第196話 「掃き溜めの命②」

 私が放った紫の火砲は、大蛇の頭部で炸裂した。でも油断はできない。呼び出した主の、怯えてすくむ様子が、魔獣の異常性を物語っている。

 不穏な気配を前に、私が剣を両手で構え直すと、紫の爆炎の中から大蛇が飛び出してきた。爆発で頭部がいくつにも裂け、輪のようになった口の奥に暗い赤紫の闇を見た。

 全身を縮めてから溜め込んだ力を放つかのような突撃に対し、私は横に飛び退いた。正面から受けきれるようなものじゃない。敵から私までの距離は十分にあったはずだけど、瞬く間にその間合いを詰めてくる。

 それに、大蛇の突撃は単に力を爆発させたものじゃなかった。4対の黒い翼を穏やかに波打つように動かし、奴はまっすぐ滑らかに空を進んでいく。ただの威嚇じゃない、飛ぶための翼が奴にある。

 そして……もうすぐ奴がすぐそばを通りかかる、そんなタイミングで私は、奴の翼に微かな藍色のマナを見た。咄嗟の判断でさらに距離を取ろうとするものの、見えない刃が私をかすめ、左の頬にほんの僅かな刺激が走った。黒さに隠れて見づらくなっているけど、奴の翼には藍色のマナが通っていて、それが翼の先にまで伸びる見えない刃になっている。藍色の魔法の、空刃エリアルエッジと同じようなものなのだと思う。

 そうやって最初の突進を回避された奴は、真っ黒な空の中で悠々と白い巨体を翻し、再びこちらに頭部を向けた。信じられないことに、奴の頭部の再生はほとんど終わっている。表面で赤紫の泡が細かく立っているようだけど、爆ぜて内部が見えていた頭も、今では蛇の形貌なりかたちをしている。

 そして、今度は空から狙いすました滝のように襲いかかってきた。翼の広さを考えると、見た目以上のリーチがある。ギリギリで避け続け、細かい傷を作って消耗するわけにも行かない。できる限りの距離を取りつつ、私は紫の矢を放って応戦した。

 しかし奴は、まっすぐ飛び込むようなことはしなかった。空中で身をよじって方向を転換し、避けようとした私目掛けて急降下を掛ける。でも、曲がってこれるだろうとは思っていた。申し訳程度に矢を放って牽制しつつ、私は反撃のために精神を集中させた。

 そして……奴が地面すれすれで首を持ち上げ、翼の刃で薙ぎ払おうとしたその瞬間、私は空歩エアロステップを使ってその翼の上の空を踏んだ。足の下すれすれを駆けていく翼は、奴が薙ぎ払うような動作を見せたおかげで、円弧のような奴の体勢の外側にある。おかげで、内側よりも幅広な攻撃だけど、翼の密度は低い。足元のすぐ下を通過していく4つの翼の、最後の1つに狙いを定める。

 そして、空から軽く跳躍した私は、翼の根本に剣を突き立てた。翼を薄く覆う藍色のマナと、私のリーフエッジに通した紫のマナが激しく格闘し、2色のマナの閃光がほとばしる。

 目もくらむような閃光が止むと、根本を断たれた黒い翼が勢いそのままに飛んでいった。それから、翼はバラバラの黒い羽になって散り、地に落ちた羽は黒色を失って白い砂へと変わっていく。

 でも、翼を1つ失った大蛇は未だ健在だった。翼の喪失を全く気にせず、再度空で身を翻してから同様の突撃を敢行する。私は一度反撃をやめ、回避を優先しつつ奴の状態を注視した。翼があった根本から、とても細い赤紫の光が伸び、翼の骨格を作り出している。やがて、骨組みだけだった翼に赤紫の瘴気が通って、翼らしい形を作り上げていく。何度も続く突撃を避けつつ、再生途中の翼に火砲を放っても、再生は止められなかった。

 翼への攻撃は無意味に感じられた。もしかしたら、再生にも限度があるのかもしれないけど、それより先に私の気力が参ってしまう気がしてならない。だからといって、本体への攻撃も効果の程は期待できない。不意打ち気味だった頭部への最初の一撃も、すぐに再生されてしまっているから。集中して連撃を加えようにも、私の反撃を気にせずに向かってくる奴に対し、私はきちんと避けなければならない。その差があって、私は連続した攻撃を加える機会を奪われていた。

 でも、もっと威力のある攻撃を加えれば、あるいは……。

 何回目かわからない急降下からの攻撃を、私は奴の正面から迎え撃つ。そして、交差の瞬間軽く飛び上がり、私は奴の胴の中心目掛けて魔法陣を書いた。この騎槍の矢ボルトランスは、魔法陣に蓄えたマナを、至近距離での威力と勢いだけに特化させている。使うタイミングを選びすぎて、あまりに実戦的でない魔法だけど、決まったときの破壊力は絶大だ。

 魔法陣から飛び出た紫の突撃槍は、一瞬で奴の胴を貫き、地に重い衝撃を響かせた。この一撃で奴は動きを止め、杭を打たれた状態になった。


 奴の動きが止まり、一瞬だけ静かになった。すると、少し離れた所から私を呼ぶ声がする。どうやら小型の魔獣との戦いが終わったようで、衛兵の方々が私の加勢に来てくれている。

 しかし……足元の巨体がうごめき、反射的に私は、「下がって!」と叫んだ。そして、私は飛び上がって奴との間合いを確保しつつ、火砲を何発も放った。土煙と紫の爆炎が上がる。そんな中、胴の中央を槍で貫かれた大蛇は、貫かれた箇所から尾に向けて体を2つに裂いた。そして、何事もなかったかのようにゆるゆると前進し、やがて火砲の傷を癒やすののついでみたいに、裂かれた体を撚り合わせて元の体を取り戻した。

 手立ての一つ一つが潰される中、大蛇の無表情に余裕のようなものを感じた。そして、自分が少しずつ追い詰められていることも。外部からの攻撃では殺せない、そう直感した。しかし中から殺すには、どうすれば……。

 少しだけ、閃くものがあった私は、リーフエッジを鞘に収めた。代わりに反対の鞘から抜いたのは、ごくごく一般的な鋼鉄の剣だ。少し細身になっている以外に取り立てて特徴のない、普通の剣で……使い捨てるにはちょうどいい。私は空中で向きを変える奴に目掛け、剣を投げつけた。

 投げた剣は一直線に飛び、奴は口を開け、飲み込んだ。次の瞬間、金属を力づくで押したり引いたりして捻じ曲げる、激しい音が響き渡った。剣を飲み込んだ奴は、それから特に変わりなく飛び込んできて、私を翼で切り裂こうとする。

 私は、私の戦いを見守っていてくれている方々に、「予備の剣を!」と叫んだ。すると少しだけ遅れて返答の声があり、草むらに鞘に収まった剣が落ちる音が続いた。私は衛兵の方々を巻き込まないよう、留意しながら追加の武器を回収していった。

 それから、突撃を回避しつつ剣を投げつけていく。すべて奴の暗い口の中に飲まれ、耳をつんざくような金属の断末魔と化した。みなさん、私がヤケになっていると思っているかもしれない。でも、これで良かった。

 いくつか剣を投げ終え、残りの2つを予備にと考えた私は、いよいよ本命の攻撃に移る。疲労感を全く見せない奴の突撃を、空歩も使わずすんでのところで回避し、隙を晒した奴の後背に私は紫の稲妻を放った。紫電の鎖チェーンライトニングは、奴が飲み込み粉々に砕いた剣の破片を橋頭堡にして、何度も何度も体内を連鎖する。奴の白い巨体の内側から、激しく光る紫の網が浮かび上がった。

 奴は体内で反響するような稲妻の嵐に、巨体をのたうたせた。規律のあった体と翼の動きも、今では無闇に動き回るばかりだ。奴が地に頭や尾を打ち付けるたび、軽い地響きが起こる。

 でも、まだ決着はしていない。このまま続けても致命打にならない予感がある。一方で、左手から放ち続ける稲妻が切れれば、奴が立ち直るという直観も。もう一つ、決め手が必要だ。

 暴れまわる奴の動きに巻き込まれないよう、注意して私は進み、予備の剣の1つを手にとった。そして剣の内側に意識を集中させ、注ぎ込んだマナを橙と赤に染める。すると、剣は煌々とした朱色の輝きを放ち始めた。剣を構えた手に強い熱を感じさせるくらい、マナの力が刃を駆け巡っている。

 現状、大蛇の動きを抑えるのと右手の剣にかなりのマナを使っている。でも、もうひと踏ん張り必要だった。のたうち回って鋭利な翼を振り回す、見境のない刃の乱撃を避け、胴の中心に一撃を与えなければ。

 私は力を振り絞り、空歩を展開して奴の上空を取った。すると、暴れまわる動きの中心は意外にも静かで、まるでそこを守るための動きのように感じる。

 意を決した私は、その中心目掛けて剣を突きおろした。赤熱した刃が奴の表皮に触れると、ジュッという蒸発音が聞こえ、それから金属の破断音が聞こえた。熱に耐えきれなくなって、手にした剣はもはや刃を失っている。でも、これで良かった。刃は奴の体内にあるのだから。

 これからもっと強くなるはずの、奴の暴走に備えて、私は全力でその場を離脱した。空歩も使いつつ、なんとか些細な切り傷のみで切り抜けた私は、少しふらつきながらも奴に向き直る。

 赤い灼熱の刃を体内に埋め込まれた奴は、切り口から薄い赤紫の噴煙を上げている。そして、奴は刃を体外に出すために大きく体を動かそうとし、私は稲妻で更に強く締め上げた。刃を外に出すことも叶わず、今度はその刃が体内で砕けた。白い表皮の奥が透けて見えるほど、砕けた鉄の欠片は未だに強い熱と光を放っている。

 そして、体を再生させようとするマナの動き、傷をかばおうとする肉の動き、稲妻への抵抗……様々な力が入り交じり、奴の内部の統制が取れなくなった中、砕けた赤い鉄片は隅々まで行き渡っていって、それが奴の体により一層の混乱をもたらした。

 やがて、最後の時がやってきた。体内の混乱が破局的なものになり、自らの身体を維持できなくなった大蛇は、最初に翼から崩壊していった。黒い羽が少しずつ抜け落ち、白い砂に変わる。それから、白い巨体の崩壊が始まった。撚り合わせた紐を解くように体がバラバラになっていく。その様は、自己の崩壊と引き換えに、内部を責めさいなむ熱からの解放を喜んでいるようでもあった。

 次第にバラバラになっていく小片に対し、私は紫電の鎖を放つ。すると、崩壊している奴の体内から姿を表した、鉄の破片を中継にして稲妻が何往復もし、通り道にいた奴の肉片を赤紫の霞へと蒸発させた。

 そして、大蛇は完全に消滅した。少し距離が空いたところで、歓喜に湧く声が聞こえる。


 でも、私の戦いはまだ終わっていない。最後に残った鉄の剣にマナを通し、朱色の光を放ちながら、私は生き残りの魔人に近づいていく。剣の放つ光に照らされたその魔人の顔は、最初、驚愕で呆然としたものだった。それが、私の接近に気づくなり、恐れに満ちたものに変わっていく。

 その魔人の見た目は、あらためて見ても、こどもにしか見えなかった。その事実が、剣を構える右手を震わせる。様々な言いようのない感情が渦巻くのを自覚しながら、なんとか落ち着いて私は奴に切り出した。


「これからいくつか質問をします。正直に答えなければ、内側から焼き殺します」

「ひっ、ひぃ……た、たす、けて」


 その態度は、この期に及んで命乞いをしているように見えた。現実をわからせるため、自分の決心をつけるため、私は赤熱した刃を奴の鼻先に突きつけようとする。すると、奴は立ち上がって逃げようとした。

 背を向けて一心不乱に逃げようとするその背に、私は魔法を撃とうと右手を構え、一瞬だけ胸に強い痛みを感じた。こんなの、勘違いした良心だ。引き留めようとする弱さを振り切り、私は奴の足に紫電の鎖を放った。稲妻は奴の右足を捉え、それから私のイメージに沿って左脚を回り込み、ちょうど足かせのようになった。顔から倒れ込み、こちらに身を向けた奴に、私は再び歩み寄っていく。

 憔悴しきった様子の奴は、もう逃げる気力も失ったようで、せめて苦しまないようにと懇願してきた。

 しかし、苦痛を味わわない引き換えとしての情報は、奴の口からはさほど語られなかった。作戦の中枢には関わっていないそうで、目的などは聞かされていないという。その言葉自体は信じられるものだった。私に向けてみせる、恐怖の表情に偽りを感じなかったから。


「では、なぜ予告の日時通りに攻めなかった? お前たちが動いた目的は?」

「そ、それは……」

「答えなさい」

「……それは、日時まで待つのが暇だからって。それで、手柄を立てれば文句も言われないだろうって。だから、指示を無視して早めに動き出したんだ」

「手柄?」

「……王都にちょっかいを掛けて、それで揺さぶってやろうって」


 攻め落とすほどの考えじゃなくて、威嚇や挑発のつもりだったらしい。

 実際、王都に侵攻するにしては、戦力が粗末すぎる。目の森で戦った魔人は、自らの瘴気で魔獣を操り、身体を強化し、強力な魔法まで操ってみせた。それに対して今回の連中は、できることの数でも質でも、あのときの魔人にかなり遅れを取っている。今回の襲撃に関わる全ての魔人が同程度ということはないはずだけど、寄せ集めという見立ての裏付けのようには感じた。

 他に得られた情報は、首謀者の名前ぐらいだった。その者はデュランと呼ばれていて、あの魔法庁にいた内通者と同じ名前だ。それ以上の情報は、本当になかった。

 もう聞き出せる情報がなくなり、いよいよ最後の時が近づくと、目の前の幼い魔人は命乞いを始めた。


「い、嫌だ……死にたくない!」

「黙りなさい」

「なんで僕を殺そうとするんだよ! もう悪いことしないから! それでいいだろ!?」


 信じられるわけがない。

 私は魔人の国のことを詳しく知らない。奴は無理強いされていたのかもしれない。この作戦に関しても、命令を無視したことも。でも、奴が大きな魔人に混じって人々を苦しめていた事実は、決してごまかせない。

 消え入りそうな声で「どうして」という奴の前に、私は赤熱した剣を突き立て、代わりにリーフエッジを抜いた。せめて、苦しまないように。そんな最低限の慈悲のために剣を抜いたけど、戦場では自分の半身のように感じているこの剣を、こんなことのために使うことには強い苦痛を感じた。

 でも、約束は違えてはならない。それがたとえ、どんな相手だったとしても。相手への慈悲のため、私が交わした約束のため、私は幼い魔人を一太刀で切って落とし、果てさせた。

 切ってから何秒間か、何も考えられなかった。ようやく思考が戻ってきたときには、頬を涙が濡らしていた。涙を流してしまう理由はいくつもあったけれど、色々な思いが混ざりすぎて、自分の心を掴めない。

 そうして少しの間、私は立ち尽くしていた。でも、まだ1つ終わっただけだった。今夜、先の見えない闇の向こうに、まだまだいくつもの戦場がある。

 目元を袖で拭った私は、後ろに向き直って衛兵の方々に駆け寄った。彼らが囲んでいる中に、一番攻撃を受けていた方がいる。心配になった私は、彼らの輪の中に混ざって腰を落とした。

 最初、倒れたまま魔人から矢を射たれ続けていた方は、脚を重点的にやられていた。何度も矢を受けて全体が腫れ上がった両脚は、触るのもはばかられるくらいで、確認はできないけど骨も折られているのだと思う。

 命の方は無事だったけど、でも、また歩けるようになるかどうか……暗い気持ちになった私を、彼は優しく少し明るい声で励ましてくれた。


「いいもん見させてもらいました。誰にでも見られるってもんじゃないすよ、コレ」

「……そうですね。とびきり勇敢な方じゃないと」

「へへ」


 彼は笑顔になってくれたけど、あたりに少しでも強い風が吹くと、彼は脚に触れる風に痛みを感じて顔をしかめた。

 そうやって苦しそうにする彼と目が合い、彼は急に作り笑いをした。それにちょっと無理して微笑んでから、私は視線を上げた。暗い闇の向こうが、どうなっているのかはわからない。敵がもはや統制も取れてないのだとしたら、そこかしこで遭遇戦が始まっている可能性はあるし、もしかするとこちらの方々がまた別の敵と遭遇する可能性だってある。頭の中で様々な可能性が駆け巡った。

 そして、私は決心した。「前に進みます」と宣言すると、みなさんはうなずき、言葉の代わりにほうきを私に差し出した。無理をさせてしまったけど、特に別状はないように見える。またがって試しても、支障はないようだった。

 私は「行ってきます」とみなさんに声をかけた。すると、口々に激励の言葉が飛んだ。そんな言葉に戦意を新たにして、私は空へ駆け出した。


 すべてを救うことはできない。だったら、私にできるのは、より多くを助けることだけだ。そのために本営に合流して状況を把握する。それから、一番厳しい戦場に飛んでいって、みんなを助ける。

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