第22話 「それぞれの戦後」

 黒い月の夜明け後、フラウゼ王国西方最前線にて。


 一夜限りの大激戦は、朝日とともに敵方の勢力が消えるように去っていくことで、ほとんど終息した。魔人側が端材でも投棄するかのように、時折繰り出す小部隊との散発的な衝突を除けば、前線はいつもの平穏を取り戻していた。


 王太子アルトリード・フラウゼは、幾人かの将を伴いながら野営陣地を歩いていた。状況確認と慰労のためである。

 彼が通りかかると、兵たちはつい作業の手を止めて顔を向けて、頭を下げてしまう。「陛下が通られようと、目の前の務めにのみ意を注げ」とは事あるごとに各将が訓示しているものの、兵たちが王太子に向けて下げた顔に覇気が戻るところを見るに、これも良し悪しと言ったところだろう。王太子が顔を合わせた兵に、慈悲深き微笑みを返すと、彼らは意気に満ちた表情でそれぞれの仕事に戻っていく。


 王太子と一行は、陣地をめぐりながら各所から届く報告を取りまとめていく。そうして軍議に向けて話し合っているところへ、伝令と思しき兵が少し息を切らしながら馳せ参じ、一行のもとにひざまずいた。


「急報申し上げます! 王都近傍の”目“の森にて、フォークリッジ伯のご息女アイリス様が、魔人を一人討ち取られました!」


 伝令が興奮冷めやらぬ様子でそう言うと、辺りが水を打ったように静まり返った。

 彼が息を整えているところに、「確かか」と王太子が短く問うと、ほんの少し間を置いて伝令が返答する。


「はっ! 未明には天文院が出動し、戦勝が確認されました。現在は目の封印に取り掛かっているとのことでございます!」


 知らせを受けて、徐々にどよめきが広まる。今にも弾けそうな歓喜の波が、陣地を駆けていく。


「諸君! 王都を脅かす魔人の将を、フォークリッジ伯令嬢アイリスが討ち取った!」


 王太子がよく通る声で高らかに宣言すると、陣地に大歓声が巻き起こる。


「あらん限りの心の叫びを、天と地に響かせよ! 先で待つ父祖と友に向けて勝どきを挙げよ!」


 言うが早いか、怒号のような鬨の声が空気を震わせる。その音の波の中心にいる王太子は、こっそり耳を指で守りつつ、傍らの将たちの顔を伺った。みな晴れがましい面持ちだった。

 しかし、渦中のフォークリッジ伯だけは、感情を抑えつつ少し呆けたような顔で宙を見ている。

「信じきれていないかな」大歓声がひとしきりやんでから、王太子が伯に問いかけた。


「いえ……どのように勝利を収めたのかと、少し思案しておりました。望外の喜びでございます」

「目を一つ潰したなんて、私が生まれてから初めての快挙だ。喜ぶ者も戸惑う者も、それぞれ気持ちはわかるよ……とりあえず、おめでとう」


 優しく語りかける王太子に、伯は神妙な面持ちで頭を下げた。彼に王太子が微笑んで話しかける。


「例のお客人のお手柄かな?」

「現状の報では……なんとも申し上げかねます」

「つまり、否定しきれないってことだね」

「……可能性はあるかと」


 王太子の顔にいたずらっぽさが現れる。彼が伯を除く近臣に視線をやると、みな良い笑顔でうなずいた。


「門の開通は、最速で明朝になるだろう。卿は翌朝一番で帰るんだ」

「しかしながら、殿下」

「残務処理は任せておくといいよ。私が命ずるまでもなく、卿の友人が動いて手伝うだろうし、卿の元で戦った異国の友人たちに、私も興味があるしね」


 一足早い帰還に対して、伯が何事か言いかけたところで、王太子が先回りした。

 すると、伯の顔に申し訳無さが浮かびあがる。そんな彼に対し、横に立つひときわ体格の良い将が、笑顔で彼の背を何回か遠慮なく叩いた。

 その様子を笑顔で眺めながら、王太子は続ける。


「伯には向こうでも色々と書いてもらわないといけないものがあるからね。卿を先に返すのは、決してねぎらいのためだけではないんだ。それと……」


 一度言葉を切った王太子の顔が、少し悲しみに曇った。


「こどもを寂しがらせてはいけないよ」


 この場の皆の心に突き刺さる、必殺の言葉を受け、伯は王太子に深々と頭を垂れた。



 同日正午、王国最前線から”向こう側”の領域にある、白亜の居城にて。


 華美ではあるが、奇妙なほどに色味のない大部屋の中央で、5人の男女が円卓を囲んでいた。その内、立っているのは一人。白地に赤い装飾を施した、軍服を思わせる装いの女性だ。彼女は座の4人に告げる。


「すでに各々、何かしらの方法で把握している事かと思われますが……本日の戦闘によりフラウゼ王国を窺う位置にある目の一つを喪失しました」


 その報に、恰幅の良い男性が両手で顔を覆う。だが、彼がそうして弔意を表明する以外、先の発言に誰も目立った反応はしなかった。


「かの目について、別段我々の中で割当はありませんでしたが、攻略担当は皇子ではありませんでしたか?」


 皇子と呼ばれた青年が、発言者に視線を合わせた。


「……まぁ、目の攻略に当たっておったというのであれば、従えた覚えは無いが、余の預かりということにはなろうか。まだ名前も与えておらなんだが」


 その言を受け、進行役の顔が険しくなる。


「少し無責任に過ぎるのではありませんか?」

「そう言うな軍師殿。元はと言えば、聖女殿が無理に余に押し付けたようなもの。責めるならば、種の植え方も知らずに撒き散らし、ただ収穫にしか興味のない彼女を責めるがよかろう」


 矛先を向けられた聖女は、目深にかぶったフードの奥から、皇子に冷ややかな視線を向けた。


「だとしても、あなたが無責任だということには変わりありませんわ」

「聖女殿、彼の者に与えた”徳”は覚えておるか?」


 問いに対し、聖女が手元の厚い書物に手をかけ、開こうとしたのを見てから、皇子は言った。


「”放埒”だ、聖女殿。だからこそ、特に目をかけずに野放しにしたまでの事。それに、目を失った件を責めるならば、大師殿の責も問わねばなるまい」


 興味がなさそうな素振りをして、配下のことはよく覚えている。その上で責任をあちこちに転嫁する皇子を少し睨みつけてから、一人立つ軍師は苦々しげな表情のまま大師に視線を移した。少し痩せ型の壮年男性に見える大師は、矛先を向けられても瞑目したまま、落ち着いていた。

 皇子は頬杖をつきながら弁明を続ける。


「かの国に対しては大師が策を弄しておったろう。そこに余が横槍を入れるように、あの目の配下を動かそうとしたとあっては、かえって障りになろうかと思ってな」

「……例の目については、規模の面から策に用いられるものではないと思い放置しておりました。私が何かしら手を入れようとすることで彼らに感づかれる恐れも、無いわけではありませんでしたので」

「野放しで正解だったというわけだ」


 皇子は自分の責任逃れに都合の良い解釈を堂々と述べるが、その口調はあくまで淡々としている。逃げの焦りはない。彼は続けた。


「此度の敗北も、大師にとってはむしろ好都合に思っておるのではないか? これで彼らに何かしらの動きが起これば、動きに合わせて探りを入れ、内情を暴く手がかりになるやもしれぬ。あるいは、さらなる策の足がかりにも、とな」


 少し冷ややかな調子で話しつつ、彼は大師に視線を向けた。大師は特に反応するでもなく、ただ瞑目した。代わりに反応を返したのが軍師だった。


「皇子」と少し強い口調で呼びかける。


「敗北からの糧が、敗北を肯定するとでも?」


 皇子は居住まいを正して、神妙な面持ちになった。閉じた目を開けて軍師に視線を返す。


「此度の件、人間の力を侮ることが無いよう、下々に厳命しておこう」



「毎回申し訳ないね、皇子」


 皇子が持ってきた書類に、興味なさそうに視線だけ走らせながら、長髪の青年が言った。

 二人がいる部屋の窓は大きく、遠くまで眺めが効く。他に目立つものといえば、二人が囲むテーブルに乱雑に積まれた紙の山ぐらいという、小綺麗だが殺風景な一室だった。


「議に出席せぬとはいえ、そなたは、まだ六星の一つだからな。さすがに知らせぬ訳にはいくまい」


 ティーポットを無造作に傾け茶を注ぎつつ、皇子が言う。


「いくつもの目の面倒を見ようものならば、首が一つではとても足りぬ。そなたが復帰すれば、面倒はないのだが」

「それはないよ。私はもう、どちらのためにも戦うつもりはない」


 皇子は一度青年に目を合わせてから、真剣な面持ちで静かに言った。


「そなたを六星から引きずり落とそうという動きがある。さすがに同輩は露骨な動きを見せぬが、下々はそうでもないのでな。事が成れば……まぁ、五星になるのだろうな」


 波々についだ茶を一息で飲み干してから、彼は続ける。


「そなたの引き落としが表面化したら、余もそれに加勢するつもりだ。部屋から窓の外を眺めるばかりでは、そなたも退屈だろうしな。そなたを放逐できるよう、力を尽くさせてもらおう」

「そうだね、ありがとう」


 青年は、退屈な窓の外へ顔を向けた。白い砂浜が続いている。普通の砂浜と違うのは、城から眺める砂浜の向こうに草地が見えることだ。どの海にもつながらない、内陸の砂浜だった。

 陽の光を受け、ときおり砂浜が薄い虹色に輝き、七色の波が風に煽られるように、地表を走り去っていくのが見える。他に目を楽しませてくれるものがない、死んだように静かな砂の海だ。


 強い風が部屋に入り込んだ。青年が風の行方を目で追うと、テーブルの上から紙が舞い上がる。

 皇子は、無表情のまま左で茶をすすりながら、茶請けのクリームが少し残った右のフォークで、飛んだ紙を刺して捕まえようとし、勢い余って書類の山にフォークを深々と突き立てた。

 笑うのと謝罪を同時にやりかけ、皇子は腹を抱えてむせこんだ。青年は静かに笑った。

 息を落ち着けた皇子が、少し顔を赤くして謝罪する。


「いやぁ、すまなんだ。これでは読めぬな。代わりを持たせよう」

「いや、いいんだ。終わった件だから」


 フォークが刺さった書類の山を、物憂げな表情で見つめながら、青年が言った。


「……そなた、余と語らうのは楽しいか?」

「それ以外の楽しみがないよ」

「軍師はマトモであろう?」

「彼女とはわびしい話が多いからね……君ほど楽しくはない」


 皮肉とも称賛とも取れる発言に苦笑いしつつ、皇子は茶請けの続きを食べようと、青年の皿からフォークを取り上げた。



 目が覚めると自室にいた。窓からはオレンジ色の光が差し込んでいる。

 少し不安になって窓の外を見ると、きれいな夕焼けだった。少し早い時間だったが、暗くなりつつある空に、いつもの月も見えた。

 空は大丈夫だった。だが、安心した途端に自分の格好が気になった。服はシワが多く、よれて見えた。

 前夜の、リヤカーで運ばれてからの記憶がほとんどない。少なくとも、ご褒美のシチューは食べてないはずだ。

 不可抗力だったとは思うが、記憶がなくなるまで酔ってそのままベッドで夕方まで寝てたという事実に、少し自己嫌悪に陥った。そして、もしかしたら心配かけてしまってるのではないかと思った。


 部屋の外に出ると、マリーさんと奥様がこちらへ向かってくるところだった。


「さすがにお疲れかと思い……大事無さそうでしたので、お部屋でお休みいただいておりました」


 マリーさんが、いつもの様子で話した。格好もいつもの美容師みたいな感じで、雰囲気もいつもどおりシャキッとしている。あんな事があった夜の後だったのに、信じられないほどタフだった。

 ふと、お嬢様の事が気になった。もしかしたら、王都に行っているのかもしれないけど、マリーさんに聞いてみたら自室でお休みになっているとのことだった。


「それで、ちょっと様子を見に行こうと思って」


 奥様が微笑みながら言った。手招きして同行するように誘われたので、ついていった。


 お嬢様の部屋の前につくと、マリーさんがまずノックしたが、反応はない。

 反応がないことを確認すると、マリーさんは奥様と目配せした後、膝立ちになって腰の道具入れから何かを取り出しつつ、部屋の鍵穴に目線を合わせた。何か、悪いことを企てているように見える。


「いいんですか」と奥様に問うと、「あの子の寝顔が見たくて」と、笑顔でなんの悪びれもなく返答された。

 ドアの方からカチャカチャ音がしたのでそちらを見ると、案の定マリーさんがピッキングを敢行していた。いつも大抵のことはサッとやっている彼女だったが、今回ばかりはそういうわけにも行かないようだ。かなりマジな顔をして、鍵と格闘している。が、そもそも開けられる確信がなければ、こんな事はできないはずだ。小声で奥様に「どこで覚えたんでしょうか」と聞くと、「夫かしら」と即答された。


 程なくして、マリーさんが立ち上がり、ドアノブを回し、こちらに頷いた。やってしまったらしい。

 ドアへコソコソ歩み寄る奥様を見つつ、俺はその場から動けずにいた。


「見ていかないの?」

「いや、さすがに女の子の部屋に入るのは……」

「大丈夫よ。私達が見張ってるし、あの子は部屋をきれいにしてるし……それに、あなたの貢献を思えば、あの子だって寝顔ぐらい晒してくれるわ」


 奥様はそう言いつつ、どこか照れくさそうな顔をして、俺の手を引いた。目を覚まされたら土下座をする覚悟を決めて、俺も部屋に入った。


 お嬢様の部屋は、本が多かった。棚には本が几帳面に並べられている。窓際の机には小さなプランターのようなものが見えたが、他にはさほど目を引くものがない、少し物寂しい部屋だった。


 そして、ベッドに彼女がいた。仰向けで寝ているので、顔がよく見えた。安らかで幸せそうな寝顔だった。

 侵入者の3人とも、一言も発しなかった。そのまま、数十秒、もしかしたら分単位でその場に立ち尽くしていたかもしれない。小声で「退却しましょう」と促すマリーさんに服を引かれて、俺はやっと我に返った。奥様はいつまでもずっと名残惜しそうだった。


 3人で部屋を出て、マリーさんが外からカギをかけるのに奮闘している間、奥様は何も話されなかった。少しうなだれていて、顔は見えない。顔を覗いても怒られないだろうとは思ったが、さすがに無遠慮すぎるとも感じた。


 マリーさんは開けたときよりも、ほんの少し手際よく鍵をかけた。事が済むと、奥様は俺たち二人に話しかけた。


「ふたりとも、少し寄ってくれない?」


 言われてちょっと寄る。マリーさんは、そんなにぐいぐい寄ってこなかった。少し照れくさそうにしている。笑う奥様に、ジェスチャーで「もう少し」と催促され、ほんの少しまた寄せた。

 そして、奥様にマリーさんとまとめて抱きしめられた。マリーさんと視線が合った。ほんの少し戸惑っているような笑顔だった。頬が赤い。俺はもっと赤くなっていると思うが、嫌じゃなかった。暖かさが心地よかった。

 そうやって、少しの間無言で抱きしめられていた。俺たちを解放した奥様も、少し顔が赤かった。


「ありがとう」と笑顔で言った奥様に礼をして、このあとどうするのか考えていたところに、マリーさんが口を開いた。


「何かお忘れになっていませんか?」


 奥様と顔を見合わせるが、どうも心当たりが無いようだ。マリーさんは続けた。


「私が用意いたしました、”少しカッコイイ服”を、事が済んでからリッツ様にお召しになっていただく予定だったかと」


 言われて、なんか安請け合いした記憶が蘇る。目を閉じて思い出している間に、奥様はマリーさん側に移動した。「そうだったわ」とかおっしゃっている。お二人とも、頬を赤らめながら笑っている。なんか、照れ隠しみたいに。


「いや、そのですね……お嬢様を仲間外れにするのも良くないので、また後にしませんか?」


 そう言って、俺は逃げた。ウヤムヤにできるかも、あるいはお嬢様が助け舟を出してくれるかも、そんな甘いことを考えていた。本当に甘かった。


 少し後に目覚めたお嬢様に、さっそくマリーさんがこの話を持ちかけると、お嬢様は意外にもかなり乗り気だった。

 背を押されるように連れ込まれた衣装室で着替えると、3人はニコニコ笑いながら「普段から着れば」とか「似合う」とか「もう少し背がほしい」とか、口々に言った。


 流石に恥ずかしすぎて、姿見で確認はしなかったが、顔を朱に染めながらも、こんなのもまぁ、悪くないかななんて思った。

 そして、今着られている服が、本当に似合う日が来ればいいな、そんなことを思った。

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