第7話 「貴族の食卓」

 着替えのため、マリーベルさんの案内で衣装室に入ると、学校の教室よりも少し大きいぐらいの部屋の中に、服が店のようにズラッと並んでいた。


「では、さっそく採寸を行います。多少お体に触れますが、ご容赦を」


 そう言うと、彼女は腰に吊るした道具入れから、紐やらメモ帳やらを取り出した。寸法を測るため、彼女が近づき紐を俺の後ろに回してくる。

 初対面では少し大人びた印象だったけど、部屋の明かりの中で近づいてみると、ほんの少し年下という感じに見えた。

 採寸の為か、彼女は近くで微妙に動いている。そうして動くたびに、柑橘系の香りがほのかに漂ってくる。心臓の鼓動がバレていたら、さぞ恥ずかしい思いをするだろう。


「ご面談はいかがでしたでしょうか?」


 落ち着いた声に、浮ついた気分が少し冷える。


「思っていたよりは……いえ、想像を壊されるくらいに気さくで、フランクに接していただけました」


 俺の返事に、彼女は小さく息を漏らして笑った。


「実を申し上げますと、アンダーソン様のお立場については判断が難しいものがあり、さしあたっては格式張った対応をと考えていたのですが」


 そこで作業を止めて、彼女は顔を上げて微笑んだ。近い。漂ってくるかすかに甘い香りに、ますます頬の上気を感じると、彼女は口元に手を当てイタズラっぽい笑みを浮かべ、一度距離を離した。


「……当家の主人が先んじて、あなた様に打ち解けた態度で臨まれたということでしたら、従者たる私もそれにならうべきかと思いましたが、いかがでしょうか?」

「極力、砕けた感じの方がいいです」

「極力とのことですが、職分上の限度やけじめもございますので……」


 真面目な顔でそこまで言ってから、一転、彼女は人懐っこい笑みを浮かべた。


「ほどほどに崩させていただきます、アンダーソン様」

「あー、そのアンダーソン様っていうのが……あまり好きな名前じゃなくって」


 この言葉を受けて、彼女は真面目な顔になる。目つきには少し深刻なものがあった。

 異世界からやってきた人間……というか、これから人の家に世話になろうという人間がファミリーネームを嫌うというのは、何やら穏やかならぬものがあるという気はする。不用意な発言で、いらない心配をさせた知れない。


「別に深刻な含みはなくって、なんていうか……」

「リッツ様」


 しどろもどろになりつつ、言葉を探しているところに、急に名を呼ばれた。

 視線が合うと、彼女は穏やかな笑みを浮かべた。様は余計だったけど、これでいいやと思わせる力があった。


「では、私のことはマリーとお呼びください。普段そのように呼ばれてますので」

「じゃあ、マリー……さん」


 呼び捨てることへの抵抗感でそう呼ぶと、笑顔そのままで一礼された。


 採寸の間、肩周りや腕周り等、服屋で気にしたことがない辺りを入念にチェックされた。彼女の仕事だということはわかっていても、服越しに揉まれるような感じで触られるのは、どうも落ち着かなかった。


「何か、体を鍛えたりされましたか?」

「えっ?」

「少し引き締まった感じで、まったく使ってこなかった体には感じませんでしたので」


 問いかけられて、少し鍛えていたのは事実だったけど、その理由を答えるのに躊躇した。ただ、こういう程度のことでも言いそびれていると、何もコミュニケーションできないんじゃないか、そんな懸念もある。


「……笑わないで聞いてくださいよ」

「善処します」

「鍛えた方が、女の子にモテると思って」


 彼女は一度顔をそむけ、口に手を当てた。抑えきれない空気が少し漏れ出る音がした。


「失礼しました」彼女は真顔で向きなおり、俺に聞いてきた。


「それで、いかがでしたか?」

「いかがっていうと」

「女の子の反応です」


 意地悪していると言うわけではないようだ。目つきや口元からは、好奇心というか、純粋な興味を感じる。


「まぁ、あんまり意味なかったですね。鍛えた後に気づいたんですけど、別に鍛えた体見せびらかしたり、何か発揮するわけでもないですし」

「そうですか。ただ、壮健な体は財産ですので、女性を気にせず続けてみては?」

「そうですね」


 そこで作業が一段落したのだろう。彼女はメモを書き終えて、服の林の中へ歩を進めた。


「こういった話を聞けますと、安心しますね」

「……それは、つまり?」

「世界が違っても、男の子は男の子なんだな、と」

「こっちも、きちんと女の子がいるみたいで」


 そこまで言うと、彼女は意地の悪い笑顔を作ってみせた。


「少しドキドキされてましたものね」



 用意された服は、夏場のビジカジっぽい小綺麗な服だった。肌触り等着心地はいい。家主と似たような感じの装いということで、そこは少し恐縮してしまったけど、この際気にしないように心に決めた。

 着替え終わると、食事の準備ができただろうということで、ダイニングへ。


 俺達が到着すると、すでに閣下は席についておられた。長方形のテーブルの両サイドに対面する形で、イスが用意されている。

 ダイニングの奥の部屋からは、食欲を刺激する良い香りが漂ってきた。マリーさんは準備を手伝うということで、俺に一礼をすると奥の部屋に入っていった。


 奥の部屋には別の女性も見えた。透き通るような白い肌に、つややかな金色のポニーテール、目は明るい赤茶色で、どこか現実離れした美人だ。

 そこで、こちらの家族構成は父母娘の3人ということを思い出した。しかし、目の前の女性はかなり不躾に多く見積もったとしても、アラサーにも見えない。いいとこ女子大生ぐらいの若さだ。

 すると、こちらに気づいたのだろう、彼女はトタトタ駆けてきた。上には調理服らしきものを羽織っている。


「はじめまして、こんばんは。申し訳ございませんが、母は所用につき外しておりまして……代わりにお詫び申し上げます。私は長女のメディエル・フォークリッジと申します。どうぞよろしくお願い申し上げます」


 真面目な顔で手を差し出された。手に見覚えがあると思ったら、ハンドソープのCMだった。まるでモニターから飛び出してきたかのような手だ。

 静かに押してくるような彼女の雰囲気に飲まれつつ、閣下の方を一瞥すると、閣下は少し困り顔になりながらも、援護してくださった。


「すでに家族構成は教えたからな。あまりはしゃぐと、みっともないぞ」


 その言葉を受け、彼女はドッキリに失敗したものの、今度は余裕のある笑みを浮かべた。髪留めを解いて、束ねた髪を下ろす。その仕草にも目を奪われた。


「これも自己紹介の一環よ。改めまして、フォークリッジ伯爵夫人のメディエルよ。見ての通りの女だけど、どうぞよろしくね」


 求められた握手に応えないのも悪いと思い、緊張しながらおずおずと右手を差し出すと、いきなり両手で包まれた。少し冷たい手は、見た目通りすべすべしている。今日1日で何度赤面したかわからないけど、間違いなく今回が1番ヤバい。


「今日は私が夕食当番でね。いつも通りの出来だけど、お口に合うかしら」


 そう言って俺に手を振りつつ、彼女はまた調理場へ消えた。

 夫人ということは、つまり閣下の妻なんだろうけど、それにしても若すぎる。

 そこで、愛人とか側室とか後妻とか、他の可能性も考えてみた。しかし、家の雰囲気から、あまりそういう影のある感じは漂ってこない。

 そういうことを考えるだけでもかなり不敬な気がして、貴族なんだから色々あるんだと納得することにした。少なくとも、深入りするような問題じゃない。

 そんなことをあれこれ考えた後、閣下に話し掛けられた。


「席はどうする? 若者3人でそちら側に座ってもらうつもりだが……まぁ、きみが女の子に挟まれたいかどうかってとこだな」

「端の方にでも寄せていただいた方が……その方が、味がわかりますので」

「まぁ、そうだろうね」


 そう仰って閣下は笑った。


 席について程なくすると、奥から奥様とマリーさんが、鍋やら皿やらを持ってきた。手伝おうかと思って立ち上がりかけると、閣下に手でやんわりと制された。


「今日の献立は?」

「ん……メインが鳥と根菜の素揚げの果実酢ソース炒め、それに海藻スープ、パンは正門脇のフカフカのを」


 そこまで聞いて、特にわからない要素はなかった。もしかしたらわかりやすさ重視で、料理名などは避けていただけたのかもしれない。

 テーブルにおいた鍋敷きの上に、スープ用の鍋と、中華鍋のように深めの立派なフライパンが置かれた。フライパンの中の炒めものは、透き通った赤いソースが絡められている。何らかのハーブが惜しげもなく散らしてあって、端的に言えばエスニック屋に作らせた酢豚に見えた。

 これを皿に取り分けていく、ということだろう。給仕が料理を持ってくるイメージとは違っていて、こういうところも貴族っぽさがない。


 待っているとお嬢様が姿を表した。流石に森の時の服装ではなく、下は膝丈のスカートに、上はカーディガンを羽織っていてシックな格好だった。

 彼女は俺の隣に着席した。互いに会釈する。


 特に会話もないまま、食事の準備は進んでいく。スープとメインが皿に盛られていく。奥様が俺の分を装う段になって、「最初は少なめが良いかしら。合うかわからないし」と仰って、軽めに盛り付けた。「気に入ったら遠慮せず、おかわりしてね」


 そうして一通りの配膳が終わったところで、閣下が仰った。


「まずは、報告事項」


 そこで、マリーさんが軽く手を上げて話し始める。


「アンダーソン様ですが、ご家名を呼ばれることに、少し思うところがあるとのことです。私はリッツ様とお呼びさせていただくことになりました」


 そこまで聞くと、奥様は楽しそうに「ふうん」と言われた。


「あなた、先を越されたわね。こういうのって重要なポイントだと思うんだけど?」

「いや、話すことが色々あってだな……」


 奥様に指摘されて、閣下は少し圧され気味になりつつ、宣言なされた。


「ともあれそういうことなので、みなはマリーに倣うように。他には?」


 誰も続いて手を挙げなかった。閣下はそこで一息ついてから仰った。


「食前礼は? 略礼でいいか?」

「最初ですもの、ちゃんとやったら?」


 俺の方を手のひらで指しながら奥様がそう仰ると、閣下は「それもそうか」とうなずかれた。


「形だけでも真似てみてくれないか。後は聞いているだけでいいから」


 閣下はそう仰って、テーブルの上に両手を出し、右手に左手を重ねて、何かをすくうような、あるいは上から何かを受けるようなポーズをされた。

 他の方も同様にし、目を閉じて少し頭を垂れている。形ばかりだけど、俺も同じようにした。

 俺の方が準備できたのを見届けて、閣下は咳払いして仰った。


「天より至り、地より生まれ、いずれ還る我ら。巡る命を留め、また永らえることを、お許しください」


 その後、少し静かになってから、「開けていいよ」と言われ、俺は目を開けた。


「……間違えてなかった、か?」

「それがなければね」


 小声で問われる閣下に、奥様はフォークを動かしながら答えられた。

 それを皮切りに、食事が始まった。香りは食欲をそそるけど、体に合うかどうかは別問題だ。

 酢豚らしき鶏肉料理に、フォークを刺して、それぞれの食材を1つ、また1つ口へ運ぶ。お嬢様もマリーさんも、食べつつこちらの反応を伺っている。

 すると、奥様が問われた。


「どうかしら?」

「おいしいです」

「よかった。まだ熱いままだから、ゆっくりたくさん味わってね」


 テーブル中央に置かれたフライパンは、縁より少し内側には鮮やかな赤いラインが引かれ、料理で見えなかった底の方には、暗い赤色の魔法陣が刻まれているのが見えた。あれで熱を発するということだろう。どうやって火力をコントロールするのかはわからなかったけど、火事の心配もなさそうだし、すごく便利そうだと感心した。


「味わってくれているみたいで良かった。頑張ったかいがあるわ」

「いつもどおりとか言ってなかったか?」

「いつも頑張ってるのよ」


 ご夫妻は、食事中でもよく会話された。お嬢様とマリーさんは、まじまじ見るのも失礼と思ったけど、結構食べるタイプのようだった。女性にしては、という程度かもしれないけども。ただもくもくと美味しそうに食べている。

 最初どうなるかと思った食事だった。でも、変に話題を振られたり、妙に緊張したり、味付けが合わなかったり……そういった心配が杞憂に終わって、何よりだった。



 食事の後、マリーさんに少し屋敷の中を案内され、最後に俺の自室に着いた。


「明朝から、お嬢様が魔法の訓練に当たられます」


 ここまで色々と目まぐるしくあったけど、当初の目的はそういうことだったと思い出した。

 そして、例の釣り人の女性も、その辺りのこと――俺がこちらの世界で魔法使いを目指すこと――は周知してくれていたようだ。


「あまり寝付けないかとは思いますが……良い夜を」


 そう言って、マリーさんは一礼した後、去っていった。


 ドアを開けて部屋に入ると、窓際に小さな机とベッド、壁際に空の本棚があった。廊下と違って照明のたぐいがなく、ただ月明かりが照らすだけだった。

 他には何かないか探してみると、テーブルの上にはランタンのような何かがある。手に取り持ち上げてみると、不安になるほど軽い。燃料は間違いなく入ってないだろう。外見に、何か機械的に動かすものは、特には見当たらない。

 それでも全体をくまなく見てみると、持ち手の親指が当たる辺りに、ほんの少し凹みがあった。触ってみると何か刻まれている。直感的に、親指を当てるようにして持ち、森の中で光を――マナを吸い出されたときのことを、イメージしてみた。

 すると、ランタンはぼんやりと、黄色に光った。


 それだけのことだったけど、俺の中でなんだか急に不思議な感情が渦巻いた。目の前のぼやけた光みたいに心が定まらない。

 こうして、不可解な力を曲がりなりにも使えている、その事実が心をざわめかせていた。本当に、違う世界に来たんだなという実感が。不安と、俺でも使えるんだという奇妙な興奮が同時に巻き起こっている。

 そんな変な気分にとらわれたままベッドに身を倒すと、先ほどのマリーさんの言葉を思い出した。あまり寝付けないだろうと言われたけど、確かにそうなりそうだ。こんな様子を見られたら、笑われるかもしれない。


 しかし、その夜はいつの間にか寝てしまっていたようだ。寝付けない、なんてことはなかった。案外芯は図太くできているのかもしれない。

 翌朝、意外にもスッキリと目覚めつつ、朝の光を浴びながらそんなことを思った。

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