第28話 「久しぶりの特訓③」

 ひととおりの質問が済んで、再び器の練習に入った。俺の書き方を確認しつつ、先生が指導する。


「最初に器の形を覚える時は、今まで覚えたものと比べ、同じところと違うところを意識して覚えましょう。一度覚えてイメージが固まってからは、これまで覚えたものとは別物だと考えるように。似てるところ、違うところへの意識が、今までに覚えたものの記憶を呼び起こして、混乱してしまうこともありえます」


 実際、新しい器の覚え始めは、今までのをベースに思い出すこともしばしばあった。そして思い出す中で取り違え、器がゴチャゴチャになることも。

 イメージが定着してきた現段階では、取り違えてのミスはなくなったけど、まれに前の器が意識の前面に出てきて、つい指が止まることもあった。


「そういう時は、一度書くのをやめて消してしまいましょう。そして、ゆっくり見本を見ながらもう一度書き直してください。混乱したまま進めて、頭の中のイメージを崩してしまうのが一番危険です。イメージは繊細ですから、崩れかけたら正しいものを目にするように。そうすれば迷いません」


 そういった教えの甲斐もあって、イメージを崩すことなく、それなりの早さで器を書ききれるようになった。早朝から初めて、まだ1時間経ったかどうかというぐらいだ。「これなら昼までにも文はいけますね」と彼女が言う。


「ただ、今回の視導術キネサイトのような魔法は、覚えてからが本番みたいなところがありますから……昼からも頑張りましょうね」


 そう言いつつ、彼女は器に文を書き込んでいく。魔力の矢マナボルトのように、完成すると消えるタイプでなく、継続型の魔法なので、勝手に消える心配はない。


「まずは、覚える前に読むところからですね」


 器に比べ、やはり文は苦手意識があった。「難しいですか?」と言われ、無言でうなずいた。


「文を読んで覚えるときも、イメージに頼るのが手っ取り早いですね。なるべく、情景を鮮明に思い浮かべて、心に焼き付けるように」


 言われて、目の前の文を見つめる。相変わらず魔法の文は、この世界の中における古文のようだ。今の語彙から、”たぶんこうなんだろう”みたいな推測しかできない。

 とりあえず、なんとなくの読解は出来上がった。頭の中で古文の教科担に読み上げてもらう。


『至る処に 御手みて至り とこに伏しつつ 頼るなら 千重ちえ千重の幾重いくえも 浮かばれて 空に踊れよ 言の葉よ』


 続いて、文意を把握してイメージし、心に焼き付ける作業だ。言葉の響きから、一つ一つ情景を思い描き、少しずつ鮮明にしていって……。

 吹き出してしまった。

 すると、先生が「どうされました?」と驚いたような、困惑したような顔で尋ねてくる。


「いえ、なんかとんでもない訳になったので……」

「それは、興味がありますね」


 まっすぐ、こちらを見つめる視線がキツいけど、言うしか無いだろう。俺は腹をくくって話した。


「えーっと、寝転がりながらでも神様の手があるみたいに何でも動かせるなら、目の前に積んだ本を宙に拾い上げて、文字をぼんやり目で追って暮らしたいな~みたいな」


 文意から、なんとなくの情景を思い浮かべてこんな訳になった。このイメージにお嬢様を借用したとは、腹を割かれても言えない。

 しかし、イメージの強力さとすさまじい罪悪感で、心には焼き付けたように訳が定着した。

 そして、俺の訳は、彼女は予想だにしなかったものらしい。目をパチクリさせている。


「一般的な訳は、どんな感じなんです?」

「……世を満たす神の慈悲が、床に伏せる私を憐れむのなら、積み上げるばかりの文を少しでも、風に乗せて行ってはくれないだろうか……というのが、定番の意訳です」


 どうやら、世間的には悲恋っぽい歌らしい。俺のグータラ訳とは大違いだ。流石に少し恥ずかしくなって、ますます記憶の定着には役立った。

 その後、少し沈黙が続いてから、彼女が口を開く。


「一般的な訳のほうが、高尚に聞こえはしますけど……実際の用法を考えると、リッツさんの訳の方が正しい気はしますね」


 どうもフォローってことではないらしい。彼女は古めかしい文をじっと見つめながら、淡々と、でも少し感心した調子で言った。


「それに肩肘張らない訳の方が、親しみがあって馴染むかも知れません」

「そうですか?」


 彼女を見ると、微笑みながら無言で頷かれた。イメージに出てきた、ちょっとだらけた感じの彼女と、目の前の彼女はあまり重なり合わないけど、暇があればそういう過ごし方をしてもいいんじゃないかと思った。


「実際にやってみます?」

「……そうですね。たまには、ちょっとだらしない日も、いいかもしれませんね」


 そんな話をしていると、彼女がベッドでゴロゴロしてるイメージが浮かび上がる。さっさと文を覚え込む作業に入らないと。

 すると、覚えたばかりの新しい器に、つい手癖で複製術を使ってしまった。特にミスすることもなく複製術が書き上がり、コピーが次々とできあがっていく。

「さすがに慣れてますね」と彼女が笑顔で褒めてくれたけど、少し懸念もあった。


「複製術で組み合わせてはいけない器ってありますか? 特に確認せずに新しいのに使ってしまいましたけど……」


 そう問いかけると、彼女は曲げた指を口元に当てて、しばし考え込んだ。


「お父様には、特にそういったお話をされたことがありません。今覚えている段階の器では問題はないと思いますが、念のため確認します」

「お願いします」


 気を取り直して、空の器の方に向き直る。気のせいかもしれないけど、最初に覚えた器を複製したときと比較すると、何か違和感がある。器が違うからか、たまにほんの軽い立ちくらみのような感じになる。

 しかし、すぐに回復するので気のせいかも知れない。一応、そう感じたことだけはメモしておいて、文の書き込みに入る。

 暗記した文は、例のイメージのおかげで頭から簡単に引っ張り出せた。覚え始めはこうやって有利だろうけど、いざ実用する段になって例のイメージが躍り出るとさすがに困る。可能な限り漂白していって、最後に覚えた文だけが残るようにしなければ。

 コピーした器に文を書き込み、文が書き終わったところで手動で消す。光球を覚えた時以来の反復動作だ。本当に、久しぶりに魔法を覚えているんだという感覚が湧いてきて、気分が高揚する。

 そして、例の大変失礼なイメージが、ときどき脳裏に浮かび上がる。

 書きかけの文を消し、気を取り直して、深呼吸をする。俺を見守る彼女の真剣な表情に、少し心配げな感じが混ざると、余計に申し訳無さがつのる。

 思うに、文を覚えるときのためのイメージは、自転車の補助輪のようなものなんだろう。あれば最初の習得に役立つけど、つけたままだと速く走れないし、逆に危なくなるかも知れない。

 そんな事を考えていると、脳裏で彼女がママチャリに乗り始めたので、また深呼吸した。


 文の覚え始めはそんな調子で先が思いやられたけど、器とともに書いては消す反復動作を繰り返すうちに、雑念が混ざることはなくなっていった。

 代わりといっては何だけど、描いた魔法というか器に、しきりに頭の中で耳を引っ張られ、そちらに注意をひかれる感覚がある。おかげで余計なことは考えずに済んでいるのかも知れない。

 そのことを彼女に伝えると、「後で詳しく教えます」とのことだった。とりあえず、今は集中して文を覚えることに専念すれば良いらしい。


 正確な時間は把握していないけど、たぶん文を覚え始めてから2時間ぐらい経っただろうか。器も込みでスムーズに書き上げられるようになった。頭の中で変な想像が邪魔をすることもない。

 彼女は微笑みながら「もう少しかかると思っていましたが、すばらしいです」と褒めてくれた。習得の効率化という点では、例のイメージは大成功だったらしい。かなり複雑な気分ではある。

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