第79話 「魔法庁の過去」

 閣下が口を開くのを待ちながら、ちびちび茶を飲んでいると、「すまなかった」と重い口調で言われた。謝罪されるのはだいたい予想できたものの、反応には困った。


 ここまでの流れを考えると、まず俺が禁呪の”悪用法”を思いつき、お嬢様が実地利用を考え、俺が例の戦いへの参加を表明し、奥様が使用の承認をし、お嬢様の監視下で俺が使い、ドサクサに紛れて俺とマリーさんがマナに変換された犬の封じ込めに使い……報告書を手掛けたのは閣下とギルドだ。

 責任のある立場ってことではあるんだろうけど、それでも後始末のとばっちりのようで、こうして頭まで下げられると悪い気がする。


「いえ、禁呪の件は、こちらから言い出した部分も多いですし……」

「しかし、こちらできみに累が及ばないようにするという話だった。守りきれずに、本当にすまない」


 やはり自責の念が強いようだ。あの件に関しては俺なりに頑張ったし、いい事をしたとも思う。だからこそ、こういう事態になったのが一層強い負い目になっているんだろう。

 ただ、報告書のほうでどのように書かれていたのかとか、魔法庁に対する情報工作と目論見とか、そのへんの仕込みには純粋に興味があった。そこで、後学のためと称して教えていただくことにした。


 報告書への記述は、前に――たしかメルが来た日に――教えてもらったとおり。一般向けのは適当な理由で俺に功績を与え、王室向けの方では作戦の核に対する提言という功に触れている。それでも、禁呪の具体的な使用法には触れていない。


「王族相手でも秘匿されるのですね」

「紙に残すと漏れ出る恐れがあるということで、禁呪の使い方は紙面に残さないのが通例でな」


 取り締まる側、管理する側からの漏洩を恐れてということらしい。たぶん、魔法庁に直訴して認めさせない限りは、よそで使えないたぐいの発見なんだろう。

 一般向けの報告書だけでは、俺が怪しいということはわからないはずだ。ただ、閣下の見立てでは、Eランク魔導師への昇格と、ギルドの仕事の各種報告書を照らし合わせると、相手の目に留まる可能性は確かにあったそうだ。


「例の戦いの前には、王国の公文書にきみの名前がなかったため、あの戦いに向けて我が家が外部から招聘した人材と判断されたのかもしれん」

「なるほど……そういうことだったんですね」

「ただ、それでも確証には至らなかったはずだ」


 一般の捜査でアクセスできる文書をかき集めても、あくまで少し怪しいどまりの推定にしかならない。そこから一歩踏み込むためには、王室向けの文書に当たる必要がある。

 閣下にとって想定外だったのが、王室並びに国家の重臣が容認している今回の件について、王室書庫に捜査の手を伸ばしたという事実を残してまで魔法庁が動いたということだ。これは国家中枢の意向に異を唱えるのに等しい。

 加えて、そこまで権力に抗する動きを見せておきながら、実際には伯爵家へ直談判に向かうのではなく、教唆した人間を拘束したということも閣下の見立て違いらしい。


「彼らが暴走するというのであれば、私かその上が相手になると思ったのだが……」

「……なぜ、このような事態になったと思われますか?」


 かなり答えづらい質問のようで、すぐには返答されなかった。熱い茶を何度か口に含み、ため息をついてから閣下は言った。

 先の会談でも少し触れたように、魔法庁の望みは国内における魔法の使用管理全般において、貴族よりも強い権力を保持することにある。だからこそ、その意に従わない伯爵家や国の上層部を相手にするような動きを見せたらしい。


「しかし……法にはグレーゾーンがある。結局、法の締め付けのせいで人命が損なわれた、あるいは勝利を逃したなどと糾弾されるのは、彼らも望んではいなかったのだ」

「だから、少し曖昧な部分を残して、後はそちらの責任でやってくれと」

「ああ。今まではそうやって、戦闘の勝敗や人の生死という責任から、魔法庁を遠ざけていた」

「それが今になって変わってしまったのですね」

「そう思われる」


 融通をきかせることよりも、法の絶対性を求めるようになったらしい。ただ、法の強さと自分たちの組織の権力と、どちらに重きをおいているかは微妙なところだ。

 メルからの情報では、魔法庁にはいくつも派閥がある。主流の規制派も一枚岩じゃない。強権を振りかざそうとする強硬的な一派もあれば、長官の引き落としを画策する一派もある。集めた証拠から俺にたどり着くだけの情報を固めておきながら、わざわざ俺を確保してその上で長官に対応を委ねるあたり、規制派もかなり不安定になってるんじゃないか、とのことだ。


「あるいは、きみを捕らえてしまったことで、冷静になったのかもしれない」

「長官も閣下も、いいとばっちりですね」

「きみほどじゃないな」


 俺が笑うと、閣下も微笑んだが、やはり表情は浮かない感じだ。


「いつから、魔法庁は今みたいな感じになったのですか?」

「ん?」

「昔は違ったというように話をされてましたので」


 閣下は黙った。ティーカップに手を伸ばし、一杯飲み干して俺から視線を外した。


「愉快な話ではないが、かまわないかな」

「大丈夫です。なんとなくですが、知っておかなければならない話のような気がしますから」

「そうか……」


 閣下は重々しい口調で、王国の過去について語りだした。



 5年前、王都の中央広場で殺傷事件が起こった。犠牲になったのは母子二人組と、止めに入ろうとした青年。それから、犯人を拘束するまでに何人も傷を負ったらしい。

 目撃者の証言では、男はいきなり叫んで切りかかったそうで、捕縛してからの取り調べでも精神不安定だった。

 彼の居室を捜査したところ、当時は一般的に入手可能だったある薬物が見つかった。一晩寝なくても良くなる眠気覚ましで、特に危険性が喧伝させることもなく広く用いられていた。連用したとしても、いずれ眠気が耐え難く押し寄せるだけで、効きは一過性のものだ。

 ただ、男が使用していたのは舶来の正規品ではなく、下で流通していた粗悪品だった。連用すると情緒不安定になるということは、ある程度知られている程度の薬だ。捜査により、その出どころはシュタッド自治領内、国境近くの町で、そこを根城に犯罪組織が跋扈していると判明。

 問題は、たとえ自治領に自浄能力がないとしても、王国から捜査の手を伸ばすのは、自治領側からの反発を招くのではないかということだった。しかし、日に日に加熱する世論を背に受け、王都の衛兵隊と魔法庁の捜査部門を核にした一団を国境沿いに派遣。

 すると、自治領側もならず者の一団が現れ、国境沿いの平原で武力衝突した。


「そして、衝突の際に……見計らったように数人の魔人が現れ、混戦になってな」

「あちら側に、魔人が味方したのですか?」

「いや、皆殺しだった。あるいは、持て余したならず者を処分するという話が、実はついていたのかもしれないが……あの領内に魔人の手が入り込んでいるという疑いは強い」


 閣下は一度話を切ってから、再度注いだ茶を口にした。俺も今のうちにと思ったが、手が震えていることに気づいて止めた。


「あの戦いで、大勢亡くなった。それから、王都の民は城壁の外に目を向けるのを避け、ただただ強力な魔法庁を望んだ」

「……皆が望んだから、魔法庁は強くならなければならないと」

「それだけじゃないだろう。あの戦いで亡くなった方の遺族や友人が、開いた穴を埋めるように魔法庁に採用されている。民衆のために、自分のために、魔法庁は強くならないといけないし、強いところを見せなければならない、そう彼らは信じているんだ」

「王都に初めて入った時、怪しい薬物についての話を受けましたが、それも……」

「精神に働きそうな薬はすべて禁止されたよ。粗悪品が入ったのも、正規品という隠れ蓑があったからという主張があってね。そうやって怪しきを遠ざけ、法の正義が執行されている限り、彼らの”世の中”は安全なんだ」


 そういう閣下は、どこか寂しげだった。熱い茶を少し口に含んでため息を漏らし、また話を続ける。


「私からすれば、魔法庁に務める職員は、あの戦いの犠牲者のようなものなんだ。彼らのやり方や主張には賛同できない部分はあっても、心情を非難することはできない。結局は、守るべき民なんだ」


 それから、ちょっと困ったような笑顔を俺に向けた。


「きみには、大変腹の立つ連中に感じられるだろうがね」

「……まぁ、腹は立ちましたが……許すのも変ですし、単に近づかないことにします」

「そうするといい。わかりあえない身内というものは存在するものだ」


 その言葉で、ふと長官のことを思い出した。牢を出てからここまでの流れで、彼は自身にできる範囲で誠実に対応してくれたように感じる。ただ、ああいう組織の長なので、信頼できるかどうかは微妙なところだった。

 俺が問いかけると、閣下は黙って腕を組んで考え込んだ。


「友人と彼について話した際、外務が多いのは足場固め以上のものが目的なんじゃないかと、そういう話はしていた。他に渉外を任せられる人材がいないというのもあるだろうが……」

「何か、他にも理由があると?」

「今まで外部の要請もあって”強い魔法庁”を目指したのだから、その方針転換の前準備に、ああして外回りを重ねているんだろうと」

「なるほど」

「あとは、遠回しな内部統制のためかな。来歴不明のために、内側では軽く見られているらしいから、渉外で実績を上げて箔をつけようと」

「さっきやってらしたアレですね」

「そうそう、アレだ」


 閣下と彼のやり取りでは、彼に対して塩を送るような発言があった。冗談か、あるいは激励かは微妙なところだけど、閣下には少なくとも応援に値する人物と映っているようだ。

 話題が尽きて、俺が部屋を出ようと話しかけると、また閣下は俺に頭を下げた。


「どこかで判断を誤ったかもしれん」

「……王室向けの文書を、もっとはぐらかすべきだったとか、そういった話でしょうか」

「いずれ、きみが頭角を現して隠しきれなくなった際、過去の実績として残しておくべきとは思ったんだが……」


 あの文書がなければ、俺は捕まらなかったんだろうか。なかったとしても、なんだか俺のもとにたどり着つかれるような気はする。だったら、俺の功績を認めて残してもらって良かったのかもしれない。


「閣下の判断がどうこうというわけではなく、単に魔法庁の執念や情熱が勝ったと思っています。その魔法庁も、聞いてみると色々あったみたいですし……誰かを恨むようなことは、しないようにします」

「そうか」


 まっすぐ閣下の方に向いて言うと、やっぱり申し訳無さそうな表情はそのままだったけど、返された言葉は少し嬉しそうに聞こえた。


「そうは言っても、やはり腹立たしいことはあるだろう」

「それは、そうですね」

「聞くところによると、きみは割と一人の仕事を好むそうだが」

「……よくご存知ですね」

「娘が話してくれるんでね」


 やはりと言うべきか、お嬢様経由で知られているようだ。広められて困る話はしていないつもりだったけど、知らないところで俺の話をされて色々知られているのは少し恥ずかしい。


「仕事中、周囲に誰もいない状況になることは?」

「王都の外ですと、よくあります」

「そうして一人になったときに、思いっきり叫ぶといい。そうして大声で吐き出したあとに、まだ残るものがあれば、それはきちんと解決すべき問題だ」

「そうですね。今度、そのようにします」

「私も、若い頃はよく叫んだものだ。今でも、たまに叫びたくなるがね」


 苦笑いする閣下に、小さく頭を下げて俺は部屋を退出した。

 戸を開けると、通路の拭き掃除をしていたマリーさんが俺に気づき、小走りでこちらに駆け寄ってきた。


「お話はお済みでしょうか」

「はい」

「では、食堂へ一緒にお越し願えますか?」

「……はい」


 おそらく――99%ぐらいの確率で――みなさん待ってるんだろうなぁ、そう思うと緊張する。やっぱり、頭下げられるんだろうか。俺としては普段どおりに接してほしいところだけど。

 先を歩くマリーさんの姿は、やっぱり違和感が大きかった。髪が短くなるとだいぶ違う。雑にカットした後ろ髪から、うなじがチラチラ見えると、なんだかいたたまれなくなった。もしかしたら気分でカットしたのかもしれないけど、きっと面会の変装のためだろう。野暮だとは自分でも思うけど、聞いて確かめよう。


「マリーさん、髪は……」

「蒸してきたのでカットしました」


 いつもの調子で答えるマリーさんに、どう反応していいかわからず黙っていると、彼女は立ち止まって言った。


「朝お会いしたときの、変装のためですよ。一目見て私だと気づかれましたか?」

「そりゃ、わかりますよ」

「ありがとうございます」


 彼女は微笑んでいる。今は笑っているけど、ほんの少し前に涙を流したんだと思うと、胸が締め付けられた。


「あの」

「どうされました?」

「会いに来てくれて、ありがとう」

「私が会いに行きたかっただけですよ」


 彼女は笑顔のまま振り向いて、また歩き始めた。しかし、微妙に歩くスピードが遅い気がする。彼女は背を向けたまま話しかけてきた。


「女性の髪は長いのと短いのと、どちらが好みです?」

「特にこだわりは……まぁ、見なれたヘアスタイルが一番安心しますね。いきなり変わってると、少し心配しますし」

「参考にします」

「似合ってれば、ホント、なんだっていいんですけどね」

「なるほど」


 そんなことを話しながら進んで食堂に入ると、やはり先客が2人いて、案の定浮かない顔をしている。

 俺がテーブルについて、マリーさんが茶の準備をすると、奥様が口を開いた。


「あの戦いの前に、作戦会議をして、禁呪の件は任せてみたいな話をしたでしょう?」

「はい。ですが、その件は閣下とギルドに委任したとも伺いました」

「そうやって丸投げしたのも、今回助けられなかったのも、本当に申し訳なかったと思っているわ。ごめんなさい」


 奥様と一緒に、お嬢様も頭を下げた。マリーさんはそのままだったけど、やっぱり表情は暗い。


「元はと言うと、俺が言い出した件ですから……それに、メルとマリーさんの忠告を受けておきながら、こちらに身を寄せずに王都の宿でのほほんとしてたのも、不注意だったと思いますし」

「……気を遣ってくれてありがとう」


 奥様は弱々しく微笑んだ。お嬢様は、やっぱり視線を伏せて辛そうにしている。よく考えると、もうすぐお昼なわけで、おそらくはここでお呼ばれすることになるわけで、このままの空気で食事ってのは、本当に避けたい。何か妙案はないか、考え込んだ。

 すると、奥様が問いかけてきた。


「リッツ君、どうしたの?」

「いえ、昼食ってなんですか?」

「夏野菜と鶏肉の炒め煮だけど……」

「ご一緒していいですか?」

「ええ、もちろん」

「じゃあ、それまでに元気になってくださいね。じゃないと、なんだかキツいので」

「……そうね」


 奥様は、ほんの少し元気になったように見える。ただ、お嬢様はそのままのようだ。

 ところで、昼食当番は誰なんだろう。ぼんやり気にしながらお嬢様を見ていると、彼女が料理を作っているのを見たことが無い事に気づいた。考えてみれば、俺が来た当初は魔法の特訓で忙しかったし、森の戦いへの備えもあって料理どころじゃない。戦いの後は色々と外での用事が多くなって卓を囲むことが少なくなったし、衛兵さんや天文院の方の分もとなると、料理に慣れたマリーさんや奥様が協力して作っていた印象だ。それも落ち着いてきた頃には、俺が王都で部屋を取った。結局、そういうことだった。

 ちょっと言い出しづらいものの、この場の空気を変えられるならと、思い切って聞いてみる。


「きょうの料理当番は、誰になってます?」

「私だけど」


 奥様が、少しキョトンとした顔で答えた。若干、失礼に感じるかもしれないけど、言うだけ言ってみよう。


「実は、お嬢様の料理を食べたことがないので……いっぺん、どんなもんかなーと思って」

「……ふうん?」


 だんだん、奥様のいつもの調子が出てきた。優しい笑顔になってお嬢様に体を向け、肩を優しく叩いて言った。


「ああ言ってるけど……せっかくだし、作ってみない?」

「……はい」


 お嬢様は浮かない顔から、ちょっとだけ笑顔になって奥様にうなずき、席を立って俺の方に小さく頭を下げてから台所へ行った。

 奥様は笑顔のまま、俺の方に向き直って言った。


「リッツ君は料理できる? あなたがやっても面白かったと思うけど」

「5人前はやったことないですね……せいぜい2人前です」

「そう。ちなみに、あの子は私やマリーほど上手じゃないけど、そこは許してあげてね」

「お二人のが美味しすぎるだけです」


 それから、割といつもどおりの調子になって3人で会話した。思っていたのと違って、あまり茶化すような感じはなかったけど。なんか、お嬢様をハブったみたいで、少し悪いことをした気がしないでもない。

 しかし、できあがった料理を運んできたときの彼女は、少し晴れやかで、なんだかドキドキしているようにも見えた。

 閣下も呼んで、久しぶりに5人で食事になると、完全にちょっと前までのあの感じになった。

 トロトロに煮込まれた野菜と鶏肉をスプーンですくって口に運ぶと、口中が幸せな感じになる。

 素直に感想を伝えると、お嬢様ははにかんで笑ってくれた。作ってもらってよかった。

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