第338話 「この先に向けて」

 俺が療養所に担ぎ込まれ、翌日には普通に会話できたものの、全身の疲労は想像以上のものだった。結局大事を取り、三日間安静にしてから出ることに。

 その間、仕事仲間が見舞いも兼ねて、情報共有のために足を運んでくれた。

 幸いにして、目立った動きはなかった。見舞いにはラックスも来てくれたけど、彼女の口からも新しい情報はなかった。強いて言えば、公爵閣下の体調がある程度回復したということで、会合に参加していただけるようになったぐらいだ。

「どこまで情報をお持ちかは、なんとも言えないけど」とはラックスの談。その件に触れる彼女は、期待と不安が入り混じったような、落ち着かない感じをにじませていた。

 先行きがどうなるかわからない不安は、俺にもある。それでも、やらなければならないことがあるのは明白だ。



 11月10日昼前ぐらい。王都からそう遠くない、だだっ広い草原の只中に、俺はいる。空は少し薄暗い。降る感じはないものの、湿り気がある冷たい秋風が、背の低い草を撫でて揺らす。

 草原の向こう、だいぶ距離を開けたところには、セレナがいる。普段は大声を出さない彼女だけど、俺にも聞こえるように「撃ちます!」と声を張り上げてくれた。


 その一声の後、彼女の手を離れた矢は、鈍い色の空へ向かって飛んだ。それから、かなり山なりの軌道で、若干ふらつきながら俺の方へと落ちてくる。

 矢に万一にも当たらないよう、俺は駆け足で位置取りをした。そして、向かってくる矢に向かって右手を構え、少し離れたところに橙色の魔法陣を描く。魔法陣を書き上げる過程で、強い虚脱感が全身に侵食してくる。

 しかし、これは序の口だ。空中に張った橙のネットに矢じりが触れる。その瞬間、先ほどの疲労感よりもさらに強いものが襲いかかってくる。そいつをこらえ、落ちてきた矢を力強く握るようなイメージを保つ。すると、矢は魔法陣から矢じりの先を出す程度で止まり、その後地に落ちた。


 今やっているのは、Cランクの魔法、磁掌マグラップだ。


『地よりで 世をまんとす くろがねよ 治むる者の 手にぞあれかし 天の網』


“人が掘り起こした鉄火は、今や世を飲み込まんとしている。それを絡め取ってしまえるような天の網が、戦いを治めようという者の手にあればよいのだけど”……ぐらいの文意だと思う。

 この魔法は橙色の魔法で、橙は金属類との親和性が高い。それで、この磁掌は投射された金属を空中でキャッチする魔法だ。金属専門の視導術キネサイトみたいなものだけど、あっちは保持して動かすのに対し、こっちは止めることに主眼を置かれている。

 実際、金属相手で受け止める力で言えば、視導術よりも磁掌の方がずっと効果的だ。というか、視導術で矢を止めるのは、今の俺では不可能だ。一方の磁掌なら、覚えたてでも、まぁなんとか……ってところだ。


 一発止めるたび、結構な疲労感がのしかかる。慣れてないからだろう。きちんと覚えて回数を重ねれば、“実戦”でモノになるはず……俺は自分に言い聞かせる。

 膝に手を当て、深く呼吸をしてから、身を起こす。そしてセレナに向き直り、手を振った。「次を」という合図だ。それから彼女は、先ほど同様に声を上げ、矢を放ってくれた。


 磁掌は、魔法庁が管理している教書収蔵のCランク魔法だ。しかし、あまり重要視されてはいない。というのも、そもそも金属の投射物――というか、弓矢――っていうのが、この世界ではあまり重要視されていないからだ。

 まず、魔人で普通の弓矢を使う奴なんていない。魔法庁職員に聞けば、そんなのがいたら本に載るレベルだという。実際、連中はこれみよがしに赤紫という強力なマナを使ってくる。そういう特権があるのに、いちいち弓矢なんて覚えてられないだろう。

 そういうわけで、磁掌を使うとすれば……人間相手ということになる。だから、今覚えている。


 今回の練習で使っている矢は、正確に言うと矢じりがない。先が丸まった金具になっていて、当たってもヤバイ負傷はしない。軌道も山なりだ。当たると痛いだろうけど、まっすぐ撃たれるよりは危険度が少ない。

 そして、先が丸まっていることで、軌道がふらつくようになっている。これは、きちんと狙いを定めて止めるという磁掌の訓練には、もってこいだ。

 ただ、正確に狙っても勝手に逸れるというわけで、素人考えでは誰が撃っても同じように思える。こんな練習にセレナみたいな達人を付き合わせるのに、最初は罪悪感を覚えていた。しかし、重量バランスは普通の矢を逸脱している。だから、結局は相応の技量がないと、明後日の方向へいってしまうかもしれない。

 その点、セレナはさすがだった。放たれた矢はそれなりにふらつくけど、ある程度のまとまりの中でランダムに動いている感じだ。おかげで、急に焦らされるということがない。


 矢に直撃するという心配はない。しかし、きちんと止めるのは重労働だ。自分のマナが、緑寄りの寒色系であるのに対し、橙は反対側のかなり高位だ。魔法陣を作るだけでも、相当の負荷がかかる。

 しかし、ちょっと休めば持ち直す程度に、持久力はついている。赤紫のマナで”自主練”に取り組んだ成果かもしれない。少なくとも、セレナの前でヘバってしまうような、カッコ悪いところは、どうにか見せずに済みそうだ。

 今日の朝方、ギルド受付で彼女に会って、俺は今回の練習について話を切り出した。別にダメ元のつもりだったけど、意外にも彼女は乗り気で応諾してくれた。それから数時間、二人で練習に取り掛かっている。「ヒマでしたから」と言ってくれたけど、それだけではなさそうにも感じる。


 全体で何本矢を止めたかわからないけど、徐々に疲労が蓄積されていく感じは、確かにあった。もうそろそろ、まとまった休憩でも取ろうか。そう思って、俺はセレナに向かって大声を出した。


「そろそろ休まない?」

「わかりました! そちらへ行きます!」


 言うが早いか、彼女は俺の方へ駆け寄ってくる。俺の方に昼食とかがあるから、当然といえばそうなんだけど、走らせちゃって悪いなとは思う。

 そうして俺のそばに寄ってきた彼女は、ちょっと目がキラキラしていた。なぜだろう、そう思った矢先に、疑問が氷解するような声が飛んでくる。


「話には聞いていましたけど、矢を止める魔法もあるんですね。すごいです!」


 実際には、ゆるゆる飛んでくる、殺す気のない矢を止めているだけなんだけど……それでも、彼女の目には驚異に映ったようだ。

 というか、魔法全般に対し、彼女は結構な憧れを抱いているように見える。サニーやアイリスさんと話していても、そういう感じだった。魔法にかまけるあまり、弓がおろそかに……ということはなさそうで、そのへんはさすがだけど。

 磁掌に対し、控えめながらも目を輝かせる彼女に対し、俺は少し複雑な気持ちを抱いた。本当に、殺す気の矢を止めて、初めて完成になる。でも、そんな練習に彼女を付き合わせられるかどうか……。


「どうかしましたか?」

「いや……昼ごはんの後、もう少し速めの矢に挑戦したいなって」

「わかりました。少し調整します」


 そう言って彼女は、マナペンとメモを取り出した。それから、直線を一本、その両端に小さな丸。そして丸を結ぶ山なりの曲線を描いた。


「今のが、こんな感じとして……次の希望をどうぞ」


 手渡された紙とペンで、俺は今より少し低めの山を描いた。それを彼女に返すと、微笑んで「わかりました」とだけ返される。きっと、希望通りに撃ってくれることだろう。


 次の練習について話が済んだところで、俺たちは草原に座って昼食を取ることに。紙袋からパンを取り出し、彼女に手渡す。

 今日は俺のおごりだ。とはいっても、額としては大したことないけど、それでもセレナは少し申し訳無さそうにしていた。練習代と言ったら納得してくれたものの、安い昼飯で弓のエキスパートとマンツーマンになるわけで……結局、こっちが少し罪悪感を覚える形になった。

 秋から冬にかけてのパンは、生地の甘みが強くて噛みごたえがあるものが多い。具がなくても満足いくようなパンもそこそこある。そういう一つをかじってモグモグやっていると、セレナが少し沈んだ口調で話しかけてきた。


「最近、サニーが……」

「……どうかした?」

「少し忙しくて、あまり会えなくて……お仕事の話も、あまり聞けないんです」


 まぁ、そうだろうなとは思う。サニーは……たぶん彼の人生で一番忙しい時期にある。

 内戦下という状況で、王都と近隣都市の間の連携は密にしたい。そんな中、例の救助作戦の成功は、ホウキの機動力を示す大きな契機になった。大々的に触れ回ったわけではないものの、軍やギルドの上層部は知っている。

 加えて、あの死霊術ネクロマンシー騒ぎだ。空中からの監視と連絡には大きな期待が寄せられていて、乗り手の需要は日増しに高まっている。

 そこで、ある程度乗れる連中にさらなる訓練を施すため、指導教官役にサニーが抜擢されたわけだ。多少乗れる程度では心もとないから、それなりの魔法の使い手に見つかっても逃げ切れるように――場合によっては返り討ちにできるように――後輩を指導している。

 そう、ギルドメンバーとしては俺と並んで若輩者の彼が、今や後輩を抱える指導役だ。さすがに色々と思う所あるようだけど、それでも彼は強いやる気を見せた。例の救助のとき、相手の魔法使いとやりあったのが、そういう気持ちのきっかけになったのかもしれない。


 そんなわけで、彼は忙しい。その上、仕事の機密度も高い。だから、セレナには打ち明けられない話が多いだろう。実際、そういう悩みを打ち明けられたこともある。

 で、今日は逆方向から相談されたわけだ。内心、少し頭を抱えつつ、言葉を選んで俺は言った。


「仕事は……結構上の人とも関わるようになってるからさ、セレナもそういう経験はあるよね?」

「はい……」

「だから、言えないことがあるのも、仕方ないと思うよ」


 セレナはセレナで、弓の教導にと、軍からお呼びがかかる事がままある。機密ってほどのことはないとしても、内緒の話ぐらいはきっとあるだろう。

 俺の言葉に対し、彼女は特に目立った反応をしない。納得がいったようには見えないけど、不満は感じられない。彼女の表情から、ありありと伝わってくるのは、不安だ。


「知らない内に、サニーが遠くに行って……会えなくなったら、私……」


 少しずつ、絞り出すように言って、彼女は黙りこくった。パンを食べようともしない。

 彼女の悩みは、大いに理解できるところだった。ネリーからも同じ悩みを打ち明けられたし――アイリスさんも、似たような悩みを抱いているのだと思う。

 でも……理解できるってだけだ。同じ思いを、自分の内側で抱いたことはない。俺は明らかに、悩ませる側にいる。そんな俺が、彼女に――彼女たちに声をかけても、どこか他人事みたいになってしまわないだろうか。


 しばらく、俺はパンを頬張りながら広い草原を眺めた。会話が途切れて、少しいたたまれなさを覚え、セレナの肩をつついて食事の続きを促す。すると、彼女は力なく微笑んで、パンを小さくちぎっては口に運んでいった。

 小柄な子だけど、割と食い道楽なのは知っている。それでも、今日は食が進まないようだ。それはそうだろう。どうにかしたいな、と思った。

 そこで俺は、ネリーから頼まれた一件を切り出した。「実はさ……」と言って、彼女からの頼まれごとと、工廠でやってることの機密度が低い部分を伝えると、セレナの顔に少しずつ明るい色が差していく。


「私も……」

「いいよ。頼んでみる」


 彼女が言い切る前に答えると、すごく真剣な表情で頭を下げられた。


「いや、頑張るのは工廠の連中だからさ」

「……それも、そうですね」


 そう返した彼女は、気分が晴れたのかパンを普通に頬張り始めた。その様を何の気なしに見ていると、顔を赤らめ、またちぎって小さく食べ始めたけど。


 少し、サニーが羨ましくなった。いや……だいぶ、かも。

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