第183話 「みんなの試作第一号」

 1月9日10時。仕事仲間に呼び出しを受けた俺は、工廠の談話室で魔道具の自習をしていた。開発がいいところだから、こちらで控えていてほしいとのことだ。待たされる間、なんとも言えない漠然とした不安が、胸の奥の方にあるのを感じた。

 しばらく1人で魔道具の入門書をペラペラめくっていると、戸が開く音がした。顔を上げるとシエラが入ってきて、「ご一緒していい?」と聞いてくる。頷いて、読みかけの本にしおりを挟んで閉じると、彼女は「ごめんね」と少し申し訳無さそうな笑顔で言った。


「別にいいって。暇つぶしみたいなもんだったし」

「だったらいいけど」


 それから彼女は、にこやかな笑顔で「式、良かったよ」と褒めてくれた。

 昨日は、婚礼演出事業の第一弾を無事にこなしたところだ。親友2人のときはすごく緊張したけど、今回のもやっぱり緊張した。もちろん報酬がある仕事だからこその責任はあるし、仕事に関わる方々への思いも、式の主役たる新郎新婦への使命感のようなものもあった。そんなわけで、その時感じたプレッシャーは最初の式とそう変わりない気がしたけど、魔法自体は以前よりも随分マシに使えたと思う。あれからもちょっとだけ成長できた、そう信じたい。

 シエラに褒められて頬が緩んだけど、感慨に浸る間もなく胸の奥でうっすらとした、冷たい嫌な感じがまた広がってきた。

 すると、「なにか悩み事?」と不意に尋ねられて驚いた。


「……わかる?」

「そんな顔してたから。言える話?」


 心配そうに覗き込んでくる彼女から、つい視線を反らしてしまった。言いたくないような、言ってしまいたいような。相反する気持ちがせめぎ合っている。

 少しためらいがちに彼女に視線を戻すと、彼女は心配そうだけど、俺を少しでも安心させようと気遣ったのか、ちょっと弱々しい笑みを浮かべてくれた。最初にあった時の、つっけんどんな感じとは大違いだなと思って、ちょっと笑ってしまった。


「ちょっと……人の顔見て笑わないでよ」

「ごめんごめん……ん~、悩みの件だけどさ」

「ん」

「瘴気をどうにかする研究がさ、もしうまくいっちゃったら、それで逆に誰か傷つくんじゃないかって……」


 平民でも魔人と戦えるようになる。そう判断されて、かえって誰かがより厳しい戦いに駆り出されるんじゃないか、そういう懸念がある。思い切って殿下にお尋ねした際は、「今厳しい目に遭っている者のための備え」だと仰っていただけたけど、それが軍や国の総意なのかどうかはわからない。

 俺が打ち明けた悩みに、シエラは顔をうつむけて黙り込んだ。


「……わかるよ、そういうの。私もそうだから」

「……そっか」

「ん」


 悩みを相談したはずだけど、単に共感してもらえただけだった。同じような思いをしている子がいるというのは、少し慰めになった気がするけど、急に場がしんみりして居づらさも感じる。

 訪れた静寂に落ち着かない感じを覚えて、俺は彼女に問いかけた。

「ほうきの件って、何か進展あった? 俺を載せられるようになったりとかは」と聞くと、彼女はフッと鼻で笑ってから、落ち着いた様子で現状報告を始めた。

 ほうきで安全に空を飛ぶための方策や訓練については、軍と魔法庁で協議を重ねている。この両者の慎重さが理由で話は中々進んでないけど、それは別に問題ではないと彼女は言う。歩みは遅くても、まっとうな普及を目指しての真摯な議論だからだ。

 問題なのは3月に控えた戦いの方で、そちらへの対応のため、ほうきの議論は思うように進んでいない。


「誰かさんが魔法庁に色々案件持ち込んだりするし……」

「う“っ」

「じょーだん」


 俺が提起した打ち消しの件も、3月の戦いへの準備で議論が進んでいないのだろう。その後は、彼女が先約を入れているはずのほうきの件とかち合って、議論の取り合いになるのかもしれないけど、彼女は「まぁ、いいんじゃない」と言った。

 それで、当初は軍と魔法庁が一緒に進めるはずの諸々の策定事項だけど、その一部を軍の代わりに冒険者ギルドに任せようという次善策も持ち上がっている。ギルドのほうが多用途に使いたがる分、コントロールは難しいだろうけど議論は捗りそうだというのが、ここまで議論に加わった各機関の見解だ。魔法庁主導で話を進めれば、慎重さは担保できるとも。

 そう話す当のシエラ自身は、ギルドと話を勧めたがっているように見える。ギルドとの協働について話す彼女はちょっと楽しげで、仕方なしの次善策には聞こえない。


 そうやって話が盛り上がってきたところで、部屋に元気なノックの音が数発響いた。それから、部屋の先客の反応を待つことなく、ノックの主が入り込んできて、興奮した面持ちで話しかけてくる。


「ぃやったぜ顧問教授! 試作できた!」

「マジか」

「マジマジ」


 主任研究員のウォーレンが言うと、シエラも面食らったようで、キョトンとした顔になって「早くない?」と言った。仕事熱心な同僚に言われるあたり、相当な進捗だ。

「いやー、みんな頑張ったからな。とにかく来いよ、シエラも!」と彼に言われ、俺達は談話室を出た。

 例の魔道具について研究開発をしているのは、4階に部屋がある雑事部だ。基礎研究では雑事部が一番技術がある部署だし、物になるまではなるべく秘密裏にしておきたいという思惑があって、正式採用があってから軍装部に主導権が渡る。まぁ、工廠内ではすでに話が行き渡っていて、軍装部のみんなも喜々として研究に混ざりに来ている有様だけど。

 4階へ向かう通路で、「にしても、早いな」とウォーレンに言うと、彼は「そうだろう、そうだろう」と誇らしげに言う。


「頑張ったってのもあるけどさ、でっかいプロジェクトほど試作は早めに作ることにしてんだ。たたき台になるからさ」

「なるほどな……ちゃんと寝てるか?」

「2日にいっぺんは寝てるぞ」

「毎日寝ろよ」

「そうは言うけどさ……夢がサイケデリックで気持ち悪くてな~」


 困ったような笑顔で彼がそう言うと、俺もシエラもちょっと笑ってしまった。今やってる実験を思えば無理はない。

 そうこうしていうるうちに、4階の研究室に着いた。部屋の中の空気はうっすらと赤紫に色づいている。別に瘴気を使っているわけじゃなく、実験で使っている赤と紫の薄霧ペールミストが実験室からわずかに漏れて混ざり合ってるだけだ。

 今回みたいに、赤や紫のような高貴なマナを用いる魔道具の研究開発は、工廠内で最高級品フラッグシップの上にある最終目標エンドコンテンツと言われている。「誰の手にも簡易な魔法を」という工廠の運営理念からすれば、赤や紫の力を民衆に与えることは最終的に目指すところというわけだ。

 とはいっても、色々と文化的な事情があって、赤や紫のマナをおいそれと民主化できない。今回の件に関しては、魔法庁から出向しているヴァネッサさんが獅子奮迅の働きを見せた。彼女の訴えの甲斐あって、当案件は赤や紫のマナのみならず、複製術の利用まで承認を受けている。

 そんな立役者の彼女は、もう工廠の一員みたいに誇らしげな感じで俺たちを部屋に迎えた。そして、別の職員が研究成果を差し出してくる。暗い紺色のベストだ。

 着る魔道具として研究を進めていた結果、形状はベストにすることになった。瘴気を吸うことから、魔道具の回路の破損は無視できず、一方で魔人に対するバレにくさも重視したい。そういうわけで、表に出さずその上で着替えやすいミドルレイヤーが好適という結論に至った。

 それに、最終的には多くの兵に行き渡らせたいという意向があるので、フリーサイズっぽく作りやすいのも都合が良いし、盆地での検証から胸部保護さえできていれば十分という知見もある。そういった諸々の事情を加味しての成果物だ。

 差し出されたベストを受け取り、色々な思いが去来して固まっていると、背を優しく叩かれた。


「まぁ着てみ? みんなもう一通り試して、もう顧問博士だけだからさ」

「ああ」


 言われてから、ヴァネッサさんの方に視線をやると、彼女は「私は2番めです」と言った。その後に、彼女とすっかり仲良くなった職員の子が「色々権力使ったもんね~」と言って、笑い声が起きた。ヴァネッサさんは恥じらいに顔を赤らめつつ、そっぽを向いている。

 笑い声がやんで、今度はまた俺に視線が集中した。そんな中、俺が手にしたベストを着ると、「ではどうぞ」と職員の1人が実験室の戸を開けた。

 中に入るのはこれで3回目ぐらいだと思う。実験室は全面真っ白で、少し目が痛くなるくらいだ。

 俺が中に入り、戸が閉まると壁の穴から「行きますよ~」という声がした。その後すぐに床に赤と紫の薄霧の魔法陣が刻まれ、それぞれの色の薄い霧が立ち上ってくる。霧はすぐに混ざりあって、瘴気モドキになった。

 その赤紫の中に佇むと、ベストの表面がパチパチ音を立てた。反応が始まったということだ。


 魔道具について初歩的なことは勉強したものの、今回のはものすごく最先端技術を使っているようで、詳細はさっぱりだったけど、それでもわかった部分もある。ベストの耐久性を確保するため、処理層は多層化していて、紫と藍色の魔法陣で瘴気を取り込み無害化する。その瘴気取り込みとか層間のマナ受け渡しに、複製術とか収奪型を用いているようだ。

 問題は吸ったマナの使いみちだ。ピンクの悪魔みたいに、吸ったものを吐き出して攻撃に使えればいいけど、それはちょっと難しいようだ。攻撃用の魔道具に吸ったマナを移そうにも、移動するための接続部の強度や、そもそも攻撃に使う魔道具の取り回しの件も問題視され、攻撃転用はお流れに。

 代わりに、吸ったマナを無駄遣いするための手段として持ち上がったのが、俺を取り囲む瘴気を少し弱く押しのけているこの微風ブリーズだ。ささやかに風を起こすこの魔法は、藍色という高位の色を用いる割に、本当にささやかな力しか出さない。そのため、魔法庁の承認はあっても教本からは除外されているという、言ってしまえば知らなくて良い魔法だ。

 しかし、今回の用途で言えば、マナの負荷の割には大したことをしないというのが重要で、好きなだけ無駄遣いさせられる。それに瘴気を押しのけられるならば気休めでも足しにはなる。そういうヴァネッサさんの進言を容れてできたこのベストは、目論見通り吸い込んだ赤紫のマナを転用して、藍色のそよ風を吹き出した。風に押されて隙間ができれば、送風のためのエネルギー切れでいずれまた瘴気が寄ってきて、それを吸ってまた吐き出す……処理が断続的になることが、時間軸における負荷分散にもなっているわけだ。

 実験室内でできた間に合せの瘴気は、見た目にも少し薄めではあったけど、それでも効果の程は明らかだった。勝手に消えるのに任せるよりもずっと早く、ベストは瘴気を浪費してそよ風に変え、少し佇んでいる内にまた真っ白な部屋に戻った。


 実験室の戸を開けると、すぐ近くにみんな寄ってきていた。感想を聞きたがっているようだ。


「いや、ちょっと感動したよ」

「だろ~? まぁ、まだまだやることは多いんだけど」


 研究主任が言う通り、現場で使うとなるともっと強いマナに耐える必要がある。そうやすやすと回路破損しないように、設計に練るべき箇所はまだあるようだ。

 しかし、概念実証はうまくいった。ちゃんと叩ける、しっかりした叩き台だ。この開発自体には思うところがまだあるけど、それでも確かな一歩をみんなと共有できたことは、すごく嬉しかった。

 そうやって喜びを噛み締めていると、肩を誰かにつつかれた。シエラだ。彼女は、俺と顔が合ってからちょっと間を開けて、口を開いた。


「乗る?」

「へ?」

「ほうき。ここのみんな、もう乗ってるからさ。リッツとは、もう同僚みたいな感じだし……」

「えっ、マジで?」


 思わぬ話に喜びが顔に出ると、ウォーレンが「こっちの件より喜んでないか?」と笑いながら指摘し、その後にヴァネッサさんが「リッツ君の次は私で!」と、ウォーレンの発言を半ば無視するような感じで畳み掛けた。みんな笑った。


 その後、シエラが用意してくれたほうきに乗って、俺は宙に浮かんだ。安全のためと鎖に繋がれている様は、少し考えさせるものがあったけど、それでも宙に浮いている状態には興奮した。空歩エアロステップとはまた違う、不思議な浮遊感と開放感がある。

 もし鎖がなかったら、外に自由に飛び出せたら、世界はまた違って見えるんだろうな。そういう未来を迎えるには、色々なものに対して飛び越えることなく向き合っていかないといけないんだろうけど。

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