第十七話 隠されたもの
リオンは試しに境界の外に出て、適当に壁へ下級魔術の《アースハンマー》を放ち、石壁を砕く。
それから境界線を往復したが、外にある傷は修復されなかった。
つまり、効果があるのはこの境界線より玉座に近い部分だけということになる。
更に検証を重ね、リオンは自分の腕を斬りつけた。
自己再生するより早く境界線を往復するものの、腕の傷がこの能力で元通りになったりはしない。
また階段下の壁掛け燭台を持ってきて、玉座の間で砕いた。その破片を壁に投げつけて、壁に傷を付ける。
その後、リオンが境界線を往復すると燭台は壊れたままだった。だがしかし、壁に付けた傷自体は残っており、焼けた床は戻っていた。
要するに、玉座の間にある床とハリルのみに効果は適用されるということだ。
壁が無関係なのは、そこまで含めると外側にも影響してしまうようになり、範囲が広がって制御できなくなる、とかだろうか。
リオンはハリルが動かないことを良いことにもう一つ試す。
階段を下り、玉座の間に向けて上級魔術である《ディザスターストーム》を放つことにした。
グレイブが呼び出した無数の鬼を飲み込み、地面を広範囲に陥没させる威力を持つ魔術である。
「《ディザスターストーム》」
城の上空より巨大な黒き龍が現れ、突如天井をぶち壊しながら玉座の間に迫る。
漆黒の龍は玉座の間をまるごと飲み込み、轟音と共に地へと潜り込んでいった。
空間を薙ぎながら胴体が通り過ぎ、地を揺らしながら尻尾までが地下へと潜って消えていく。
だが、それでも玉座の間は存在し続けていた。
周囲の壁や手前の階段は龍に飲まれており、玉座の間を囲うように真四角の形で空間が無くなっている。そしてそれと同じ範囲だけ地面が地下深くまで抉れているが、それだけだった。
玉座の間自体に傷はなく、階段下にいる今は見えないがハリルもその場でピンピンとしていることだろう。
既に魔王の城は半壊状態となり、地面も底が見えないほどに消失した。
階段すらも繋がっていないので、決戦場のように周囲から隔離されている。
それでも玉座の間はまるでその下に支柱があるように存在し続けていた。
――あれは?
玉座の間の下。本来ならば階段で見えない部分に、何やら鉄でできた壁が見えた。
隠し部屋が玉座の地下というのは定番だが、そんなところが顕になっても戦況には影響しない。頭の片隅に入れておくだけだ。
リオンは一足跳びで玉座の間の周りにできた穴を飛び越え、再び境界線を跨ぐ。
「どうでしたか? 私を倒す術は思いつきましたか?」
「空間の仕掛け自体はよくわからん。発動条件はここを跨ぐだけで、しかも全て元通りになり、外界からの干渉は受け付けないと来た。どうなっているのか詳しいことはさっぱりだ」
「そうでしょう、そうでしょう。さぁ、諦めて……」
「だが」
ハリルが恍惚の表情を浮かべている間に近づき、
【
三十に裂き、
【
六十に割り、
【
九十に砕き、その後も何度も何度も分割していく。
それぞれの破片が血に塗れてぐしゃぐしゃになったのを確認し、
《ウィンドソード》
風の魔術で全てを吹き飛ばした。
すると肉片達が細かい粒子となって玉座の間から飛び立とうとし、透明な壁に阻まれるようにくっついた。
「そうか。となると、この空間自体が鍵か」
問題はハリルにあったのではない。
この空間自体が全ての巻き戻しを起こしていたのだ。
だからこそ、ハリルはあれだけ鷹揚に構え、戦う意志を見せなかった。
グレイブとの戦闘に関して言葉を濁したのも、きっとこの場所で戦ったからだろう。そこから答えを導いてほしくなかったのだ。
言ってしまえば、ハリル自身に大した戦闘力はないはず。
玉座の間に来るまでに迎撃するように放たれた魔術もハリルのものではなく、罠のように設置されていたものだろう。
なぜなら、リオンが玉座の間の外側から干渉できないのと同様に、空間の仕掛けが彼にも適応されているから。
故にハリルはこの空間から出ることができず、そもそも空間の外に干渉できないのだと思われる。
リオンは壁にくっついたハリルを落とそうと、玉座の間の縁に近づく。
ふとリオンは地面に空いた穴を見下ろした。
「魔法陣……!」
地の底まで空いたかのように見えた穴だったが、リオンの視力を総動員して見ると数百メートル下に魔法陣が描かれている。見えるのは魔法陣の外周だろうか。
つまり、この空間もあの魔法陣が形成しているのだ。
リオンはハリルの復活などに目もくれず、境界を跨いで魔法陣へと降り立つ。
魔法陣への対処などわからなかったが、とにかく刀に魔力を纏わせて斬りつけた。最初の一撃こそ弾かれたものの、魔力を増幅させて何度か両断する。
すると、魔法陣の一部が掻き消え、不思議な図形は光と魔力を失った。
――これで大丈夫だろうか。
効果を確認すべくリオンが玉座の間へ跳び戻ると、ハリルは立て肘を突きながら玉座へと腰掛けていた。
「おめでとうございます。よく見つけましたね」
「……お前。本当に【魔王】なのか?」
「はい。ですが私はただ【魔王】の役割を持たされただけ。本当に【魔王】が復活した時、人間達は恐怖に怯えることになるでしょう」
リオンが「それはどういうことだ」と訊こうとした瞬間、ハリルは自身の腕を胸の中へと突っ込んだ。
驚くリオンを尻目に、ハリルは胸の中からとある鍵を取り出す。
「魔法陣が溶けた時、私は本来の役目を果たせます。そしてそれができるのは、貴方だけだと」
「……誰なんだ。お前に役目を与えたのは」
ハリルは優しく微笑み、鍵をリオンへと手渡す。
その掌は、真っ白い血液で塗れていた。
「お前、その血の色は……」
「ご明察の通り。ホムンクルスです。髪色もマスターとお揃いでして」
「髪色も、って……」
リオンはハリルの真っ白な髪の毛に視線を向ける。
「ああ、それとこの辺りの魔獣はもう出現しなくなります。本来、【魔獣の領域】に発生するものをこちらに融通していただけなので」
「一体、何の話を……いやそれよりも」
「すみません。どうやら時間のようです。では、私はこれで」
リオンがそのマスターの名前を訊く間もなく、ハリルは言いたいことだけを言い尽くして、崩れるように床へと溶けていった。
ドロドロの白い液体と化したハリルは、もう元に戻ることはないのだろう。赤いカーペットが徐々に真っ白く染められていく。
先程までリオンがハリルを斬る度に見せていた赤い血液も。
ハリルの身体を細かく砕いた時、身体の内側に鍵が無かったのも。
そのマスターとやらの魔術だったのだ。
白い髪を持つ、魔術に長けた存在。
脳裏に一人の姿が浮かぶ。
だがリオンは首を振り、今やるべきことを再確認した。
リオンは手の中に残った鍵を握り、玉座を蹴り飛ばす。
玉座の下には予想通り、地下への階段が存在した。
リオンは階段を下り、最下段にある鉄格子のドアに掛かっていた鍵を開ける。
中へ進み、電灯へと魔力を走らせて空間を照らす。
そこには――。
「研究室……? どうして、この魔術の世界で……?」
リオンは思わず独りごちた。
目の前に広がっているのは非人道的な研究室というイメージ通り、人間が入るようなポッドが並んだ光景だ。
そのどれもがガラスが砕かれ、既に乾ききっている。
恐らく実験体と呼ばれるモノが入っていたに違いない。それが人間でないことを祈るばかりだが。
饐えた臭いがしないのがまだ救いだ。
研究室らしく無臭状態が保たれていたのか。それとも空間を固定する魔法陣が描かれた時には、朽ちてしまって既に臭いがなかったのか。
奥に進むと、また下への階段があった。
そういえば《ディザスターストーム》を放った後、玉座の間を囲うようにしか穴ができなかったことを思い出す。あの魔法陣が守っていたのは、本当はこっちだったのかもしれない。
リオンは下へ進み、数階どころか、数十階と同じようなポッドの並んだ部屋が続く。
数百メートル単位で地下に部屋が造られているのだ。リオンは辟易しながらも、躊躇せずに下りていく。
やがて、構造が違う部屋に出たので電灯へと魔力を放った。
真っ暗な状態でもリオンは見えるのだが、やはり光があった方が細部まで確認できる。
そこには研究の書物や資料を収めている本棚や、昔はガラス瓶が並んでいたであろう薬品棚が連なっていた。
どちらも半壊しており、まともに読める書物はほとんどなく、置いてあったガラス瓶達はどれも無残に砕かれている。
原型を保っているのは皆無だであり、故意に荒されたことが見て取れた。
散らばった資料の中でも、まだ読めるものに絞ってリオンはページをめくる。
そこには小さいが綺麗な文字で研究結果が記されていた。
大抵は気になるような記述ではなく、淡々と実験されていく模様が描かれているだけである。
どの薬品を与えて、どの効果があって、どの魔術を行使して、どんな反応があったか、などだ。
ただしどれもこれも日付はわからない。
日付が書かれたであろう書物の上部が吹き飛んでいるからだ。
それよりもリオンは魔術と科学が共存していることに驚く。
この世界における歴史書の始まりは魔術だったからだ。この世界において科学技術を見たことはない。前世の日本に酷似している技術があっても、どれも魔術で代替されていたからだ。
そのままページを捲っていくリオンだったが、ふと気になる記述が目についた。
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