第75話 「任意同行」

 心臓が早鐘を打つ。扉一枚挟んで魔法庁の人が待ち受けている。ただの聞き込みなのか? 聞き込み程度で居室まで押しかけるか? あれこれ頭の中に浮き上がり、思考がまとまらない。

 一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。「着替えますから、少し待ってください」と向こうに聞こえる程度の大きさに抑えた声で言うと、あちらも「わかりました」と同じような大きさの声で返答した。

 時刻の考慮もあるのだろう、あちらはあまり事を荒立てるようには感じない。後のことを考えると、あまり騒ぎにはしたくない。ここにいられなくなるかもしれない。


着替えを手に取り上着のボタンをかけようとすると、手が震えた。震えている自分を意識すると、手から全身に震えが伝播するようだった。今までにも色々と恐ろしい目にあった。今回のは、過去にないタイプの、漠然とした恐怖だ。

 視界に入った窓から外が見えた。雲が一面被っていて、暗く重たい空模様だ。逃げちまうか、一瞬そんな考えが頭をよぎった。バカな考えだった。そんなことをしたら、きっと今まで世話になった方々に色々と迷惑がかかる。だからって、この先どうなるのか考えると、逃げ出したいという気持ちは消えないでいた。

 着替え終わって、いつもの身支度の流れでカバンを手に取りかけて、思い直した。外出すると決まったわけじゃない。1階で少し話をして終わる程度かもしれない。これが希望的観測なのかどうかもわからない。いつも踏んでいるはずの床板を、波打つように不確かに感じながら戸に向かう。一度息を吸ってドアノブに手をかけ戸を開ける。


 戸を開けた先に待っていたのは、魔法庁の制服を着た若い男性だった。背が高く、無表情に俺を見下ろしている。彼は静かに口を開いた。


「下の階までお願いします」

「……わかりました」


 2人で階段を降りると、食堂にはルディウスさんとリリノーラさんがいた。2人とも心配そうな表情をしている。

 職員の彼に促されるままに、テーブルについた。窓とドアが近くにない、壁際の席だ。外に出したくないんだろうし、外からも見られたくないんだろう。こんな状況で、こんなことにばかり半端に頭が回る自分が、少し腹立たしかった。

 席についてから店内に素早く視線を走らせると、階段の影に隠れるようにして、魔法庁の職員の方が4人立っていた。もう、ただの聞き込みなんかじゃない、そう思った。俺の心中を察したのかどうかはわからないが、対面する彼はルディウスさんに声をかけて同席させると、用件を切り出してきた。


「先般の黒い月の夜、王都近郊の目の森での戦闘において、フォークリッジ伯爵家指揮のもと第3種禁呪の違法利用があり、その件にリッツ・アンダーソンさんの関与が認められました」


 口答えはできない。ここまでは事実だ。黙って小さくうなずき、この先を促した――俺をどうするつもりなのか、どう考えているのか。


「件の戦勝の話題性を考慮すると、違法行為を容認しては悪しき前例になりかねません。そのため、情報を精査し正当な処置をするため、あなたに事情聴取をさせていただきたいと考えています。つきましては魔法庁までご同行願えますでしょうか」


 テーブルの下に隠した手が震えだした。先にギルドに連絡してもらうべきか? 俺の一存でどうこうできる問題じゃないだろう。でも、こんな朝早くに5人魔法庁の方がいて、明らかに囲う雰囲気を漂わせている現状、他所に助けを求める事ができるとは思えなかった。

 何か答えるべきなんだろう。しかし口を開こうとしても言葉が出ずに、ただ空気しか漏れない。そうやって何も答えられずにいると、恐ろしげな雰囲気に少し縮こまっているように見えたルディウスさんが声を出した。


「彼は……何か、罪を犯したのですか?」

「お答えしかねます」

「私はこの宿の主人です。今まで彼と他のお客様を預かってきたものとして、知る義務があります」


 わずかに声を震わせながら言い切ると、無表情だった職員の方は少し眉間にしわを寄せ、考え込んだ。何秒か間を置いてから、口を開く。


「彼には違法行為に加担した嫌疑がかけられています。当該行為を共同で行ったか教唆したかは不明ですが、伯爵家監視下での戦闘行動ですので、最終的な責は問われないでしょう」


 監督責任が伯爵家にある以上、俺は命令に従って仕方なく……そういう解釈のようだ。それにしては、物々しい雰囲気を漂わせている。ルディウスさんも同じ気持ちのようだ。彼はまた静かに口を開いた。


「あの、聴取は任意ですか?」

「……今のところは、そのように考えています」


 その今のところが、いつまでのことなのか……いつ豹変するのかと考えると、恐ろしくて仕方がない。2人が会話を重ねるごとに心拍数が上がるのがわかる。耐え難い悪寒がする。

 卓の2人から視線を外して、再度まわりの様子をうかがう。他の職員の方4人は、依然として無表情だったが、少しこちらへ距離を詰めてきたように感じる。プレッシャーから俺がそう感じているだけかもしれない。リリノーラさんは、青ざめた顔をしている。いつもの元気な様子は欠片もない。もう、ここにはもどってこれないかもしれない。

 少し沈黙が続いた後、ルディウスさんが深く息を吸い込んで言った。


「任意の聴取で同行してもらうために、5人も動員するのですか?」

「……話の流れというものがありますので。過度に不安や緊張を覚えて取り乱す方も、過去にはおられましたから」

「……あなたがたのそういう構えが、相手を過度に怯えさせるのではないですか」


 言葉を受けた男性は、目を閉じて思案した。

 急にあたりが水を打ったように静かになった。囲む4人も、リリノーラさんも少し呆気にとられている。そして俺も。呆けた顔をしていると、隣の席から伝わってくる何かに気づいて我に返った。ルディウスさんが震えている。それでも、顔は相手に向けたままだ。この状況が恐ろしいのは変わらなかったけど、少しだけ悪寒がやわらいだ。

 考え事を終えた男性は、4人の方へ向き直り指示を出す。


「ここから出て、本庁までの経路を見張るように」

「しかし」

「責任は私が取る」


 部下と思しき男性が抗弁しようとするが、主席者らしき彼が抑え込み、4人は俺の方を一瞥してから宿の外に出た。

 ごく僅かに聞こえるぐらいの、小さなため息をついてから、ひとり残った職員の彼が俺たちの方へ向いて「ご同行願えますか?」と聞いてきた。声は相変わらず落ち着いている。

 拒否はできないだろう。ここで逃げると、かえって面倒は避けられないだろうし、何よりルディウスさんからの信頼を裏切る気がした。ここまで何も言えないでいた俺だったけど、彼には一言何か言っておきたくて、職員の彼に告げた。


「ここを出る前に、少し話しても構いませんか」

「どうぞ」


 相変わらず淡々とした声で返された。俺が何か言おうとする前に、ルディウスさんはリリノーラさんに手を振って呼び寄せた。彼女は、テーブルに座らず立ったまま見守っている。

 心臓が高鳴るのを感じながら、俺は口を開いた。


「あの、本当にすみません。こんなことになってしまって」

「……リッツさんと、あの家の方々は……法を犯しただけで、悪いことはしていないのですよね?」


 ルディウスさんが放った、”悪くない違法行為もある”という含みのある言葉を聞いて、職員の方はわずかに顔をしかめた。


「……違法行為があったのは事実です」

「わかりました。事が済んだら、僕らにも詳しいお話を聞かせてください」


 ここまでの話の流れで、きっと俺のことを容疑者だと感じただろうけど、それでもルディウスさんは落ち着いていて、優しげだった。彼がテーブルの上においた両手が、小刻みに震えているのが視線に入り、申し訳ない気持ちになった。

 何も言えないまま、時間だけが過ぎた。少なくとも、ルディウスさんは宿の亭主としての責を果たしたように感じる。俺も、やったことに対して責任を持たないと。椅子にへたり込みそうになる足腰に力を入れて、職員の彼に同行の意を告げた。


 宿を出ると、生ぬるく湿った空気が体を包んだ。周囲に人通りはない。それでも、絶え間なく誰かに監視されているような錯覚があった。まるで別の街に迷い込んだようだ。

 職員の彼は俺の前を歩いた。逃げ出すとは露ほども考えていないようだ。彼の背中から感じる静かな威圧感に、俺は彼の背後を歩くことしかできない。縛り付けられたように、ただ一定の間隔を保って後について歩き続けた。

 普段は通らない道ばかり通ると、ますます知らない街に来た感覚が強くなる。魔法庁のある北側を避けていたからそんな錯覚に悩まされるんだと、自分に言い聞かせる。意を決して、こうして出向いてやってるんだから、気を強く持たないと。


 物怖じする心に理性の空元気で対峙しながら、知らない道を歩いていくと、白い石の壁に囲まれた施設が見えた。かなり広い。壁は圧迫感があるほどの高さはないが、壁に沿うように並んだ木々は、内外にいるものに睨みを効かせているように感じる。

 彼の案内で、壁に仕切られた敷地内へ入った。魔法庁だ。壁の内側は各建物へ石畳が続き、地面は刈り揃えられた芝が覆っている。ところどころ花壇もある。でも、安らぎとかは全く感じない。咲く花がお仕事で咲いてやってるように感じる。


 そうやって周囲の様子に視線をめぐらしていると、先導してきた彼は俺の方に向き直り、腰の吊り具から何か取り出した。「失礼」と言われ抵抗する間もなく、右手を取られて手首に”何か”を掛けられた。黒い金属製のそれは鎖のない手錠のような腕輪だった。

「左手も、出していただけますか」ここまで来ると抵抗は無意味だろう、観念して手を差し出す。彼は表情を変えずに左手首にも同じ腕輪をかけた。鎖がないものの、何か動きを抑制するためのものなんだろう。少なくとも、この敷地内では、俺は罪人同様の扱いなんだと直感した。


 再び歩き出した彼の後についていく。敷地内のひときわ大きい建物が本庁舎なんだろう。しかし、そちらには行かず、少し小さめの建物へ通された。

 建物の入口には守衛らしき方がいた。少し眠そうな顔をしていたが、俺たち2人の姿を認めると顔つきが変わって急に背筋を伸ばした。先導する彼が顔を向けると、守衛の方は小さく頭を下げて固まった。

 建物の中は、外壁同様に壁は白い石造りで床は板張りだった。木材の色は少し暗い。少し広めの通路からつながる部屋は、壁がなかった。格子状の木材で部屋と通路が区切ってあって、視界が通る。つまり、座敷牢みたいなものだった。


 先導する彼が、牢の鍵を開けて戸を開き、俺の方に向き直る。眉1つ動かさずに、何かジェスチャーしている。入れってことだ。

 任意聴取が聞いて呆れる。それでも、従わざるを得ないし、正直に言うとあの戦い以外でも複製術を無許可で使ったという余罪はある。この状況への反発心と不安と罪の意識を抱えながら、俺は牢に入った。

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