第十四話 旅路の果てに

「なんてことを言っていたが。今、思えばクラインは止めてほしかったのかもしれないな」


 リオンは隣に立つレナに語る。


「あまりにも情報が多すぎたし、戦闘中にも教えてくれる親切っぷりだ。そうでも考えなくては説明がつかない」

「だけど。フィルさんを生き返らせようとしたのは、本気だったんでしょ?」


「そのフィルのことを考えて葛藤したんだと思う。話を聞くだけでも、名実共に【聖女】って感じだしな。一人を生かす為に人類を犠牲に、なんて。許す人じゃなかったんだろう」


 レナはゆっくりと頷いてリオンの言葉を咀嚼していた。


「ふむ。なるほどな。興味深い話を聞けたよ」


 リオンとレナは目の前にいる存在を見上げる。

 【魔獣の領域】に生える喋る大木――トゥーレ。


 リオンは事の顛末を伝える為に、レナを引き連れてここまで来ていた。

 最初こそ喋る大木に驚いたレナだったが、今回の出来事をリオンが報告する内に慣れてしまったようである。


 クラインの《リィンカーネイション》、そしてリオンの目覚めにおいてもトゥーレは口裏を合わせていたのだ。


 直接の関係者ではないにしろ、戦いが終わったことを伝えた方がいいだろう。

 そう思って報告に来たのだ。


 ただ、今まで【戦場】で出現していた分が【魔獣の領域】に戻ったせいで、魔獣は溢れんばかりに跋扈している。

 帝都の防備も更に固められ、共和国のような壁が建設中だった。

 共和国と王国の軍部は、騒然としながらもきちんと帝国へ送られたらしい。


 リオンは集う魔獣達を容赦なく魔術で吹き飛ばしたながらここまで来た。

 森の中で姿さえ隠していれば、人間に見られることはない。所々にいる斥候も目くらましで簡単にやり過ごせた。


 そのようにして辿り着いたトゥーレの周囲は結界に守られており、魔獣達は遠巻きにこちらを見ている。


 この結界はクラインのものではなく、トゥーレ自身によるものらしい。

 《リィンカーネイション》の為の結界は既に消滅していた。


「今、クラインはどうしているかね?」


「奴なら自分の領域で療養中だ。死ぬまでの数十年をフィーリスと穏やかに過ごすとさ。ロキは魂さえ移せば永遠に生きられるとかいって、代わりの肉体を用意してるし。ルーシーは、また吸血鬼ハンターに戻ったみたいだ。いつか必ず殺すって言われたよ」


 リオンは脳裏に彼らの姿を映し出す。

 誰も彼も自由で、リオンには自分の身体がこうなってしまったことに驚いている暇もなかった。


「そうか。それで、君はどうする?」


 トゥーレの言葉にリオンは頷く。

 報告はついでだ。ここに来た理由はそこにある。


「だがその前に。この大陸を囲む見えない壁はなんだ? どうして海から外に出ることができない?」


「かつて起きた魔術戦争によって、世界にある大陸のほとんどは使い物にならなくなった。わずかに残った大陸や海も、戦争に使われた禁断魔術による死の灰で汚染されていき、死に絶えるのを待つばかり。故に生き残った魔術師達は日本を結界で囲い、汚染されないようにしたのだ」


「じゃあ海外の国は、もう……?」

「左様。死の灰によって滅んでいるだろうな」


 トゥーレの説明を聞きながらも、リオンは一縷の希望を抱いていた。

 何かで読んだことがある。人類がいなくなれば世界は自然の姿を取り戻す、と。


 故に日本の外にある大陸も、何千年と経った今ならば。

 もしかしたら、死の灰とやらも含めて浄化されているかもしれないのだ。


 とはいえ。それは脇道の話だ。

 本題は別にある。


「それはわかった。だがここに来た理由は別のものだ」


 トゥーレは表情だけで頷きを表現する。


「いつか言っていただろう? 『もし、人間を敵に回してでも、人間を守りたいと願う時に、また来るといい』って」


「よく覚えていたな」


 トゥーレは言葉と共に笑い、頭上から木の葉を降らせる。


「今回のことでよくわかったよ。ろくでもない奴もいるけど、俺は人間を守りたい。この力はきっとその為に与えられたものなんだって」


「……人間を敵に回すという意味がわかるか? この選択をすれば、君はもう人間社会で生きることができなくなるだろう」


「それでもいい。そうやって人間を守って、いつかこの大陸の外側へと連れて行ってやる」


 リオンの原動力は、ただ世界が見たい。それだけだった。

 トゥーレは真っ直ぐにリオンを眺め、レナへと視線を移す。


「君も、それで納得しているのかね? 愛する者と、一緒にいられなくなっても」

「一緒にいます」


 レナはトゥーレの言葉を遮るように強い意思を込めて返事をした。


「君は人間だ。いつかは……」

「そんなことわかってます。だけど、一緒にいます。ずっと一緒にいられるように、方法を探します」


「……よろしい。ならば、力の譲渡を始めよう」


 突如、リオンの足元が光り始め、魔力の奔流がその身体を飲み込んだ。


 レナが彼を呼ぶ声が聞こえたような気もする。

 だがそれ以上にリオンの精神は漂白されていき、真っ白な極光の中で波間に揺蕩うような心地で浮いていた。




 ――ここは。


 どこだと問おうとして、目の前に現れた人物に驚かされた。


 そこにいるのは紛れもなくリオン自身。

 黒い外套に身を包んだ自分だった。


「ああ、貴様か。随分と矮小だが、その存在でこの身体を使いこなすのだから人間とは面白いな」

「お前は……もしかして疑似人格の俺、か?」


 問いかけると目の前のリオンは満足そうに頷いた。


「そのとおりだ。トゥーレには、貴様に力を渡してもいいと思えた時、我を見せよと残しておいたのだ。先に死ぬのは表にいる我だとわかりきっていたしな」

「じゃ、じゃあお前は……ここで生きているのか?」


 すると疑似人格はひらひらと手を振る。


「たわけ。ここにいるのは我の残滓よ。貴様に言伝を済ませたら消えるだけの存在だ。できることは貴様と記憶をリンクさせることのみ。さて、あまり時間を掛けるのも面倒だ。この力の説明を済ませよう」


「さっきから言っているが、力ってなんなんだ?」

「人間を守れるほどに強大で、人間に恐れられるほど邪悪な力――つまりは我が蓄えた【魔王】の部分よ」

「【魔王】!?」


 思わずリオンは叫ぶ。

 疑似人格の方はやけに楽しそうだ。


「そうだ。というか、魔術合戦でクラインに負けただと? その程度の力ならば、そもそも【勇者】一行を相手にした時に負けておるわ」


 それもそうだとリオンは思い直したが、ふと疑問を抱く。


「この間のは、クラインが自分の領域で、魔力を極限まで高めたから強かったのであって……魔王城で戦った時よりは強いなんじゃないのか?」

「では貴様。一人で奴に勝てたのか?」


 そこを突かれるとリオンは黙ってしまう。


 決して一人の力ではなかった。


 ロキがいたし。

 そのロキはレナの影を通って結界を抜けてきた。


 リオン一人では、あのクラインには勝てなかっただろう。


「そういうことだ。どれだけ一人で強くなろうが、【勇者】一行のコンビネーションを用いた戦法の方が強かった。一人でやれることには限界がある。だが」


 疑似人格は真面目な顔でリオンを睨んだ。


「これから与える力は【魔王】の力。一人で生きていくことを可能とする圧倒的な力だ。それ故に、我が【魔王】を辞めた時にトゥーレに預けた力。だが、そのせいでクラインに不意を突かれて死んだのだから世話はないがな!」


 快活に笑う疑似人格。

 だがリオンはイマイチどう反応したらいいのかわからず、半笑いをキープするのだった。


 空気の悪さを感じたのか、疑似人格は咳払いを一つする。


「ともあれ。我とトゥーレが認めた人間だ。【魔王】の力だけでなく、トゥーレが行っている魔獣制御の力も与える。それによって魔獣の出現を上手く操り、世界の物資を管理せよ」


「……待て。人を守るとは、そういうことなのか?」


「当たり前だ。この世界に神はいない。故に、必要悪として【魔王】がいるのだ。もちろん、恐怖を撒き散らすかどうかは貴様に委ねるがな」


 意地悪そうに笑う疑似人格に、リオンは大きくため息を付いた。

 そんなリオンに対して思うところがあるのか、疑似人格は諭すような声色で語りかける。


「人間を守るには、力だけでは足りないのだ。人は弱い。生きる為には常に食糧を必要とし、身体も再生には数日、下手すれば数ヶ月を要する。また集団になれば弱き者を挫き、強き者に従うばかりだ」


 リオンは生前や旅の中で出会った汚い人間達を思い出し、思わず下唇を噛んだ。

 疑似人格はリオンの様子など気にせず、言葉に熱を込めていく。


「だが、その中にも光る人間は確かにいる。我はそれを知っている。貴様もそれを知っているからこそ、人を守ろうとしているのではないか?」


「俺は……」


 どうなんだろう、とリオンは考え直す。


 強くて正しい人間がいるから。そういう人がいるからこそ、人間を守るんだろうか。

 そう考えた時、リオンは自然と首を振っていた。


「違う。俺は……弱くとも必死に生きている人がいる限り、人間を助けるよ。俺は、人間の可能性に賭けているから」


 真っ直ぐに疑似人格を見返す。


 うだつの上がらない自分でも誰かに愛され、全力で生きて戦い、ここまで来れたんだ。


 ならば。


 きっと世界には、もっとそういった力を活かせない人がいて。

 そういう弱い心を持つ人達が見捨てられてしまわない為に。


 リオンは人間を守りたいと決心したのだ。


 疑似人格はその言葉を聞いて大きくため息を吐く。


「それは茨の道だな。貴様はいつかそいつらを切り捨てる選択を迫られる」

「なら、その時に迷わず助けられるように。俺自身がもっと強くなればいい」


 リオンと疑似人格は相対し、やがて疑似人格がゆっくりと頷いた。


「……いいだろう。貴様の願いを受け入れよう。だが我は、その願いが汚されることを望む。強き者こそ生きる権利を持つ。それが世の理だからだ」


「それは叶わない。俺が【魔王】になれば、そんな理は捻じ曲げられるからだ」

「良い! では楽しみにしているぞ!」


 豪快な笑い声が響き、その声が遠ざかっていく。


 気付けば疑似人格の姿は光の向こうに消えていき、リオンは茫洋とした浮遊感の中で意識を失った。








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次回、最終回です。よろしくおねがいします。

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