第355話 「将軍と殿下」

 1月26日。町長さんのご厚意――彼曰く投資――で使わせていただいている庁舎の一室は、今や即席の総司令部だ。

 部屋の中央にあるテーブルには、この辺りの地形を細かく載せた地図が広がっている。その上には、いくつもの駒が乗っていて、それぞれの軍の状況がわかるようになっている。


 政府軍は、あと2日でこちらに到着するという見通しだ。到着したら、ここスーフォンの町の盾になるように布陣し、こちらの町は兵站の中継地の役を担う形になる。

 一方の反政府軍はというと、軍は想定通り3つに分かれ、これまた予想通りに、中央を進む軍の陣容が際立って厚い。

 しかし、向こうの歩みは、想定していた中でも下限に近い遅さだ。

 なぜなら、向こうは道中の集落から戦力を糾合しながら進軍しているからだ。


 反政府軍は、日に日に少しずつ、勢力を増しながら進んでくる。報告を入れてくれる偵察隊の仲間も、その様には恐怖を覚えているようだ。

 諜報部の話では、あくまで自由意思に基づく募兵を行っている。ただ、それは建前のようだ。確実に同調圧力のようなものが働いているというのが、現地に潜り込んだ方の感触だ。

 兵が増えることで、兵站上の負担も増えるだろうけど、そこは向こうの立地が味方した。一大穀倉地帯というだけあって、兵と一緒にその食料も吸収しながら進軍しているとのことだ。

 そうやって膨れ上がっていく一方の反政府軍に対し、仲間内からは疑問の声が上がった。


「農兵って、そんなに役立つもんなのか? まともに戦えないだろ」

「それはそうなんだけど……」


 答えたラックスは、続きを言い淀んだ。それからだいぶ逡巡するようなそぶりを見せた後、続きを聞きたそうな視線に根負けし、話し始める。


「軍事的なものじゃなくて、心理的あるいは社会的な圧力のためにやってることだと思う」

「へぇ~」

「あっちの兵が、どういう気持ちで付き従ってるかはわからないけど……傍目に一つの大軍に見えるなら、それだけ大勢が向こうの思想に共鳴しているように映るでしょ。そういう圧は、意識していると思う。あと……」

「あと?」


 そこでまた、だいぶ言い淀んだラックスは、長い溜息の後に暗い口調で続けた。


「一種の人質だと思う。農兵を多く殺しすぎれば、向こうを再び国の版図に収めても、機能させられるかどうか……」

「だからこそ、悪いことにならないように、俺たちが踏ん張るんだろ?」


 暗い面持ちだったラックスも、即座に力強く返してきたラウルには救われたようだ。「そうだね」と言って、少し明るい笑顔になる。

 ラックスの見立てがどこまで正しいかはわからない。筋が通っているとは思う。

 しかし、俺の中でもう一つの可能性が思い浮かんだ。すると、ハリーが俺に尋ねてくる。


「リッツ、何かあるのか?」

「いや……ないこともないんだけど」

「何?」


 興味津々といった感じでラックスが食いつくと、他の仲間たちもそれにならった。言うのもバカバカしい考えだけど、逃げ場が塞がれてしまった。


「バカげてるんだけどさ……案外、向こうの上の方は、何も考えてなかったりして」



 翌日27日。今日は軍の本隊よりも早く、殿下と側近の将軍がお越しになられる予定だ。軍本隊が着く前に、まずは現状報告からということで、町の庁舎に間借りした総司令部で集合ということになった。


 そうして殿下と将軍閣下の到着を待っていると、昼前にお二方がお越しになられた。

 将軍閣下は、さすがに歴戦の勇士といった風格を漂わせている。年は40台前半ってところか。かなりの長身に、引き締まった肉体の持ち主で、殿下のお傍にいらしても見劣りしないオーラがある。

 ただ、大変不躾だとは思うけど、威厳のようなものはほとんどなくて……極めて気さくで、フレンドリーな方だった。


 部屋に集った俺たちに向け、笑顔で「やぁ、近衛部隊の諸君!」との第一声。殿下も殿下で親しみを感じさせてくださるお方だけど、こちらの閣下はもう少し異質だ。それこそ、八百屋とか魚屋にでもいそうな、ハツラツとした朗らかさがある。

 完全に虚をつかれ、半ば呆ける形になった俺たちの中でも、ラックスだけは平然としていた。そんな彼女に閣下が近づかれる。


「久しいなぁ、ルクシオラ嬢。元気そうで何より」

「閣下も、御壮健で何よりです」


 さすがに、平民といっても超名家の出自だ。一国の将を相手にしても、普段どおりの振る舞いをして見せている。こういう時の窓口は、全部彼女に一任すりゃいいんじゃないか……。

 そんな事を思っていると、将軍閣下は俺の方に顔を向け、手を差し出された。反射的に握手に応じると、厚みと熱量のある右手が、俺の右手をギュッと包み込む。


「やぁ、貴兄が”実質的”な隊長の、リッツ・アンダーソン殿だね。お噂はかねがね! 私は政府軍総将軍のラスタバーナ・トゥバンだ」


 そう仰って閣下は、俺の手をブンブン力強く振られた。俺の方から紹介の口を挟むような空気にもならず、一方的に圧されるような形になって、悪友連中は含み笑いを漏らしている。そんな奴らに一瞥し、俺は言った。


「よしお前ら、俺の後ろに続け」

「おっ、いいねいいねぇ」


 なんとなく予想していた通り、閣下は大いに乗り気でいらっしゃる。それから、悪友共も閣下との握手を一通り済ませ、一段落したところで殿下が口を開かれた。


「済まないね、将軍がどうしてもというので」

「どうしても?」

「いやね、私が君達ぐらいの時分には、ただのクソ生意気なガキでしかなかったもので……あなた方の志には、大きく感じ入った次第だ」


 言葉を重ねるほどに、閣下は徐々に真面目になられた。しかし、俺たちに対する敬意や感謝のようなものが、力強い視線からひしひしと伝わってくる。


「『戦場での人死を減らそうなどと、甘いことを』と、そういう向きもいるが、私も自分の兵は失いたくないのでね。無論、あなた方のことも、だ。共に大手を振って帰れるよう、知恵と手を尽くそうじゃないか」


 閣下の、実に励まされるお言葉の後、俺たちは席について現状報告を始めた。偵察や王都経由の諜報部情報などを統合した、各軍の動向などについてだ。

 同等の情報は、進軍中の本隊にも当然届いている。しかし、ここは自前で飛行偵察部隊を抱えているとあって、情報の精度は高い。それに加え、名軍師の家系にあって英才教育を受けてきたラックスの存在もある。まるで手に取るかのような敵軍の動きの精度には、殿下も閣下も舌を巻かれたようだ。

――そして、敵軍の規模に対しても。


「さすがに大勢力だな」と閣下が仰った。それに対し、仲間の一人がおずおずと、「戦力比はどの程度でしょうか」と尋ねると、閣下は少し悩んだ後に答えられた。


「頭数で言えば3倍。実戦力で言えば、楽観視して2倍といったところか。将帥の差で、もっと埋まるとは思うんだがなぁ」


 そう仰って、閣下は殿下とラックス、それから俺たちの方へ視線を向けられた。挽回するための素材はあるとでも言わんばかりに。

 将帥の差という言葉に、向こうの軍を率いているのがどういった人物なのかは気になった。それを尋ねてみると、殿下が返答なさる。


「多大な軍功を挙げたという人物が率いているという情報はないね。だからといって、無警戒でいいわけじゃないけど」

「普通に考えれば、名将を用いずとも平押しで勝てるという判断でしょうな。むしろ、前線へ出てきていない人物の方が気にかかります」


 閣下がそう仰ると、殿下もうなずかれた。そこで「出てきていない人物というのは?」とウィンが果敢に尋ねると、殿下が答えられる。


「注意すべき筆頭は、ベーゼルフ侯爵だね。クリーガ近辺でも、軍務と内政の両方に長けた、賢臣として名高い人物だ」

「その侯爵が出てこられないというのは、何か理由があるのでしょうか?」

「おそらく、防諜のためかな。あちらに潜り混んだ諜報部は、大変うまくやっている。それに対し、向こうは侯爵とその側近一派だけで、防諜しているようなものだと聞く。もし侯爵がいなくなれば、内応という策もありうるだろう。逆に言えば、その可能性があるから、彼が本拠地に釘付けになっているんじゃないかな」


 その後、相手の軍を率いる諸将について、詳細な話をしていただいた。

 どうも、奇抜な策を用いようという将は含まれていないようだ。どちらかというと、言われたことをきっちりこなすような、守将向けともいえる名門貴族が、各軍指揮官の座にあるらしい。

「勲功を競わせ、士気を上げたい一方、あまり放埒になられても困る。そういうさじ加減での采配じゃないかな」というのが、将軍閣下の総評だ。



 現状報告が終わり、殿下と閣下がこちらの町の視察に入ろうという段になった。その時、俺は仲間に背を押されるようにして、殿下に話しかける。


「ご多忙極める中、申し訳ございませんが、少々お話したい事項が……」

「構わないけど、何かな?」


 殿下は、この場でとお考えのように見える。閣下も、興味有りげな視線を、俺に向けられている。そんな中、切り出すのに強い意志を要する言葉ではあったけど、俺はどうにか口にした。


「些細な話ではございますが、お人払いをと……」

「……なるほど、私には聞かせられない話と」


 閣下はそう仰った。明らかに俺より目上の方を弾いてしまう、無礼な申し出をしたにも関わらず、閣下は鷹揚な笑顔をしておられる。

 それから、殿下の返答を待つことなく、閣下は「では後ほど」と仰った。そして、手を振りながら庁舎を出ていかれる。

 そうして殿下と二人になり、俺は庁舎の職員さんにお願いして、適当な部屋を用意していただいた。

「こんな部屋しかありませんが」と言われたものの、案内されたのは、ギルドの応接室よりも更に上等な部屋だった。絨毯の模様は目が細かく、ソファーとテーブルにはずっしりとした重厚感があり、さりげない調度品にも品がある。

 俺は少し尻込みしてしまったけど、さすがに殿下は気にされていない。落ち着いたご様子でソファーに座られる。それから、殿下に発言を促され、俺は単刀直入に尋ねた。


「我々に対し、殿下がどうも低姿勢であらせられるといいますか、お気遣いなされすぎているように思われまして」

「……そうだね」


 少し慌てるような素振りの後、殿下は俺の発言を認められた。それきり、いきなり静かになっていくらか経って、殿下は言葉を続けられた。


「巻き込んで申し訳なく思ってるんだ。だって、私の家の問題だろう? その解決に、君達の力と知恵を借りようというのが、恥ずかしくて」

「それは、殿下が恥じるべきものではないと……」


 言い掛けて、俺は止まった。殿下が悪くないのであれば、悪いのは兄上だろうか? あるいは、陛下だろうか? たとえそうだとしても、それを直言してしまうのは、殿下に対して大変思慮を欠いた発言に思われる。

 そう思って言葉を続けられなくなった俺に、殿下は「ありがとう」とだけ仰った。

 それきり言葉が続かず、急に静かになっていくらかして……殿下はだいぶ強く逡巡するような様子を見せられた後、口を開かれた。


「私は、君達に勅命のようなものは、きっと出せないと思う」

「そういうのを受けて然るべき集まりかと思われますが……なぜでしょうか」

「……笑わないで欲しいのだけど」

「内容次第です」


 すると殿下は少し寂しげな表情を浮かべて、仰った。


「君達と友だちになりたい。だから、君達に命令なんて……甘ったれているとは思うけど」


 そう仰ってテーブルに視線を落とされた殿下に、俺は話しかける。


「視察の後は、本隊に戻られますか?」

「将軍からは、その必要はないって言われているんだ。こちらにいた方が、町との連携も捗るだろうし」

「……俺たちが泊まってる部屋にでも泊まりますか? 誰か床に寝る形になりますが……コイントスで決めましょうか」


 俺の提案に、殿下は少し目を見開かれた。それから、少し戸惑うようにして仰る。


「いいのかな? 私がお邪魔しても」

「構いやしませんよ。なにしろ、近衛部隊ですし」

「……そうだね」

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