第十八話 誰がそんなことを言った

『被検体K:研究員を殺害し脱走。錯乱状態であり、近日中に自滅する可能性が非常に高い為、追走はせず放置』

 

 実験結果ばかりが並べられている中、この一文だけが目に留まった。

 まるで自分から存在を強調するかのように、視界へ飛び込んできた感覚である。


 書物を閉じると、足元に本が転がっているのを発見した。

 こんなものあっただろうかと思いつつ、本を開く。本と呼ぶには小さい上にページが柔らかく、まるで日記帳のようだった。


 そう思っていると、中身も日記であることが判明する。

 とある研究員の日記であり、愚痴だったり、あの同僚が良いとか、仕事が忙しくて死にそうだとか。研究員も会社員であることを示す雑多な内容だった。


 有益な情報はないと閉じようとした時、先程の記述に紐付いたような告白文が視界に入る。


『上司の言うままに報告したけど、あの実験体は非常に危険だ。成果主義の所長があまりにも強化するから、人間では扱いきれない魔力を持たせてしまったのだ。脱走もそのせいに決まってる。そもそも追跡なんてできるはずもない。追いかけたら誰だって殺される。唯一の救いは、ヤツは近い内に肉体が魔力に耐えられずに死ぬこと。それまで大暴れしないでくれることを祈るだけだ』


 リオンは先程の記述と繋ぎ合わせる。


 膨大な魔力を持った、実験体が逃亡した……だが、その生死は不明。


 カタリ、と。部屋の奥で本棚の欠片が崩れ落ちた。

 リオンがそちらへ視線を向けると、本棚の影に更に扉が隠されているのを発見する。


 導かれているようだ、と思いながら本棚をどかして扉を開けた。

 そこにはまた地下へ続く階段があり、深淵へと誘われるかの如く歩を進める。


 今度は螺旋階段になっており、目が回るほどに長い長い階段だった。

 ようやく下り切ると、まるで何かを封じ込めているかのような重厚な扉が目の前に現れる。


 リオンが片手で押してもビクともせず、両手で力を込めることでようやく扉が開く。

 重たい音を立てながら進んだ先は、真っ暗な部屋だった。


 リオンは夜目で電灯を探すが、そのようなものもない。

 仕方無しに掌の上で、魔力に【火属性】を与えた。こうすると擬似的な松明になる。ただ燃費は悪い。


 掌を掲げて部屋の中を見ると、部屋の中心に今までのポッドよりも二回りほど大きいポッドが鎮座していた。

 部屋の外周に設置してあり機械からは、そのポッドへと無数の配管が伸びており、この部屋の主の重要さを示している。


 中身は既に空であり、やはりガラスが割られていた。

 部屋へのガラスの散乱具合からして、実験体が大暴れをしたのは間違いないと思える。


 また部屋全体に何らかの魔法陣が存在していた。これもまた空間が元に戻るものかと思ったが、そういう事態は起きていない。


 試しに魔力を纏った刀で斬りつけるものの、今回の魔法陣はかき消えることなく存在していた。

 現状、特に害を為しているわけでもないので、一旦放置する。


 それにこの魔法陣からは、馴染み深い魔力を感じているのだ。

 リオンの脳裏に朗らかに笑う彼の顔が浮かぶが、首を振って打ち払う。


 魔法陣以外に何かないかと部屋の検分をしていると、リオンは瓦礫の端から顔を出したファイルを見つけた。

 書類が束ねられたそれは前世の仕事を思い出して嫌になったが、それでも知らずにはいられないと中を開く。


『新人類計画』


 そんな見出しがダサいフォントでデカデカと記されていた。

 こういった提出用の書類は、どこでもこういうセンスになってしまうのだろうか。


 なんてことを考えながらページを捲ると、


『新人類となった暁には、生殖活動を取らずとも人類を増やしていくことが可能。現人類がこのまま死滅しようとも、彼が新しい人類として世界に君臨する。《リィンカーネイション》如きで、人類の支配は終わらない』


 などと言った文言が記されていた。

 なんだかよくわからない計画だ、とページをパラパラ流し見ていく。


 だいたいの内容は、やはり実験内容や、それに付随する効果や資材、人員やデメリットなどの箇条書きである。

 どうせ上司に提出する用の形式張っただけの書類だろう、とリオンは内容が無いことを確認しながら最後までページを捲った。


『適合者:R。目下調整中だが、遺体の引き取りについて家族の説得は完了済み。吸血鬼との違いを理解できない協会の介入に対し、警戒レベルを引き上げて細心の注意を願う。この計画が世界に露見することの危険性を再度ご理解頂きたい』


 R、遺体――。

 ふと嫌な予感がよぎり、すぐにリオンはバカな想像だと打ち消した。


 アルファベットならたまたま合致する可能性は充分あるし、遺体の引き取りに関しても心当たりなどない。そうだ。Rならばロキだって可能性はあるじゃないか。


 などと何の慰めにもならないことを考えながら、リオンは周囲に散乱する瓦礫をどかしていく。

 次の資料には、また別の文言が記されている。


『適合者は死亡済みの為、魂の維持は極めて困難と思われる。それ故、人工魂を造り出し、埋め込むことによって疑似人格を定着させる。そのまま元人格を吸収し、疑似人格が身体を支配。それによって古い常識を打ち捨て、新人類としての活動を開始する』


 リオンは紙を投げ捨て、再度瓦礫を撤去する。

 数個目の瓦礫を動かした時、完全に下敷きになっていた一枚の紙を拾い上げた。


「どういう、ことだ……」


 その書類を見て、リオンは愕然とする。

 目の前にあるものが信じられず、また脳の処理が追いつかない。どんな仮説すら立てることのできない状況だ。


 リオンが掲げる書類に記されていたのは――。


『適合者:天宮理央

 疑似人格コードネーム:リオン』


 その下にある個人情報と顔写真は、前世のリオンと一致するものだった。


 ――俺は転生したんじゃない。


 誰がそんなことを言ったのか。


 いや、違う。

 誰も言わなかったのだ。


 全てはリオンの勘違いから生まれている。


 前世から持ち越した娯楽の記憶。死んだことへの絶望と、来世への渇望。

 それらがリオンの思考を鈍らせ、都合の良い解釈をしたに過ぎない。


 ――クラインに、訊かなくては。


 この研究所には――いや、その前の【魔王】から始まり、この部屋にある魔法陣まで。魔王城には至る所にクラインの足跡があった。


 意図的に残したのだろう。これらがリオンに発見されるように、と。


 理由は知らない。

 だから、訊きに行くんだ。彼が何を知っているのかを。


 深呼吸をして書類をそっと地面へ放る。

 紙切れはヒラヒラと舞い、導かれるようにポッドの手前にゆっくりと着地した。






     ◇






 レナは回復した魔力で自分に《ホーリーガード》をかけ、最低限の自衛だけはしていた。

 自然回復の分もあるが、そのほとんどはロキに与えられた魔力である。


 レナは当初それを拒否していたが、ロキの「いざという時、足手まといになりたくないでしょう?」という言葉で、彼女から魔力を譲渡されることを受け入れた。


 そのおかげで、レナの魔力はほとんど最大限まで戻っている。

 魔力含有量の桁が違うんだ、とレナは人知れずちょっと落ち込んでいた。


 とは言っても。

 現在の状況を見たらそんなことも必要なかったように思える。


「邪魔よ」


 戦線からあぶれて近付いてきた魔獣は、ロキが召喚した骸骨兵士が排除していた。

 ロキは魔術を使うことすらしない。そんなことをするほどの価値もないと言うように、指先だけで魔獣を翻弄していた。


 またその戦線においては、ルーシーが埋め込まれた力によって単騎で大立ち回りを披露している。兵士達は鉄の壁付近を守っており、ルーシーと共に戦っているのはブレイドだけだ。


 ブレイドはその豪快な攻撃手段から共闘するのが苦手なタイプだったが、ルーシーやリオンといった実力者であればその限りではない。


 大ぶりで範囲の広いブレイドの攻撃を、彼らが勝手に処理してくれるからだ。

 回避したり、魔獣へ流したりしてブレイド自身の動きを阻害しない。それが一番大事なのだ。


 乱戦においては、威力と攻撃範囲を両立しているブレイドの方が分がある。それを邪魔しないだけでも、ブレイドにとっては非常に助かる共闘者となるのだ。


 大剣を振り回し、数体の魔獣を吹き飛ばすブレイド。

 だがその隙を狙う魔獣がおり、そこへルーシーの無骨な突きが放たれた。


 まだまだ洗練とは程遠いが、それでもリオンと対峙すらできなかった時に比べれば、槍と身体能力が徐々に親和性を獲得してきている。


「あら。おかえりなさい」


 場違いなほど呑気なロキの声に反応して、レナも視線をそちらに向ける。

 そこにはゲートを通ってきたのか、ぼうっと虚空を見つめるリオンがいた。


 ――なんだろう。なんか、わからないけど変だ。


 レナは直感的にそう感じる。

 もしかしたら今のリオンなら、レナでさえ一撃入れられそうなほどに無防備だ。


「リオン?」


 不安になって声を掛ける。

 するとリオンはビクリと肩を震わせて、レナを見返した。


 その瞳は震え、どこか迷い子のような怯えさえ感じさせる。

 かと思えば、彼が首を振った直後、そんな雰囲気は一気に霧散した。


「いや、大丈夫だ。少し、色々あってな」

「……何があったの?」

「実は……いや、まずはクラインの所へ戻ろう」


 リオンが揺れている、とレナはその表情から感じ取った。

 そして、それを決して表に出すまいと振る舞っていることも。


「そう。なら、貴方は知ったのね。リオン」

「ロキ。お前は知っていたのか?」


「だいたいのことは、ね。でも今の私にはもう関係のないことだもの。後は男同士、勝手にやってちょうだい」

「待て、ロキ! 聞きたいことが……!」


「ここまで来たら、私じゃなくて彼に直接聞きなさい。その方が、互いにスッキリするでしょう?」


 ロキはリオンの質問を遮った。

 リオンもそう思っているのか、ロキに対してそれ以上食い下がることはない。


 ふと彼は前方へ視線を移し、最前線で戦い続けているルーシーとブレイドを眺めた。

 目を細め、戦況を観察しているように見える。


「加勢しに行くの?」


 レナが尋ねると、リオンは首を振った。

 何かを諦めたような力の無さに、レナは不安を重ねていく。


「もう魔獣は出ない。あれが最後だ」

「え? それって【魔王】を倒したから?」


 尋ねるとリオンは頷く。

 だがその表情は一向に晴れない。


「リオン。どうしたの?」


 レナは小細工を弄さずに真っ直ぐ訊いた。

 リオンはそんな彼女を見て、わずかに微笑む。


「なに。ちょっと混乱してるだけだ。クラインに訊けば全てわかるだろう」

「どうして……」


 クラインさんが、と続けようとした時、背後から魔獣の咆哮が響き渡った。

 それは【戦場】に最後まで立っていた象ほど大きさを持つ獅子の魔獣。


 喉元にルーシーの槍が深々と刺さり、巨大な胴体をブレイドの大剣が真っ二つに割っていた。

 先程の咆哮は、かの魔獣による断末魔だったのだろう。


 その光景を見て、リオンはロキへと向き直る。


「クラインのところにゲートを繋いでくれ」

「いいわよ。でも、これだけは言っておくわ」


 ロキが指を鳴らすと、リオンの足元に黒い渦が発生する。

 あどけない顔を持つ彼女は、幼い相貌には似つかわしくない妖艶な笑みを浮かべた。


「何があろうとも、貴方は貴方。自分を見失わないこと。先に知った者として、それだけは助言しておくわ」


「……心に留めておく。行くぞ、レナ」

「あ、うん」


 突如、話を振られてレナは生返事をしてしまう。

 彼女はそそくさとリオンの隣に立ち、深呼吸をするリオンへと視線を向けた。


 ――どこかやっぱり不安そう。


 普段と変わらない気もする。もしかしたら不安なのはレナの方なのかもしれない。

 それでも、少しでも彼の心が軽くなるのなら。


「レナ……!?」


 そう願って、そっと手を握った。

 何ができるわけじゃないけれど。これぐらいしかできない、とレナはその手に力を込める。


「行こう!」

「……ああ!」


 レナの想いが通じたのか、リオンの瞳には強い意志が戻る。

 二人は頷きあって、同時にゲートへ飛び込むのだった。


「まったく……そういうのは二人きりの時にやってくれないかしら」


 ロキは毒づきながらも、こちらへ向かってくるルーシーとブレイドにどう説明したものか悩むのだった。










―――――――――――――――――――――――――――――


これにて第七章終了となります!

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