第184話 「宣戦布告」

 2月4日早朝。王都へもたらされた急報は、国を揺るがした。伝令が一昼夜駆けて持ち帰ったその報によれば、王都から西南西へ徒歩2日ほどの距離にある近郊集落の1つが、魔人の集団による襲撃を受けたという。

 また、襲撃の頭目は伝令に声明文を持たせていた。きたる2月9日夕刻に、添付した地図記載の各集落を同時に攻撃するつもりである、と。



 2月4日9時、フラウゼ王国王都大議事堂。早朝に届いた凶報への対処のため、国防会議に名を連ねる面々が緊急招集を受けていた。

 衛兵隊を始めとして軍関係の方々は、現場の指揮官クラスの方から後方の軍政官に至るまで、かなり平静を保っているように見える。一方で、民政に携わる方々の多くは動揺を隠しきれずに浮足立っていた。特に、先月初旬の会議で次の戦いへの備えを軽視されていた方々や、都政に関わる文官の方々の狼狽ぶりは、見ていて痛ましいほどだった。

 招集された会議の定刻になっても、なおざわめきが収まらない議事堂に、「静粛に」と厳かでよく通る声が響く。すると、水を打ったように静まり返った。誰よりも落ち着き払った様子の殿下が、議事堂の議長席におられる。

 陛下は、やはりおられない。でも、陛下不在の中で殿下が指揮を執られることに、異議を申し立てる人など名乗り出たりはしなかった。お言葉1つで場を掌握するカリスマ性を、その場の全員に示されている。

 少なくとも表面上は静かになった中、殿下は「まずは、最初に決めることがある」と切り出された。「予告のあった箇所のうち、どれだけ守るか……ですな」と軍政の高官の方が、かなり重苦しい口調で尋ねられると、殿下は静かにうなずいて肯定された。

 そのやり取りに場は騒然となり、民政に携わる方々から怒声が上がった。互いに違う言葉を使っていて、音が混ざりあってよく聞こえはしないけど、誰もが全てを守りたがっているように聞こえる――いえ、きっとそうなのだと思う。

 再度、殿下が声を上げられて場が静まってから、殿下は「では聞くが、その全てのためにどれだけ王都の守りを外に向けられるか? 私が聞きたいのはそこだ」と尋ねられた。空気が割れるような緊張感が走る。先程まで大声で叫んでいた方々は、二の句も告げられずに黙りこくっている。


「……この動きが陽動では? 本命は王都への再攻撃にあるのでは……」

「そう思わせておいて外の守りを疎かにすれば、民心は離れるだろう」


 殿下の指摘に、疑念を提起した官吏の方は押し黙って着席した。

 結局の所、この戦いは私達の戦力配分を問われている。無制限に使えるわけじゃない人手を割いて、魔人と戦っていかなければならない。そして何か不手際があれば、守られなかったところの生き残りが私達を糾弾する。その声に、守られた人々の一部も迎合するかも知れない。

 王都への攻撃を懸念する声は、その後も続いた。


「外に目を向けた後で中を襲撃されてはひとたまりもありません。やはり、王都の守りは十二分に固めるべきかと」

「そういった王都偏重の姿勢が、近隣諸都市からの不興を買っていると言う事実を、貴官はご存知でないのか?」


 今度は宰相様が立ち上がって反論された。現在の国政や王政そのものへの不満と、王都至上主義への不満を結びつけようという一派が暗躍しているということは、私も聞かされている。そういった勢力が裏で魔人と組んでいるなんて考えにくいけど、そういった勢力の存在を魔人側が掴んでいて利用しようと考えているのなら、それは十分有り得る話だと思う。

 つまり奴らの攻撃は、私達の国に亀裂を入れるためのものなのかもしれない。そして、その亀裂に手を突っ込んで決定的に破局させるのは、もしかしたら私達が守るべき国民なのかもしれない。

 国政に携わる方々は、そういった都市間のバランスを考慮した上で、近郊の集落にこそ戦力を向けるべきだと主張している。一方で、都政に携わる方々は、あくまで王都の守りを優先している。近郊も都政に関わる要素ではあるけれど、彼らにとっては主題ではないみたいに聞こえてしまった。

 軍政に携わる方々も国政寄りの視点を持っているようだったけど、都政を司る官吏の方々の声高な主張に、議論が少しずつ押されつつあった。


「近郊集落につくまでの時間を考えれば、避難誘導は可能でしょう。なんとか王都へ近づけて防衛線を短縮できませんか」

「王都には国民のみならず、王室や朝臣の貴族の皆様方もおられます。高貴な方々の存続なくして国は維持できません。万一の備えこそ必要かと!」

「この動きは早晩王都の民にも伝わりましょう。彼らの人心を慰撫するためにも、十分な兵は留めおくべきかと!」


 宰相様を始めとして、国政の朝臣の方々が冷静な指摘をなされても、都政官吏の主張は止むことがなく、逆にエスカレートしているように見えた……まるで、すでに自分たちが実際の攻撃を受けていて、その反撃を自分たちが担っているみたいに。

 彼らの言う、”もしかしたら”や”人民、民心”と言う言葉は、実際には彼ら自身のためを思っての言葉に聞こえる……いえ、実際にそうだと思う。王都の民から選出されてこの場にいる彼らには、王都の民を守る義務がある。それに、文民の代表たる官吏は、つまりは民心を表す鏡なのだから。

 王国始まって以来なのかもしれない。ここまで王都が攻勢をかけられているのは。だから、都政を司る方々が慌てふためきながらも、城壁の外に目もくれずに王都の守りを主張するのも、無理もないのかもしれない。

 でも、私はそういう有様を醜いと思ってしまった。そんな自分が嫌だった。



 2月4日20時。冒険者ギルドの大会議室に集められた俺達は、昼ごろからすでに王都で持ちきりだった襲撃の件について、ウェイン先輩の口から詳報を聞いていた。


「……というわけで、国防会議の決定により、我々冒険者ギルドが各集落への防衛に回される運びとなった」


 その後も先輩の口から、今回の防衛線の布陣について大枠の説明が語られる。

 攻撃されるのが明らかになっている各集落へは、俺達冒険者が回される。出発は明後日6日の早朝だ。攻撃予告があった地帯から王都までの地域は、王都から衛兵隊を派遣して、特に人が住んでいる箇所を重点的に守る。また、冒険者や衛兵隊の集団間の空隙を、機動力のある騎兵隊がカバーして、王都への侵攻にも目を光らせるとのことだ。

 王都の直近地域や内部については、衛兵隊の一部と魔法庁職員が巡回する。治安維持に携わる両機関で、不審人物の侵入を阻止する構えだ。

 また、貴族や王族の皆様は、王都に留まって民心を安定させるのに専念されるとのことだ。だからだろう、アイリスさんはこの場にいなかった。貴族として、王都に留まるってことだ。


「あの、すみません……つまり、俺達平民で魔人とやり合うってことですか?」

「その通りだ。まぁ、無理ってことはない。落ち着いて聞いてくれ」


 いつもは少し軽い感じのウェイン先輩が、いつになく真剣な表情でそう言うと、みんな静まり返って先輩の言葉を待った。

 伝令の方の情報によれば、黒い月の夜のように、それとわかるレベルで濃密な瘴気を操る魔人は、1人もいなかったそうだ。騙すために押さえているとも考えられるけど、例の夜みたいな条件なしに出てくる魔人であれば、そこまで強力な奴は考えにくいという。


「たまに依頼で出てくる、野良魔人相当の敵だというのが軍の見解だ」

「ってことは、DからCランク級?」

「……相手が1体ならな。相手が間に合わせの数合わせで頭数揃えてるなら、もう少し弱いんだろうが……まぁ、いつもよりは厳しい戦いになるってことだ」


 野良の魔人とは戦ったことがないけど、依頼としてはたまにある。放り出されたのか出奔したのか、あるいは単に帰れないだけかは知らないけど、とにかく単体で行動している魔人が時折いるわけだ。そういう奴の討伐には、それなりの経験を積んだ冒険者を数人当てて始末することになっている。

 魔人と人間の力量差を生み出しているのは、主に瘴気だ。使える瘴気が薄ければ、常人よりも戦闘力が高い程度の存在でしかない。そういう相手ならば、人海戦術で押し勝てる。

 しかし、そうは言っても今回の戦いでは、相手側の総戦力とか各々の力量が不透明なのが難点だ。そこまで強くないだろうという見立てはあっても、実際に対峙するまでわからないのは恐怖でしかなかった。

 胸中の不安を留めおけず、部屋の中がザワザワし始めると、先輩は「悪いが、もう少し話があるんで聞いてくれ」と断った。


「Cランク冒険者で待機手当もらってる奴は、王都に留まってくれ」

「……今月支給のを辞退したら?」

「お前頭いいな」


 王都の中で待機するだけでも手当がつくというCランクからの制度は、王都の財源から手当の一部が拠出されている。その兼ね合いで、今回みたいな案件では都政からの要請に答えざるを得ない部分もあるようだけど、給付の辞退に対してウェイン先輩は許可も否定もしなかった。かなりグレーなんだろうけど、本心は待機組にも出撃してほしいように感じる。

 その後の説明は、実際の戦力配分に関してだ。作戦参加は個人の自由だし、不足があれば衛兵隊から充足するという話はついているそうだけど、とりあえずは全員参加ということで先輩は話を進めていく。

 まずは各集落の防衛部隊について。集落内で戦闘になると住民を巻き込んだり、家屋が損害を受けたりする可能性があるため、集落から騎兵を偵察に出し、敵の接近に合わせて集落から打って出る形を取る。

 また、敵の陣容がはっきりしないことと、予告どおりに攻めてくるかどうかも怪しいということから、遊撃部隊を用意する。こちらは騎兵隊から馬を借り受け機動力を確保。可及的速やかに敵を排除するため、攻撃面で定評のある人材で固める、今作戦のメインの攻撃部隊でもある。

 そして本営。負傷兵の救護から人員の入れ替え、情報のやり取りに全体統括など。冒険者以外との連携もこの本営部隊で担う形だ。


「……配分についての話はこんなところか。とりあえず、うちの構成員一人一人について、どこに配属させたいかの考えはあるんだが……」


 先輩は部屋中に視線を見回して、困ったように微笑みながらため息をついた。


「マスターが新年の挨拶で仕事を選ぶ権利とか言ったからな……いや、言ってなくても、それぞれの選択は尊重するぞ、うん」


 全容のわからない戦いが目の前に控えている。その威圧感が、部屋の空気を重くしていた。もちろん、立ち向かえる強さを持っている人もいるんだろうけど、全員がそうじゃない。誰かが逃げ出せばそれにつられそうになる人がいれば、踏みとどまれる人も、動けなくなってしまう人もいる。

 張り詰めた空気は、互いに囁きあって相談することもはばかられるくらい、緊張感に満ちていた。そんな、しんと静まり返った部屋に、先輩の拍手が響き渡ってびっくりした。

「お前らに、今日はビッグなお客様をお招きした、見て驚け!」と、やけくそ気味におどけた先輩が言い放つと、部屋の前方の戸が開いて、”お客様”が中央の演台に向かって行った。その姿を見て、腰が抜けかける。平民っぽい装いをしておられるけど、見間違えようもない。

「王太子アルトリード・フラウゼだ」と殿下が名乗られると、さすがに面識のない人も多いのか、急に部屋の中がどよめき出した。それが自然に静まるのを待たれてから、殿下は口を開かれる。


「冒険者と衛兵の違いはいくつもあるが、その1つは家庭があるかどうかだ。君達の多くにはそれがない。一方で衛兵の多くは王都に家庭を持っている」


 殿下がそう言われると、部屋の中はさざ波のようにざわめいた。殿下はそれを止めさせることなく、お言葉を続けられる。


「君達は戦友が亡くなっても、ある程度は耐えられるだろう。しかし、兵の遺族はそうもいかない。それに、君達は流れ者だと思われている……いつかは王都から出ていくと。君達がより危険な戦場へ回されるのは、つまりそういうことだ」


 ものすごく率直なお言葉に、ますますざわめきは強くなる。一方で厳しい現実を伝えられる殿下は、さざ波ひとつ無い湖面のような表情をされていた。ウェイン先輩は少し不安げに殿下の方を見たけど、殿下は大丈夫とばかりに手で先輩を制して、俺達に再度顔を向けられた。


「身の上話で恐縮だが、私は生まれて間もなく他国で過ごすことになってね。少し長じてからは最前線暮らしだ。王都に暮らしたのは、今を含めて3年も無いんじゃないかな」


 そう語られる殿下の表情は、少し寂しげな笑顔だった。それまでざわついていた部屋が、急に静まり返り、ただ殿下の声だけが部屋に響いていく。


「王都の民衆や官吏は、城壁の外をあまり見ていないだろうが、私にとっては城壁の外こそが国だ。そこで暮らす者も、戦う者も、いずれもが大切な臣民だ」


 そこで一度言葉を切られた殿下は、少し間を開けて天井を眺められ、それから小さくため息をつかれた。


「戦うかどうかは君達の自由だ。ただ、ともに戦場に行くことができず、こうして見送ることしかできない……そのことは本当に申し訳なく思う。せめて、行くなら生きて帰ってくれ」


 その場のみんなの視線が集まる中、殿下は頭を下げられて空気が凍りついた。どう反応していいのかわからない。さすがのウェイン先輩も、目を白黒している。

 それから殿下は、お顔を上げられ何事もなかったかのように部屋を出られた。まるで、言いたいこと言って満足したみたいに。

 急に緊張の糸が切れた室内にざわめきが満ちると、先輩は収拾をつけるのを諦めて最後の連絡事項を大声で叫んだ。


「明日の13時までに参加不参加を決めてくれ! 配属場所の相談には極力乗るぞ!」


 その後、先輩は俺の方へ寄ってきた。おそらくは殿下絡みの件だろうと思っていると、先輩はかなり申し訳無さそうな顔で俺を部屋の外へ連れ出す。

 果たして、そこには殿下が待っておられた。


「……瘴気絡みの件でしょうか」

「済まないが、その通りだ。救護班に居てほしいと考えている」


 瘴気を防ぐ、例の魔道具を使うべき時なのだろう。しかし、その役目を俺が担っていいのだろうか……逆に、俺は誰かに任せてしまってもいいと思っているのだろうか?

 それは、なんだか違う気がする。明確な責任なんて無いけど、使命感がある。誰かを戦わせるための魔道具じゃなくて、救うための魔道具だと、この身で示したい。そして、みんなで帰るための力になりたい。

 正直言って、恐ろしく思う気持ちはある。でも、芯の部分は揺るがない。俺は殿下に向かって「お任せください」と言い切ることができた。

 俺の応諾に対し、殿下は、「ありがとう」と優しげな顔で言われた。

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