第111話 「戦の幕間と宿題」

 戦勝の熱が冷めやらない中、責任者の方が閣下のもとへ駆けていった。その姿を見て、この外で起こっている事態が脳裏で這い上がってきた。倒れて伏したゴーレムが視線に入る。あれは、いつからいたっけ? 確か闘技場を魔法の練習に使い始めた5月にはすでにいた。それよりもずっと前からあったんだろうか? それから、今回の試験の日程が変わったことを思い出し、腹の奥がズンと重くなった。背筋に冷たいものが這うような嫌な予感がする。

 今の事態が仕組まれたものなら、それも数ヶ月も前から仕込みがあるなら、もっと別の場所でもっと悲惨なことが起きてるんじゃないか。王都や目の森のことが心配だ。イメージもできないような、何か悪いことが起こっているんじゃないか。漠然とした恐怖が、粘っこく思考に絡みついた。


 閣下と責任者の方は何事か話し合っているようだ。それから責任者さんが職員を手で呼び、ほどなくしてその職員さんがこちらへ戻ってきた。俺とラウレース、エルウィン、ルクソーラ――つまりさっきの作戦の中核になった4人に話があるとのことだ。

 少し晴れがましくも緊張した様子のリーダー、それ以上に硬い表情のエルウィン、割りと泰然としているルクソーラ、この3人と一緒に闘技場の中心へ向かう。背には称賛とか興味からくる、熱い視線を感じた。


 俺達が着くと、まず閣下の左手に巻かれた包帯が気にかかった。みんなも同様だったらしく、視線に気づいた閣下が困ったように微笑みながら、左手を小さく上げた。


「奴にマナを流し込むには、自分の血を注いでやるのが手っ取り早いんでな。きみ達は真似しないように」


 少し冗談めかした閣下の物言いに、エルウィンとルクソーラは含み笑いを漏らした。それからすぐ、俺達全員が姿勢を正して閣下に相対すると、閣下はお褒めの言葉をくださった。


「さすがに1対3は厳しいと思っていたが、きみ達の指揮のおかげで事なきを得た。ありがとう」

「お褒めいただきありがとうございます!」


 閣下のお言葉にリーダーはハキハキと答え、腰から上半身を曲げて見事な礼をした。純粋に敬意からそうしているんだろう。彼が身を起こすのを待ってから、閣下は優しく微笑んだ。


「試験はこんな形になってしまったが……きみ達は冒険者として合格だな。胸を張るといい」


 惜しみない称賛にリーダーは涙ぐみ、エルウィンも頬を赤らめて少し視線を伏せた。ルクソーラは穏やかな笑みを浮かべていて、俺達の中では一番肝が太いように見える。

 しかし、戦勝ムードはここまでのようだ。急に閣下は顔を引き締め、渋い顔つきになって告げた。


「闘技場の他に、港と王都が敵の攻撃を受けているとのことだ」


 それから、外部との連絡を取りまとめていた責任者さんが現状を教えてくれた。

 王都は今、例の室長が赤紫の門を生成し、そこから魔獣が展開されているとのこと。その場に居合わせた長官が応戦しつつ指示を出し、エリーさんやギルド、衛兵隊の対応が早かったこともあってか、住民に被害は出ず拮抗状態にあるようだ。ただ、この膠着をいつまで維持できるかはわからない。こちらが魔法を使えない以上、増援が来ても数の利が生きにくく、肉弾戦を仕掛けるにも魔獣相手では難しいとのことだ。

 ことによると更に深刻かもしれないのが港で、今朝入港した商船からは、積荷の全身鎧がひとりでに歩きだし隊伍を組んで人々を襲っているらしく、すでに犠牲者も出たようだ。船の船員の様子もおかしく、敵だと判断して射掛けたところ、何発も矢が突き刺さっても立ち上がったそうだ。鎧は生半可な攻撃が通用せず、魔法も効き目が無いようで、現状はバリケードでなんとか敵の進行を限定しつつ押し止めることしかできていない。

 何より問題なのが、港にはこういった想定外の事態で、精神的な拠り所になれる指揮官がいないということだった。


「私は港に向かう」一通りの説明が終わったところで閣下はそう宣言された。「馬を飛ばそうにも数に限りがあるのでね、行くのは私一人だ」

「では、我々は王都へ」


 リーダーが言い出そうとしたのか、あるいは問いかけるつもりだったのか、彼の発言の途中で閣下は手でそれ以降の言葉を制した。その表情は厳しくも、眼差しには優しいものがある。


「きみ達はすでに十分な働きを示した。それに、王都では魔法を使えない中、魔獣と渡り合う必要がある。これまで魔導師試験に備えてきたきみ達では、少し分が悪かろう」

「しかし」

「ここを避難所に使うという可能性もある。そうなった場合、みなを今日の勝利に導いたきみ達こそが精神的な拠り所になり得るわけだが、その自覚はあるかな?」


 戦意をあらわにして王都行きを主張しようとしていたリーダーも、閣下の煽りおだてて認めるような口調に落ちつき、自分のやるべきことを見出したようだ。他の2人も同様に、自信と落ち着きのある雰囲気を漂わせている。


「これ以上の仕掛けはおそらく無いだろうとは思うが、備えは必要だ。万一の出撃に備えつつ、この場のみなを安心させてやってくれ」

「はっ!」

「良い返事だ。では戻りなさい」


 言われて回廊へ歩き出したところで、エルウィンが少し遠慮がちに問いかけた。


「伯爵閣下は、本日なぜこちらに?」

「……あー、なんだ。知り合いの子が試験を受けるってことでな。それにDランクは伸び盛りだから興味もあって、機会があればと、かねてから考えていたんだ」

「なるほど、左様でしたか」

「まぁ、確かに良い出会いはあった。不躾な客もいたがね」


 閣下は剣をゴーレムの方に向けながら苦笑いしていった。その刃はボロボロになっていて、もうまともに使えそうにもない。先程の戦いの凄まじさを物語るものだった。

 それから、また振り返って回廊へ戻ろうとしたところ、今度は責任者さんが言った。


「リッツ・アンダーソン君、少し残ってもらっていいかな?」

「? かしこまりました」


 もしかしたら、変に勘ぐられないように閣下が彼を使って呼び止めたのかも知れない。話の内容が気になりつつ、3人と軽く握手を済ませて俺は1人残った。

 闘技場中央に3人だけになってから、閣下はかなり真剣な表情になって責任者さんに話しかけた。


「彼に、王都内部で魔法を使えない理由を話しても構わないかな?」


 閣下の言葉に、責任者さんは少し驚いたような表情を見せ、それから意外と落ちついた声で返す。


「彼が言いふらしたり、あるいは悪用したりしないとお考えであれば。あるいは、彼が何か悪事を働いた際に、御自ら責をお取りになられるならば」

「黙認した時点で、あなたも責を問われるのではないかな」


 責任者さんは目を閉じて顔を上げ、数秒考えてから言った。


「お2人を信じましょう。我々は規制派よりあなた方を信じる立場でありますし」

「ありがとう」


 魔法庁の方に信用されるのは嬉しい。でも、王都で魔法を使えない理由なんて、なぜ俺に教えるんだろう? そう訝っていると、閣下は少し間を開けてから、教えるのではなく逆に問いかけてきた。


「王都の中では魔法を使えないというのは知っていると思うが、どうやって封じていると考える?」

「……魔道具は使えるのですよね? それに、中でいくつか魔法陣を見たこともあります……魔道具も、基本的には魔法陣を応用したものと聞いていますし……」


 答えながら、頭の中で今まで得た情報や知識を統合させていく。


「……すでにできあがっている魔法はそのまま使えるとするなら、王都の中では”新しく”魔法陣を作れないということですか? 例えば、円や器を作ろうとすると、それが阻害されるというように。器になるまでの描き始めは特に不安定な状態ですし、邪魔はしやすいのかなと」


 俺の答えに、閣下は腕を組んで満足気に微笑み、責任者さんの方を向いてうなずいた。責任者さんは、少し引きつったような笑いを見せてから大きくため息をつき、「ウチの規制派が捕まえるだけはある」と小声でつぶやいた。そして、表情を和らげてから俺に話しかける。


「詳細は明かせませんが、円と器の記述までを阻害します。大半の魔道具は文までできあがっているか、あるいは”半分”書き上がっているので、邪魔はされません」

「……器の状態で魔法を中に持ち込んでから、文を書き込めるということですか?」

「……試したことはありませんし、実例も聞いたことはありませんが、理屈の上ではそうなりますね」


 彼が答えてから、閣下が真剣な表情で言った。


「王都の状況を聞く限り、増援なしでは膠着を打破できないだろう。とは言っても肉弾戦では難しいだろうし、有用な魔道具は、あればすでに使って戦果を上げているはずだ」

「……では、外部からの魔法の”持ち込み”が、残った手立てと?」

「その1つではあると考えている。ただ、治安上の理由でこれも人海戦術は取りにくい。やるなら1人で魔法を1回使って、それでどうにかというところだ」


 そして、この局面で俺に話を振ったということは、”もしかしたら”という期待をされていることなんだろう。ただ、俺がプレッシャーを感じ始める前に閣下は苦笑いしていった。


「港のこともあるから、私はそろそろ発たねばならない。ただ、きみはすでに大仕事をしているからね。自分でも解けない宿題をきみに押し付けるつもりはないんだ。ただ、問題を解けたなら試せばいいし、解けないならここにいて、みなを落ち着けてほしい。要はそういうことだ」

「……試して、閣下にご迷惑がかかりませんか?」

「責任は私が取るよ。ここに証人もいる」


 閣下はそう言って責任者さんの肩を叩いてから、俺達に背を向けて外へ歩き出した。「ご武運を」と俺が言うと、閣下は軽く右手を上げて答えた。続けて「剣、取り替えてくださいね!」と言うと、今度は右手をヒラヒラさせた。


 閣下が出陣され、俺達2人が闘技場の真ん中に残った。すると、急に辺りを広く感じられた。寂しげな音を立てて風が吹き付けてくる。

 責任者さんは、何も話し掛けてこない。俺は地面にうつむいて思考を巡らせた。閣下に言われたからっていうのもあるけど、結局何を言われようが言われまいが、何かできるんじゃないかと考えるのは変わりないと思う。ただ、今日はお墨付きと言うか、後押しのお言葉をいただいただけだ。でも、その言葉が血を熱くさせて思考を加速させる、そんな気がした。

 しかし、色々考えた末にたどり着いた打開策は、色々と問題があるものだった。責任者さんに打ち明けようと彼に向き直り顔を上げると、彼からの視線に興味というか期待のようなものを感じた。

 少し意外に思って、言いかけた言葉を引っ込めると、彼は咳払いして言った。


「いや、私も一介の魔法使いとしては、君の考えに興味があるわけで……閣下もああ言われていることだし」

「1つ、お願いがあるんですが」

「嫌な予感しかしないけど、一応聞こうか」

「複製術を使っても構いませんか?」

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