第68話 「色の壁②」

 昼食後も引き続き、染色型の習得に取り組んだ。

 いちいち進捗を気にするのは、やめておくことにした。どうしようもなく進んでない場合は指摘してもらえるだろうし、特に前進してないと感じていた午前中でも、結局はいくらか進歩が見られたのだから、小刻みに進展を気にしていたって始まらないだろう。自分と先生を信じて、気楽に構えることにする。


 とはいっても、進んでいる道が合っているかどうかは気になる。容赦なくマナと意識を引き抜こうとする、自分の魔法と格闘しながら、何かしっくりこない違和感を覚えるたびに彼女に助言を求めた。


「マナを吸われる感じがあるんですけど、吸われるに任せて与えるのと、あくまでこちら側からって意識して押し出すのと、どちらがいいでしょうか」

「そうですね、一長一短だと思います」


 指導者向けと思われる本をめくりながら彼女は言った。色の格差を超えるということに関しては、やはり彼女の経験ではどうしようもない部分があるので、午後からはこうして参考文献の力も借りている。


「吸われる感じに耐えることに専念するほうが、習得自体は早いそうです。体内のマナの通り道が、勝手に太くしっかりするのを待つ感じになりますが、意識的に道を整えるよりは効率が良いそうです」

「一長一短ということは、欠点もあるんですよね?」

「自分の魔法をコントロールするという感覚が薄れます。狙いが甘くなりやすいのが一番の欠点でしょうか」

「では、主導権をこちらに保ったままのイメージで進めます」

「それが良いと思います」


 この先、どんな難しい魔法が控えているかわからない。そのことを考えると、今少し厳しいからと言って、自分の魔法の言いなりになるようではやっていけないだろう。意地の張りどころだと思って練習を継続する。

 目を閉じて体内のマナの流れに意識を傾けると、ぼんやりとではあるもののマナの動きを感じることができた。多少マナを貯めておく意識をしたところで、染色型の器を描いてしまえばすぐに抜かれてしまう。貯める意識と同時に、抜かれるタイミングで通り道を広げる意識も必要だと感じた。


 練習を繰り返すうちに、なんとなくコツと言うか感覚を掴んできた。あらかじめ貯めておくマナは、引き抜かれて意識がフワッとするまでの猶予を与えてくれる。その、まさに抜かれているマナを意識するのではなく、余裕があるうちに道を広げて奥から出せるよう、意識を切り替えるのが重要だと直感した。

 たぶん、すごい特売をやってるときの店員さんの気分になるのがいいんだろう。積み方を工夫してたくさん商品を置くのも大事だけど、売り場に意識を取られすぎて、どんどん売れてる様子をただ眺めるのではなく、一度売り場から目を外して倉庫から在庫を取り出し店頭へ持っていく。そうやって商品の流れが途切れないようにする。このイメージを、今やっている練習に落とし込んでやってみよう。


 時間が経つのも忘れて打ち込んでいると、マリーさんがやってきてお茶の準備をした。いつもは、準備ができるとすぐに立ち去る彼女も、今回の練習に関しては難しいのを察してくれたのか、短く「がんばってください」と励ましてくれた。

 少しだるくなってきた右腕を、グルンと一回転させてから、先生と一緒にテーブルにつく。ティーカップを持ちながら、彼女が言った。


「良くなってきていますよ」

「本当ですか?」

「はい、だいぶ青に近づいています。内側のマナの感覚をつかめつつあるようですので、次からは目を閉じるのと目を開けるのと、交互にやってみましょう」

「わかりました」


 この後の練習のやり方を定めたあとは、ちょっとした雑談になった。どこか楽しげな雰囲気の彼女が口を開いた。


「この前、魔導工廠に行きましたけど」

「何かありました?」

「似顔絵用品のコーナーが」


 口に含んだ茶を吹きかけ、なんとか抑えて一気に飲み込み、むせた。彼女が心配そうに「大丈夫ですか」と問いかけてくる。


「大丈夫です……アレ、流行ったんですね。似たようなことやってる子が増えた気はしてたんですけど」

「……あそこの方々は、案外流行に敏感なのかもしれませんね」


 両手で包んだティーカップに視線を落とす彼女は、なんだか嬉しそうだった。


「何かあったんですか?」

「……内緒です」


 個人的に何か良い出来事があったんだろう。気になるけど、教えてくれそうにないので引き下がる。

 茶を口に含んで、似顔絵コーナーのことを考えた。視導術キネサイトの訓練のつもりで始めたわけだけど、先生視点ではどう思われているんだろうか。


「面白いと思いますよ。訓練としても、理にかなっていると思います」

「本当ですか?」

「はい。繊細な動作を身につけるならば、絵を描くのはわかりやすいと思います。色の濃淡のために、マナの強弱を操るのも合理的ですし。何より、楽しみながらできるのが重要です」

「似顔絵を頼まれて描く時は、緊張してそこまで楽しめなかったんですけどね」

「頼んだのは、基本的に女の子でしょう?」

「そうですけど」

「上手に書こうとするから緊張するんですよ。単に、似顔絵にかこつけておしゃべりしたいだけで、出来具合は気にしてなかったと思います」

「はぁ、なるほど」


 この前、岩山で人生相談のような物を持ちかけられたことを思い出す。色々と思い悩むことはあるようだったけど、彼女自身は他人のことをわかっているようだ。むしろ俺の方が、女の子にいいところ見せたいと無意識のうちに動いていたのを見透かされたようで、少し恥ずかしくなった。黙って茶をすする。

 お互い茶を飲みながら、少し無言の時間が続いた。ふと視線が合うと、彼女はほんの少し頬を赤らめ視線をそらした。「私にも似顔絵描いてくれませんか」とか考えたんだろう、たぶん。彼女相手にやると絶対にペンが震えるので、やぶ蛇にならないように話題を変える。


「普段からできる訓練方法って、他に何かあります?」

「そうですね……強いて言うなら料理でしょうか」

「料理?」

「魔道具の鍋に、魔法陣の力で加熱するというものがありますが、それが赤いマナの力を使うものなんです」

「赤ってことは、王族の色ですよね」

「ええ。庶民向けに改良されている鍋もありますけど、それでも自分のマナを赤に転化するのは負担になるので、逆にマナを使う訓練になります」

「なるほど」


 今度、マリーさんや奥様に頼んで、鍋を一度触らせてもらおうかな。


「料理だったら、王都でもできますね。壁の内側では魔法を使えないってことですけど、魔道具は大丈夫みたいですし」

「ええ、王都の中でとなると、訓練になるくらいマナを使うのは料理ぐらいですね」

「……前から気になっていたんですけど、王都の中で魔法を使おうとするとどうなります? 誰かに気づかれて捕縛されるとか」


 かなり際どい話題だとは思うものの、俺の諸々の事情を知っている彼女ぐらいにしか聞けない話題でもあった。思い切って尋ねてみると、彼女はシリアスな表情になって静かに答えた。


「そもそも、魔法の行使ができないようになっていると聞きました。どういった仕組みかは知りません。おそらく、知ろうとするだけで何らかの警告を受けると思います」

「わかりました……これっきりにしたほうがいいですね」

「それが賢明です」


 ただでさえ、魔法庁から睨まれかねない要素があるだけに、余計なことにまで首は突っ込んでいられない。気にならないと言えば嘘になるけど、これはお屋敷にまで迷惑がかかる案件だろう。王都では絶対に魔法を使えない。そのように自分に念押ししておく。



 一息ついてから、また練習に取りかかる。最初に、目を開いて色の変化を確認してみると、確かに最初の方よりはずっと青一色に近づいているのがわかった。まだ染めきれていない部分はあるけども、それも時間の問題だろう。そう自分に言い聞かせる。

 目を閉じて描くのと目を開けて描くのを交互に繰り返していると、目を開いている状態では、体の中の事も含めて全体を俯瞰できているような感覚がある。昨日、Dランクの空の円、特に”殻”の練習に励んでいた時に感じた、自分を外から眺めているようなちょっとした浮遊感だ。先の特売の話で言えば、店長さん視点という感じか。

 マナと一緒に意識を引き抜かれる感覚のおかげで、意識が自分にとらわれなくなった、あるいは意識を抜かれてフワッとする感じが、こうして俯瞰する感じとごっちゃになっているのかもしれない。いずれにせよ、この感覚は利用できそうだ。目を閉じたときの体内の感覚と、目を開けたときの全体を捉える感覚。この2つの視点を切り替えながら練習を重ねていくと、器の染色が少しずつ完全なものに近づいていき、その進歩と体内で掴みかけている感覚がリンクしていく。自分が、正しい道を進んでいるように感じる。


 夢中になって練習を重ねていると、ふと違和感に襲われた。描いては消えていたはずの器が、何故か目の前にある。青く色が変わっていく器が消えていない。そのときやっと、色を変えきったんだとわかった。少しぼんやりと立っていると、左手になにか触れた。そちらを見ると、嬉しそうな笑顔の彼女が俺の左手を両手で優しく握っていた。ああ、成功したんだ。


「おめでとうございます! やりましたね」

「ありがとうございます。うまくいったみたいですね。あまり実感ないですけど」

「少しずつ良くなっていっていましたから、まぐれではないと思います。夕食まで少しありますし、続けてみましょう」


 穏やかに微笑む彼女に笑顔を返してうなずいた。

 色を変える事自体には成功した。まだまだ描く時にフワッとする感じがあって、とても実戦レベルとは言えないけど、それでも目に見える進歩だ。まずは、こうして描き上げられるのが当たり前になるように、反復練習をする。


 マリーさんが俺達を呼ぶ声がした。あたりはすっかり茜色に染まっていて夕食の時間だ。

 彼女も俺の進捗に関しては興味があるようで、いつもなら声をかけてすぐに立ち去るところが、今回は呼びに来たまま立っている。ただ、俺たちの様子を見て察したのか、彼女はにこやかに笑っている。


「今日の成果はいかがでしょうか」

「きちんと青く染められました」


 先生が報告すると、マリーさんは俺の方に向いて優しく話しかけてきた。


「お疲れさまです。今日の夕食は私が担当しました。おかわりもありますので、存分に堪能して下さい」

「ありがとうございます。ちょうどお腹すいてて」


 俺の言葉を裏付けるかのように腹の虫が鳴ると、女の子2人が小さく含み笑いを漏らした。流石に恥ずかしくなって、さっき描き上げた青色の器を消し、無言で屋敷の中へ向かう。

 先生に言わせると、俺は器――というか型の――習得は得意な方らしいけど、それでも今日のは丸一日かかった。それに、実戦で描けるほど慣れたわけじゃない。描くスピードはまだまだだし、戦闘中に色々考えながら描けるようなシロモノじゃない。

 でも、一日で確かな成果は得られた。この先も色々と大変な魔法に出くわすだろうけど、きっと乗り越えられるだろう。空いた腹と全身の疲労感に心地よさを覚えた。

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