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「あなたも懲りないね」
409号室には黒の革張りソファが二つある。このホテルに初めて足を踏み入れたときからこの部屋にはソファがあったので、神田はここを勝手に応接室として利用している。神田は真向かいのソファに座る若い男に話しかけた。
「神田さん、わかっていると思いますが、ここは近いうちに再開発地区に指定され退去していただく必要があります。今日は再度お願いに参りました」
前にいる男はスーツを着ていて、ネクタイは首元まで締められている。スーツの胸部分には名札が付いている。「ニムラ」と書かれている。
「それはわかっているさ。でもこっちにも事情ってものがあるのさ」
「もう今回を含め、4回目です。他の人達は退去をしています。このエリアで意固地で話を聞こうとしないのは神田さんだけです。前回はここに違法に滞在していることを見逃すことを条件にお話したじゃないですか」
「一旦落ち着いたらどうだ。ほら、コーヒー」
神田は白のコーヒーカップをニムラの前に差し出した。ニムラはコーヒーカップを睨むように見た後、神田に顔を向けた。
「私はコーヒーが飲めません」
「何事にもチャレンジだよ。息子はご飯を食べられるようになった。何もかもチャレンジだよ」
ニムラはコーヒーカップを神田に戻すように押した。コーヒーの表面は揺れ動く。
「チャレンジ、だったら別の地区に移動すればいい。それもチャレンジと言うのでは?こっちは何度も好条件を提示してきたはずです。比較的、治安の良い郊外に住居エリアを用意しています」
「それは甘えじゃないかい。人の用意したレールに乗り込んで、これが人生だ!これがやりたかったことなのだ!と叫ぶのは、それは負けじゃないか」
神田はニムラの顔を除くように顔を動かしたが、無反応だった。
「馬鹿にしていますか」
「そんなことはない」
「あなたの退去しない事情というのはわかりません。教えていただけませんか、事情というやらを。もしかすれば少しでも考えが変わるかもしれない」
腕を組んで、天井を見た。天井には光が当たるとキラキラ光る装飾が付いていた。
「ここを退去しないのにははっきりとしたものはない。もちろん時間が経って、気が変わることもある」
ニムラは呆れた表情を見せた。ただ直ぐに表情を戻した。
「私にはあなたを強制退去させることも、処罰することも出来ません。あなただってわかるでしょう」
「薄々ね」
「郊外に出ていけば、少しはゆっくりと暮らせますよ」
「郊外に出ることは確かに一定の長さでは安泰だろうね。でも、必要としている人がいる。具体的には言えないけど」
「仕事ですか?」
「まあね」
「求められていることはとてもいいことだと思います。僕は・・・」
言葉に詰まったニムラは左右を見渡した。「僕は存在しないものですから」
誰からも存在を認められない。もし、自分がその立場だったら自分はどうやって生きていくだろう。首を掻き切って、泳げない水中で溺れるか。死ぬことだけを考えてしまうのだろう。
メネスカーの製造と発売は中止。とても残念だ。
確かに人には死というものがあって、それらが本人たちの承認なしに移行されるのは議論されるべきことである。
ただ、感情的になってはいけない。可愛そうだから、気に入らないから。たくさんの感情が混ざった挙げ句、生命の風なんて人権団体まで出てきた。生命の風は力を蓄え、この国でも勢力を広げ、記憶移行制限。
彼は大層満足したことだろう。目的はアンドロイドたちの人生を守るためだから。
しかし、記憶移行で亡くした家族を取り戻したいという強い気持ちを持っていたユーザーはどうする?
「人の人生は一度きりだからあなた達も従いなさい」
そんな冷たい言葉を投げかけられるだろうか。
私には出来ない。絶対にできない。
世界的な流行を見せた肺炎は姿を消したが、残ったのは人間が人間らしく生きることを強要された世界だった。
ニムラの悩みに触れた瞬間に神田は何かが話しかけてきた気がした。それははっきりとはしない。何が何だかもわかっていない。不安定になる。
「どうしました」
不安そうな顔を神田に向けたニムラはポケットからハンカチを取り出した。
神田は「なんだよこれ」と言って受け取ったが、少しすると体の中から詰まっていたものが流れた。
「神田さん、この生活はあまりいいものではない。あなた自身はっきりとわかっているはずです」
説得に近いことを話し始めたが、神田は息を整えながら、「それはどうだろう」
「私は、ここで求められたことに全力で答える。だから今は簡単に逃げることもできない」
「・・・それは誰に求められているのですか。それは誰からの命令ですか」
神田は口を開けてニムラを見た。
ニムラは30分程度でホテルを出た。四階からニムラのために出したコーヒー片手に、手を振ったが相手は振り返ることすらせず、そのまま消えていった。
自分の部屋へ戻り、クローゼットの中を覗いた。男の方から少し唸ったモーター音が聞こえた。機械の前に座り、記憶移行作業を始めた。
送られてきたメモリーカード内のデータを変換する作業に取り掛かる。他の記憶移行をするユーザーから譲ってもらった変換ソフトを介して先日運んできた第一世代のメネスカーにインストールをする。
黒色のウィンドウをバックにプログレスバーが進む。
その間に神田はクローゼットの中に入り、男のメネスカーを起動した。コネクタ部分は取り替えている。機械と接続をする。中にはオペレーティングシステムは入っているようだ。データの破損があるのか、再起動を繰り返している。中の記憶は残念ながらフィックス出来ていない。記憶は断片的に残っている。
起動後、10分程度待っても通常起動をしない。神田は、コーヒーカップを置きに部屋を出た。そして、違う部屋でソファの上で横になった。
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Reboot
Reboot
Reboot
Reboot
Fix The Problem
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敦子。敦子。
頭を打っていたみたい。
ここは病院だ。
二回目だね。
大丈夫、安心して。
僕がずっと付いているから。
僕は求められている
私は求められている
私は生まれた人たちを救うのだ。
私はそう、救世主になるのだ。
何かの罪を償うために。
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ニムラが座っていたソファに横になり、目を閉じていた。
はっきりとしない夢を見たあとの気分は良くない。
アツコの叫び声が聞こえた。神田は「どうした」と大きな声を出したが反応がない。アツコの部屋を進むと扉が外れていた。乱雑に部品や木片が飛び散らかっている。恐る恐る中に入る。アツコの顔が見えた。直ぐに駆け寄ると首や腕が反対方向に曲がっている。
「どうしたんだよ」神田は自分の声が震えていることに気づいた。恐れていたことが起きた。
「あ、あ、あ」
アツコは何か話そうとしているが言葉になっていない。
「喋るな。良いな。直ぐに直してあげるから」
今度は衝撃音があった。何か投げられたようだ。アツコが苦しんでいるところから離れるのは気が引けたが、隣の部屋に向かった。扉はアツコがいた部屋とは違い、律儀に閉められている。
扉をゆっくりと開ける。扉の先には裸の男が立っている。拾ってきたメネスカーだ。神田は「おい、お前」と叫んだが男は反応を見せなかった。恐る恐る近づく。ベッドが見えた。そこにはうつ伏せのジュンがいた。
痙攣を起こしている。「ジュン、ジュン」叫んでも反応はない。
男はゆっくりとこちらの方を向いた。目は灰色、メネスカーの機能が一部起動している状態だった。男は話し始めた。
「ここはどこだ」
「お、お、俺の家だ」
男は周りを見渡す。
「俺は誰だ」
「お前の事は知らない。だから、とにかく落ち着け。良いか、落ち着け」
神田は自分にも言い聞かせるように叫んでいた。
「勝手に記憶を覗いた」
「・・・自動修復したのか」
「俺は記憶を見られるのが一番嫌いだ。」
神田はメモ書きを思い出した。周辺に危害を加える可能性がある。ただ、実際にその場面に出くわしたことは今までで一度も無かったし、ありえないことだと考えていたからだ。製造時からある程度の制限をしているはずだ。ただこのメネスカーの言動から見て、以前の持ち主は解除しているようだった。もっと中身を見ておくべきだった。
「そんな単調な考えはやめろ。今、データを修復する。治す事ができる」
神田の問いかけには男は反応を見せない。神田は続けて話した。野生の動物に対して無駄に近い説得をするように口を大きく開いた。
「お前自分が何をしたのかわかってるか。二人だ。しかも同じメネスカーを殺そうとした。見逃す。見逃すから言うことを聞け」
男は首を回し、少し息を吐いた。動きは全く人間のようで、ロボットのようでもある。
「生きていく。仲間かどうかなど今は関係ない」
全く見えなかった。自分の首元にそいつの手が回った瞬間には指一本一本に力が入っていた。ガハッと弱々しい声が漏れたあと咄嗟に「やめてくれ・・・」と言っても男は力を入れていく。
足がギリギリのところで着く状態だ。手を相手の首元に回す、カチッと音がし、蓋が上から落ちてきた。床でカラカラと音を立てて回っている。指先でボタンを探る。指先に残った力でボタンを押すと男は首が真二つに割れたような動作を見せ、力が抜けていくように床に倒れかかった。
もうこいつは自分の考えなど関係ない。もうひとつの命として動いている。
神田は床に落ちた。全力で息を吸った。喉元に何かが突っかかる違和感を覚えた。ただ、ゆっくりしている暇は無かった。ボタンを押したメネスカーからモーター音が聞こえた。目は全開に開いているが瞳孔の部分が収縮を繰り返している。再起動を試みている。
近くのうつ伏せのジュンに這いずりの状態で近寄る。
「ジュン、ジュン」
声を掛けてもジュンは反応を見せない。口は広く開いている。頭を動かし、見てみると頬の部分が凹んでいた。
「ごめん、ごめん・・・」
顔を抱き寄せた。少しだけ暖かさが残っていた。
男のメネスカーからモーター音がうなり始めている。もうすぐで起動しそうだ。
アツコの部屋へ向かう。部屋の奥では先程と同じ、首は拗じられ腕は反対方向に曲がっている。顔に触れても冷たい。
自分の部屋へ戻り、今後必要になるであろう、予備の機械とメモリーカード、現金をカバンに入れた。クローゼットの中にはもう一体の女性のメネスカーがいる。奥に置いていた専用のケースに入れようと考えたが、遠くから足跡が聞こえた。神田は入れるのを諦め、鞄の中を再度確認した。
現金はバラバラ、機械は傷が付いている。
メモリーカードは3枚。一枚一枚に付箋が貼られている。
「准」「敦子」「K 5G」
神田はそれらを確認し、カバンを締めた。3枚目の付箋をじっと見つめたあと、この部屋を出ることを決心した。
リ・ボン 安達ユウヘイ @routemd
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