第63話 「気分転換」

 6月12日、早朝。俺はギルドへ向かっていた。

 依頼に失敗したばかりなので、今日は調子を取り戻そうと簡単な依頼でも受けようかと考えている。

 さすがに朝一だと、街にはほとんど人通りがない。しかし、ギルドの受付には一人冒険者がいた。俺よりも少し背が低く、髪は肩ぐらいまで。服装は男物っぽく、頭にはハンチング帽をかぶっている。これだけでは性別はわからないものの、どこかで見たような背格好だった。


 ちょっと様子でも見ようかとギルドの中を少し遠目に見守っていると、俺に気づいた受付の方が椅子から立ち上がって、大きな手振りで俺を呼びつけた。冒険者ランクが上がった時に応対してくれた、かなり快活な受付の方だ。さすがに無視するのは良くないので、観念して受付に向かう。

 近づく俺に振り向いたのは、やっぱりお嬢様だった。軽く会釈して、受付の方に促されるまま横の席に着いた。お嬢様は、俺が来た直後より少し笑顔になったものの、あまり元気には見えない。


「何かあったんですか?」

「ん~、どこから話したものやら……念のため確認しますけど、リッツさんって伯爵家でお世話になっていた時期がありますよね?」

「時期があったというか……今は一人暮らししてますけど、なんやかんやで世話にはなってます」

「いいですね、ちょうどいいです。恩返しのときですよ!」


 受付さんは朝っぱらからいいテンションで話し掛けてくる。そのパワーに少し気圧されながら、とりあえずここまでの事情を聞いた。

 お嬢様は冒険者登録直後からCランクになった。そして、初仕事を先日受け……依頼は成功したものの少し悩み事ができてしまったらしい。そこで、相談がてら気晴らしになる依頼を探していたところだったようだ。


「ただですね、気晴らし系の依頼ってあるにはあるんですけど……景色楽しんでついでに仕事して帰るみたいな感じなんです。一人だと、逆に寂しくて気落ちしないかなって」

「うーん。気分次第では?」

「そーなんですけど、今の気分だと誰か一緒にやったほうがいいかと思ったんです。それで、リッツさんが見えたからちょうどいいかなーって。どうです?」


 横目でお嬢様をチラッと見る。少し恥ずかしそうにしていて、はっきりとは言い出しづらいようだ。


「とりあえず、依頼の内容を聞かせてもらえますか?」

「はい! 少し待っててください」


 足元で何やらゴソゴソ探す音がしたかと思うと、テーブルの上に焦げ茶色の岩と地図、布袋が置かれた。岩はへき開していて、割れた面は鮮やかな深い赤色をしている。


「東門、もしくは北門から北東へ三時間ぐらい歩いたところに、ちょっと高めの岩山があるんですけど、そこの山頂付近からこういう岩を、袋にいっぱいになるまで取ってきてください。報酬は二人で6000フロンです」

「何に使う岩なんです? 染料とかですか?」

「えーと、主に絵の具とかに使うそうです。そんなに使わない色らしいので、たまに取ってくるぐらいでいいそうで、こうして息抜き向けの依頼として用意してるわけです」

「袋に対して、採集の量に過不足があったら?」

「足りなければ減額、多すぎても追加報酬はありません。定期的に紹介できるよう、ストックしておきたい依頼ですから」


 一通りの質問が終わったところで、お嬢様に依頼を受けるか聞いてみる。


「リッツさんは、大丈夫ですか? 何かご予定などは」

「簡単な仕事を探しに来たところなので、ちょうどよかったです」

「でしたら……お願いします」

「はい、ご成約ですね! さっそく向かわれますか? でしたら袋と地図と、見本に岩も持っていってください」


 そういうなり、彼女はテキパキと荷をまとめて手渡してくる。朝っぱらからこういう応対を受けると、みんな目が覚めるだろうなぁ。

 それから挨拶をして背を向け、ギルドを出ると「がんばってくださいねー」と声援を受けた。頑張るも何も、息抜きの依頼なんだけど……お嬢様の悩みってやつの方が難物なのかもしれない。そういう意味での、あの声援なんだろうか。

 お嬢様は朝食を取ってきたようで、俺も同じだった。昼食については持っていかず、また帰ってから取ることにした。



 門を出てから地図を頼りに岩山へ歩く。ただ、地図がなくても街道を歩いていれば、そのうちそれっぽいものにたどり着けるようだ。貰った袋に地図をしまい込む。

 時間帯が原因なのかもしれないけど、お嬢様はいつも以上に静かだ。横顔を見るとどことなく陰のある感じで、視線も少し伏しがちだ。

 会うのはEランク魔導師試験以来になる。あれから起きたことといえば、例の失敗談しかない。しかし、それを今この場で打ち明けるのは少しヘビーすぎる気がする。それに、あの件は依頼を受けた仲間内で気持ちの整理をつけ、自分たちで克服したい。

 そういう気持ちがあるので、正直に言うと他の方に話すことに抵抗がないわけじゃない。助言をいただけるならありがたいけど、できるかぎり自分たちの手で、ってところだ。

 とはいえ、このまま何も会話がないままというのもお互い色々とキツいので、何か話しかけることにする。


「近々、Dランクの魔法を教えていただきたいんですけど……お屋敷にお邪魔しても構いませんか?」

「ええ、もちろん大丈夫です。いつにされます?」

「特に予定が入っているわけではないですけど……教本の調達とかありますから、明後日でどうですか?」

「わかりました。時間帯はどうされますか? 早い方が望ましいですが」

「……今ぐらいの時間でも大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫ですよ。お待ちしてますね」


 彼女は胸ポケットから手帳を取り出し、さっそく予定を書き付けた。少し気分が上向いたらしい。訓練を受けるのは久しぶりになるけど、こうして話をしていると、本当に人にものを教えるのが好きなんだなと、あらためて感じた。


「新しく覚えたい魔法は、何か決めてますか?」

「いえ、特には。とりあえずは、後につなげやすいものを選んでもらえればと思ってますけど」

「わかりました。私の方で考えておきます」


 それからしばらく、三ヶ月後にあるDランク試験に向けての、スケジュールに関しての話になった。俺としては間に合うかどうか不安だったものの、彼女に言わせればやってみるだけの価値はあるとのことだった。

 魔法を覚えるにも、器の覚えがいい者、文の覚えがいい者、色の違いに対応できる者など、才能には個人差がある。Dランクからは、色違いに対応できる者が有利になる傾向があるようだ。


「リッツさんの色は青緑なので、Dランク以降の”色付き”魔法の習得には苦戦するかもしれません」

「苦戦ですか。できないってわけではないですよね?」

「もちろん。一緒に頑張りましょうね」


 そう言って彼女に微笑みかけられた。Dランクへの昇格は格段に難しいらしいけど、ここまで彼女に良くしてもらえるなら、なんとしてでもという気にさせられる。



 街道を歩くと岩山が見えてきた。ふもとには木々の密度が低い森がある。受付では特に触れられなかったので、さほど心配する必要はなさそうではある。それでも、あまりみっともないところは見せられない。普段の依頼だと思って慎重にやろう。

 森の中に足を踏み入れると、周囲には特に野生の動物がいないようで、せいぜい毒があると思われる極彩色の蛾が木々の間をうろついているぐらいだ。飛んだ軌跡が、木漏れ日でキラキラ輝いている。鱗粉だろうか。

 剣の柄に手をかけ、「どうします?」と聞いてくる彼女に、「ちょっと見ててください」と返し、俺は少し前に歩み出た。

 そして、前方に少し距離を開けて小さめの光球ライトボールを作り出す。可動・継続型で作ったやつだ。それを蛾の方に動かしてやると、彼は光球に気づき目論見通り寄ってきた。

 後ろに振り向くと、彼女は少し驚き気味だ。俺は笑顔で後に続くようジェスチャーをし、光球で蛾を足止めしつつ二人ですれ違ってその場を後にした。


「光に誘われるのですね」

「前の依頼で、似たようなやつに試したらうまくいったので……やってみるもんですね」


 彼女はメモを取り出して、先ほどの出来事を書き留めている。こういうことをやりたくて冒険者になったんだろうか。なにはともあれ、楽しんでもらえているみたいで何よりだった。

 他の危なそうな生き物は、特になかった。あの蛾も、実は毒なんてなくてただの威嚇色だったのかもしれない。


 そうして森を抜けると、目当ての岩山にたどり着いた。岩肌の色は明るい茶色で、登山道らしきものがきちんと存在している。螺旋状に歩いて上へ登っていくらしい。雲ひとつなく吸い込まれるような青空に、鮮やかな茶色の登山道が続いていて、なるほど確かに息抜きの依頼だなと実感した。

 道の傾斜はそれなりにある。登っていくと、ほどなくして先ほどまでいた森が足元に広がり、また景色が別の様相になる。森を抜けてからあまり会話しなくなっていたけど、その必要を感じないくらいに目の前の光景が楽しませてくれた。


 そして、山頂にたどり着いた。平たいテーブルのような地面のところどころに、ちょっとした隆起がある。そのコブの周りに、ごろごろと焦げ茶色の岩が転がっている。おそらく目当ての岩だろう。

 俺は先に依頼を済ませようと袋を手にしたけど、お嬢様は山頂に広がるテーブルの端の方へ向かい、先まで登ってきた登山道へ足を投げ出すようにして腰を下ろした。

「少し、お話しませんか」と彼女は言う。そういえばそっちの”依頼”もあったなと思い返し、誘われるままに隣についた。

 座ると、足元に先まで歩いた螺旋の道が層をなし、その先に森と草原があった。視線を上に向けると王都や集落、それに清々しい青空が広がっている。目を奪われる光景に、不思議な浮遊感を覚えた。

 目の前の景色はそんな感じだったけど、彼女の気持ちは少し浮かないところもあるようだ。


「話ってなんです?」

「先日、Cランクの依頼ということで、野良の魔獣退治に出向きました」


 魔獣は”目”以外でも発見されることがあるらしい。というより、程度の低い魔人ならば、目を使わずとも連中の拠点から行き来させられるようで、そういった連中が修練や嫌がらせを兼ねて、散発的に魔獣を発生させているということらしい。


「……それで、依頼の方は成功したのですが、どうも私の参加が……閲兵のようなものだと思われたみたいで」

「閲兵って……失礼ですが、おいくつです?」

「18です。リッツさんは?」

「20です。さすがに、18歳で閲兵はないですよね」


 笑いながらそう言うと、彼女もほんの少し笑った。笑って、彼女は少し長くため息をつき、話を続ける。


「一緒に依頼を受けたみなさんは、私がいた事で緊張というか、萎縮してしまったようで……いつもどおりの連携が取れず、軽傷者が出てしまいました。それで、仲間内で若干もめてしまって……私は思わず少し大きな声で、場を鎮めてしまったんです」


 言いながらその場面を思い出したようで、言葉を続けるほどに彼女の気分が下がっていくのがよくわかった。

 俺としては、冒険者の先輩方を責めるわけにもいかず、かと言って考えなしに彼女を励ましたり慰めるわけにもいかず、複雑な気持ちになった。

 少し間を開けて、また彼女が話しだす。


「私に、冒険者の仕事は向いてないかもって、そう思いました……どう思われますか?」

「うーん」


 難しい問題だと思う。力量がある方ほど、彼女の実力とか、そこに至るまでの努力を嫌でも感じ取ってしまって、敬意を押さえられなくなるんじゃないか。だとしたら、緊張するのも萎縮するのも無理はないとは思った。

 しかし、みんなから敬意を持たれるのは良いことなんだろうけど、お家に課せられた使命のために強くなって、その結果としてみんなから距離を作られたんじゃ、あまりにも寂しい話だ。

 あれこれ考え込んでいると、彼女は少し申し訳無さそうに微笑んだ。


「ごめんなさい。いきなりこんな話をして。迷惑ですよね」

「いえ、そんな……ご存知かと思いますけど、わりと言葉を選ぶタイプなので、ちょっと考え込んでるんです」

「……ありがとうございます」


 役立つアドバイスができるかどうかはわからない。でも、こうして頼られたなら、なんとかして答えたい。それがちょっとした恩返しになると思った。


「……お嬢様が考え事をするときの顔って、ちょっと近寄りづらいというか……冷たい印象があるんで、そこを直すといいかもしれません」


 そう言うと、彼女は少し怪訝けげんな顔になった。


「そんな顔を、してましたか?」

「……わりと」


 すると、彼女は真顔でかすかに青ざめた。まったく自覚がなかったらしい。それに、仕事の話を聞く限りでは”考え事”をする機会なんていくらでもあっただろうから、失敗したという感じは強いだろう。

「練習でもします?」と俺が聞くと、彼女は若干暗い表情でうなずいた。


「考え事の題材をください」

「そうですね……円周が360度の理由とか」

「……約数が多いからでは?」

「もう少し悩んでください」


 俺が困り顔でそう言うと、彼女は微笑んだ。しょっちゅうこういう顔をしてもらえれば問題ないんだけど、状況が許さないんだろうなぁ……。

 あらためて考え事の題材を選ぶ。


「では、星が丸い理由は?」


 今度は即答しなかった。口元に曲げた指を当て、少し伏せ気味の視線を宙に落としている。視線は、やはり少し鋭い。


「孤児院で先生やってる時を思い出してください。今とは違う顔だったはずです」

「……そうですけど、あの場所の雰囲気がないと、なかなか……」

「まぁ、こどもたちがなつく顔も、実際はできるってことです。自信を持って」


 魔法を教えているときの彼女の口調に似せて言うと、彼女の表情がだいぶ和らいだように感じる。


「癖もあるでしょうから、すぐには変わらないと思いますけど、普段から意識してみてください」

「はい、ありがとうございます……他にも何か、助言とかいただけますか?」


 考え事の顔は、あくまでこれから頑張っていく内容だった。もう少し即効性のある話題も必要だろう。頭の中でいろいろ考えを巡らせる。


「……最初に友達が一人、王都でできれば、後は少しずつ自然と増えると思います」

「そうなのですか?」

「たぶん、みんな尻込みというか気後れしてると思うので。なので、誰かと仲良くしている所を見てもらえれば、私も仲良くしていいのかなって思ってもらえると思います」

「リッツさんは……」

「あー、最初の友達は女の子の方がいいですよ。最初が男友達だと、色々問題あると思いますし」

「……そうですね、がんばります」


 俺がそういう役回りになると、さすがに恥ずかしいというのもあるけど、なにより最初の一人と自分で仲良くなることが、彼女の自信につながるんじゃないかと思う。だからサクラはやりたくない。

 アドバイスはしたものの、彼女が一番欲しているのは”その最初の一人と仲良くする方法”だろう。また少し考えて口を開く。


「向こうから仲良くしてくれそうなら、それに越したことはないですけど……ご自分でアプローチするなら、友だちが多い子よりも、割と一人を好む子の方がいいかもしれません」

「……そうですか?」

「付き合いが幅広い子って、自分が輪の中心じゃなきゃ嫌って子の可能性もあるので。一人でも平気にしてる子の方が、案外付き合う相手に頓着しないというか……よほどの人間嫌いで愛想悪い子でもなければ、話ぐらいは聞いてくれるかもしれません」


 今の話でうまくいけばいいけども、実際のところは、誰とでも仲良くしそうな子に拒絶されるよりは、一人好きっぽい子に拒絶される方がまだダメージが少ないだろう、そういう考えがあっての提案だ。

 さすがにハッキリとそうは言えないものの、根が深そうな問題だけに、彼女が何度もチャレンジする必要があるだろう。だから、ダメ元の精神は必要だと思った。

 彼女はメモを取り出して今の話を書き込んでいる。しかし……これでうまくいかなかったら俺もキツいな。毎朝早起きして、吉報を聞けるまで願掛けしよう。

 メモを書き終えた彼女は顔を上げた。悩みを打ち明けられて、ちょっとした助言を聞けたせいか、いつもどおりの顔に見える。


「リッツさんは、何かありますか?」

「何か?」

「悩み事です」


 悩み事といっても、先の依頼の件は自分の中で方向性を定めた。もっと世の中のことを知って、強くなる。そういう意味では、Dランクの魔法のことが一番の懸念になるけど、目の前の彼女が入れば大丈夫だろう。


「特に無いですよ」

「そうですか。何かあったら、遠慮なく言ってくださいね」


 そういう彼女の顔は晴れやかだった。そして、彼女はやおら立ち上がり、満足げな顔をこちらに向けて言った。


「では、帰りましょうか」

「……依頼は?」


 俺がそう聞くと、彼女は固まった表情のまま顔を赤らめ、やがて両手で顔を覆った。

 こういうところ、人前で見せると余裕で友達も増えそうなもんだけど、やっぱり難しいんだろうなぁ……。

 お互い、先は長そうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る