第191話 「俺達の最前線」
部隊の1つが襲撃を受けたのは、ある意味では想定内の出来事だった。それでも、本営は緊張感と不安で満ちた雰囲気だ。
最初の襲撃があってから十数分で、恐れていた連絡がやってきた。
最初のうちは誰かが重症を負ったという連絡こそなかったものの、連絡している暇さえないということなのかもしれない。戦闘に入った部隊からの続報がないまま、新たに戦闘開始した部隊がまた1つ増えていった。
交戦開始から数十分後、最初の戦場は遊撃部隊の活躍もあって、敵の侵攻を阻止したという報が舞い込んだ。しかし、それを喜ぶ間もなく、俺は本営隊長のシドさんに呼び出された。彼が呼び出した天幕の中には、俺達2人のほかにはラックスしかいない。内密の話があるということだ。
行軍中、穏やかで緩い雰囲気を漂わせていたシドさんは、今は完全に有事の状態だ。張り詰めた緊張感を漂わせて、彼は静かに「倒れて身動きができなくなった者がいる」と言った。
それは、誰かが瘴気に包まれて行動不能になっているという符丁だ。あまり軽々しくは明かせない俺の任務について、シドさんは上から知らされていて、必要があれば内々に指示を出す。今がその時ということだ。
「わかりました」と言って出撃しようとする俺を、彼は呼び止めた。その表情は、こんな状況にも関わらず少し優しげで、申し訳無さそうにも見える。
「大変な任務を押し付けることになってしまって、本当に申し訳ないと思う」
「いえ、自分で決めて受け入れたことですから」
「……とりあえずは、自分の身の安全を最優先に。救助に囚われすぎず、攻勢に回ることも視野にいれるんだ。いいね?」
「はい」
言葉をそのまま受け入れるなら、至って普通のアドバイスだったけど、その奥には「無理そうなら見捨ててでも生き残れ」というニュアンスを感じた。
救助それ自体も、もちろん重要な任務だ。でも、もっと大きな物を背負っているように感じる。ほうきやベストに、色々な思いや未来が託されて、今俺がここにいる。
「出撃します」とほうきを握りしめて宣言すると、シドさんとラックスはうなずいて俺を見送った。
天幕から出た俺は、さっそく連絡係の子に声をかけ、例の要救助者の位置を地図で教えてもらった。ほうきで飛べば、十数分ぐらいの位置だ。しかし、それは全力で飛べばの話だし、バイク並みの速度を無免のノーヘルで夜間飛行することになる。少しでも手元が狂えば、救助どころではない。
一刻を争う事態の中、心は焦りや緊張、不安にかき乱されたけど、ほうきを握りしめた右手はまったく震えなかった。そのことを意識すると、心に占めた悪いものが消え失せ、夜の闇が今では澄み切って見えるようになった。
そして、俺はほうきにまたがり、連絡係の子の視線と声援を背に受けて飛び立った。
夜空は雲に覆われていて、星の明かり1つない。そんな中をほうきで疾走することには、少なからず恐怖を覚えた。そんな中、指につけた明かり代わりの
明かりがない事以外にも、恐怖の原因というものは自覚がある。飛び立ってから現場に届くまで、俺には追加の情報はもたらされない。どちらで事態が急変しようが、今の俺には知る手立てがない。そのことも俺を戦場へ急き立てる理由の1つだった。
飛び立ってから少し経つと、奥行きのある闇の向こうでチカチカと戦闘の光が瞬いた。その色とりどりの光は、赤紫の頻度が多い。光の発生頻度が増えて見え、目に届く光量も多くなるに従って、心拍が跳ね上がり体が火照っていく。
やがて、はっきりとした赤紫の霞が見えた。ちょっとした小屋ぐらいの規模だ。魔獣の発生源として使われるはずの瘴気だけど、その周囲に魔獣の姿は見えない。あの中に誰か倒れているんだろう。
一瞬、高度を上げて全体を見るべきかどうか悩んだ。しかし、そうすれば悪目立ちするだろう。飛んでいる間は満足に魔法の記述ができない。そんな中、敵方の注目を引いてしまえば、もしかすると無抵抗のまま倒されてしまうかもしれない。そうなったら後にも響くだろう。
それに、目の前の瘴気の奥で人影は見え隠れするものの、どうやら瘴気は戦場の末端にあるようで、周囲には人も魔人もない。このまま瘴気の中に余計な細工をせず突っ込めば、相手にはほうきの存在を悟られないかもしれない。後は、突っ込んでから対応すればいい。
あまりに行きあたりばったりな動きではあるけど、瘴気への救護対応マニュアルなんて無い。それと空中からの救助の手引も。この世界における戦闘の技術史のうち、1つの最前線を俺が今駆け抜けているんだ。
俺は意を決して瘴気の近くへほうきで飛んでいき、急制動をかけて地に降りた。それから殺しきれない勢いそのままに駆け出して、俺は瘴気の中へ突入する。瘴気の中に入るとすぐ、頭の中を直接叩かれたみたいな不思議な衝撃が走った。しかし、それはすぐに収まり、胸周りからはかすかにパチパチと音が聞こえた。工廠のみんなから託されたベストは、きちんと機能してくれているようだ。
それから瘴気の中心へ進むと、俺と同じぐらいの年の冒険者が、仰向けに倒れていた。瘴気の奥でかすかに見える人影に向け
その声が耳に届くのとほぼ同時に、双盾にマナの塊が叩きつけられ、相殺しきれない衝撃がこちらにまで響いた。瘴気の向こうでは、少し高い笑い声が聞こえる。
使われた魔法は、おそらく
もっとも、人間と違って単独で動くことが多いという魔人では、特に禁止されていないようだし――そもそも法があるかどうかもあやしい――大勢を殺傷するには向いているということで、むしろ好まれているようだ。それを今実感した。
この瘴気に取り込まれれば、簡単に身動きが取れなくなってしまう。そして、不用意に助けに入ろうとすれば、自分も動けなくなるか、あるいはこうやっていい的になるだけだ。というより、相手は瘴気の中でも動ける”ちょっと上等な奴”を仕留めようと、芋づる式に事を運ぼうとしているのかもしれない。
改めて双盾を構えつつ、俺は要救助者に目をやった。彼は手で俺を追い払おうとするジェスチャーをしている。続いて瘴気の向こうに視線をやる。ぼんやりした影は、その場を動こうとしない。圧倒的優位にあるからだろう。
厳しい状況の中だけど、頭の中は妙に冴え渡っている。心臓が力強く送り出す血液みたいに、様々な考えが脳裏を駆け巡った。
あまり長い時間はかけられない。俺のベストがいつまで持つかもわからないし、助け出すべき彼の体力も心配だ。それに、相手が俺のことを舐め腐っているこの状況が、ある意味ではチャンスだった。今のうちに有効な手を打つことができれば……。
しかし、安直に双盾を構えつつ、彼を担いでいくというのは論外だ。瘴気から出れば、敵がすぐ気づくだろう。目を離した隙に離脱という手も、この様子では使えそうにない。
そうやって考え事をしていると、またも
それが逆に、俺の闘争心を駆り立てた。瘴気の外で戦う仲間たちも、火砲の衝撃音を聞くたびにつらい思いをしているのだろうか。瘴気の中で倒れた仲間を放置するのが合理的な最適解だとわかっていても、仲間を見捨てたという負い目に苛まれているのだろうか。
瘴気の向こう側で、俺達をいたぶるように断続的に火砲を放ってくる奴を、俺は睨みつけた。その視線が届いたのかは定かじゃないけど、奴は「諦めたらぁ?」とこどもみたいな声で言った。
俺は意を固めた。こちらも火砲で攻めてやる。
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