第298話 「お誘い」

 8月21日11時。俺はラックスとともに王城を訪ねた。もちろん、服はレンタルだ。

 二人で殿下の居室の前につくと、ノックしかけたラックスは手をドアの前で止めた。そして、俺に向かって微笑みかけてくる。手で交替するようなジェスチャーを添えて。

 殿下へのご用件は、先月承った件へのご報告だ。ラックスの方からある程度殿下にお伝えしてあるようだったけど、俺が受けた話なんだから、俺の口からも話すべきかとは思う。そういう考えがあって、今こうしているわけだ。

 だから、ノックする程度のことであっても、俺の手で進めるべきかもしれない。胸元に手を当てて息を細く長く吐き出し、気持ちを少し落ち着けてから、俺はドアを叩いた。ノックの強さが適切だったか、叩いてから気になった。

 しかし、そうやって心配する間もなく、中から「どうぞ」と殿下のお返事が。静かにドアを開けると、入口から見える位置のテーブルに、殿下とアーチェさんがおられた。テーブルには本がいくつか置いてあって、読書中のように見える。

 俺たちは歩を進め、テーブルの傍らに立った。すると、殿下が相席するように勧められた。こちらの話はそう長くはならないと思うけど、結局は殿下の反応次第だ。断るのも礼を欠くと思って、同じテーブルに着くことに。


 そうして卓を囲むと、殿下は口をつぐんで静かになされた。ただ穏やかなお顔で親しげな視線だけをこちらに向けてこられている。ラックスを一瞥すると、彼女はほんの少し苦笑いしてうなずいた。「助けないけど、頑張って」みたいに言われている気がした。意を決して、用件を切り出す。


「先月、殿下から承りました案件につきまして、そのご報告にと」

「もう少し、楽に話していいよ。そうだなぁ、相手がフォークリッジ伯だと思ってくれれば」


 本当にそうであったら、確かに少しは楽に話をできるだろうけど……露骨に態度を改めるのもはばかられる気はした。しかし、ご厚意からのお言葉なのだろうと前向きに捉えて、意識的にフッと力を抜いて話してみる。


「大勢で楽しめる企画をというご要望でしたが、人を集めての催しにできるレベルにはなったと考えています。商工会からも色よい評価をいただけてますので、期待はずれにはならないかと」

「それは楽しみだけど、私も見に行って構わないかな?」

「お忍びであれば、面倒は少ないかと。夜間開催ですので露見しづらいと思われます。ただ、護衛は必要でしょうが……」

「護衛はハルトルージュ伯に頼むとするよ。彼も、機会がないと中々外で楽しめないしね」


 伯の名前が出て、脳裏を暗い考えがかすめていった。あの、世の中の成り立ちにまつわる昔話は、伯もご存知なのだろうか。直接問いただす気はしないけど、気にはなった。

 殿下のお顔から何か情報は得られないかとも思ったけど、殿下は穏やかな表情を崩されない。いや、これはこれでいいんだ。俺の話で、少なくとも表面上は良い気分になられている。そう思おう。


「ところで、その催しはいつやるのかな」

「8月26日予定です。雨天時は順延の予定ですが、この季節、雨はあまり降らないだろうとのことですので、まず問題ないかと」

「念のため、26から月末にかけては、予定を開けておいた方がいいね」

「はい」


 俺からの話はその程度だった。やる中身について触れたのでは興が削がれると思うし。

 殿下の方からも、特に話しておくことはなかったようだ。殿下に訪問したことへの礼を述べられてから、俺たちは辞去した。


 王城の敷地から出て息を吐き出すと、軽く含み笑いを漏らし、ラックスが話しかけてくる。


「お疲れ様。案外、話せる感じでしょ?」

「緊張はするけどね……しかし、あの程度の用件で会いに行って、迷惑じゃなかったかな?」

「殿下に聞く?」

「いや、やめとくよ」

「その方がいいよ。他愛のない話でも、お時間あまり取らなければ、きっと喜ばれると思う」


 殿下にお会いする経験が俺より豊富なだけはあるアドバイスだ。雑談しに王城まで足を運ぶのもどうかとは思うけど、何かの用件で足を運んだ際には、ちょっとぐらい歓談のネタを持参する方がいいかもしれない。


 殿下へのご報告の後は、関係各所を回ってのお誘い合わせだ。商工会とギルドの働きで、すでに集客のための広報活動は進んでいるけど、個人的に知らせておきたい相手というのはいるもので……。

 その件について、ラックスが話しかけてくる。


「アイリス様には、もう伝えてあるけど、リッツは?」

「ん?」

「リッツの口からは伝えない?」


 別に、俺が彼女のことをどう思っているかとか、そういう話じゃなさそうだ。表情も視線も、どこか真剣な感じがある。


「この後、俺からも話そうかって」

「うん、その方がいいよ。お誘いが重なっても、悪いことはないんだから」


 まぁ、変に遠慮することなんて無いだろう。もともと、殿下だけじゃなくって彼女にも見てもらいたくて始めた企画だし。


 その後、俺たちはエスターさんの店で借りていた服を返した。そして、服への礼と共に、今回の催しのことについてお話する。すると、すでに商工会で話が回っているせいか、驚かれはしなかった。にこやかな笑顔で、エスターさんが話しかけてくる。


「店員みんなで観覧しますから、がんばってくださいね」

「はい、楽しみにしていてください」

「……ところで、その演舞のときに着る服は、どのようなものを?」

「とりあえず、暗めの服を各自でと」


 特にユニフォームとかの準備はなかった。どうせホウキの方が主役で、飛ばしてる俺たちが注目されるわけじゃない。だから、光を反射しにくい服であれば何でもいいと考えている。しかし……。


「よろしければ、黒い服の上下を人数分、お貸ししましょうか? もちろん、タダで構いませんから」

「えっ? いや、それは悪いですよ!」


 エスターさんからの申し出に、俺は両手を振って辞退した。そんな俺に、彼女は笑顔で話しかけてくる。


「もちろん、私たちにとっても意味のある提案ですよ? チームとしての統一感が合った方が、催事の成功につながると思いますし……ホウキが主役と言っても、リッツさんたちがまったく注目されないってわけではないでしょう?」

「まぁ……終わってから話しかけられたり絡まれたりってのは、あるかもしれません」

「そういうときに、ウチの服を見てもらえれば、ちょっとした宣伝になりますから」


 なるほど、エスターさんの店としても、まったく利がないわけじゃない。それにしても、ただでユニフォーム代わりに服を借りられるのは破格って気もするけど……。

 結局、ラックスの同意もあって、俺はエスターさんのご協力の申し出を受け入れることにした。すると、エスターさんは、ほんの少し恥ずかしそうにしながら言った。


「見てるだけではなくって、少しお手伝いできればとも思ってますから……私だけじゃないですよ?」


 彼女から視線を外すと、室内にいる他の店員さんたちがニッコリ笑っていた。



 服を返した後、俺はアイリスさんが投宿しているホテルに向かった。

 そんなに足繁あししげく訪れてはいないけど、こちらのスタッフの方は俺のことを覚えていてくださったようだ。俺の顔を見るなり、ほんのわずかに表情を緩めて頭を下げ、挨拶をしてくる。


「お久しぶりです、アンダーソン様」

「……お久しぶりです」


 やはりアンダーソン姓は慣れない。圧倒的にリッツ呼びが多いからだけど。微妙にムズムズする感じを覚えながらも、俺はホテルマンの方に来意を告げた。

 すると、幸いにも彼女は外出していなかったようだ。すぐに別の従業員の方を遣わして、彼女を呼びに行ってくれた。それで、俺は奥のスタッフ向け休憩室で待たせてもらうことに。


 程なくしてやってきた彼女は、「お久しぶりです」と言って笑顔で俺の対面に座った。

 実際、会うのは結構久しぶりだ。正確にいうと、街ですれ違うことぐらいはままあるけど、こうして何かの用件があって会うのは1ヶ月ぶりぐらいになる。練習やら訓練で忙しかったからだろう。

 こうして顔を合わせることに新鮮さを覚えながらも、俺は用件を切り出した。


「26日にちょっとしたイベントやるんですけど、まぁ知ってますよね」

「はい。ギルドに掲示がありますし、ラックスさんとシルヴィアさん、それとセレナさんからも、それぞれ話をうかがってます」


 シルヴィアさんからも話が行ってるってのはわかるけど、セレナからもっていうのは少し意外だ。ただ、サニーからセレナに少し早いタイミングで話がいっていたのなら、なるほどという感じではある。

 しかし、彼女にとっては4回目の話になるわけだ。今更感を覚えてしまうけど、彼女はそういう呆れとか煩わしさを微塵も出していない。ただ、にこやかに微笑んで、俺の言葉を待っている。


「その日、特に予定とかは?」

「もちろん、空けますよ。友達と一緒に見に行きますから!」


 1年とちょっと前ぐらいには、友人が増えないことを悩んでいた彼女が、今ではこんな感じだ。みんなが勝手に遠慮しすぎてただけで、彼女の人柄を思えば今の状況に不思議なところはないけど……ちょっと感慨深いものはある。

 そうして一人で勝手にしんみりしていると、彼女が問いかけてきた。


「やる側として、私を誘ってもらってもよかったんですよ? 練習時間は、なんとか確保できると思いますし」

「あー、いや、それなんですけど……」


 割と悩んでいたポイントだ。殿下に見ていただくものを……というところから始まって、アイリスさんを始めとする貴族の方々にも……という念があったせいか、無意識に彼女を観客側にしてしまっていたのだろう。

 ただ、彼女にいいとこ見せたいという思いもある。さすがに口にはできないけど、この場での言い訳に、何か代わりが必要だ。


「……同じ仕事を一緒にやることも多いですけど、たまには応援してもらうのもいいかなって」

「その割には、この件について話すのは初めてですけど」

「いや、当日への応援があるじゃないですか」


 ちょっと苦しいかな~と思いつつ言ってみた言い訳だけど、彼女は特段気にはしなかったようだ。それまでの少し真顔っぽい感じから、表情を崩して彼女は言った。


「頑張ってくださいね。期待してますから」

「はい、みんなでいいとこ見せますからね」

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