第78話 「釈放と交渉」

 マリーさんと別れてから、ぼんやりと天井を眺めていると、また建物の入口の方から音がした。また何かお客さんか、あるいは様子を見に職員の方が来たのか。音の方に注意を集中すると、やっぱり少し騒がしい様子はあったが、すぐに終息した。さっきとはまた様子が違う。

 静かになってから姿を表したのは、前にもやってきた次長さんと、優男っぽい面構えの男性だった。ちょっと頼りないというか、お疲れ気味の雰囲気を漂わせている。しかし、見張りの方は2人の姿を認めると、直立不動の体制で迎えた。


「お、お疲れ様です」

「お疲れ様。あとは私が引き継ぐから、後片付けを」

「はっ、はい!」


 見張りの方が壁に背をつけるぐらいに牢から距離を取ると、彼にかしこまった対応をされた男性は、牢の入り口に近づいてきた。そして、いくつも鍵が連なる輪から目当てのものを探し、牢の鍵を開けた。彼は鍵を見張りの方に返すと、俺の方を向いて話しかけてきた。


「これから一緒に伯爵家へ行きます。ご同行よろしいでしょうか」

「は、はい。かしこまりました」


 見張りの方の対応を見るに、かなり上の位の方らしい。しかし、物腰柔らかく丁寧な感じで、逆になんだか恐縮してしまう。

 彼に促されるままに牢から出ると、通路は狭いのになんだかものすごい開放感があった。彼が先導し、後ろに次長さんが付く形で――つまり前後に挟まれる形で――俺たちは通路を進み、建物の外に出た。


 外に出ると、敷地内のそこかしこに職員の方がいて、俺達から距離を取りつつ様子を見守っている。意外と暇なのかも知れない。あるいは、連行する2人に後を任せたおかげで、手持ち無沙汰になっているのか。俺に向けられた視線には、やっぱり敵意とか興味とか……当惑している感じがある。そんな妙な空気の中、石畳の道を歩いていって、俺たちは魔法庁から出た。


 敷地を出て入り口からすぐに右へ曲がり、道を進んで街路も右へ曲がると、先導する彼は立ち止まって次長さんに声をかけた。


「付いてくるものは?」

「そういった気配はありません」

「わかった。君は先に路地を通って南門へ向かってくれ」

「了解しました」


 次長さんは命令通りに動き、街路の角ですぐに見えなくなった。ちょっと間をおいてから、俺たちも後に続くように進む。

「いやぁ、暑いね」と言って上着を脱いだ彼は、俺に服を手渡してきた。どういうことだろうと少し戸惑うと、彼は俺の両手首の腕輪を指差した。


「恥ずかしいだろうから、これで腕輪を隠すといいよ。もう片方のは、ポケットにでも手を突っ込むしかないか」

「あ、ありがとうございます」


 魔法庁の人間の後ろに、両腕に同じ腕輪を付けた人間が歩いていると、”いかにも”という感じだから、その配慮だろう。囚われていたときとは違う気遣いに、少し混乱した。


 南門へ向けて歩いていくと、なるべく人通りの少ない道を選んでいるのがわかった。それでも何度か人とすれ違うことはあったけど、魔法庁の中で感じたような視線じゃなかった。いつもどおりの、王都の人たちだ。

 しかし、歩き慣れない道を歩いていると、なんだか漠然とした不安は感じた。この道の先が知っているところにつながっているのか。そもそも、先を行く彼は何者なのか。

 相変わらず暗いくもり空の下、俺達は無言で歩いていった。少し速歩きだったからかもしれないけど、案外早くに門が見えた。次長さんは先に外へ出たようだ。


 門が見えてから、身分証を持ってきたか気になった。カバンは宿に置きっぱなしだ。しかし、上着と肌着に挟まれるように、身分証はきちんと首からかけてあった。習慣にしていて良かった。

 人知れず安堵していると、先導係の男性が身分証を門衛の方に提示し、門衛の方は固まった表情のまま深々とお辞儀した。やっぱり、相当な位のお方のようだ。

 若干気後れしながら、俺も身分証を提示して後に続く。門衛の方は若干緊張した様子だったけど、顔なじみということもあってか微笑して通してくれた。


 王都の外に出ると、次長さんが待っていた。


「周囲を見回りましたが、誰もいません」

「わかった、ありがとう。とりあえずはこのまま歩こう」


 短いやり取りの後、今度は2人が先に並んで歩いた。逃げ出す心配とかは全くしていないようだ。俺からすれば、逃げ出せば多方にかえって迷惑がかかるし、目の前の2人は、背中にも目があるんじゃないかと思わせるようなオーラを漂わせている。逃げるのはありえない。

 王都と近隣の集落のちょうど中間あたりにつくと、先の2人は立ち止まった。あたりに素早く視線を巡らし、誰もいないことを確認すると、俺の方に向き直って先に男性が口を開く。


「はじめまして。フラウゼ王国魔法庁長官の、ウィルフリート・ローウェルです」

「私は魔法庁長官補佐室、次長のエルメルフィ・ファムスです」


 長官が先に手を差し出してきた。ポケットに突っ込んだ手を慌てて引き抜き、握手に応える。


「リッツ・アンダーソンです」

「ええ、存じ上げてますとも」


 笑顔でそう言う彼は、握手しつつ手首の腕輪にもう片方の手を伸ばし、手にした鍵で輪を解いてくれた。「そちらも」と言われ、小脇に抱えた彼の上着を持ち替えつつ、鍵を外してもらう。両腕が解放されたところで上着を返すと、今度は次長さんが手を差し出してきた。俺もそれに応じると、少し力強く手を握られた。手から視線を上げると、視線を伏せ頭を下げている。

 握手を終えると、次長さんも上着を脱いで小脇に抱えた。おふた方ともボトムスは制服のままだったけど、一発で魔法庁の職員だとはわからないだろう。どこかのお役人ぐらいにしか見えない。


 握手を済ませてから、また歩きだすと、長官が話しかけてきた。


「部下の管理不十分で、大変申し訳無い」

「いえ……」


 謝罪されたものの、どう応えていいかはわからなかった。俺が非を認めるのは、伯爵家に対して僭越という気がする。何か巻き込まれたんじゃないかという感じは漠然とあった。聞いて教えてもらえるわけでもなさそうだけど、長官の言やメルの話から考えると、部下が先走ったと考えるのが妥当なのかもしれない。


 集落を超えて無言で進み、周囲に人気がなくなってくると、長官がまた話し掛けてきた。


「Dランクの試験が3ヶ月後にあるけど、そちらは視野に入れてるかな?」

「えっと、ダメ元でやってみようかと」

「そうか、ちなみに練習は進んでるかな?」

水の矢アクアボルトを覚えたところで……なかなかうまく使えませんけど」

「ああ、わかるよ。言う事聞かない部下みたいな感じだろう」

「そんな感じです」


 教わったときと似たような表現をされて、急に親近感が湧いた。ありふれた表現なのか、あるいは彼のおかれた境遇に、伯爵家に重なる部分があるんだろうか。ちょっとくたびれた感じの空気を漂わせて笑う彼に、妙なシンパシーを覚えた。


 少しとぎれとぎれに、ちょっとした世間話をしながら歩いていくと、見慣れたお屋敷が見えてきた。心臓の鼓動が高鳴るのを感じる。俺の前を進むお二人は、もしかすると俺以上に緊張しているかもしれない。


 塀を回り込んで庭の表口につくと、庭の手入れをしていたマリーさんがいた。俺たち3人の来訪に驚き、一瞬だけ安堵したような表情を見せてから、一礼して「ロビーでお待ち下さい」とだけ言って屋敷の奥へ消えていった。

 屋敷の中に入って待つと、程なくしてマリーさんが現れ、俺たちを応接室へ案内した。

 応接室には閣下がすでに待っていた。先に長官が中へ入り、閣下と互いに会釈した。面識がある仲らしく、特に自己紹介はなかった。

 続いて、閣下は俺の方に向いてゆっくり距離を詰めてきた。静かな口調で一言、「すまなかった」と言われると、何か胸の中でこみ上げてくるものがあった。


「私の方は、特に何もありませんでした」

「わかった。この会談が終わってから、またゆっくり話そう」


 4人で席についた。テーブルにはすでに茶器が用意してある。ソファはふかふかで、少し暗い色調の室内は、落ち着く空間だった。話題はきっと重苦しいけど。

 腰をおろしてから、すぐに口を開いたのは長官だった。


「すでに話が行っているようですが、改めて申し上げます。先般の、禁呪の承認外使用について、リッツ・アンダーソン氏の関与が認められ、調査のために本庁にて身柄を確保しておりました」

「彼の関与を裏付ける証拠は?」

「王室向けの”非公式”報告書に、その旨の記載があったとの報告があります」


 つまり、魔法庁は王室向け文書を漁ってまで、この件に手を入れていると、組織の長が証言しているわけだ。


「彼に対する調査の方は?」

「ただの口実です。この会談自体が目的です」


 バッサリと切り捨てると、さすがの閣下も面食らったようだ。場が静まり返り、少し経ってから閣下は静かに「要求は?」と聞くと、今度は長官のほうが苦い顔をして黙り込んだ。

 ややあって、彼はテーブルに頭がつくほど身を屈めて、言った。


「戦勝と現場の人命を優先してのご判断とは存じますが、それでも違法であったと公に認めていただく必要があります」

「……認めなかった場合は?」

「我が国中枢、ことによると他国へ飛び火する事態になりかねません」


 あまりの大事に、思わず息を呑んだ。閣下は天井を見上げて息を吐き、また長官に顔を向けて言った。


「非は認めよう。具体的に、どういった措置を取るつもりだ?」

「複製術の使用許可をご返上し、そのことを国民へ公示する許可をいただければ」


 長官の言葉に、閣下は少し固まった。俺も、その言葉を奇妙に感じた。他の国にまで事態が及ぼうかというのに、いくら禁呪でも1つ許可を返上するだけで収まるんだろうか。

 俺たちの困惑を読み取ったのか、長官は真剣な眼差しを向けて言葉を続けた。


「提案を呑んでいただければ、魔法の管理制限において、魔法庁の下についたという姿勢を示せます。組織としての要求は、結局はそこに集約されます。一方で、許可のご返上に関し、国民は貴家が御自ら襟を正したと見るでしょう」

「許可の取り直しは?」

「……これまでよりも制限を重ねれば承認されるかと。かなり不快なお思いをされるとは存じますが」

「当家への扱いはそれで済まされるとして、彼に対してはどうなる? 魔法庁が放っておくとも思えないが」


 閣下が指摘すると、対面する魔法庁のお二人の視線が俺に注がれた。視線からは、ハッキリとした感情は読み取れないものの、どことなく真摯な感じはあった。

 テーブルに視線を伏せ、少し考え込んでから長官は口を開いた。


「ある程度の期間……そうですね、1ヶ月ほどでしょうか。彼が魔法の練習を行う際、魔法庁の人間が監視・指導する事を、貴家にお認めいただければと」

「魔法庁からの人材の選定は?」

「相応の者を」

「……だそうだが、どうだ?」


 閣下は俺の方に向いて問いかけてきた。あまり拒否権があるようには感じない。

 俺の魔法の練習に、魔法庁の人がつく。ふと、ここに来るまでの雑談を思い出した。Dランクへの昇格を目指しているのは、目の前のお二人に話した。閣下への話しぶりから、少なくとも長官は妥当な落とし所を探しているように思われるから、俺の練習を妨害しようとか、そういう意図はないように思う。そうすれば、また問題が再燃するだろう。

 “先生”と練習できなくなるのは、むしろ彼女の方が残念がるかなと思いつつ、牢から出てこの処分で済むならだいぶマシだと思って、俺は受け入れることにした。

 話がまとまると、閣下は長官に少し軽い口調で話しかけた。


「この件は、きみの手柄になるのかな」

「私からすれば汚点でしかありませんが……下からは評価されるかと」

「そうか。我が家の名も、きみの役に立つのなら何よりだが」

「私には重い荷ではありますが、お気持ちを無駄にしないよう、尽力します」


 それから、長官と閣下は書面を取り交わして、家の紋章を押印した。具体的なことはまた後日詰めるようだが、とりあえずの話の流れは確定したようだ。これで完全に矛が収まるかどうか、正直に言うと心配だったけど……この譲歩は最後の防波堤なのかもしれない。これ以上何かあると、閣下も長官も黙っていないだろう。

 書類が整うと、魔法庁の2人は立ち上がり、深々と礼をした。俺たちも礼を返し、2人を見送ると応接室には閣下と2人だけになった。

 閣下に勧められ、対面する形でソファにつく。積もる話が色々あるようで、閣下は少し考え込んでいるようだった。思えば、こうして対面するのはかなり久しぶりだ。

 テーブルの上には、結局手を付けずじまいのティーカップが4つあった。2つ片付けて、2つに茶を注ぎ閣下の話を待った。

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