第201話 「帰る所は」

 気がつくと僕は、小高い岩山の頂上にいた。辺りで戦闘している感じはなく、僕はあの場から離脱したのだと悟った。しかし、奴を消すのに集中していたため、自分の力で戦場を脱したとは思えない。

 むき出しの岩肌から視線を上げると、傍らにはカナリアがいた。そうか、こいつが……。状況から考えて、この女が僕を転移で離脱させたのは疑いない。

 しかし、腑に落ちないのは、どうやって”つないだ”かということだ。こいつは、転移術において魔人の中でもかなり上の力量を持つが、それでも僕の居場所と自分の居場所を正確につなげるというのは至難のはずだ。それこそ僕と視界でも共有していなければ。

 そこで僕は、考えたくはない可能性に行き着いた。精神操作の要領で、僕の中に魔法を仕込んでいたのか? たとえば、僕の視界に侵入するような。

 女は静かに笑っている。その、作り物みたいに整った微笑みに苛立ちを覚えながら、僕はできるかぎり冷静に問いただす。


「見ていたのか?」

「もちろん」

「……何をした?」

「ええ~、そっから話すの? あなたが城に戻った時、あんなにも熱く見つめ合ったじゃない?」


 城に戻って報告を済ませ、廊下を歩いていた時、この女が絡んできて、確かに視線を交わした。その時からずっと、この女に視界を奪われていたのか? ここまでの僕の動きも、全て筒抜けのままで、泳がされたと?

 行き場のない感情が湧き出し、体が震える。そんな僕を見ていた女は、軽い調子で言葉を放った。


「大丈夫。大師様には1割も伝えてないから。じゃなきゃ、ここまで動けないでしょ?」

「……どういうことだ? お前の一存で放置していたというのか?」

「ソッチのほうが面白いかなって」


 体を駆け巡る感情が僕を突き動かし、女の襟首を締め上げさせた。こんなことで怖がるような女ではない。こんなことをしたって意味はない。それでも、衝動を抑えられそうにはなかった。

 しかし、これ以上はみじめになるだけだ。心の中で激情と冷静が戦い、どうにもできずに往生して体を震わせていると、女はいつもよりも嫌味のない笑顔で言った。


「今回のはね、私は結構評価してるんだ~。人間にゴミをぶつけてひるませるなんて、大師様でもやらないし」

「馬鹿にしてるのか? 殺すぞ」

「本気で褒めてんだけど? それに、殺す殺すって言って、結局殺ってないじゃん」


 ああ、そうだ。結局奴のことは殺せずじまいだった。転移の方は成功したようだが、それでも苦し紛れでしかない。しかし、僕の不手際を責めると思いきや、女はむしろそれを称賛してきた。


「遺体がないほうが、連中にはキツイでしょ~? 良い判断だと思うよ。それに、連中が”もしかしたら”のために無駄骨折ってくれるかもしれないしね」

「もしかしたら?」

「リッツくんが、またこっち来るかもってこと」


 思わず手に力が入り、女は「やぁん」とわざとらしい嬌声を上げた。

 もし、奴がまたこちらに来るようなことがあれば……その時僕は、どうなってしまうのだろうか。そんな”もしかしたら”に寒気と恐怖を覚えていると、女は質問を始めた。


「どこへ飛ばしたの?」

「知るか」

「また来ると思う?」

「うるさい」

「絶対に、来れないって思う?」


 女をにらみつけるが、言葉は出てこなかった。今、奴がどこにいるかはわからない。そういう魔法で飛ばしたからだ。しかし、奴の来歴が以前調べた通りのものだとしたら、奴が再びこちらへ来ないなどと、どうして断言できる?


「絶対なんてないよね~? だって、そういう”もしかしたら”があり得る相手だから、あんなに躍起になってたんでしょ?」


 ……ああ、そうだ。奴はこちらへ来るなり早々に、目の森の解放に参加し、確かな貢献を果たしている。それに、9月の襲撃での闘技場でも、今回の戦闘で僕と対峙しても、結局死ぬことはなかった。認めたくはないが、奴ならではの才能があるのかもしれない。あるいは、天運が。


 女の話はそこまでのようだった。これから城に帰ると言う。そして、僕が率いた今回の件について、五星は黙認しただけで預かり知らぬ件であるとも。


「だから、帰っても処罰はないよ。私刑リンチはあるかもね」

「……帰る前に、僕に掛けた魔法を解け」


 女は短く舌を出し、「ざんねん」などと言いつつ、魔法を解いた。本当にそうしたかどうかは定かではないが、詰問したって意味がないのはわかっている。この女を信じるというのも、本当に無益に思えてならないが。

 それから、帰還用の門を軽々と作った女は、門を潜る前に振り向きざまに言った。


「1つ、いいこと教えてあげる」

「……」

「もう! 本当にいいことだよ? 飛ばしてあげた彼のことを思いながら、目を閉じてみて?」

「……どうなる?」

「目を閉じて集中すれば、自分から虚空へと、かすかな光の糸が伸びるのを感じると思う。彼が生きている限りね。きっと、転移で縁ができちゃっただろうから」


 それだけ言い残し、女は転移門をくぐった。それから門は、すぐには消えずに残り続けた。つながれた先には、白亜の居城が見える。帰る気なんてついぞ起きなかったが、そんな僕をあざ笑うかのように、門は中々消えずにいた。


 そして、門が消えると、僕は一人になった。いや、元から一人だったんだ。

 戦闘の光は、ここからでは見えない。ここがどこなのか、さっきまでいた国なのかもわからない。これから、どうすればいいのかも。

 いや、1つ確認しなければならないことがあった。呼吸を落ち着け、僕は目を閉じた。



 意識が戻って目を開けると、自分が砂地で横になっているのがわかった。いや、ただの砂地じゃない。砂地の縁にある石は妙に断面が整っていて、明らかに人工物だった。そして、その奥にはまばらな木と電灯が立っていて、薄暗い曇り空の下、人工的な冷たい光が辺りを照らしている。

 俺は跳ね起きた。心臓に冷水を注ぎ込まれたような心地がする。急に意識がはっきりして、辺りを素早く見回す。よく知っている光景だ……すぐ近くに実家がある。

 周囲にいる人達は、俺の方を見てくすくす笑っている。子連れの婦人や、年下ぐらいの女の子達だ。まわりの人達の服は色鮮やかだった。つい最近まで会っていた人達とは明らかに違う。

 ものすごい寒気を覚えつつ、一方で心臓は強く拍動して熱い血を送り出し、自分のことがわけわからなくなる。全身からは冷や汗が吹き出した。それから、ふらつき気味に立ち上がって、俺は視界の向こうに鉄網でできたゴミ箱を見つけた。近づき、その中を漁る。周囲のヒソヒソ声が聞こえてくるようだったけど、気にしてなんかいられなかった。

 そして、俺は新聞を引っ張り出した。何かの飲みかけで少しぐしょぐしょになっているけど、構うもんか。

 最初に目についた記事は、知らないニュースだった。昔のニュースなんてそうそう覚えているものでもないけど、目にする記事のすべてに、一切の既視感を覚えない。

 一通り記事に目を通した俺は、恐る恐る発行年月日を確認した。すると、それを目にした次の瞬間に、俺は駆け出していた。俺が死んだ日から、一年ほど経過している。その事実に妙な現実味を覚え、何かに急き立てられるような気持ちだった。


 当てもなくその場を駆け出すと、周囲の人々の視線が突き刺さった。俺が着ているのはあっちの世界の衣服だけど、そこまで変に目立つ感じのものではない。アウトドア用品店でも売ってるんじゃないか、ぐらいの格好だ。

 それでも、周りの人々の注意を惹いているような気がしたのは、俺の気の持ちようのせいだろう。生まれた故郷に帰ってきたというのに、自分の居場所じゃない気がしてしまう。知り合いに会うのが怖い。家族も、友人も、それどころか近所のコンビニの店員に会うのさえ、今の俺には恐ろしかった。何もかもを振り切るようにして、俺は走りに走った。ここではない、どこかに行きたかった。


 それからどれだけ走ったかは覚えていない。ただ、自分の家の最寄り駅を超えたあたりからは、少しずつ落ち着きを取り戻したような気がしたのは覚えている。

 走りながら、俺は1つ確かめなければならないことに気づいた。金も社会的身分もない、今の俺にでもできることに。

 走っている間、少しずつ雨が降り出した。傘なんて無い。ただ、走るしかなかった。

 そうして、少しずつ強まる雨足の中、俺は一心不乱に走って目的地にたどり着いた……霊園だ。

 一番最近に来たのは、じいちゃんばあちゃんに大学合格の報告に来たときだった。その時のことは、よく覚えている。それでも場所はかなりうろ覚えだったから、人と話すのに強い恐怖は覚えたものの、俺は係員さんに場所を尋ねた。

 その時はすごくテンパっていて、俺がまだ日本語を話せるかどうかなんて気にも留めなかった。だから、係員さんが怪訝な視線を投げかけてきた時には、心臓が止まるような思いをしたけど、彼は単に俺の風体を変に思っただけのようだった。あまり街歩きって感じではない格好の青年が、傘もささずに霊園に来ているんだから、無理もないだろう。

 でも、俺の差し迫った感じが伝わったのか、係員さんは丁寧に案内してくれて、置き傘まで貸してくれた。思わず泣きそうになって……いや、抑えきれずに普通に泣いた。自分でも驚くくらいに、不安定になっているのがわかる。

 それから少し落ち着いた俺は、霊園の管理事務所から退出して、家族の墓へ向かった。近づくほどに、足取りが重くなるのがわかる。道は大した段差もなくてほとんどバリアフリーだし、芝もきれいに刈り揃えられている。そんな整った道も、今の俺にはぬかるみのように感じた。地から這い出す手のように、気持ちが足取りを鈍らせる。


 そうやって自分と格闘しながら、俺は一家の墓にたどり着いた。墓石には3人の名前が刻んである。俺のじいちゃんと、ばあちゃんと……最後の一文字は、すぐに霞んでよく見えなかったけど、一文字だってのはわかった。俺の、”律”の字だ。

 俺は膝から崩れ落ち、そのまま地に突っ伏して動けなくなった。涙が止まらない。単に戻ってきただけじゃない。どうしようもなく重く、冷たい現実を突きつけられたようだった。

 雨はやまずに降りしきり、無慈悲に俺の背を打ち付ける。そんな激しい雨の中、俺はいつまでも嗚咽を漏らし続けた。自分という存在の熱が、雨に持っていかれて無くなってしまいそうだ。自分のことがわからなくなる。


 1つはっきりしているのは、この墓石の下にかつての自分がいることだ。では、今の俺は何だ?

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