第121話 「シエラとほうき」

 あんな事件があった後だけど、工廠の一般職員はすぐにいつもどおりの仕事に戻れていた。きっと、私たちが普段どおりに動けるように、所長を始めとして上の方々が配慮してくださったのだと思う。

 ほうきで飛んでた件は、魔法庁への配慮のために、おおっぴらには吹聴できないことになっている。ちょっとした箝口令みたいな感じ。ただ、外では話せない分だけ内では好き放題に話してるみたいで、他の職員と顔を合わせるたびに、今回の一件での私の活躍を褒めてくれたり我が事のように喜んでもらえたりした。同じ部屋の同僚からも色々と称賛してもらえた。ただ、そうやって褒めちぎる時よりも、飛んだ感想とか気になった改善点とか、今後の展望とかを聞くときのほうが生き生きしてたのは、やっぱり私の同僚だなって感じだけど。


 仕事は普段どおりでも、上の方はそうもいかないみたいで、毎日のように別のお役所の方だとか、国の重臣の方が訪問された。なるべく一般職員の業務に支障が出ないようにと、2階の事務フロアでご用件を片付けられてたみたいだけど、たまに上の階への視察に来られる方もおられた。視察というよりは、純粋な好奇心からそうされた方が多いようで、訪問された部署では熱の入った質疑応答になったみたい。

 そうして来られた重臣の方には、宰相様もおられた。こっそり、所長伝いに呼び出しを受けて面会すると、論功行賞絡みの件で詫びられて恐縮してしまった。

 あの時、ほうきの研究を続けさせていただければとお願いしたけど、その後の展望についての話も含めると、私のお願いは宰相様にとってはほとんど政策提言だったみたい。それも、国にとって十分利がある話だっただけに、私への報奨とはとても言えなかったようで……


「また借りを作ってしまったと考えていたところです。できれば、何か”個人的”な要望があればと思うのですが」

「個人的、ですか」

「はい。そうでないと、また”仕事”の話になりかねませんから」


 私としては、やりたい仕事をやらせていただければ、それだけで十分って気持ちは、ある。それ以外ってなると……ちょっと悩んだけど、所長が同席されていることだし、思い切って聞いてみる。


「王都の外で1日だけ、私以外の人と一緒に空を飛んでみたいのですが」

「ふむ」


 宰相様はかなり真剣な顔で考え込まれた。所長も同様だけど、少なくとも頭ごなしに否定する様子はなくて安心した。まぁ、普段からそういう強権的なところがない方だけど。宰相様がまだ考えを練られているのを横目で確認してから、所長が真面目な顔つきだけど、優しい声音で語りかけられた。


「誰を乗せるか、連れ出しにおける留意事項、飛行時に自らに設ける制限等、今考えていることを話してみなさい」

「……はい!」


 心臓のドキドキを抑えながら、考えていることを自分でもびっくりするくらいによどみなく話していくと、宰相様も所長も、表情はそのままの真剣なものだったけど、目には温かみがあってどこか満足げだった。



 9月15日、昼。王都から西へ2時間ぐらい歩いたところにある静かな湖に、私達2人はいた。もっと正確に言うと、湖の上、身をかがめて手を伸ばせば水面に届くぐらいの高さを、私達は飛んでいる。


「あんまり揺らさないでくださいね」

「は~い」


 ゆるい返事にこっちの顔も思わず緩んでしまった。このところずっとお忙しい様子だったけど、今はリラックスして楽しんでもらえているみたいで、それはとても良かった。


 アイリス様の連れ出しにあたり、こんな時期だからと予定の確認も含めて伯爵家へ許可を仰ぎに行ったとき、奥様は私との外出を「最優先の用事扱いとするわ」と仰った。その時は大げさだと思ったけれど、今こうしていることを奥様はそこまで大事に思ってくださっていたのかな。まぁ、半分以上はジョークだったとは思うけど。

 ほうきを飛ばしながら物思いにふけっていると、後ろから「シエラさん」と楽しそうな声で呼びかけられて我に返る。


「何です?」

「靴脱いで、水面に足をつけたまま飛ばしてみません?」

「……バランス崩しても知りませんよ?」

「そのときは一緒に濡れましょう」


 ホント、良家の子女とは思えない提案を喜々としてするものだから、思わず吹き出してしまった。

 飛んでるスピードは、人の足でも全力疾走で並走できる程度。高度は低めで水面はすぐそこ。湖には大した生き物がいなくて、せいぜい焼き魚向けの中型魚くらいか、強いて言えば私の後ろのお方が一番危険。お召し物も、気張った感じじゃなくて冒険者ルックな感じ。

 だから、水面に突っ込んだって何も問題はなかった。あるとすれば私の技量に対する自負心だ。


「水の中に突っ込んでも、怒りませんし笑いませんよ?」

「わかりました、やってやりましょう」

「それでこそです」


 楽しそうにお嬢様が私のプライドをくすぐってくる。失敗したら凹むな~と思いつつ、今日1日ぐらいハメを外すのもいいかな、そう思った。

 私の後ろで、お嬢様は器用に体勢を調整しながら、靴を1つずつ脱がれている。


「シエラさんも、どうです?」

「えー、私はいいですよ。飛ばしてる側ですし、脱ぐのはちょっとむずかしいというか」

「私が脱がしますから」

「えー」

「ほら、早く早く」


 急かされて、仕方なく――というわけでもないけど――ほうきにまたがった両足をちょっと強めに折り曲げて、ふくらはぎとももが合うようにすると、足の裏は上を向く感じになった。すると、待ち構えていた手が私の靴を脱がしにかかった。ちょっと妙な感触に頬が少し熱くなったけど、後ろに反応は返さず飛び続ける。水遊びするかもと思ってサンダルにしたのは我ながらナイスだった。

 そして、ほうきから下に出た4つの素足を、高度を調整して水面につける。ヒヤッとする水が触れて、それから水面を滑るような、表面だけ蹴り飛ばし続けるような、奇妙な感覚が足に伝わってきた。

 とても楽しかった。

 私の後ろで、足を微妙に動かしては水面の反応を楽しんでいるお嬢様に感想を聞いてみる。


「……お望み通りにいたしましたが、いかがでしょーか?」

「楽しいし、気持ちいいですね」

「そうですね」

「やっぱり、私の提案は正解でしたね」

「そーですね」


 それから私達は、日頃の垢でも削ぎ落とすみたいに、水しぶきを立てながら水面を滑りまわっていった。


 ひとしきり楽しんだところで、昼食を取ろうと水面から離れたところ、私の足にふわっとした布が触れた。どうやら、お嬢様がタオルを持ってきていたみたい。念のための用意というよりは、最初からこうするつもりだった感じで、用意されている時の光景が思い浮かんだ。ただタオルを持参された、それだけのことなのに、それが妙に嬉しかった。

 ただ、貴族のご令嬢に足を拭かせてるってのは、すごく不遜な気がする。でも、お嬢様が喜んでやってくださってる気がして、遠慮するのもちょっと……みたいな感じ。

 結局ご厚意に甘えて拭いていただいてから、私はほうきを湖畔にある木へ向けた。荷物一式はそこにある。靴は、お嬢様が履かない様子だったので、私もそうすることにした。地面に足がつくと、ものすごく昔に裸足で草っ原を走り回った記憶が蘇ってきた。

 裸足で歩いてほうきを木に立てかけ、1つの木の下でお嬢様とお昼を取ることに。どうせ喋りっぱなしになるだろうと思って、軽くつまめる一口サイズの菓子パンを買ってきていた。1つ取って頬張ると、早速お嬢様が話しかけてくる。


「そろそろ、一人暮らしをしようかと……」

「そうですか」

「実際には、王都に住んでほしいという要請がありまして……」


 先の戦いで、王都の住民の不安が爆発しそうになっているから、あの防衛戦やその前の黒い月の夜に多大な功績を上げたお嬢様に、王都で暮らしていただき人心を落ち着けてほしい……そういう政治的なお話らしい。

 王都に住んでもらえるのはいいけど、周りのそういう思惑があるのは、なんか嫌だった。お嬢様の頑張りがこういうところでうまく利用されているような感じが、なんだか気に入らない。

 気づかないうちに、ちょっと険しい顔になっちゃってたけど、一方でお嬢様はにこやかに微笑んでいる。


「いずれ一人暮らしをと思っていたので、ちょうどいいのかもしれません」

「私はちょっと、納得いかないところもありますけど……」

「いいんですよ。私は気にしてませんから。むしろ、宿探しの方に困るくらいで」


 宿の悩みは、家主や大家さんがうまく打ち解けてくれるか、同じ宿の方とうまくやっていけるかどうかだそうで、確かに同じ屋根の下だとみんな気を遣いすぎて、逆にお嬢様もちょっと息が詰まるかもしれない。

「シエラさんは、どこにお住まいですか?」とある程度予想できた質問が来た。


「私は工廠の方で用意された寮に住んでます」

「寮生活ですか」

「家賃がタダで済むので」


 さすがに、今から工廠の職員になるとは言い出されなかった。まぁ、そうなったら職員一同で諸手を挙げて大歓迎だと思うけど。でも、周りが許さないんだろうなー。


「実は、明日私の宿探しの作戦会議をする予定がありまして」

「……私も参加してほしいと」

「はい。どうでしょうか」


 私の方は特に問題なかったけど、案外お嬢様って暇なのかなと思った。でも予定を詳しく聞いてみると全くそんな事なくて、会議と会議の合間に宿探し会議をやるみたいで、なんていうか息抜きっぽい。そういう話に呼ばれたのはすごく嬉しかったから、私も明日ケーキ屋でお話に混ぜてもらうことになった。


 宿探しの話が落ちついたところで、次にお嬢様は、私がほうきに入れ込んだきっかけを聞いてきた。


「きっかけ、ですか」

「はい。前から興味があったのですが、なかなか良い機会がなくて」

「……長いですよ?」

「それは望むところです!」


 お嬢様は、ちょっと体を揺らしてから居住まいを正して、ウキウキとした様子で私に体を向けた。年上なんだけど、こういうところは私より……なんだろ。可愛げがあるっていうのかな。

 ちょっと照れくささも覚えて、私は咳払いを1回してから身の上話を始めた。


 私の故郷は、王都からずーっと西南西に進んだところにある。保存状態の良い遺跡が多い地域の中にある貿易都市で、魔道具を扱ってるお店が私の生家。

 両親は魔道具だけじゃなくて魔法の腕前も結構知られていた。冒険者ギルドとの関係も深く、遺跡の発掘調査とか、遺物の鑑定・分析で意見を求められることが多くて、自然と私の家にはそういう遺跡絡みの仕事をする人がたくさん出入りしていた。つまり、好奇心に手足が生えたような人種が。そういう人たちにかなり可愛がってもらった記憶がある。

 ほうきに触れたのは、確か7歳の頃だったと思う。そういう遺物があるというのは、業界では有名な話だったけど、実際に発掘できたのは故郷では初めてのことで、結構大騒ぎになった。それで、掘り出した後は当然、乗ってみようって話に。

 ただ、浮かれたムードに水を差されちゃたまらないと、父さんが鎖で飛びすぎないように制御する案を考えた。私の研究でやってるのも、結局は父さんの真似ってわけ。そうして安全を確保したところで、1人うまい事宙に浮き上がることに成功すると、我も我もと飛びついて、その場の流れで私も母さんと一緒にほうきに乗った。

 最初に飛んだときのことは、実はあんまり覚えてない。たぶん、鮮烈すぎてよくわかんなかったんだと思う。ただ、子供心に――まぁ、今も子供だけど――これでみんな、空を飛んでたのか~って感心してたことだけは覚えてる。みんな、当たり前に空を飛んでたのかな。だとしたら、今とはぜんぜん違う世界だったのかなって、空想はどんどん膨らんだ。

 確か9歳ぐらいになると、今ほうきで飛んでみたらどうなるんだろうって思い始めた気がする。みんな気軽に飛べるようになったら、世の中変わっちゃうんじゃないかって。本当に空想みたいな話だったけど、両親は真剣に話を聞いてくれた。

 それで、父さんは王都の魔導工廠のことを教えてくれた。ものすごい難関だから、登用されるかどうかはわからないし、ほうきのことを研究できるかどうかもわからない。それでも追いたい夢があるなら協力するって言って、両親は試験勉強に付き合ってくれた。


「……それで、まぁなんとかなって、今に至るわけです」

「当時最年少での採用と聞いてます」

「……塗り替えられましたけどね」


 褒められるのが照れくさかったから訂正したけど、アイリス様からの視線は変わらず、私への称賛を感じた。

 でも、嬉しがってばかりもいられない。昔話を語っているうちに、心に引っかかった部分がある。あまり、アイリス様には隠したくない、わだかまりが。それを言わずに済ませたいと思う、そんな自分の弱い部分を振り切って、私は思いを口にした。


「実は、自分が甘いってわかってるんです」

「甘い?」

「ほうきの発掘品ですけど、素材の耐久性が悪くてなかなか出土しなくて。そんな中で見つかる遺物は、だいたい軍用っぽいんです。乗り心地よりも耐久性や携行性重視みたいで、柄が細くて固めになってる感じの」


 アイリス様は、何も言わなかった。ただ神妙な顔つきで私をじっと見つめている。


「……結局、私も昔の人と同じことをしてしまってるって、そう思うとやりきれなくて」

「そんなことは……あなたのおかげで助かった命もきっとあります。本当に、尊い行いです」

「ええ、それもわかってるんです。王都を飛んでる時、ほうきをこんな事に付き合わせることへの罪悪感と一緒に、高揚感も感じました。人に軽んじられ、無視されてきた研究だけど、こうして人の役に立ててるって」


 あの時、飛び回ってて忙しくてそれどころじゃなくて。顧みなかった思いが溢れ出してくる。胸を伝って顔まで昇った熱さが目に溜まるようだった。


「それでも、あの時あなたをああやって送り出してしまったこと、仕方ないってわかってても、心の奥底ではやっぱりすごく嫌だったって、今気づきました」


 私がなんとか言い切ってから、アイリス様は私を優しく抱きとめた。


「いいんですよ。あなたが気に病むことじゃありません」

「でも」

「そういう世の中なんです。平民よりも貴族がずっと強くって、だから私は大勢のために戦うことを望まれてる。そういう運命を受け入れて、ずっと頑張ってきました」


 私に優しく教え諭すアイリス様の言葉に、強がる感じなんてまったくなくて、心の底からそう考えているように聞こえた。それがより一層胸を締め付けた。

 抱きとめられた体を一旦放され、顔を見合わせると、アイリス様の顔がぼやけて見えた。それでも、すごく優しく微笑んでいるのだけはなんとなくわかる。


「どうか、送り出しちゃっただなんて思わないで。ほうきがなければ、どうせ走っていきますから」

「でも」

「戦う理由は、貴族としての義務感だけじゃないんです。肩を並べて戦う方々と、無事に帰れるようにするのが私の戦いなんです。自分の命も、みんなの命も、大切だから戦い続けるんです」


 両手を優しく手で包まれた。温かい手だった。目から熱いものがついに溢れて頬を濡らしていく。


「お願い、聞いてもらえますか?」

「……なん、です?」

「みんなで無事に帰れるように手助けしてください。それと、良ければまた、私の名前を呼んでください。そうすればきっと、きちんと帰れますから」



「……あー、アイリス、さん」

「呼び捨てじゃないんですね」


 私が泣き止んでから――ちょっと潤んだ程度だったけど――アイリスさんの頼みでお名前を呼んでみると、前みたいなのをイメージされてたみたいで、少し意外に思われてしまった。


「だって、年上じゃないですか」

「じゃあ、せめて敬語は無しにしませんか?」

「それを言うならアイリスさんだって」

「私はこれが割と素なんです。でも、シエラさんは違うんじゃないかなって」


 つまり、お互いに気兼ねや遠慮なく話せるのが希望みたいで、それはそれで嬉しいんだけど、やっぱり抵抗感みたいなのもある。


「完全に敬語なしってのは、ちょっと……その場のテンションとかもあると思いますけど」

「そうですか。でも、名前で呼んでもらえるならそれで十分です」


 それから、話は明日の宿探しの件になり、その場でも名前で呼ぶようにと言われてしまった。まぁ、いいけど。どうせなら同席した子達にも名前で呼ばせちゃえばいいんだから。

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