第172話 「帰ってからも本番③」

 事務手続きが済んで工廠を出ると、外に魔法庁の皆さんがおられた。冬の夜、寒空の下で待たせたことに申し訳無さを感じる一方、中で待ってればと思わないでもなかった。しかし、だからって魔法庁の重役がぞろぞろと受付にいたのでは、職員さんも仕事がしづらいだろう。そんな配慮があって外で待たれていたようだ。

 今度の話は魔法庁で、ということで庁舎へと向かう。さすがに冬は日が沈むと、街路に人影がほとんど見当たらなくなる。寒く乾いた空気の中、石畳と靴底が触れ合う音だけを立てながら俺達は歩いていった。

 話ってのは、悪いものじゃないんだろうとは思う。お嬢様も一緒だから、きっと結婚式の事業化に関するものだろう。しかし魔法庁の庁舎に行く道中、寂しい冬の夜の空気が、あの座敷牢のことを思い出させた。多分大丈夫、そう言い聞かせても緊張はやまない。

 やがて、見た回数は少ないなりに、ものすごく印象に残っている魔法庁にたどり着いた。街路と敷地の間の線を超えることに若干の抵抗感を覚えていると、先に進んだお嬢様と目が合った。ああ、変に心配させちゃいけないな、そう思うといつの間にか敷居をまたいでいた。

 さらに進んで庁舎の中に足を踏み入れる。すると、暖色系の明かりが照らす中、職員の方々がまだまだ働いていた。忙しそうな彼らを見ていると、彼らの仕事を少しでも増やしてしまっていることに罪悪感を覚えた。今日の話でも、色々とお手数おかけしてしまっているわけだし。

 それから、案内に従い廊下を歩いていくと、着いたのは応接室だった。そこで職員と重役の方々の大半とはお別れすることに。招かれたのが会議室とかじゃなくって、応接室というのは意外だった。やっぱり、悪い話というか扱いではないんだろう。場に残られたのが侯爵閣下とエリーさんというのは、かなり緊張したけど。

 応接室の中では、庶務課の課長さんが待っていた。結婚式の件だと、そこで確信できた。彼と目が合うと、彼はニッコリ笑って席を勧めてくれた。侯爵閣下がおられる場で、こうして客みたいな扱いを受けることには戸惑いを覚えたけど、侯爵閣下はそんな俺に優しげな微笑みを向けられるばかりだった。

 席につくと、さっそく課長さんが真面目な顔で本題に入った。


「リッツ・アンダーソン殿から預かっていた案件3つにつきまして、決議されましたのでその報告を」

「3つ、ですか?」


 俺が聞き返すと、課長さんはほんの少し困ったような呆れたような笑顔になった後、咳払いをして顔を引き締めた。


「複製術の使用申請につきまして、当庁職員の監視下で使用を認める仮承認が出て下りましたが、正式に本承認が出ました」

「本承認……というと?」

「ご自身の権限で使っていただけます。もちろん、衆人環視下でみだりに使うことは認められません。用法も”学術的利用”の範囲に限られます。他の用途をお考えであれば、また審査が必要になりますのでご了承を」


 課長さんの言う学術的利用ってのが、今までの俺がやってきたことを暗に支持するというのはなんとなくわかった。もちろん、念のための確認は必要だろうけど、喜びについ勢いで軽く右拳を握るポーズを取ると、含み笑いの声が聞こえた。お嬢様もエリーさんも、にこやかに笑っている。

 俺みたいな一般人に、比較的安全な第3種禁呪とはいえ、使用許可を与えるのはかなり甘いように思われたけど、当然あちらにも思惑がある。課長さん曰く、複製術の研究で得た知見を魔法庁にも伝えてほしいそうだ。というのも、禁呪に対して臭いものに蓋という態度を取り続けてきたせいで、禁止している物の知識や経験が不十分なまま取り扱っているという状況になっていて、それを危ぶむ声が大きくなったからだという。


 続いて、話は未決案件の2つ目に移る。予想通り結婚式関係だった。


「冒険者ギルドと協力し、結婚式を例の演出込みで事業化することで、同意がなされました」

「ギルドも一緒ですか」

「広告や営業に関しては、当庁がかなり不得手とする所ですので。闘技場の運用と演出面について、当庁が担当することとなります」

「えーっと、それで……我々? の扱いは?」


 たぶんお嬢様も一緒に参加することになるだろうけど、確信が持てない。かなり自信なさげに聞くと、課長さんは少し笑ってから、また咳払いして言った。


「ギルドに間に入っていただく事も考えましたが、禁呪を扱う関係で間に他者を挟みたくないという意見もあり、あなた方を個人事業主として当庁から業務委託しようかと考えています」


 課長さんの説明に、俺はちょっと戸惑った。お嬢様も似たようなものだ。見合わせた顔には、いくらか狼狽の色が見え隠れした。冒険者になってから、一個人として直接依頼を受注したことがない俺達にとって、今受けた話は結構ハードルが高いように思う。

 まぁ、そんな俺達の反応は想定済みだったようで、また後日ギルドも交えて話し合う機会を設けてくださることになった。


「何から何まで、済みません」

「いえ、お願いしているのはこちらですから」


 明らかに仕事が増えたにも関わらず、課長さんの対応は朗らかで上機嫌にも見える。やっぱり課長さんもワーカホリックなんだろうか?

 そうやって少し訝しく思う俺をよそに、課長さんは結婚式について今後の予定を話した。来年1月7日に最初のカップルを迎え、以後は週1~2回程度の頻度で、抽選にあたったカップルを祝福していくという予定だ。


「頻度を増やすと、あなた方が大変だろうと思いまして。週1でも差し障りがあるようでしたら、もう少し減らしますが」

「たぶん大丈夫ですが、お嬢様は?」

「私も大丈夫です」


 そう答えたお嬢様の声は明朗で、目にも爛々とした光があって、意欲的なのがすぐにわかった。そんな彼女の反応に感謝の念を覚えたのか、課長さんは頭を下げてから話の続きに移る。


「希望の声次第ですが、開催を増やす必要に迫られるかもしれません。また、禁呪を用いる都合上、内製化も考慮しておりますし、要望に応じて色を選べるオプションも必要かと考えてまして」

「気が早いですよ」


 苦笑いしながら突っ込むと、最初にエリーさんが含み笑いを漏らし、侯爵閣下も頬を少し緩められた。そして課長さんも、「いやぁ」と後頭部を掻きながら表情を崩した。それからまた、真剣な表情になって話し始める。


「ウチの若い子たちが、自分たちの手でと名乗りを上げています。もちろん、当面はお二人に委託する形となりますが、お二人の指導でこちらの職員でも回せるようにできれば……と」

「それはそれでいい話だと思いますけど、どうです?」


 俺が尋ねると、お嬢様は眉を少しキリッとさせ、どこか頼もしさを覚える微笑みを課長さんに向けてうなずいた。ご自分で祝福したい気持ちもあるだろうけど、誰かに物を教えるのも好まれてるから、ということだろう。気が向けばいっしょにやるのもいいだろうし。

 俺達の快諾を受け、課長さんは深々と頭を下げた。


「ご理解お示しいただきありがとうございます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」

「いえ、こちらこそ。それで、案件の3つ目は?」


 結婚式の件は終わりかと思って、次の話題を促したところ、課長さんはだいぶ申し訳無さそうな顔になった。


「冒険者ギルドと合同で開催した勉強会の折、ご披露いただきました魔法を打ち消す手法につきまして、現在も扱いをどうするか結論が出ておりません」


「あー……やっぱり、面倒な案件ですか?」

「予想以上に、ですね」


 課長さんにつられ、俺も苦笑いしてしまった。

 ただ、まだ結論が出てないだけであれば、わざわざ伝えないんじゃないかという気はする。もののついでということもあるかもだけど、きっと何かしら今後の展望があって、今それも伝えてもらえるんじゃないか……俺の予想に答えるかのように、課長さんは話を続けた。


「本案件は魔法庁にとどまらない規模に発展する可能性が高いです。しかし、時節の都合で他機関を交えての議論の場を設けることが難しく……」

「だいぶ先になりそうですか?」

「初夏あたり……ですね」


 課長さんは時々エリーさんの方を見て、反応を伺いながら話を進めた。侯爵閣下は特に反応を示されない。きっと着任早々だからだろう。

 俺が考案した打ち消しは、思ったよりも大事になりつつあるようだった。そのことについて怖気づく気持ちがないわけではないけど、頭ごなしに否定せずちゃんと議論してもらえていることへの喜びや興奮のほうがずっと大きい。


 話は以上だった。ひと仕事終わった、みたいなノリで課長さんが軽くため息をつき、それから侯爵閣下の方を向いて「何か、お言葉をいただけますか?」と尋ねた。いきなり話を振られた侯爵閣下は、露骨に驚きはしなかったけど、俺達にお言葉を掛けられるまで、何秒か時間を取られた。


「交渉自体の経験はあるが、こういった役職に就いた上での話し合いの経験は薄いのでね。機会があれば相席させてもらっている。そのせいで、落ち着かない思いをさせてしまっただろうが……」

「いえ、そのようなことは……」


 じかにお言葉を頂いた緊張で少しカチカチになりながらも、俺は即答した。侯爵閣下からは、殿下とは別種のプレッシャーを感じる。威厳ってやつだろうか。

 特に粗相はなかったと思うけど、俺が不慣れなのはすぐにお察ししていただけたようで、侯爵閣下は穏やかな笑みを浮かべられ、先程よりも優しい声音で仰った。


「私ばかりでなく、この魔法庁全体にとっても新しい試みがいくつも動き始めている。君が発端になったものも、中にはあるだろう。我々に対して思うところはあるだろうが、どうか君の知恵や果敢さを今後も発揮していってほしい」

「はっ、はい!」


 我ながら安請け合いしちゃってるなぁと、心の中で笑う部分もあったけど、直々にお言葉を頂いて頭まで下げられては断りようがない。

 確かに、魔法庁とは色々あったし、気をつけないとこれからも色々やっちゃうかもしれない。でも、秋から若い職員達と触れ合う機会を得たことで、かなり関係を改善できてきたと思う。そのことと、この場での話し合いは、決して無縁じゃないだろう。ここまでやってきたことが、確かに芽吹いたように感じた。


 その後、俺とお嬢様は課長さんと侯爵閣下に挨拶をして、応接室を辞去した。敷地の外までは、エリーさんが見送ってくれることに。出口まで廊下を歩く間、俺は彼女に尋ねた。


「最近、忙しいですか?」

「ええ、そうですね。仲間内で色々と話し合う機会も多いですし」

「なんか、俺が余計なことをして、仕事を増やしてしまってるんじゃないかと」

「いえ、必要な仕事ですよ」


 俺の懸念を拭い去るようにきっぱりと断言してくれたエリーさんだったけど、それから少しイタズラっぽい笑みを浮かべた。「酒の席での発言でしたから、覚えているかどうか……」と前置きして、彼女は言う。


「あなたの顔を見ると、仕事を思い出すって意味、ご理解いただけたのでは?」

「う“っ」


 喉で空気が行き場を失うような苦しい声を出すと、こらえきれなくなったお嬢様が口から笑いの空気を漏らし、エリーさんも言葉に出さないながらも体を小刻みに震わせて笑った。


 それから、ちょっといたたまれない空気の中廊下を歩いていって出口に着くと、若干わざとらしく咳払いして姿勢を正したエリーさんが、「今後ともよろしくお願いいたします」と、いたって真面目に挨拶をした。俺たちも頭を下げてそれに返す。

 お見送りが済んで魔法庁の敷地から街路に出ると、やっぱりあたりには他に誰もいなかった。

 ここから2人きりだ。お嬢様が取っている宿まではすぐだから、そんなに緊張することもないだろうけど。何か話そうかなと思っていると、お嬢様に先手を打たれてしまった。


「リッツさんのおかげで、素敵な仕事をいただけました」

「それって、式の演出ですか?」

「はい。まさか、私がこういう仕事をするなんて、思っても見ませんでしたけど」

「俺も、自分がこういう仕事をするとは思わなかったですね」



 正直に答えると、彼女はくすっと笑った。

 実際、非常勤とはいえブライダル事業に手を出すとは思わなかった。そういうのに興味を持ったことなんて、前世でもなかった。世の中どう転ぶかわからないものだと思う。

 そんなことをしみじみと考えている間、お嬢様はずっと幸せそうに微笑んでいた。

 人の幸福を祝う仕事だけど、ご自分のことはどうなんだろう? そんな考えが頭をもたげた。この世界の社会制度について、まだよく知っているとは言えないけど、彼女は自分で配偶者を選べない立場にあるんじゃないかとは、薄々感じている。

 そんな彼女が、他の誰かの結婚式で、新たな縁を祝福するという。その仕事を喜ぶ彼女の笑顔に、皮肉や自嘲の色はまったく感じられなくて、それが逆に胸を締め付けた。少しぐらい嫉妬したり、弱いところを見せたりしてもらえたほうが、まだ安心できたかもしれない。人のための優しさの裏に、自分の幸福を押し込めているのだとしたら、今見ている笑顔もすごく切なくって仕方なかった。


「……どうかされました?」

「いえ、なんでもありません」


 まじまじとお顔を見つめていると、キョトンとした顔で尋ねられ、反射的に回答してしまった。

 結局の所、どうお考えなのかとか、俺が立ち入れる領分を超えている気がしてならない。でも、俺の存在が少しでもお嬢様のためになっているのなら、それはとても価値があることだと思った。

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