第190話 「開かれた戦端」

 2月7日夜半に王都へもたらされた凶報は、大きな衝撃となって民衆を襲った。

 配置についた部隊の1つが、予告の日を待たずして魔人の襲撃を受け、現在交戦状態にある――その報はまず、現地本営との連絡を担っていた者から、国家上層へ対応を求めるべく官署の役人の元へ伝わった。そして、官署からは国防関係の会議参加者達へ。

 その連絡が伝わる過程で、官庁周りの動きは、それを注視していた者達の目に止まった。不安に駆られた彼らは不確かな情報に憶測の尾ひれをつけ、それがとめどなく王都に伝播していく。

 会議の招集がかかって一同が議場に会するより早く、混乱は燎原の火のように王都を侵掠した。そこで、平民の官吏に会議を任せた上で王侯貴族が王都に繰り出し、衛兵隊や魔法庁職員に混じって人心の慰撫に務める運びになった。流言飛語による騒動であるとはいえ、処罰すればかえってその後の反応の予測がつかない。怖じるままに抑制なく動く民衆を前に、治安の番人達は歯噛みした。

 敵との約束が破られたことは、何らかの仕掛けや罠の兆候ではないか――そんな疑心が民衆の間を駆け巡る。そういった考えが、王都への攻撃の可能性にまでたどり着くと、街路で往生する民衆の不安に火がついて爆ぜた。混迷を極める街路の騒動に、何事かと建物から顔を出す民衆に、さも事実であるかのように憶測を語る民が仲間を作っていき、混乱は加速する。



 最初に交戦状態に陥った、集落からわずかに離れた平原に、金属同士を力強く打ち付ける衝撃音が響き渡る。その音は激しく、間断が無かった。激しい音が止まず鳴り響くことに、魔人と対峙する人間たちは、恐怖と一緒に妙な安堵も感じていた。友はまだ無事なのだ、と。

 音の発生源は、ハリーとその相手の魔人だった。屈強というほどでもないその魔人は、ハリーよりも少し背丈が低いくらいだったが、手にした凶器はその戦場の誰よりも大きい。成人男性の背丈にも等しい巨剣を、魔人はまるで重さがない物体のように振り回す。その巨剣がハリーに向けて振り落とされて、やっと思い出したかのように重量感のある衝撃が生じた。

 魔人の攻撃は、傍目には力任せと言うしかないものだった。巨大な剣を振り回しているだけだ。しかし、その一撃一撃は、生半可な腕では威力を殺しきれるようなものではない。小手先の技を交えず、愚直に体力と精神を砕きに来るような攻撃の嵐は、洗練されてはいないかもしれないが、合理的だった。

 そんな激しい攻撃の連続を、ハリーは持ち前の冷静さと技巧で受け止め、受け流して永らえていた。攻撃を受け続けた剣は鞘をつけたままで、今や見るも無残な状態になっている。

 鞘をつけて受けるというのは、ハリーの咄嗟の機転だった。いざ反撃に移ろうにも、刃が欠けていては話にならない。それに、持ち主の代わりに身を砕かれる鞘が、割れたりひしゃげたりすることで衝撃をうまく分散し、持ち手の負荷を軽減してくれていた。

 中々倒れないでいるハリーに対し、魔人は剣を打ち据えるたび、その顔に歓喜の色を浮かべていった。想像以上の使い手ということなのだろう。表情に表れ出た喜びが体に巡ったかのように、魔人の体表に赤紫の紋が走って怪しげに輝き、連撃はさらに重く、それでいて加速していった。上下左右の斬撃を受け、たまに繰り出す突きをかわしながら、ハリーは額に汗をにじませ、ほんのわずかに笑った。自分では勝てない相手かもしれないが、食いついてくれるなら好都合だと。


 開戦の発端は、当該集落の伝令の報告だった。部隊が配置された日の夜、魔人が数体こちらに向けて動いているという報告に、住民を巻き込むまいと偵察も兼ねて集落を出たところでの交戦だ。

 人間と魔人のそれぞれが互いに姿を認めたところで、巨剣を背負った先頭の魔人が先陣を切り、ハリーに向かって斬撃を繰り出した。おそらく、彼の体格と物腰から、彼が隊長格と判断したのだろう。あるいは、単に手応えのある敵と認めただけなのかもしれないが。

 人間側のリーダーは、白兵戦に相応の覚えはあるものの、持ち味は魔法の撃ち合いと判断力にあった。そんな彼とは相性の悪そうな肉弾特化の魔人がハリーに向かい、見るからに危険な一撃をハリーは無事いなす。その事実によって、隊長とハリーの思惑が言葉はなくとも一致した。ハリーを見せかけの隊長役として、相手の隊長に当てようと。


 そんな急場の役割分担があって、激しい衝突音が響く一騎打ちから少し離れたところでは、少人数での集団戦が展開されていた。人間側は剣を使える魔法使い5人、対して魔人は2体だ。

 しかしながら、数の利は魔人側にあった。背が低い魔人が、人間たちとの間に赤紫の霞を見せつけるようにして発生させ、それに警戒して距離をとったところで、霞に金の硬貨を投げ入れて魔獣を生成していく。

 発生途中で妨害しよう、そういう目論見でボルトを放つも、魔人が同時に投げ入れた硬貨の数は多く、一気に倒しきれるものではない。

 そこで隊長は魔力の火砲マナカノンを魔獣の群れに放った。群れの中心に放たれた青色の弾は、地に触れるなり炸裂して鳥獣たちをひるませ、彼らの体の一部を消し飛ばした。その追い打ちに矢が乱れ飛んで一掃する。

 タイミングさえ合えば、火砲カノンで掃除はできる。しかし、発生のタイミングをずらされたりすれば、有効な一撃にはならない。そして一度乱戦に持ち込まれれば、火砲の使い時はなくなるだろう。数で押そうとして、同時展開に固執している相手のやり方が、今は絶妙な追い風になっていた。

 だが、魔獣の始末はできていても、肝心の魔人への対処が問題だった。背丈が低い魔人が2体。その場で戦う人間達にとって、その2体の魔人は人間の子供のように見えた。

 無論、見た目に惑わされている場合ではないということは、皆が理解している。ハリーに一番危険な相手を任せてしまっていることも、彼らの戦意を後押しした。

 しかしながら、魔獣を蹴散らしていざ魔人を攻める段になると、多数で以って少数を叩くという対魔人の常套手段が、攻め手の道義心を揺らす。それでも集中攻撃はできるが、足並みが完全に揃わない攻撃は、敵の光盾シールドとフットワークで軽々と凌がれ、無為に終わるだけだった。

 それに、人間側が強く出られないことを知ってか、幼い魔人はまだまだ余裕がある素振りを見せていた。魔獣の展開を阻止されても、出てきた魔獣が容易に掃滅されても、慌てた様子を見せない。心の中で揺れ動くものを抑えきれない人間たちにとって、目の前の幼い魔人が見せる、余力の有りそうな雰囲気が不気味で、そして忌々しかった。


 そんなやりとりがいくらか続いてから、辺りに馬のいななきがかすかに響いた。「遊んでないで片付けろ!」と巨剣を振り回す魔人が叫ぶと、幼い魔人は仕方ないとばかりに困ったような笑みを浮かべ、ありったけの硬貨を霞の中に投げ入れた。

 やがて雲霞のごとく襲いかかってくるであろう魔獣の核に対して、隊長は火砲を立て続けに撃ち続ける。しかし、敵の硬貨はまだまだ尽きずに霞の中へ投げ入れられては、霞をまとって魔獣の姿を取り始めた。

 すると、音もなく飛来した物理の矢が、できかけの魔獣に突き刺さった。撃てば当たるという密度かもしれないが、矢は魔獣の核を射抜くかのように、その体を貫いている。

 馬はまだ遠い、はずだった。それでも矢は度々飛んできて、多くは魔獣を射抜いて、一部は魔人の足元に突き刺さった。単なる威嚇にすぎないかもしれないが、まだ姿がはっきりと視認できない闇の奥から襲いかかる矢に、幼い魔人たちは表情に恐怖の色を示した。

 物理の矢を嚆矢として、勇気づけられた人間側が攻勢に出始めた一方、魔人の隊長であろう巨剣の主は、「くそ、時間切れかよ」とつぶやいた。そして、それまで振るっていたよりも更に力強く剣を大上段から振り下ろし、それと同時に剣を構えた手の指から、赤紫の魔力の矢マナボルトを放ってみせた。

 おそらくは、自信がある剣術だけで雌雄を決しようという腹だったのだろう。それを諦め、始めて見せた斬撃と魔法の同時攻撃を、ハリーは光盾と鞘で見事に受け止めた。粉々に砕かれた光盾と鞘の破片が宙に舞い、相手の魔人は口笛を吹いて好敵手の反応を称えた。

 その本気の一撃の後、遠くから魔人めがけて橙色のマナの矢が飛来した。そのときになって始めて、魔人はハリーから距離をとって光盾を構え、矢を足でかわしつつさらなる攻撃に備える。明らかに増援を警戒しての動きだが、ハリーはなおも相手への注意を解かなかった。一瞬でも油断すれば、その隙を突かれるだろう。増援の到着を意識しつつも、安堵による緩みを一切見せない気構えが、彼をここまで永らえさせている。


 魔人は橙の矢が飛んできた先に視線を素早く走らせた。馬が何頭か見える。そこから物理的な矢が飛んでいるのも。

 馬は、それ以上は近づいてこない。接近を察知されたからだろうか。それ以上の仕掛けがないことが、それまで喜悦満面で戦っていた魔人の顔を曇らせた。魔人がハリーに視線を戻すと、彼は相変わらずの鉄面皮だった。

 そして、魔人の背に衝撃が走った。慌てて振り向くと黒尽くめの服に褐色の肌の女性が立っている。急な出来事に狼狽しつつも、魔人はその女性の全身を素早く確認した。彼女の足元の草が、藍色の光を受けて微妙に輝いている。

 魔人は、ハリーの方に視線をやった。それまで何を考えているのかわからないほど冷静だった彼の顔だったが、今度はわずかに口角が上がった。魔人は叫んだ。「くそ、見てたんじゃねえか!」

 増援のラナレーナは、馬上から橙の矢を放つと同時に馬から音もなく飛び降り、夜陰に乗じて魔人の背後を取っていた。そのときには空歩エアロステップを使って草の背丈ギリギリの高さを駆け抜けてきている。可能な限りマナの光を見せず、草を踏む音も立てない高さだ。

 背に攻撃を受けた魔人は、それ以上の攻撃を受けまいと、2人を同時に臨むような位置を取る。不意打ちを受けておきながら、なおも2人を相手取ろうという勇壮なその構えに、ラナレーナは笑った。


「ハリー、後は頼んだ」

「了解」


 後輩に後事を託し、別れの挨拶代わりとばかりに橙の矢を投げつけ、ラナレーナは集団戦の方へ駆けていく。その背に意趣返しのような矢を魔人が放つも、彼女が後ろ向きに作った光盾が阻んで相殺された。

 その技量に唖然とする間もなく、ハリーの斬撃が魔人に襲いかかる。この時に至るまで鞘の中で温存された白刃が解き放たれた獣のように躍動し、奥行きのない一点にしか見えない突きを、魔人はすんでのところで回避した。防御の力量からも想像できたことだが、攻めもかなりのものだった。

 人間側の増援は、いまや集団戦の方に取られていて、再び一騎打ちの構図に戻った。途中に邪魔は挟んだものの、防戦一方のハリーが剣を抜いて、これから本当の力比べが始まる。魔人は増援前同様の喜色を顔に浮かべ、揚々と剣を振るってハリーと打ち合った。

 剣と剣のぶつかり合いがしばらく続いてから、魔人は少し膝を曲げた。その顔には呆けたような疑念の色が浮かんでいる。その反応を見て、ハリーは浅めの攻撃による細かなフェイントを織り交ぜていく。次第に、魔人の反応は鈍く、受けが間に合わなくなっていった。

 ハリーは、一度距離をとって矢を放った。記述が見えるほどの遅い魔法陣展開だったが、魔人の光盾はそれ以上に遅い。書きかけの魔法陣を通過した山吹色の矢は、魔人の右腕に突き刺さった。そして、間に合わなかった光盾が霧散するのと当時に、魔人の体表に張り巡らされた赤紫の紋が、輝きを失い始める。

「くそ、どうしたってんだ……」自身の声が消え入りそうなものになっていることに気づき、魔人は愕然として膝から崩れ落ち、さらに体から色が失われていく。やがて、体表から白い砂がかすかに落ち始めると、魔人は小さく口を開け、音にならないおぼろげな悪態をついて地に伏し、そして動かなくなった。

 完全に色を失い、もはや白い砂の塊になった敵を、ハリーは神妙な顔つきで眺めた。それからすぐに、彼は少し離れたところで展開されていた集団戦に目を向ける。そちらも終結していたようだ。安堵に胸をなでおろしながら、ハリーはそちらに近づいた。


 勝利には違いないが、しかし場の空気は重い。仰向けになって寝ている魔人は、人間で言えば十代にも満たない背格好に見える。その2つの白い遺骸には、黒い短剣がいくつも突き刺さっていた。

 その魔人の遺骸の近くでは、矢だるまになった鳥獣が転がっていて、精一杯もがいては恨めしげに音を立てている。

 改めて、ハリーは魔人に視線を移した。遺骸に矢は刺さっていない。弓の主は、精密無比な狙いで魔獣を射止めた。何度も何度も。しかし、魔人を射抜くことは一度もなかった。

 草の上で魔獣がうごめく音に隠れて、すすり泣く声が聞こえ、ハリーはそちらに視線をやった。数名いる遊撃部隊の中で、セレナが腕を目元に押し当てている。傍らにはサニーがいて、彼も泣き出しそうな辛い表情でセレナに寄り添っていた。

 セレナは、途切れがちに「ごめんなさい」と小さな声で言った。彼女が声を向けた先に、ラナレーナがいる――短剣使いの彼女が。


「セレナちゃんが謝ることじゃないっス」

「ああ。俺達の腰が引けてたせいで……ラナさんにはご迷惑を」


 部隊の隊長を始めとして、十分に自分の役目を果たせなかった隊員たちが、口々に謝罪の念を示す。それを聞くラナレーナは、わずかに物憂げな表情をして、草むらに視線を落としていた。

 そして彼女は口を開いた。「あんたらの、そういう甘っちょろいところ、私は好きなんだけどね。まぁ、タイミングは選んでほしいけど」という言葉に、隊員たちはどう反応していいのかわからず、戸惑った。


「今回の作戦は、あんたらが前線で耐えしのぎ、遊撃で討つって感じだったでしょ。で、遊撃の中にも魔獣担当と魔人担当がいるって、それだけのことよ」

「いや、しかし……」

「誰もがやるべき仕事じゃない。無理して手を下して、あんたらが変わっちゃう方が……私は嫌だわ」


 そう言ってラナレーナは、その場に立ち尽くす一人一人に歩み寄り、頭を優しくなでていった。冒険者の中には彼女とほとんど年が変わらないか、むしろ年上の者もいたが、だれも彼女の振る舞いを拒まない。幼い魔人を誅滅した彼女のその手を、誰もが神妙に受け入れた。


「まったく、一戦終わるだけでしんみりしちゃって……おおむね無傷で終わったでしょ。少しぐらい笑いなさい」

「……そうですね、すみません」

「っていうか、あんたらこれから集落に戻って、あちらの方々を安心させないと。だったら、凹んでる暇なんてないでしょ。堂々としなさい」

「了解」


 激励混じりの命令に、隊長は顔を上げて精悍な顔つきに戻り、部下に帰還の指示を出す。そして、ハリーと視線が合った隊長は頭を下げた。


「ハリーには悪かったよ。一番ヤバげな奴を当てちゃってさ」

「いや、俺は魔獣の群れ相手だと、あまり役立てませんから」


 適材適所の配置ではあったが、その判断を自身の長所よりも短所で以って肯定する謙虚さに、隊長は暖かな微笑みを返した。ラナレーナも、ハリーの働きに賛辞を述べる。


「良くしのいだわ。偉い」

「いえ、相手が付き合ってくれたのが幸いしました」

「どっちかっていうと、あなたが付き合ってやったみたいだけどね」


 それまでのやり取りを思い返し、ハリーは苦笑いした。先程まで打ち合っていたあたりには、鞘の残骸が散らばっている。

 緒戦はうまくしのいだものの、この戦いがきっかけになって戦端がまた開かれかねない。第二波への備えにと遊撃班が離脱する前に、ラナレーナに促されてハリーは親友たちに歩み寄った。

 先に口を開いたのはサニーだ。セレナに比べれば、まだ平静を保っているように見えるものの、体はかすかに震えている。


「すみません、魔人を狙えなくて」

「いや……」


 ハリーはそこで言葉に詰まり、黙り込んだ。いくらか言葉を探したかに見える彼が、「すまん、どう言えばいいのか」と言うと、彼の後ろにいたラナレーナが助け船を出す。


「あなた達は、自分たちの役目をこなしたでしょ。それで十分よ」

「ありがとうございます」

「じゃ、そろそろ行くわ。こっちにはもう攻めて来ないと思うけど、油断はしないで」


 集落への駐留部隊に言い残すと、ラナレーナ率いる遊撃部隊は夜の闇に消えていった。

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