第321話 「途上の成功」

 給仕さんを乗せて飛び立ってからすぐ、心臓が跳ね上がるような感覚に囚われた。今や煌々と明かりが灯る眼下の街から、様々な色の魔力の矢マナボルトが上空へ向けて放たれている。おそらく、迎撃者が未帰還であったことを受けての対応だろう。

 放たれる矢の狙いは、はっきり言えばいい加減だった。しかし、狙いはともかくとして、撃たれるその数が尋常じゃない。とにかく、どこかへ撃って一矢報いてやろう――そんな人々の意思を感じてしまう。

 こんな状況で俺は、まず高度を取ろうと試みた。地表に近ければ近いほど、発見されるリスクが高いと考えたからだ。

 しかし、二人乗りということで反応が少し鈍い。焦燥感に急き立てられながらも、俺はバランスを取りつつホウキにマナを注ぎ込む。


 それから……一瞬、こちらに向かってくる青い矢に気がついた。その矢はかわす暇もなく、俺のホウキに真っすぐ進んできて――。

 ホウキの先端辺りに矢が直撃した。幸い、柄の素材は頑強で、折れることはなかった。

 しかし、下から撃たれたことで大きく後ろにのけぞるようになってしまう。全身から汗が吹き出し、開いた汗腺のそのまた奥で、何かが解放される。全身を何か駆け巡って、危機的状況に立ち向かう力になる。

 気がつけば、世界の全ての動きがスローリーになっていた。その感覚を完全に掌握するため、俺は異刻ゼノクロックを使って状況のコントロールに挑む。


 先端が跳ね上がるようになったホウキは、まだ完全にバランスを喪失してはいない。落ち着けばもとに戻せるだろう。

 下方からの攻撃は気がかりだ。しかし、光盾シールド泡膜バブルコートを使おうものならば、マナの光が居場所を示すだけだ。集中砲火でやられるのは目に見えている。同様の理由で、墜落の備えに空歩エアロステップを使うこともままならない。

 だから、俺本体の方は、どうにか魔法無しで立て直さなければならない。大丈夫、きっとやれる。今まで仲間たちと培ってきた、飛行技術を発揮すれば切り抜けられる。

 緩やかになった時の中で、ホウキのコントロールに集中しつつ、眼下に視線をやった。放たれるいくつもの矢の、まだ見ぬ未来の軌跡が見えるようだった。二人分の命がかかっている状況で、高まった集中力がそうさせるのだろう。幸い、当たりそうな矢はなかった。

 跳ね上がった先端を敢えて元には戻さず、坂道を登るように空へ駆け上がっていく。矢は……来ない、大丈夫だ。それからも誰より長い時間感覚の中で、俺は下方に注視しつつホウキを操り――どうにかクリーガ上空を脱することができた。


 窮地を脱してから、ようやく一息つけた俺は、後ろの給仕さんに話しかけた。


「もう、大丈夫です」

「あ、あの……一度当たりませんでしたか?」

「はい……死ぬかと思いました」

「私も、です」


 後ろの顔は見えないけど、かなり驚いていそうだとは感じた。

 それから、互いに自己紹介をした。シャロンさんだそうだ。ただ、自己紹介以上には会話が続かなかった。すぐに、仲間の待機場所が見えてきたからだ。


 地面に降り立ち、ハーネスの紐を外すなり、シャロンさんが公爵閣下の元へ駆け出した。しかし、彼女は御前で立ち止まり、そのまま固まってしまった。どうすればいいのか、考えあぐねているように見える。

 すると、閣下は優しい微笑を浮かべられ、彼女の頭に手を置いた。それから、彼女はぼろぼろ涙をこぼしてすすり泣いた。

 きっと、良いことをしたのだと思う。俺の思いを後押しするかのように、閣下は仰った。


「ありがとう。ところで、貴兄の名前をうかがっても構わないか?」

「は、はいッ! 申し遅れまして申し訳ございません、リッツ・アンダーソンと申します!」


 やつれて痛ましささえある公爵閣下だけど、そのたたずまいには静かな威厳がある。思わず恐縮して名乗りを上げると、閣下は少しおかしそうに含み笑いを漏らされた。泣いているシャロンさんも、それにつられ、涙を流しつつも笑った。それで、仕事仲間たちはジェームスも含め、俺の背中をバンバン叩きまくってきた。

 なんだか一件落着みたいな雰囲気になっているものの、まずは他の仲間との合流をしなければならない。後部座席の方々のハーネスをつなぎ直し、俺たちはホウキで飛び上がった。


 ふと気になってクリーガの方に視線をやる。しかし、遠くの潮騒のように喧騒が聞こえるだけで、こちらへ何かが来る気配はない。おそらく、気づかれてはいないのだろう。

 ここまでは望外の成果を出せている。一つの山場を乗り越え、少し落ち着いてきたところで、後ろに乗せたシャロンさんのことが気になった。城から脱出するときは全く気にしなかったけど、後ろから女性に抱き着かれている。そのことを意識すると、妙に顔が熱くなった。今夜幾度も顔に吹き付けてきた、秋の夜風が何ともありがたい。


 しかし、そんなドキドキも少しずつ冷めていった。サニーやラウルたちとの合流地点である森が見えてきたからだ。出撃前に仮眠をとった、あの森だ。あちらも場所が割れた感じはなく、まずは一安心だ。

 ただ、空中戦の末に捕縛したという、敵魔法使いのことが気がかりだ。抵抗するそぶりはなかったとのことだけど、そういう演技なのかもしれない。今夜、諜報員さんというその道のエキスパートに会ったことで、どうしてもそういう手口を懸念してしまうようになっている。


 どこか胸騒ぎをする感じを覚えつつ、俺たちは森の少し手前で着陸した。それから、念のために光盾を張り、ゆっくりと合流地点へ歩いていく。

 すると、俺たちの接近に気づいたようで、奥から「こっちは大丈夫だ、お疲れさん」というラウルの声が。それに合わせてマナの明かりがほんのり灯り、待機しているあちらの姿が、ぼんやりと森の闇の中に浮かび上がった。

 本当に無事なようだ。思わず安堵でへたり込みそうになるのをこらえ、俺は前に進んだ。


 そうして無事、全員が合流してから、俺はマナの明かりで浮かび上がる、例の魔法使いの姿を見た。両腕両脚を紐で拘束した上で、万一にも魔法を使えないように、両手がマナ遮断手袋フィットシャットの素材で覆われている。

 そんな彼は、かなり冷静を保っていたものの、視線からは恨みがましい感じが強く伝わってきた。

 しかし、落ち着いていたのもそこまでだった。急に彼は憤怒の形相になり、激しく身をよじり始め、激昂した。


「クソッ! 貴様ら、公爵様をどうするつもりだ!」


 勘違いされているとは言い切れなかった。まだ、この脱出劇の背景には、不明な部分もある。特に、公爵閣下がどういったお考えなのかは判然としない。

 しかし、色々なものが不確かな中で、彼が閣下を思う忠心だけは確かに思われた。そのことが、俺の胸中を苦くする。

 俺がそんな思いに囚われていると、閣下は静かに歩み出られ、彼の前で膝をついて仰った。


「あの街を脱することは、私の意志でもある……君を始めとする領民には、誠に申し訳なく思うが……済まない」


 頭上でさざめく梢の音に消えて混じりそうなくらい、か細いお声だった。断腸の思いでやっと絞り出せたような、そんなお言葉に聞こえた。

 閣下のお言葉の後に続く声はなく、辺りは静まり返った。あの魔法使いが大声を出したことで、周囲に気づかれたかもしれない。その警戒すらも、一瞬忘れてしまった。

 それから少しして、枝葉が擦れ合う音に交じり、すすり泣く声が超えてきた。抑え込んでもあふれ出す彼の嗚咽が、不思議と心に響く。そして彼は、泣きながら言葉を絞り出した。


「なぜ、なのですか? 我々は、どうすれば……」

「……済まない」


 俺は、あちらの人々のことをほとんど知らない。しかし、一枚岩ではないのだろうと思う。王都への反発は広く根深いようだけど、それだけじゃないようだ。それぞれが思うところを抱えていて、それぞれ別の人間なんだと思う。

 そして……このままでは、お互いのそういうところを顧みることなく、戦火が全てを呑み込んでしまう。それは避けなければならないと強く感じた。


 泣いていた彼もようやく落ち着き、森の外の安全も確認できたところで、俺たちはクリーガ近郊からの脱出準備を始めた。

 まず、二人乗りの支度を行う。あの魔法使いの彼は、もう完全に抵抗するそぶりがなく、悄然とした様子でいた。こちらの指示に従って二人乗りになる。連れて行くのはサニーだ。彼が撃ち落としたという話だから、恨み骨髄だろうと心配に思わないでもなかったけど、彼の強い意志があって、結局はみんなでそれを承認した。

 帰路も行きと同様に長旅で高速飛行になる。しかし、行きと比べて同行者が四人増えており、二人乗りの負荷を考えると、そこまでのスピードは出せない。

 ジェームスは自分で飛ぶと主張したものの、彼は俺たちみたいに高速飛行の訓練を受けていないし、コンディションの懸念もある。だから、二人乗りの後ろ側で満足してもらうことになった。

 そうして、二人乗りが過半数という構成で、俺たちは潜伏先の森を発った。後は夜明けまでに可能な限り距離を稼ぎ、中継ポイントである味方の砦へ向かう。



 結構な疲労感を覚えつつ、どうにか目的地の砦にたどり着くと、俺たちの姿を認めて兵の方々が騒然となった。

 特に、公爵閣下の救助に成功したというのは、かなりの衝撃だったようだ。クリーガからはそこそこ距離があるものの、直にお姿を見たという方は少なくないらしい。俺たち一行が門を超え、閣下の姿があらわになると、ざわめきは一層強いものになった。

 しかし、その場に指揮官の方が現れると状況が一変し、兵の方々が整然と並ぶ。そして、一糸乱れぬ動きで敬礼をした。

 それが、最初は閣下に向けたものなのだろうと思っていた。しかし、こちらの指揮官の方に「君たちに向けたものだよ」と言われ、思わず胸が熱くなる。


 それから、俺たちは朝食をいただくことになった。だいぶ量が多く、おそらくはサービスしていただけたのだろうけど、全員ペロリと平らげてしまった。

 朝食の後、俺たちは砦の一室を借りた。ラックスへの経過報告のためだ。前みたいにラウルが少し照れくさそうにして、自身の右腕に話しかける。すると、ほとんど間を置かずに彼女の声が聞こえた。


「どうだった?」

「全員無事で、救助も成功だ。つまり、完璧ってとこだな!」


 かなり明るく、得意な調子でラウルが告げるも、返答がない。ちょっと静まり返ってから、彼女の声がした。


「全員の声を聞かせてくれない? お願い」


 ラウルの発言を嘘だと思ったわけじゃないだろう。普段はクールな感じのある彼女からの、この発言には、胸が締め付けられた。

 それから順繰りに、ラウルの右腕に声をかけていって、ラックスは満足したように「良かった」とだけ言った。

 しかし、少し間をおいてから、彼女はこんな事を言いだした。


「今回、誰が一番無茶してた?」


 すると、視線が二分された。仲間たちが俺とサニーの方を見ている。抗弁する間もなく、ラックスに報告が行き、彼女は言った。


「サニーのは、少し意外だけど……成長なのかな? リッツは相変わらずだね。まったく……」


 腕輪から聞こえる声はノイズまじりだけど、最後の「まったく」という言葉には、呆れと親しみの両方を感じられた。

 そして最後に、彼女は「まっすぐ帰ってね」とだけ告げ、それで報告は終了した。


 経過報告は以上だ。しかし、借りたこの部屋で、まだやらなければならないことはある。部屋の片隅にみんなの視線が向かう。その先にいるのは、捕縛した例の彼だ。

 すると彼は、「何だ」とだけ言った。苛立ちは感じられるものの、どこか弱々しい。公爵閣下に会ってからずっとこんな感じだ。

 そんな彼に、サニーが果敢に話しかけた。


「そちらは、王都の方をどう思ってる?」


 ストレートな問いかけに、彼は鼻白んだ。それからややあって、彼は苦々しい表情で話し始める。


「クリーガからは、どの都市よりも多くの人間を、最前線に送り出している。お前らだって、それぐらいは知っているだろう」

「しかし、それはそちらの方が、人口が多いからじゃ……」

「お前の知り合いに、最前線へ送られたヤツっているのか? 知人の墓参りをしたことは? 何かそういう、祖霊を祀る行事とか文化は?」


 サニーは返答できなかった。彼だけじゃない。俺もみんなも、問われた言葉に返すことができなかった。

 もちろん、王都からだって最前線へ送られる方がいるってのは聞いている。しかし、それは多くの場合、ある程度の兵を束ねる、いわゆる士官クラスの方が大半だ。王都から送られる一兵卒は、よほどのことがないかぎりは、ほとんどない。

 だから、王都と最前線との結びつきはもちろんあるけど、そこでの知人の死が、生活に深く結びついているということはない。

 それからも、クリーガの民は言葉を続けた。


「お前らは、それが俺たちの役目だって言うんだろう。それは……別にいいんだ。あの土地で代々、誇りを持ってそういう事を続けてきたからな。しかし……」


 視線を伏せた彼は、体をわななかせた。そして、俺たちをにらむようにして言った。


「これだけお国のために尽くしてきたってのに、クレストラ王太子が戦死されてから、何もかもおかしくなっちまったよ。そっちの陛下も王太子も、クリーガには全然顔を出さない。まるで他国の他人事みたいに、クリーガの民が前線ですり潰されても知らんぷりさ!」

「だからって……その復讐のために、兵を挙げたって?」


 サニーの問いかけに、彼は沈黙した。長いこと部屋の中が静かになって、ようやく彼は答えた。


「おかしいよな。みんな、戦争は嫌だって思ってるはずなのにさ……誰も彼もおかしくなって呑まれちまって……逆らえなくなって」


 ポツリ、ポツリとつぶやくように言った彼は、顔を上げて今にも泣き出しそうな顔で言った。


「公爵様はどうお考えなんだ? ずっと、王都側との協調に苦心されただろう? それが、本当はお嫌だったのか? ずっと、反旗を翻すおつもりでおられたのか? それとも、俺たちの蜂起を悲しんでおられるのか? バカなことをと、叱責してくださるのか?」


 そして彼の目から涙が溢れて一筋流れ、最後につぶやくように言った。


「誰か、教えてくれよ」


 でも、その問いには誰も答えられなかった。

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