第74話 「雲行き」

 6月20日、昼。朝から茶店で読んでいた野草についての本を読み終え、昼食の前になんとなくギルドへ顔を出すと、受付の方に呼びかけられた。

「リッツさん、こちらを」と言われ、差し出された紙を見る。メルからの手紙で、「例のケーキ屋に来てもらえませんか」と書いてあった。待ち合わせの日付指定はなく、ただ15時ごろとだけある。

 こうして人づてに呼ばれるぐらいだから、どうしても話しておきたいことでもあるのだろう。昼食はケーキの分も考えて少し控えめにしておき、結局また茶店で時間をつぶすことにした。



「すみません、急にお呼び立てしてしまって」

「いや、いいけど……」


 ケーキ屋に入ると、メルが駆け寄ってきた。朗らかな感じは以前通りだったけど、少し緊張感を漂わせている。彼は店員さんと何か話し、話し終えると店員さんは俺たちを2階に案内した。

 階段を上がって扉を開けると、そこはテラス席になっていて先客がいた。


「数日ぶりですね、リッツさん」

「マリーさん」


 まさかここで会うとは思わず、少し驚いた。横に控えていた店員さんに注文を聞かれ、少し迷ってから結局プレーンのスポンジケーキを注文した。

 俺とメルがイスに座り、3人で卓を囲む。どういう用件で呼ばれたんだろうか、気になって黙っていると、メルが先に口を開いた。


「本題はケーキが来てからってことで……最近どうです?」

「いいネタはないよ」


 本当に、最近は水の矢アクアボルトに慣れるのに手一杯で、検証とか実験をやる余裕がなかった。俺が正直に言うと、彼は苦笑いした。


「やっぱりDランクの覚え始めって大変ですよね。僕もしんどかったです」

「みんなそうなんだ」

「Eランクとはだいぶ違いますからね。あまり無理せず、じっくりやるのがいいと思います」


 ケーキが来るまでそんな感じで、Dランクの魔法について雑談した。Dランク試験にも必修魔法があって、水の矢と砂の矢サンドボルトの2つは毎回含まれるらしい。


「砂の矢は、器を黄色に染色して七色の矢セブンスボルトを組み合わせると射てます」

「文1つで魔法2つ分覚えることになるんだ」

「ただ、黄色く染めるのが難しいんです」

「ここ、フラウゼ王国は青寄りの国ですしね。毎回、砂の矢は難関とされてます」


 マリーさんの指摘通り、青系の人は知り合いに多い。暖色はハリーにウェイン先輩が黄色系、ラナレナさんが橙ってぐらいだ。

「赤系の色のほうが、この国だと目立って出世しやすい?」と聞くと、メルは首をひねった。


「一概にそうともいい切れませんね。重宝されるのは間違いないんですけど、上に立つってなると、みんなをうまく使わないとってことですから。そういう意味では、むしろみんなと同じ色のほうが有利って気はします」

「ただ、実力主義の冒険者ギルドなどでは、他にない強みを見せると印象に残りやすいという面はあるかもしれません。埋もれにくいと言いますか」

「なるほど」


 いずれにせよ、青緑だとそういう出世レースには不利というか、あまり強みはないんだろう。気が楽といえば楽だった。出自や禁呪のことを思えば、変に目立つと面倒だ。

 しかし、ケーキがやってきたときにメルが本題を切り出すと、どうも雲行きが怪しくなった。


「最近、魔法庁の聞き込みが活発化しまして。主に先の試験でEランクに昇格した方について、探りを入れているようです」

「その聞き込みって、試験のたびにやってるとか、そういうものじゃないの?」

「ええ、実は毎回やってます。魔法庁からすれば、Eランクからが本格的な魔導師ってことで、むしろ他のランクへの昇段よりも気にされてる感じですね」


 Eランクへの昇格は、申請すれば魔法庁からの身分証を発行してもらえるし、他にもDランク教本の販売許可などの特典がある。Dランク教本には、魔導師同士の戦いを想定するならば必須とも言える魔法が収められていて、不正な流出は国として避けねばならない。

 そういった事情があるからこそ、魔法庁は昇格した者への身辺調査を行い、周囲もそれに協力的だそうだ。しかし、今回はどうも様子が違うらしい。


「これまでの素行に関する調査と銘打って、目の森での戦闘に関する質問が多いようです。ただ、あの戦闘に関わってEランクに上がったばかりの人ってだいぶ限られますから、Eランク昇格の聞き込みってのは口実っぽく感じるんですよね」

「本当に知りたいのは、目の森での戦闘のことか」


 メルはうなずいた。俺の言葉の後にマリーさんが続く。


「リッツさんは、ここ最近魔法庁の方か、あるいは知らない方に接触されたことは?」

「いえ、特に」


 すると、メルとマリーさんは顔を見合わせ、少し深刻そうな顔になった。メルが静かに話しだす。


「昇格者当人に何も聞きに来ないってのが、かなり怪しいんです。実はギルドから頼まれて、例の戦闘に参戦したあとEランクに昇格した方に確認をとってみたんですけど、みなさんリッツさんみたいに魔法庁からの接触はなかったようで」


 急に湿った風が吹いた。少し蒸し暑いぐらいの日だけど、風が妙に冷たい。

 会話が途切れ、3人でケーキをつついた。相変わらずの味で美味しいけど、堪能するような余裕はない。マリーさんが茶をすすってから、辺りをはばかるように小声で言った。


「当家にも特に接触はありませんが、例の戦いにおける”特殊作戦”に関しての調査と考えるのが妥当かと思います」

「……やっぱりそうですか」

「おそらく、周辺から少しずつ情報を集めていって、行き詰まるか有力な情報を得たら行動に移るものと思われます」

「行き詰まっても?」


 俺がそう聞くと、2人は若干ためらいがちにうなずいた。メルが口を開く。


「何かしら嫌疑がある方に対し、接触を試みると思われます。本格的に取り調べるかどうかは微妙なところですが……下のお姉さんがたから聞くと、魔法庁がどうも不穏な雰囲気とかで」


 ケーキ屋の常連さんは、彼氏や家族が魔法庁職員という人も多い。その職員さんがこぼした愚痴が巡り巡ってメルにたどり着いたわけだ。彼は話を続ける。


「実は、魔法庁長官が公務で不在なんです。今は西方の最前線にいるとかで。この機に乗じて何か動きを見せる可能性はあります」

「長官不在で?」


 少し信じがたい話だけど、メルは表情を全く変えない。彼の口から魔法庁の中の情勢について語られる。

 長官は外務が多い。職責や職能を考えると当然ではあるものの、着任して半年程度と考えると足場固めのためと考える者も多い。そういった外回りのおかげか、外部からの評価は高いものの、逆に身内――というか規制派――からは軽んじられているらしい。


「長官は中道の方だと思われるんですが、規制派からすれば意に沿わない首長ってことで……意に沿わないのはお互い様だと思いますけど」

「長官さんは、部下との衝突は避けてる感じ?」

「そうですね。外堀を埋めてから、内部統制に動くんじゃないかとは言われてます。後ろ盾ができてから、内側を治めるみたいな」

「……魔法庁の中で実績を上げてきた人じゃないんだ」


 俺が指摘すると、メルは少し困ったような表情になった。


「長官の前職は不明なんです。どうも、国家上層から漏れてないレベルの機密っぽくて。ちょっとヤバげなので、あまり深入りはできないですね」

「なるほど」

「長官は、おそらく味方というか……伯爵家とギルド寄りの”感性”をお持ちだとは思いますけど」


 言い終え、ケーキも食べ終えた彼は、茶を飲み干してから言った。


「僕の方からお伝えする情報は以上です。聞き込みにあったら、答えづらいことはギルドに回してください」

「わかった。でも、箝口令の存在を知ってて、その上で聞き込みに来るわけだよね?」

「まぁ……そうですね。リッツさんに聞きに来る時点で、大詰めって感じは否めません。だからこそ、ギルドに間に入ってもらう感じですね。一人で応対するのは危険です」

「ああ、わかった。ありがとう」


 彼に笑顔を向けて感謝すると、彼も笑ってカバンに荷物をまとめ始めた。


「3人で一緒に出ると良くないので、僕は下で色々だべってます」

「……そういえば、俺の方からメルに話したい場合はどうすればいい?」


 彼は苦笑いしながら首を傾げた。


「僕は色々飛び回ってますから、王都にいないことも多くて。月末月初は王都にいるようにしてますけど。月末26日から3日の間は大体いますから、受付の方を通じて連絡いただければ、こういう席を設けてお話できます」

「26日から3日の間か、了解」

「急な用事がなければ、ですけど。ギルド側で僕のスケジュールは把握してますから、ある程度は教えてもらえるはずです」

「わかった。またね」

「いいネタ待ってます!」


 満面の笑みで手を振りながら立ち去る彼を、少し苦笑しつつ見送った。

 マリーさんと2人残される形になった。彼女と2人きりになるのは久しぶりだ。


「魔法の練習の方はどうですか?」

「水の矢に慣れようとしてるところです。慣れてから、次の魔法を覚えようかと」

「それがいいですね。慣れない内から色々手を伸ばしても、あまりうまく行きませんから」


 彼女は言い終えてから、パウンドケーキをフォークで切って口へ運んだ。メルは話の進展に合わせてケーキを消費していったような感じだったけど、マリーさんは普通に味わいながら食べているようだ。


「マリーさんって、こういうケーキも作れます?」


 問いかけると、彼女は少し真剣な表情になって手もとのケーキをまじまじと見つめた。口の中が片付いて、茶を一口含んでから彼女は言葉を返す。


「似たようなものってことでしたら作れますけど、この水準ってなると無理ですね」

「作れるってだけですごいですよ」


 素直な感想を述べると、彼女はほほえんだ。ほほえみ、それが前に見たような少しいたずらっぽい感じになっていく。


「このレベルのものは無理ですけど、私が作ったってだけで、リッツさんは美味しく感じるんじゃないですか?」

「そうですね」


 また素直に答えると、彼女はキョトンとした顔になった。視線が合うと、少し恥ずかしくなって顔が多少熱くなるのがわかる。彼女は優しく笑った。


「今度、ケーキでも作りましょうか。何かめでたいことがあった時がいいですね」

「めでたいこと」

「Dランク魔導師へ昇格したときとか、どうです?」

「そうですね、がんばります」

「ええ、がんばってください。合格したら、私がケーキを作って、アイリスと3人で食べましょうね」


 にっこり笑って、彼女はケーキを一口一口、味を確かめるように食べていった。隠れて練習でもするのかな、なんて思った。

 試験日まで、何事もなければいいんだけど……合格うんぬんよりも、魔法庁の動向が気になって仕方ない。

 茶を飲みながら、空に視線を上げる。降り出しそうなわけじゃないけど、灰色の雲が空を埋めていて、僅かな亀裂から青色が見える。



 6月22日、早朝。時刻はわからない。確認する前に、部屋の戸を叩かれる音で目が覚めた。

 何度か静かにノックされた後、内心嫌な予感がしつつも意を決して「はい」と戸の向こうに答えた。すると、向こう側から若い男性の声がした。


「魔法庁のものです。朝早くに申し訳ございませんが、リッツ・アンダーソンさんにいくつかお伺いしたい事項があって参りました。1階までお越し願えますか」

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