第69話 「七色の矢」

 6月16日、朝。Dランクの魔法に取り掛かって今日で3日目だ。魔力の矢マナボルトを初日にできたことを考えると、難度の違いを思い知らされる。ただ、日に日に前進している感じはあるので、あまり気後れとかはなかった。


 まず、昨日覚えたことを復習する。青色の染色型をDランクの円に刻み込む。意識を少し抜かれかかる感覚はあるものの、途中で器が消えることもなく青に染め上げることができた。

「水やりもやってみましょう」と先生に勧められ、水差しに水を汲み入れる。水位は8割ぐらいに見える。昨日よりも少し多い感じだ。染色型の練習を通してコツを掴んだからこその上達らしい。ここから水位を上げるのは、またコツコツ積み重ねていく必要があるそうだ。

 水位に満足しながら花壇に水をやっていく。コントロールの方も問題なく、「水位が満タンになったら卒業ですね」と彼女が冗談めかして言う。その満タンになるまでが、まだまだ結構ありそうだけども。


 水をやり終えると、いよいよ水の矢アクアボルトの文を覚えることになった。ただ、昨日覚えた染色型にさっそく組み合わせるのと思いきや、彼女はEランクの簡単な円に単発型の器を描き込んでから、見えるスピードで知らない文を書いていった。魔法陣が書き上がると、空に向けて稲妻の軌跡を残す紫の矢が走った。


「今書いた文は七色の矢セブンスボルトと言って、魔法陣に使われたマナの力を引き出します。私のマナは紫ですから、稲妻の力ですね。染めなければ当人のマナの力がそのまま出るという文です」

「俺のは青緑ですけど、どうなります?」

「青色よりは少し弱くなりますが、水の力が出ます。いくらか水しぶきを残しながら飛んでいく感じになるはずです」

「文を覚えるときは、染色型とは組み合わせないんですね」

「染色型の作用が、文を覚える妨げになりますから。文を覚えてから、組み合わせて書くことに慣れていく流れになります」


 まずは文を覚えるところからだ。Eランクの空の円に文を書き込む。「読めますか?」と久々に聞かれた。頭の中で古文の先生が読み上げる。


く空にたえなる色の綾なせば 七つ光の糸束ね 撚って掛けたる一弦に 中天翔けよ我が一矢』


「透明な空も、実は色彩にあふれている。空を織る光の糸を束ねて、選んだ色の弓矢を放とう……みたいな文ですね」

「そうですね、私もそういう解釈です」


 文を覚える助けに、またイメージを頼った。ギリシャ神話っぽいトーガをまとった彼女が、虹色の弓をこっちに構えている。失礼したら殺されそうな雰囲気だけど、心に焼き付けるのはバッチリだった。

 地面に刻まれたお手本を見ながら、自分で用意した単発型の器に文を書いていく。書き上がると空に向かって青緑色の矢が走っていった。軌跡には青緑っぽい色のしぶきというか、雲に近いものがうっすら残った。青に寄り切っていないから、水の力が弱いってことだろう。ますます緑色の立場がわからなくなる。

 気を取り直して文の練習に取り掛かる。ランクが上がったことで文の習得に苦労するかと思ったけど、案外そんなことはなく、Eランクのとさほどかわらない。覚えるだけなら器や型のほうが楽で、そう簡単に暗記できるものでもなかったけど、先日までの訓練に比べれば余裕があるのは確かで、会話する余裕もあった。


「俺の色だとあまり迷惑じゃなくていいですね。赤色だと、こういう覚え方は大変なんでしょうか」

「そうですね、火の矢が飛んでしまいますから。おそらく、王族には王族の覚える手順があるのかと思います」

「俺はこうして、水っぽい矢を射ってますけど、途中で消えるんですね」

「はい。色の力を引き出して変性するのは一時的なもので、最終的にはマナに戻ります」


 ふと、継続型で矢を作ったら、水っぽいのが残り続けるんだろうかと気になった。ただ、継続型の矢を射つと遠くまで意識を持ってかれるので、残し続ける検証ができるのかどうかが疑問だ。それでも試みる価値はあるかと思ってメモを書き留める。書いていると彼女がこっそり覗き込もうとしてきたので、慌てて隠す。


「見せられませんか?」

「いえ、こういうのって自分で試してみたくて。報告はしますよ」

「では、楽しみにしてますね」


 朗らかに笑う彼女を見て、ここ1ヶ月ぐらい会っていないメルのことを思い出した。次に会うまでにまたネタを作っておかないとなぁ。前の検証録は世辞抜きで楽しんでもらえたようなので、彼とは方向性というか馬が合いそうだった。


 文の習得を始めて2時間もすると、だいたい暗記できてきた。手本を見ずに魔法陣を書いても、ほとんど書き損じなく魔法になる。そろそろ、染色型と組み合わせるんだろうか。そう思って彼女に聞いてみると、少し真剣な表情で彼女は首を横に振った。


「昼食まで文の暗記を続けましょう。すでにきちんと覚えられれていると思いますが、万全の状態になるまで。食事の後、組み合わせの練習に入ります」

「組み合わせるのは、大変なんですか」

「そうですね、油断できるものではありません……心配し過ぎもよくありませんけど。文のほうが安定してきたら、昼まで休憩と染色型のおさらいも挟んでいきましょう」


 そういう話を聞いていると、昼食後にここまでの集大成に取り掛かるようで、少し緊張と興奮を覚える。

 昼食まで練習を重ね、染色型も文の方も、特に不安がない程度にまで慣れることはできた。食事の支度ができたということで、食堂へ向かおうとすると、彼女が話しかけてくる。


「ここまで順調ですね。ここからも問題ないと思います」

「そうありたいものです」

「ふふ、きっと大丈夫ですよ」



 昼食は8分目ぐらいにとどめ、裏庭で訓練を再開する。まずはおさらいに染色型の器と、七色の矢をそれぞれ書く。特に問題はない。彼女に顔を合わせると、彼女はうなずいて静かに言った。


「青色の染色型に、七色の矢を組み合わせてください」


 いよいよだ。まずは青色の染色型の器を描く。色が染まっていくときの、マナを奪われる感じに耐えきってから深呼吸をし、右手を構えて器に文を書き込む。

 しかし、書き込もうとするけど、書けない。開いたスペースに届く青緑の光は空をなぞるばかりで、定着して言葉を刻めない。そんなはずはと思って送り出すマナを強くすると、なんとか書き込めた。届いた青緑の光が青に染まる。なんだか嫌な予感がする。いつもより力を込めて書き込んでいくと、文が乱れて全体が消えてなくなった。


「どうですか?」

「難しいってのが、よくわかりました」

「器を青く染めるのは、器のほうが勝手にやってくれます。文の方はそうはいきません。術者が意識して強くマナを送り出し、色を変えられるだけの余力を持たせて刻んでいく必要があります」


 昨日は染色型の器を優秀だけどやりすぎる部下に例えられたけど、今日も今日で手を変え品を変えて俺を困らせてくる。派遣した部下が資金の供出を求めてきたけど、振り込みとか為替の手数料をこっちが負担する、みたいな状況のようだ。

 練習を繰り返すが、ただ強くマナを送り出そうとすると、勢い余って文が乱れてしまう。紙の強度そのままで字の映りだけ悪くなって、筆圧を強くすると字が乱れて紙が破れる、そんな感じだ。


「普段、無意識に書いている文とは勝手が違うと思いますが、どうですか?」

「そうですね。いつもどおりには書けません」

「今回の組み合わせの練習で一番困るのはEランクの魔法まで書けなくなってしまうことです。失敗するたびにEランクの魔法を1つ適当にはさみましょう」

「わかりました」


 失敗ばかりだと気が滅入るし、今までの魔法が書けなくなると、それこそ目も当てられない。助言通り適当に別の魔法をはさみつつ、難敵にチャレンジする。


 うまく書けない文と戦い続けていると、こんな状況を前にも経験したような気がした。小休止に少し柔軟しつつ今までのことを思い出していると、1つ思い当たるものがあった。失敗した依頼で捕らえられたとき、階下の器に遠隔で文を書き込んだことがあった。シチュエーションこそ全く違うものの、なかなかうまいこと書けないのは似ている。あのとき、ワンミス即死みたいな状況でなんとかやりおおせたんだから、今回もできると自分を奮い立たせる。


 お茶の休憩を挟んで、また組み合わせ練習に取り掛かる。マナを出すときの濃さというか強さに気を取られていると、文そのものへの意識が薄れて書き損じてしまうというのが厄介だった。ただ救いだったのは、どこまで書けたかという、進み具合がはっきりしていることで、これまでの色を染めるのに比べれば上達は感じやすい。当たり前に文を書けないという状況に、心配したって始まらない。刻み込む一語一語を前進と捉えて、前向きな加点主義でやっていくことにする。


 日が傾いてきた。今までの練習を思い出すと、一日で1つは目につく進歩があった。そういう妙なジンクスを意識すると、時間に追われているような感じがしてきた。しかし文の暗記自体はすでにできている。だったら組み合わせは明日できればいいか、それぐらいの軽い気持ちで練習を続ける。

 軽い気持ちを心がけると、これまで力強くマナを送り出すことを意識するあまり、遅く重々しかった筆の進みが少し軽やかになり、それまでよりも勢いよく文を刻んでいった。行けるんじゃないか、そう思ったら後少しというところでマナが薄くなって筆が止まり、結局書ききれずに終わってしまった。


「熱心にやっていますね」とマリーさんの声がした。もしかしなくても夕食ができたようだ。後もう少し、そう思っていると、先生が口を開く。


「夕食のメインは何でしょうか?」

「シチューです。いつでも温め直せますよ」

「リッツさん、もう少し続けましょうか?」

「お願いします」


 多少の延長を見越して、汁物メインにしたんだろうか。もしかしたら、この2人が魔法の練習をしていたときも、似たような感じで配慮してきたのかな、なんて思った。

 テーブルに付く2人の暖かな視線を感じつつ、また練習に取り掛かる。さっきの成功しかけたときのことを考えると、無心でやるのが一番のようだ。心を広げて、マナの通り道を広く取ってあげて、ゆったり軽やかに書くイメージで練習する。

 何も考えずにやると、失敗したときにどこまで進んでいたか、よくわからなくなるのがネックだった。しかし、普段の魔法だってそんなことは気にしてないわけだ。失敗するかどうかなんて考えず、当たり前に書ける、そう信じて練習する。


 マリーさんが来てからいくつ書いては消えたかわからない。何回目か不明の挑戦で、目の前の魔法陣から、空へ向けて青色の矢がちょっとした水しぶきを残しながら飛んでいった。

 2人の方に向き直ると、彼女たちは穏やかな笑顔をこちらに向けていた。マリーさんが口を開く。


「夕食はできていますが、まだお付き合いできますよ」

「まぐれではないと思いますけど、もう少し続けてもいいかもしれません。どうしますか?」


 先生に問いかけられ、正直少し空腹だったものの、無言でうなずいてまた練習を繰り返す。

 少しコツを掴みかけたようだ。3回に1回ぐらいは成功するようになった。ここまで来れば十分、そう2人に言われて俺たちは食堂へ向かった。


「明日からの練習はどうしましょうか」

「そうですね、水やりの後、いっぺん試してみてできるようであれば、あとは自分でって考えてます」

「それがいいですね。3日間お疲れさまでした」

「先生も、3日間ありがとうございました」


 感謝の言葉を告げると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


 Dランクの魔法を1つ覚えるのに3日かかった。それにとてもじゃないけど実戦レベルとは言えない。それでも、やり遂げた満足感は確かなものだった。この調子で試験まで頑張ろう。

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