第52話 「いずれ交わる線と線」

 闘技場を出ると、付き添いや見送りに来ている人はそんなにいなかった。一人で来て一人で帰る人が大半だ。

 入り口横に置かれた時計は11時ぐらいを示していた。知人に出くわしたら一緒に昼食を取るかも……そんな話を宿のお二人に話していたものの、この調子だと一人で取ることになりそうだ。

 そんな事を考えつつ、王都の東門へ続く道を歩いていると、後ろから肩を軽く叩かれた。振り返ると、俺よりも少し背が低いぐらいの、目深に帽子をかぶった女の子がいた。口元はケープみたいな羽織物の襟で隠しているけど、誰かはすぐに分かった。

 彼女から視線を外してチラッと周囲を見ると、街道にはそこそこ人がいる。あまり”お嬢様”とか呼ばないほうがいいな、そう思った。「もしかして、見物してました?」と聞くと、彼女は襟に指を入れて口元をあらわにした。


「大丈夫だとは思っていましたけど、やっぱり気になりまして……問題なかったみたいですね」

「ええ、おかげさまで」

「……カードを見せてもらえますか?」


 差し出すと、彼女は両手で受け取り、優しげな目で眺めた。


「おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「新しく三つ覚えてましたね」

「メルに、地味な魔法の方が目立たないからと勧められたので」

「なるほど」


 それから少し無言で歩いてから、彼女は真剣な眼差しをこちらに向けた。


「新しい魔法を覚えるとき、どうでした? あまり苦戦しなかったのではないですか?」

「そうですね、器はもう知ってましたし……文の方も、普通に覚えてなんとかなるぐらいでした」


 他の受験者のことを考えると、複製術を使うのに少し気が引けていた。それに、例の夜の戦いみたいな形ではなく地道に実力をつけて、その過程で知り合いを増やしたいという思いもあって、あえて複製術を使えない闘技場で新しい魔法の練習をするようになっていた。お屋敷に行く理由は、だいたい水やり訓練とか近況報告だ。


「でしたら……これからは、自分でなんとかできると感じたら、そのようにする方がいいかもしれません。少し難しいなと思われたら、喜んでお手伝いしますけど」

「Dランクからは、またお世話になることが増えそうですけど」

「ふふっ、そうですね。覚え始めは大変だと思います。ただ、慣れてから自力でやっていけそうなら、自力で済ませて自分のスタイルを確立するのが大切だと思います」

「自分のスタイル、ですか」

「はい。魔法の覚え方、使い方には個人差があるものだと思いますから。私が教えたことを大切にしていただけるのは嬉しいですけど、最終的には自分の直感を信じてください」


こういう話を持ちかけられると、いよいよ魔法使いとしても初級者からひとつ上の段階、つまり独り立ちを意識し始める段階になったんだなと感じた。それでもまだまだ教えを請うことは多いだろうけど。


 段々と東門が近づいてきた。昼飯はどうしようか。お嬢様次第ではあるけど、お屋敷へ報告のついでに昼食をご一緒させてもらうのがいい気がする。

 ただ、彼女に予定がなければ、だけど。


「昼食はどうします?」

「王都で取るか、家に帰るか悩んでいたところです。リッツさんは?」

「お屋敷のみなさんに報告しようと思っていたので、ついでに昼食もご一緒できればと」

「でしたら、一緒に帰りましょう」


 そこで、王都の中を通らず、城壁外周に沿う道を行くことになった。あまり使われない道なんだろうか、人通りはほとんどない。それでもきちんと整備はされているようで、石畳の道は邪魔な草が刈られていてキレイだった。

 右に白い城壁、左には草原が広がる、緩やかな曲道を二人で歩く。周囲には他に誰もいない。何か話そうか、そう考えていた矢先、彼女が静かに話し掛けてきた。


「実は、つい先日……私も冒険者になりました」

「そうだったんですね。マリーさんと、そのうちなられるんじゃないかって話してましたけど」

「私を少し遠くに派遣して、研鑽を積ませるという話もあったそうですけど……」

「そうならなくて良かったです」


 素直にそう言うと、嬉しそうな表情で俺を見上げてきて、思わず顔が熱くなった。ちょっと顔を横にそらして、照れ隠しに「あの子たちも寂しがりますし」と付け加えると、彼女は小さく含み笑いを漏らしてから「そうですね」と同意した。


 それからしばらく、無言のまま歩いた。冒険者のランクはどうなんだろう。あまり聞かない方がいい気がするものの、聞かないのは不自然という気もする。変に気を使っている、みたいな。どうせいずれ知ることになるだろう、そう考えて聞いてみると、静かな声で「Cランクです」と返答された。

 各ランクがどういう程度の位置づけか、実はまだよくわかっていない。Fが試用期間、Eが本格採用ぐらいの認識だ。ただ、彼女としてはFランクから始めたかったんだろうなというのは、これまでの付き合いからなんとなく察せた。

「そのうち一緒に働けるといいですね」と言うのは、力量差を考えると少し安易な気がした。それになんか気休めっぽい感じもする。それでも、何も言わないよりいいか? 歩きながらあれこれ考え、少し気まずい沈黙が続いた。


「……お互いのランクが違うと、仕事の話は楽しめそうですね」

「え?」

「いや、別のランクだから、色々違ってて刺激になるんじゃないかと」

「……そうですね。水道の話とかは興味深かったです」


 先のランクの仕事について聞かせてもらうのは、俺にとって確実にプラスになるし、俺が話す低いランクの仕事だって、足りない力量なりに工夫する様を伝えれば、きっと楽しんでもらえるだろう。

 さっそくとばかりに、彼女から最近請け負った仕事の話を聞かれた。お屋敷まではまだまだ結構ある。話が持てばいいな、左手に続く大草原を眺めながらそう思った。



 王都から西へ二時間ほど歩いたところに、大きな湖がある。そこは絶えず濃い霧が立ち込め、白き湖と呼ばれている。魔獣を含む危険な生物が出るということはなく、霧以外には特徴のない場所だ。ただ迷い込むと危ないことには変わりないため、誰も不用意に近づくことはない。


 6月4日、22時。一人の青年が白き湖を訪れた。誰もが羨む美男子の、その顔は物憂げだった。彼、ベルナール・デュランが湖の上に片足を乗せると、湖面にはわずかに波紋が広がった。そのまま彼は湖の上を、地面と同じように歩いて進んだ。

 白い霧の中、数分歩き続けて湖の中心にたどり着くと、青年は深い溜め息をついてから、湖面に両手を乗せた。手からは深い藍色の光がほとばしり、湖面に何重もの円と複雑な幾何模様が刻まれ、円と円の間を文章が疾走する。

 発光が少し弱まると、魔法陣の中心が小さく波立った。「ご報告を」青年がそう言うと、波紋に合わせて落ち着いた男性の声が静かに響く。


「申せ」

「はっ、Eランクの魔導師試験が終了いたしましたが、目下脅威になると思われる者は確認できず」

「……警戒は怠らぬように。わずかにでも目立つ動きがあれば、部下を用いて注視させよ……”目”の方はどうなっている?」


 その問いに、青年は顔を少し曇らせた。


「相変わらず、こちらからは一切の干渉ができず……申し訳ございません」

「様子を探ることすら叶わぬと?」

「完全に管轄の違う案件のため……当日の作戦行動を検証したいという名目で部下を動かしましたが、許可は下りませんでした」

「なるほど、諦めよと」

「……これ以上の追及は、私の立場を危うくするかと」


 青年の答えに、湖面の向こうにいる人物は少し無言になった後、大声で笑い始めた。


「くく……ふふふ、ハッハッハ! “立場”とはな! 果たしてどちらの立場を指しているのやら! いや、お前がそれほど板についているというのなら、それは望外というものかな?」


 なおも続く笑い声に、青年は苦虫を噛み潰したような表情になり、これ以上無いほどの力で奥歯を噛み合せた。相手に歯ぎしりを聞かせないように、それでも感情だけは自分に表明するように。

 笑い声が収まってから、湖面が再び声を発した。


「”目”の封印に関しては、現状維持とする。天文院の警戒が緩むようなことがあれば……その機に下々が自発的に動くよう状況を整えよ」

「御意」

「目の戦いに関し、続報は?」

「目の管理に当たっていた伯爵家、冒険者ギルドの連名で報告書が上がりました。第三種禁呪として規制されている複製術を実戦に利用した以外、目立った情報はありません」


 しばしの間、沈黙が続いた。湖面からは音が出ないものの、波紋だけが小刻みに絶えず現れては広がっていく。青年の額に、一筋の汗が流れる。

 そして、「お前の方から」出し抜けに湖面が声を立て、青年はわずかに体をこわばらせた。


「何か調べたことはないのか? この件に関し、何か気づいたことは?」

「……と言いますと?」


 可能な限り冷静に、落ち着かせて問うと、また静かになった。ややあって湖面の波が口を開く。


「彼らが新しい戦法を試すに至った契機は?」

「ギルドはこの件に関し箝口令を敷いており、聴取は難しいかと……また、禁呪の違法利用に対し、国の上部は容認しているものと思われます」

「……”禁呪”を利用したのだろう?  動くに足る証拠を見つければ、お前の”立場”を守った上で手勢を動かせるのではないか?」

「……はっ、かしこまりました」


 青年が応じると、湖面は僅かなさざ波を立て始めた。重苦しい空気の中、何回か深呼吸をした青年が、口を開く。


「過去の報告書とも照らし合わせ、新しく参戦した者があれば素性を洗い、戦闘の前後も含め関与を調査します」

「当然だな。なぜ今までそうしなかったのだ?」


 青年が黙りこくると、少し間を開けてから湖面の声が続けた。


「現状、お前以上の情報源はいない。また、今以上に情報が必要な時期もない。お前が置かれた”立場”を理解せよ」

「はっ」

「……お前の忠勤を期待する。私からは以上だ」

「仰せのままに、大師」


 湖面から光が消えてまた静かになると、青年はポケットから石を取り出し、振りかぶって湖に叩きつけた。

 水面に映る青年の端正な顔が、波紋で揺れに揺れて歪んでいく。

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