第249話 「禁呪使い①」
5月7日、9時。呼び出しがあってギルドへ向かうと、受付の方に奥へ案内された。
そこで待っていたのは、ウィルさんだった。表情はにこやかで、おそらく悪い話ではないのだろうと感じる。
しかし、他聞をはばかる話ではあるようだ。彼は受付さんに礼を言った後、外へ行くよう促してきた。
そうして2人でギルドを出ると、彼は西区の方へ歩いていく。たまに右折したり左折したり。何回か方向転換を繰り返すうちに、人目を避けつつ西門へ向かっているんだろうと感じた。
実際そのとおりだった。西門が見えてくると、彼は「目立つと困ると思ってね」と言った。確かに、そこそこ名を知られつつある俺と、魔法庁元長官が一緒に歩いていると、業界関係者は何事かと思うだろう。今歩いている西区は、そういう魔法や保安関係の人が少ない地区ではある。それでも、彼はさりげなく、しかし念入りに人目を避けて道を進む。
結局、俺達が声をかけられたのは、門についたときだけだった。さすがに姿の隠しようがないので、多少間を開けて門を通過することに。彼に言わせれば、「それでも門衛さんは鋭いから、何か気づくだろうけど、深追いはしないはず」とのことだ。
先に俺が歩いて行って、軽く雑談してから門を出た。それから2、3分後にウィルさんが出てきて合流した。
門を出てからも、どこかへ向かって歩いていく。ウィルさんは困ったような、申し訳なさそうな顔で「悪いね」と言った。深刻な感じはないけど、ロ数の少なさが気になる。
そうして、数十分歩き続けた。街道沿いの草原には、さわやかな風がふきつけ、草がざわめいている。澄んだ空には雲がまばらで、心地よい一日になりそうだ。しかし、不思議なざわつきがあって、気持ちは落ち着かない。
ウィルさんに連れられ、たどり着いたのは川だった。深さはそれなりにあるようだけど、底が見えるくらいに澄み切っている。
彼は、その川にかかった橋から少し離れるように歩いて行って、いくらか距離を取ったところで腰を落ち着けた。俺もそれにならって座る。
それから彼は、手荷物から何かを取り出した。それを手際よく展開していくと、折り畳み式の長い棒になった。先端からは糸が伸びている。
続いて、彼はまた何か取り出し、組み立てた。三脚のようだ。それを俺の前に置いて、先ほどの棒をセットする。
すると、まるで釣りをしているようになった。まるでというのは、棒から延びる糸の先端に、金属の弾が付いているだけだからだ。安定して水中には浸かるだろうけど、魚が食いつきそうにはない。
そんな不思議な釣竿をまじまじと眺めていると、彼は同様のセットをもう1つ組み上げ、今度は自分の前に作った。ー通り作業を終えると、彼は笑って言った。
「ここ、結構穴場でね」
「これで釣れるんですか?」
「この竿じゃ釣れないけどね。ここは、まったく釣れないって程じゃないけど、他にもっといい釣り場がある、微妙なスポットなんだ。周辺の人がたまに使う程度だね」
「つまり、あまり人気がないんですね」
「そう。だから誰かが通りかかっても、釣りをしてるふりをしていれば、変に思われないんだ。まぁ、密談用だね」
やっぱり、そういう密談なんだ。いったい、どういう話題を振られるのか……俺は息をのんだ。
すると、彼は頬を緩めて「おめでとう」と言った。
「
「いえ、まだ実用レベルじゃないですよ?」
「重要なのは、君が改良していける側の人間だってことで……もっというと、たどり着いてしまう側の人間じゃないかってことだ」
「たどりついてしまう?」
「禁呪とかにね」
それから彼は、少し表情を引き締めた。やや間を開け、考え込んでから言葉を続ける。
「君には禁呪使いの素質があるというのが、天文院の見解だ。僕も、そう思う」
「……また、捕まったりするでしょうか」
俺が問いかけると、彼は一瞬固まった後に笑い出した。それから「ごめん」と言って、話し出す。
「禁呪にも色々あるけど、決して使われるべきでない禁呪ばかりじゃない。それはわかるだろう?」
「はい。魔法庁が許可を出すようなものもありますし」
「そうだね。それに、魔法庁が認めない禁呪の中にも、注意深く使えば有益なものはある。この前の、おまじないとかね」
彼の話を聞いているうちに、心臓が高鳴って手が熱くなってきた。話の先に待つリスクへの緊張と、素質を見出された喜びが、まだ知らない世界を垣間見る興奮と混ざり合っていく。
だいぶドキドキしてしまってのぼせそうになっていると、彼は「川を眺めよう」と言った。言われた通りに、川の流れに視線をやる。
キラキラして、きれいな清流だ。魚はほんの数匹。江戸時代の風刺をふと思い出した。川がきれいすぎて住みづらくなった、もとの濁ってたのが恋しい……みたいな奴だ。きれいなのに魚が少ない川を実際に見て、あの文が腑に落ちた。
そんなことを考えていて、舞い上がるような気持ちもだいぶ落ち着いた。「もう大丈夫です」と言って、ウィルさんに続きを促す。すると、彼は言った。
「なんとなく察しているだろうけど、今日は例のおまじないを教えようと思ってね」
「ありがとうございます」
「しかし、その前に色々教えることがあるんだ。よく聞いていてほしい」
そうして彼は、禁呪の基礎から解説を始めた。「本当の禁呪使いになるなら、必須の知識だから」だそうだ。
まずは心構えから。今からの話は、魔法庁ですら認識されていない、本物の禁呪に関してだ。それらを操る禁呪使いに求められるのは、簡潔に言えば「法文に拠らない順法精神」とのことだ。
魔法庁管轄外の禁呪は、法の
「つまり、事の最中には少し独善的で、その前後に1人で悩むタイプに向いているわけだ」
「……心当たりは、ないわけでもないです」
「だと思った」
そう言って彼は笑ったけど、俺としては複雑な心境だ。急場での決断に、そういう独善で迷いを吹っ切ってきた経験は、あると思う。その時その時、きっと無意識でやってきたことだろうけど。そういう自分のあり方を、他人から少しでも肯定されることに、なんとも言えない危うさを感じた。
そんな事を考えていると、知らないうちに顔が曇っていた気がした。ウィルさんは話を止めている。彼に「すみません、大丈夫です」と伝えると、彼は少し笑って次の話を始めた。
禁呪の区分は、一般的には第1種から第3種までの3区分だ。しかし、魔法庁管轄外の、本物の禁呪は、この区分には収まらない。そのため、こういう埒外にある禁呪は系外禁呪と呼ばれている。
そういう、系外禁呪が存在する理由――魔法庁で管理監督できない理由――は、主に2つだ。
まず、そういった禁呪の存在自体を明るみにしたくないから。法の範囲内で取り締まるとなると、どうしてもその存在を文書化せざるを得ない。そうした場合、必然的に“こういう禁呪が存在する”と知られるわけで、そうやって知られることすら避けたい禁呪が存在するというわけだ。
2つ目の理由は、使用されたことがわからない禁呪が存在するから。禁呪の中には、使っても他人には認識されないものもあるらしい。そういう禁呪は取り締まりようがない。それで、取り締まれない禁呪の存在を公表するのは、色々と問題があるということで、魔法庁管轄外になっている。
そんな系外禁呪は、更に細分されて7カテゴリー存在する。
1つ目が、都市以上を対象とする破壊魔法。信じられないけど、そういう禁呪が存在したらしい。今使っている
2つ目が、精神操作。ポイントは、発揮される効果が有益だろうと有害だろうと、禁呪扱いになることだ。人心に直接働きかけるものは、全て禁呪になる。
3つ目が、人体に直接作用するもの。何らかの機能を向上させたり、変質させたり、あるいは付与させる魔法全般を禁じている。
この世界に、回復魔法が存在しないのは、たぶん禁呪だからで――禁呪に認められるだけの理由があるからなんだろう。
4つ目は、生命・霊魂に対する操作。つまり、
この項目があるということは、第2項で言っている精神操作と霊魂の操作を分けて考えていることになる。ウィルさんによれば、一般に精神というと生者のものを指し、霊魂は死者のものを指すそうだ。
5つ目は、社会構造を操作するもの。このカテゴリーだけに属する禁呪は、実際にはほとんどないようで、だいたいは他の項目にも抵触するそうだ。つまり、精神だの人体だの何だのに作用し、社会構造を操作する禁呪ということになる。
6つ目は、魔法の有り様そのものに干渉するもの。わかりやすく言うと、魔法陣を書くという行為そのものに影響を与えるものだそうだ。その有用性から魔法庁管轄になっているものの、複製術は実際にはこのカテゴリーに相当すると考えられているらしい。
他には、
で、最後の7つ目が、その他だ。「その他って、一番危ない区分だったりしませんか?」と何気なく尋ねると、ウィルさんは微笑んで首を振った。
「詳細を明かせないのを押し込めてるってわけじゃないんだ。どういう区分に収めればいいか、判断に悩む禁呪が振り分けられている感じかな。あと、類似したものがほとんどない禁呪とか。具体例は避けるけど」
「なるほど」
ここまで話している間、彼は具体的にどういう魔法があるか、言及しないように慎重だった。俺が知れば、やりかねないとまでは言わなくとも、詳しくなろうと近づきかねない……そう思われたからだろう。
禁呪の区分が済んだところで、彼は「例のおまじないについてだけど」と切り出してきた。いよいよだ。少し身をこわばらせ、俺は彼の言葉を待った。
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