『ハハハ、それはできぬ相談だな! お前たちの軍門に下れば、間違いなく誅殺される者がいる。その者に付き従う、多くの領民がいる。彼らを見捨てることなど、できようものか!』


 その言葉は、臣民を慮るものだ。それなのに、俺には妙に空虚に聞こえた。本心から言っているようには聞こえなかった。

 しかし、その言葉は理にかなったものではある。再び一つの国にまとめる過程で、責を負わねばならない人はいるだろう。その傘の下で安んじてきた人はいるだろう。今、降伏を認めるというのは、そういう人々を裏切ることにほかならない。

 どうあっても、向こうはやり合う構えのようだ。周囲に緊張が走る中、向こうの陛下はさらに言った。


『そちらの思惑は読めている。外につながる道の全てを封じた上で、その手を汚すことなく、我が領民を餓死させようと言うのだろう。ここに至るまでの主要街道と、各要衝を掌握したのもそのためだろう』

『だから降伏しろと言っている』

『ハハハ。確かに、このままでは埒が明かぬ。そこで、我々は明朝、正門より堂々と打って出よう。お前がいる、陣中央へ向かってな』


 大きなどよめきが場を満たした。ブラフだろうか? しかし、悩む暇も与えず、向こうは畳み掛けてくる。


『しかし、このままでは、互いに大勢の兵を失うことになるだろう。私も、それは望んでおらぬのだ』

『旗でも折れば良い』

『ハハハ、さっきからそればかりだな。よほど戦う自信がないのか? ……まぁいい。兵の命を散らす代わりに、一騎打ちにて決着をつけようではないか。私の命で以って乱を鎮めれば、そちらはそれで満足であろう?』


 この申し出に、殿下は顔をしかめられた。その心中を見透かしたように、『少しだけ待つ』と言う言葉が響く。

 殿下は天令を解かれた。すると、間を置かずに、将軍閣下が真剣な眼差しを殿下に向けて仰った。


「受けられるおつもりか?」

「……その考えだ」


 そのお言葉に、辺りからそれを改めさせようという、懇願のような声が飛んだ。それを手で制し、将軍閣下は殿下にお言葉を促される。


「私が出なければ、人が大勢死ぬ。向こうの真意や真偽がどうであれ、申し出を受けなければ、私がそういう選択をした事実は揺るがないんだ」

「しかし!」

「……私の命と釣り合わせるのに、何人の命が必要だと思う?」


 殿下の問いに、誰も答えられない。ふと、すぐ近くのラックスに視線を向けると、彼女は両手で顔を覆ってうつむいていた。それが妙に痛ましかった。

 場が静まり返る。それから数秒後、殿下は寂しそうな笑みを浮かべて仰った。


「ゼロだよ。自分の地位のために民草を弄ぶのなら、この血に価値なんて無いんだ」

「しかし、殿下にもしものことがあっては……」

「私が死んだら、後のことは宰相を始めとして、重臣に託してある。将軍も、それは承知している。王都から出る前に、もう決めたことなんだ」


 その言葉を聞いて、自分がものすごいバカに思えてしまった。殿下とは、ここまで色々と言葉を交わした、そういう自負みたいなものはある。それでも、明かされなかった話はきっと多い。それが立場からくる当然のことだとしても……何かわかった気になっていた自分が、哀れで恥ずかしかった。

 それからまた静かになって、今度は将軍閣下が仰った。


「殿下が戦死なされても、我々は包囲を解きません。それは構いませんか?」

「ああ。兄は、こちらが勝つために、包囲ではなく一騎打ちを選択しろと言っているだけだ。それで兄が死ねば、向こうはもう戦えないと言った。しかし、私が死んだ場合については言及していない。だから、どうしようと不義理には当たらないよ」

「……まったく、殿下はこのような状況にあっても冷静で、頼もしいばかりですな」

「すまないね、本当に……みんなには、迷惑ばかりかける」


 殿下は、俺たち全員に向き直って頭を下げられた。この行軍中で、何回かこうして頭を下げられた。その中でも、今回のが一番重く感じられる。

 もう、どうしようもなかった。後事はすでに託されているという話だ。まるで、こうなることでも予想していたみたいに。たとえそれが予想通りでないとしても、すでに覚悟を決められた主君に、かけられる言葉なんてなかった。

 殿下は再度クリーガへ向きなおられ、天令で宣言なされた。


『一騎打ちを受諾する』

『良い覚悟だ。父とは違うようだな。ならば、門を超えてこちらへ一人で来るがいい』


 あまりに勝手な物言いに、周囲も後方も大きくざわめいた。流石に殿下も異議を唱えられる。


『……罠ではないのか? なぜ外に出ない?』

『ハハハ、空を見るがいい。このような夜に、武器なき民衆から、私を奪い去ろうというのか?』

『……罠ではないのだな。本当に、一騎打ちであると』

『ああ。天と地と……そうだな、亡き母に誓おう』

『いいだろう。せいぜい、どこかで会えることでも祈れ』


 殿下の最後のお言葉に、高らかな笑いが帰ってきて、殿下は天令を解かれた。

 そして、殿下は俺たちに向き直り、静かに仰った。


「では、行ってくるよ」

「せめて、近衛部隊だけでも……まかりなりませんか」

「……君たちが来ると、絶対に一騎打ちにならないじゃないか」


 切なそうな、それでいて親しげな笑みを浮かべ、殿下は仰った。それからすぐ、後ろの方で鼻をすする音が聞こえ、いたたまれなくなった。目が熱い。それでも、どうしようもなかった。


「今いかなければ、私は父や兄みたいな、死んでもいい人間に成り下がってしまう。だから、生きるに足る自分であり続けるため、私は命を賭けて挑むんだ。そういうところ、君たちにもあるんじゃないか?」

「……さすがに、お立場が違いすぎます」

「それでも、今日一日は年相応の人間でいさせてほしい。それが済んで、やっと私は王族を名乗れると思うんだ」

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