第337話 「吐露」
使用人から話しを聞いて翌日。宰相と王太子アルトリードはいくらかの護衛を伴って、アスファレート伯爵家に到着した。
その護衛の中には、ハルトルージュ伯の姿もある。彼を会談中の護衛として同席させようというのは、アルトの考えだ。城内における近い年齢層の相談役として、ともに話を聞いてほしいという気持ちも、ある程度はあるのだろう。
ここまでの道中の護衛を屋敷の外に留め、会談に参加する一行は、使用人の後について広い庭を歩いた。季節柄、温かな頃ほどの賑わいはないものの、それでも可愛げのある小さな花が、見る者の心を安らがせてくれる。心を悩ませる案件がなければ、だが。
客人へのもてなしについては評価の高いこの屋敷も、さすがにこのときばかりは切迫した何かがある。宰相は自身の体が強張るのを自覚した。話の後に酒を出してもらえるという約束も、味がわかるかどうか……。
やがて一行は、その場所に着いた。外からの視線がほとんど通らない、生け垣に囲まれた庭の一角に、白いテーブルと椅子がいくつか置いてある。その傍らに立つのは、屋敷の主とその客人だ。
立場上、警戒を呼びかける内面の声はある。しかし、宰相は先手を打って、その客人に声をかけた。
「お初にお目にかかります。フラウゼ王国宰相、オズワルド・シュネーベルでございます」
「ユリウス・フェルディオンだ。急な呼び立てで、大変申し訳なく思う」
思っていたよりも腰が低く、殊勝な言葉が出てきたことに、宰相は多少の安心と興味を覚えた。人を見る目に関しては、アスファレート伯もアルトも相当の物を持っている。その彼らが相応の信を置くというこの降将は、果たしていかなる話を聞かせてくれるのだろうか?
宰相に続き、ハルトルージュ伯も手短に挨拶を済ませ、それから彼らは一つのテーブルを囲んだ。平民が見れば、一目散に退散するであろう集まりだ。
一同が席に着いてから、最初に動いたのはユリウスだ。彼は「魔法の使用許可をいただきたい」と言った。その言葉に、宰相とハルトルージュ伯は警戒で身を固くする。
一方、アルトは落ち着き払った様子で言葉を返した。
「例の、虚偽を焼く魔法を?」
「ああ。対象は私だけで構わないと思うが……」
「そうだな……一度席を立つから、その後で存分に」
答えるや否や、アルトは立ち上がってテーブルから距離を取った。それに促されるようにして、ユリウス以外の同席者も立ち上がり、いくらか後ずさる。
そうして一人になったユリウスは、アルトに「ありがとう」と言ってから、その足元に赤い魔法陣を刻んだ。
その後、「水の準備は?」と尋ねるアルトに、ユリウスはどこか寂しそうに笑って答える。
「これで焼かれて死ぬような私じゃないんだ」
「そういう問題でも……」
苦笑いするアルトを見て、屋敷の主は即座に動き、使用人に水の準備をさせた。程なくして、優雅な装飾が施された水桶がテーブルの上に用意され、一通りの準備が整う。
すると、この場を招集した張本人が、少し重い口調で話し始めた。
「魔人の国について、私が知っていることを話す」
その言葉に、宰相は一瞬耳を疑った。発言した彼が焼かれる様子はない。
彼が、かつての同胞を”売らない"と決めていたということは、宰相の耳にも届いている。では、いかなる心境の変化があったというのだろうか。
宰相が真剣な眼差しを送ると、ユリウスはほんの少しだけ表情を歪め、苦笑いした。
「ただ、そうは言ったものの……長く政務からも軍務からも遠ざかっていたから、現在起きていることの詳細は、私にもわからない。すまない」
「では、どのようなお話を?」
「魔人の頂点にいる、五星についての話を」
一瞬でその場に緊張感が満ちる。続く言葉がなく静まり返る中、彼は落ち着いた口調で話を再開した。
☆
魔人の頂点にある五星は、それぞれ分担が明確に決まっている。軍務で二人、内務で三人だ。
まず、軍務の双璧の片割れは、「軍師」と呼ばれている。彼女は、魔人の国を取り巻くように囲う、人間の国々との国境線を保持する役を担ってる。
とはいえ、全軍を直接指揮しているわけではない。実際には、彼女の薫陶を受けた将軍が、それぞれの戦場を指揮している。彼女はその将たちをまとめる、総司令官といったところだ。
また、取りまとめ役としての力を買われてか、五星を集めての会合では、彼女が司会を行うことがほとんだと聞いてる。おそらく、他の五星の気質に問題があるという事情もあるのだろうが……。
軍務における、もう一方の頂点にあるのは、「皇子」だ。軍師が国防面を担当していたのに対し、彼は”目”を用いた攻勢の多くに関わっている。
しかし、皇子は配下からの信望は厚いものの、基本的には放任主義者で面倒くさがり屋だ。普段の言動にも、少し享楽的な部分が目立つ。
彼は程度の低い魔人の育成を押し付けられることも少なくないようだ。そういう扱いへの抵抗で、放埒に振る舞っているのかもしれないが……。
軍務担当は以上だ。ただし、他の者は内務担当といっても、軍との関わりは深い。その中の一人が、「豪商」だ。
彼は、魔獣化する硬貨を造幣している。ある意味では、人類にとって最大の敵と言えるかもしれない。
そして……下々の魔人から一番支持されている五星は、おそらく彼だろう。他の五星と違い、豪商だけは、他の魔人に対して何かを施すばかりだからだ。彼自身は、特に対価を求めようとしない。
彼のそういうところは、多くの魔人から、重宝されつつもかなり奇異に映るようだ。とはいえ、五星の中では、皇子と並んで話しやすい相手とされている。
内務担当の次の一人が、「大師」だ。彼は定常的な戦場以外における作戦行動や、情報戦、調略などを担当している。
魔人はいずれも、腹に一物抱えているものだが、一番の秘密主義者は彼だろう。事が済んでから、彼が計画していた策略を知ることになった……そういうケースはかなり多いとのことだ。
加えて、人間であろうが、魔人であろうが、他者はすべて駒と考えている節がある。そのような性情と実績から、下々からは畏敬の対象になっているようだ。
残る一人が、聖女だ。彼女は……
☆
聖女について話しかけたところで、ユリウスが止まった。そんな彼にアルトが話しかける。
「どうかしたのか?」
「いや……そもそも、魔人がどのようにして生まれるのか、あなた方は知っているのだろうかと」
そこでユリウス以外の四名が顔を見合わせた。
いずれも、この世に魔人が生まれるに至った契機は知っている。その一方で、今の世における魔人の生じ方については、その知識がない。もっとも、話の流れから推測は可能だが……。
「その聖女とやらが、魔人を作っているのでしょうか」と、宰相がもったいつけずに尋ねる。
すると、ユリウスは瞑目した。それから、物憂げな表情になった彼は、重い口調で話し始める。
「非業の死を遂げた者の、死んでも死にきれにないという思いが……身を焼くような激情が、人を魔人へと変える。しかし、それは赤や紫のような、強いマナを持つ者だけだ」
ユリウスはそこで言葉を切り、宰相は思わず生唾を飲み込んだ。この世の背後で何が動いているのか、それを今まさに垣間見るような心地であった。
それから少し間を開け、ユリウスは言葉を続けた。
「儀式の詳細は知らないが……単独では魔人になりえない平民に、赤紫のマナを植え付けることで、聖女は魔人の数を増やしている」
つまるところ、魔人も元をたどれば同じ人間である。それぞれに異なった人生があり……犠牲者であったという表現さえ、正当なのかもしれない。
ここまでの話の中で、虚偽を焼く魔法陣は、結局一度も発動しなかった。ただ静かに、真実のみを話したユリウスのことを思い、宰相はやりきれない思いを抱いた。
重く、苦しい沈黙が続き、冷たい風が生け垣を小さく騒がせる。そんな中、アルトが口を開いた。
「どうして教えてくれたんだ?」
「……そうだな。一つには、寝食への恩義があると思う」
若干冗談めかして言うユリウスに、他の面々は少し笑った。
しかし、宰相はそこでハッとした。冗談は対象外なのかもしれないが、ユリウスの足元にある魔法陣は、なおも発動しない。
それが、もしかすると信じさせるための虚飾に過ぎないと疑うこともできたが……寝食への感謝は本心なのだろう。宰相の心には、自然とそう感じられた。
そんな冗談の後、ユリウスは神妙な面持ちになって言った。
「同胞の一人が
「ああ……伯爵からか?」
「申し訳ございません。何かしら情報を得られればと」
アルトからの問いに、アスファレート伯は思いつめたような表情で頭を垂れた。降将といえど、魔人相手に情報を与えるような行動との見方もできるが、アルトは笑顔で不問とし、ユリウスに先を促す。
「……私は、魔人がこの世から無くなったとしても……人の世が清浄になるとは思わない。私たちのような魔人を生み出すに至った、世の穢れと歪みが、また同じことを繰り返すだろう」
ユリウスはそこで止めた。人間側に返す言葉はなく、それぞれが苦い表情をしている。その一方、彼らに強いまなざしを向け、ユリウスは言った。
「しかしそれでも……私たちは、この世に居てはいけない存在なんだろうと、私は思う。だから、知りうる限りを話した。役に立つ情報かどうかもわからないが……」
話し終えたユリウスは、それから口をつぐんで少しうなだれ気味になった。その様を見て、宰相の胸中に同情の念が沸く。
そうして沈んだ様子のユリウスに、アルトが話しかけた。
「打ち明ける相手が、私たちで良かったのか?」
「……私はただ、信じたいだけなのだと思う。この世に、信ずるに足る何かが残されているんだと。願わくば、あなた方がそうであってほしい」
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