第70話 「法の目の敵」
6月16日、13時。フラウゼ魔法庁の第3会議室を埋める、各部署の面々を見回す。いずれも多少の重苦しさに疲れが混じったような表情で、議題の進展について思わしくない状況であるのが見て取れた。
“目の森の戦闘における、フォークリッジ家による禁呪の違法利用に関する調査”と銘打った会議は、今日で3日目になる。他の”派閥”の目もある以上、会議室を専有し続けるのは好ましくない。だからこそ、何かしら会議の成果がなければ。この場に居合わせる者たちから、物言わぬ焦燥感が伝わってくる。
背後から「室長、どうぞ」と言って茶を差し出された。受け取ってソーサーをテーブルに、カップはそのまま口元へ持っていって一杯口に含む。
この者共にも急ぐ理由がそれぞれあるように、僕もまごついてなどいられない。大師から調査を言いつけられて10日は経っている。ここで何かしらの進展を見せなければ。かといって功を焦り隙を見せるようでは、最悪の場合僕の正体が露見するだろうし、そこまでいかなくとも今のような立場を追い落とされることになる可能性はある。口数は少なく、議論の正鵠を射て、なんとかこの者たちをうまく動かさなければならない。
会議室前方の演壇に情報関係の部署の次長が立ち、昨日から追加で得られた情報を交えつつ、今日から会議に参加する面々へ、ここまでの経緯を説明した。
例の森の戦いが3月末、伯爵家とギルドによる報告書が上がったのは4月12日。その報告書において、伯爵家に対して与えられた各種権限のもと、第3種禁呪の複製術を承認外の用途で行使したと記載があった。
実際にどの魔法に組み合わせたかの記載はない。これは禁呪の具体的な”悪用法”を文書化しないための意図的な配慮だと思われる。それでも知りたければ、直接伯爵家へといったところだ。
国家の上層に対して提出された”非公式”の報告書については、まだ未確認だ。今に至るまで様子を見たものの、上からは特にお咎めはない。この件に関して、ここで下手に動けば魔法庁が孤立する恐れがあるため慎重に行くべきという意見と、そうやって及び腰になっていて誰が法を正すのかという意見が、同じ規制派どうしでもぶつかり合っている。それも、この会議を始める前の5月上旬辺りから、ずっとだ。
今になって本格的な調査体勢を組んで始動したのは、6月4日に行われたEランク魔導師階位認定試験の存在によるところが大きい。例の戦いに参加した者について情報を少しでも得たいが、伯爵家とギルドのつながりを考慮すれば、ギルドに対しての情報請求すら、不用意に行えばいらぬ警戒を招きかねない。そこで、新しく魔導師になった人員の素行調査と称して、試験にかこつけ依頼の報告書を数カ月分に渡って請求し精査した……というのがここまでの流れだ。
伯爵家が法を犯したと、この場の面々は考えているが、客観的に見ればかなり微妙なところだ。戦場での作戦行動を支えるために認められている諸々の権限が、あの家にはある。しかし、この会議室の連中は権限と法の隙間を縫い合わせて糾弾する構えだ。”我々”からすれば敵に当たるものの、あの家の人々には少し同情する。
禁呪の違法利用について議論が分かれているのは、伯爵家の人間が思いついたのか、あるいは外部の人間の入れ知恵によるものかというところだ。前者であれば、直接かの家に出向いて確認するより他に手立てがない。後者の場合、確かな証拠さえあれば取り調べに移行することはできる。問題は衆人に知られていないはずの禁呪について、伯爵家の外の人間が知っていて口出ししたという、少し考えにくい状況を想定する必要があることだ。
ギルドの方では、禁呪利用に対する箝口令が敷かれている。明確な証拠もないままに取り調べると、対立構造がますます深刻なものになる。僕としてはそれも構わないが、まだその時ではない。下手人を突き止めるまでは、まだギルドと事を構えさせたくはない。
演壇からつらつらと流れる説明に、新入りの質問や、古参の指摘等が混ざり、少しずつ会議が熱を帯びていく。誰かが「目星はついたのですか」と声を上げた。
「戦いの参加者については、過去に禁呪の利用申請を行ったものが皆無です。知ったとすれば伯爵家経由かと」
「しかし、そうおいそれと教えられるようなものでは」
「あの家の世話になった者は?」
「現在調査中です」
会議室に、ため息の音が満ちた。あの家が度々客人を招いては世話をしているのは有名な話だ。ただ、それが誰なのかはギルドの職員ぐらいしか把握していない。容易に聞き出せるような情報ではないのは確かだ。
伯爵家には、もともと冒険者の出入りが多い。森の監視と魔獣退治のためだ。森の戦い以降は、目の封印と監視のために天文院や衛兵隊が人員を派遣している。そういった人の流れがあるおかげで、出入りしていて怪しい人間というものを特定するのは困難だ。
今後の動きについて、議論が暗礁に乗り上げたところで、気が弱そうな女性職員がおずおずと手を挙げる。こんな女性まで規制派なのか。いや、むしろ気が弱いからこそなのかもしれない。
「どうぞ」
「あの、伯爵家が思いついたというのであれば、もっと前から複製術を使っていたと思います」
「何か急ぐ理由でもできたのではないか?」
「いやいや、そんなあるかどうかもわからない理由を考慮しても仕方ないだろう」
誰かが口を挟むと、すぐに話が進まなくなり喧々諤々となる。その様子に圧倒されて、ただ口をつぐんで立ち尽くす女性が、少し哀れだった。演台に立つ進行役が場を鎮めて、彼女に発言を促す。
「複製術を正規の方法で使用していて、それで何か思いついたのではないかと思うのですが」
「何か、覚えたい魔法があったと?」
「いえ、教育用ですから、覚えさせたい魔法があったと」
また部屋中がざわつき始めた。演台から咳払いの音がし、静かになってからまた彼女が話し始める。
「つい最近、伯爵家の世話になった方が、あの家で魔法を覚える際に複製術を使って、それで何か提案があったのではないでしょうか?」
「しかしね、その誰かっていうのがなかなか突き止められないでいるのは、君もわかっているだろう?」
「いや……つい先日魔導師になったものと、例の戦いに参加したものを重ね合わせれば、候補は絞れるのでは?」
部屋にどよめきの声が満ちる。立っている彼女は言いたいことを話し終えたようで、誰に向けるでもなく頭を小さく下げて着席した。すると、今話題に上がっている、あの戦いを経て最近魔導師になった者について、情報部が各種報告書を精査してまとめた書類が各員の元へ配布された。この線が正しければ、書類に載っている5人に容疑者を絞り込める。
書類を片手にそれぞれが言葉をかわし合う。ここまで絞れたのだから、少し捜査を深いところまで攻めようという声、もっと絞ってから参考人として招致しようという声、そもそもこの線が正しいのかという声。
茶を飲みながら周囲の声を聞き流し、書類を何回か流し読みをする。ふと、気がついたことがあった。
「フォークリッジ伯は、どのような客を招くかご存じの方は?」
「どのような、というと?」
「それをお伺いしたいというのも、質問の意図にはありますが」
苦笑いして答えると、部屋のあちこちで小さい含み笑いの音がした。僕は言葉を続ける。
「たとえば、客人とどこで知り合うかでも良いのですが」
「室長、何か気がかりな点でも?」
「……王都の外で知り合った人間を客人として招いているのであれば、我々で掴んだ情報がもっとも少ない人物が、それに該当するかと思われます」
にわかにざわめき始めた。それぞれ当たりがついたらしい。部屋に視線をめぐらした後、また書類に目を落とす。リッツ・アンダーソン。例の戦いに参加する前の実績がなく、その後にギルドでの仕事をこなし、魔導師認定を受けている。戦いに参加した経緯は不明だが、外で会った人間を伯爵が見出して世話をしてやったというシナリオは妥当に感じる。森の戦いの後に最近魔導師になった他の4人は、これまでの経歴を見る限り順当に経験を積んでいるという感じで、急に客として囲われるのは不自然に思われる。
違和感があるのは、リッツ・アンダーソンなる人物は、これまでなんら戦闘経験がなかったであろうと思われることだ。ギルドでの依頼と昇格の情報を見ても、明らかに駆け出しだ。そんな人物を戦場に立たせるかは微妙なところだ。しかし、だからこそ怪しい。
痩せ型の男性が手を挙げ、進行役がみなを静かにさせてから、男性は話し始めた。
「どの魔法を複製したかはともかく、彼が発案者として参戦したと考えるのが妥当では?」
「複製して意味のある魔法を知っていたと?」
「いえ。ですが、さほど戦力になるとも思えない人物だからこそ、なにか特別な事情があったのではないか。そう考えられます」
落ち着いた口調で話す彼に、僕も無意識に首を縦に振った。たとえ正答ではなかったとしても、彼について情報を追えば、何かしらの真相に辿り着けそうな予感はある。
とはいえ……真相に近づくほどに、不用意な言動は慎まなければならなくなる。この会議室に集った面々の全員を、僕は信用も信頼もしているわけじゃない。法を守ると言いつつ、その実自分の居場所を必死に守りたいだけの人間もかなりいる。我々がそう仕向けたからこそでもあるが、彼らに任せておくのは危ないだろう。ここが、自分の権限の切りどころだと感じた。
手を上げてから再度立ち上がり、場が静まるのを待ってから場の面々に告げる。
「伯爵家に対し、彼から何らかの教唆があったものと考え、王室書庫へあたります」
少なくとも、容疑者らしき人物は絞り込めた。あの家に各種権限があるとしても、この場の連中なら違法として立件できるだろう。動き出す準備は整った。
これで、報告できるような情報をつかめればいいが……またあの湖へ行くのか、そう思うと胃の底が重く感じる。早く、お役御免になりたいものだ。
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