第十六話 魔王

「いかにもって感じの城だな……」


 ゲートから出たリオンは一人呟く。


 眼前にそびえるのは西洋風の灰色の城。

 取り立てて変な形ではないが、周囲に漂うおどろおどろしい雰囲気と、何故か広がる曇天が城の風格を増していた。


 【戦場】は晴れていた為、天気に関しては【魔王】がなんとかしているのだろうか。

 魔術でいちいち天気を操作する【魔王】を想像してちょっと和む。


 リオンは遠慮なく城に近づき、赤く大きな鉄扉を押し開けた。

 ギギギギ、と錆びた金属が無理やり動かされるような音を立てて扉が動く。


 そこに広がるのは大広間だった。赤いカーペットが敷かれ、それが直接最奥にある玉座へと繋がっている。

 玉座の間までは百メートル以上はあると思え、城の広さを改めて痛感する。


 しかしそこは無人であり、室内からも全くもって誰の気配も感じなかった。

 いやそもそも、それ以前にリオンは一つの疑問を抱く。


「直通?」


 きっと【魔王】がいるのは最上階で、そこに辿り着くには四天王とか倒したり、部屋のギミックを解除したり、罠を頭を使って突破したりするのだろうな。

 などと色々予想していたリオンは肩透かしを喰らってしまった。


 リオンは踏み込み、天井を見上げる。

 外観の天井まで真っ直ぐ吹き抜けるような大きな広間だ。いや、玉座があるのだから玉座の間とも呼べるのだろうか。


 面倒なのでこの辺りを「大広間」とし、玉座のある階段上の空間を「玉座の間」と定義することにした。決めておかないと脳内でごちゃごちゃになりそうだったからだ。


 真っ直ぐ敷かれたカーペットを歩くものの、左右にも道はなくひたすらに壁がそびえるだけ。

 内装は無骨な柱と部分的に備え付けられた壁掛け燭台のみ。骸骨を模した燭台には火が灯っており、リオンが進むにつれて奥の燭台にも灯りが点いていく。


 突如、前方から火球が迫ってきた。

 全く予備動作を感じない攻撃だったが、リオンは鞘に魔力を込めて打ち返す。


 その後も進むごとに雷槍、水流、風刃、土槌、氷矢などの魔術がリオンを襲う。

 それらを躱し、砕き、返し、断ちながら、リオンは玉座への道を進んだ。


 四天王などの関門の代わりなのかもしれない。

 ここに来る者ならば、この程度は跳ね除けられなくては力が足りない、と。


 やがて、リオンは玉座へと繋がる階段を上がった。

 十段ほどの段差であり、玉座の間は実質二階みたいなものなのだろうか、などと考える。


 今のところ魔術以外に歓迎はなく、リオンの思考は暇を持て余していた。

 だが。


「ようこそ。お待ちしておりました」


 段差を上りきった瞬間、人影が現れる。

 堂々と気構えずに玉座に腰掛けているのは、青年のような見た目の男。


 気配さえ感じず、あまりにも突然のことにリオンは反射的に階段を一足で飛び退った。

 すると、玉座に座っていたはずの青年が姿を消し、声も聞こえなくなる。


 もしかしてと思い、リオンは階段を上ってみると再度青年が現れた。


「ここが、境界線か」


 リオンは階段の最上段をつま先で叩く。

 ここまで来て、ようやく青年と対面できるということだろう。


 やはり、あの魔術による波状攻撃はここに来る者を試す為に放たれたていたのだ。

 試練ではあるが、魔王城まで辿り着いた者への歓待とも取れる。


「御名答。まずは自己紹介といきましょうか。私はハリル。魔王と呼ばれる者です」


 なでつけるようにオールバックにされた白髪。吸い込まれそうな深い緋色を湛えた瞳。 病弱にも似た真っ白な肌。細身の身体。黒い燕尾服。

 それはまるで――吸血鬼のようだった。


「俺はリオンだ。まさか魔王から自己紹介されるとは思わなかった」

「私もです。本来ならば、私の出番はないと聞かされていたのですから」

「聞かされていた?」

「ええ。ですが、その話は後にしましょう。まずは」


 ハリルはゆっくりと立ち上がる。背丈もリオンと同じくらいだ。

 相対するとお互いの瞳が同じ目線でぶつかる。


 緊張感が漂う中、ハリルはにっこりと笑った。


「どうぞ。私を倒してみてください」

「……どういうことだ?」


 立ち上がったハリルだが、戦闘態勢に移行する気配もない。

 両腕を広げてただ突っ立っているだけだ。


 罠かとも思ったが、そんな素振りもないし気配もない。

 魔力の流れすら感じないのだ。


「簡単な話です。貴方は私を殺せない」

「言うものだな」


「ええ、いくらでも試してください。私はここから動きませんし、貴方へ攻撃もしません。時間と労力の無駄ですから」

「……そこまで言うなら」


 静かに刀を抜くリオン。

 ハリルは微動だにせず微笑みを保ったままだ。


 ――最初から全力をぶつけてやれば。


 リオンはそう考えて一気に距離を詰め、刀の射程圏内に収める。


 ハリルはそれでも動かない。

 瞳の動向を見るに、彼は確実にリオンの動きを捉えているはずなのだが。


月黄泉流転つくよみるてん


 三十の刃が音を超えてハリルへ迫った。

 さぁどうする、とリオンが彼の対応を待つ。


 だが彼はその斬撃を受け、見事にバラバラとなって床へと落ちた。

 ボタボタと倒れる身体の欠片を見下し、リオンは釈然としないものを感じている。


 本当に何の抵抗もしてこなかった。躱すことも、防ぐことも。

 それともやられたことによって何かの罠が発動するのだろうか。


 そう考えて周囲を見回すもの、玉座の間には一切の異常が見られない。

 魔力の動きも、魔術の気配も。


 ――まさか、本当に?


 あれだけ余裕ぶっていたくせに、リオンの太刀筋が見切れずに死んだというのだろうか。


 バラバラになった死体は何も語らない。大量の血液がレッドカーペットを赤黒く染めていく。

 落ちた首は天井を向き、虚空を見つめる瞳が痛々しいほどだ。


 ――帰ろう。肩透かしにも程がある。


 リオンは玉座を後にし、階段を一段降りた。

 その瞬間、背後から膨れ上がる気を感じて振り向く。


 そこには。


「ほら。殺せなかったでしょう?」


 何事もなく佇むハリルがいた。


 先程まで血まみれだった衣装も、バラバラだった身体も、全て元通りになっている。

 まるでリオンが最初に踏み入れた時のような状況だ。違うのはハリルが既に立っていることだけ。


「……どういうことだ?」

「敵に教えを請うのですか? 随分と恥知らずですねぇ」


 ハリルは嘲笑したようにリオンを見下す。


 ――独り言だ。


 リオンは舌打ちして心の中で毒付く。

 だが、ハリルがどういう能力を持つのか全く見当も付かなかった。


 もしかしてハリルは吸血鬼であり、その類まれなる再生力から復活したのではないかと考える。

 それにしては再生する気配が見られなかったのが気がかりだし、なにより心臓も裂いたつもりだった。


 ならば、今度こそ確実に心臓を断ってみせればいい。

 リオンは再度近づき、居合の構えを見せた。

 

朔望輪廻さくぼうりんね


 斬鉄の一撃がハリルを両断する。

 今回も抵抗らしい抵抗はせず、ハリルは地面に落ちた。


 二つに分かれて倒れた身体を検分し、リオンは心臓をまるごど断ったことを確認する。

 これでもし吸血鬼だったとしても、再生することはない。


 同時に、落ちた頭部を何十にも切り分けて粉微塵にした。

 吸血鬼でない場合、もしかしたら脳さえ残っていれば再生するのかもしれない。


 脳か、心臓。

 もし身体が死んだ状態からでも回復するのならそこしかないだろう、とリオンは当たりをつけていた。


 どちらもリオンの斬撃によって既にこの世から消えている。

 だが、未だ得体のしれない力であることに変わりはない。この状態からでも生き返る可能性は充分にある。


 それを踏まえて、ハリルの死体を下級魔術の《ファイアボール》で焼くことにした。

 死んでいるからか対魔力は発動せず、死体は簡単に燃えていく。


 灰と化したハリルを見下ろし、リオンは一度離れることにした。

 その間も床に散らばった灰から目を離さない。そろそろとリオンは後退していく。


 やがて右足が階段へと差し掛かり、一段下りた瞬間。


「やはりな」


 パッと、一瞬で元の光景に戻った。

 再生したわけではない。生き返ったのでもない。


 玉座の間の光景が、全て元に戻ったのだ。

 その証拠に、わざわざ焦がしたレッドカーペットも元通り綺麗になっている。


 先程の血液はハリルから流れたものだった為にカーペットも戻ったのかと思ったが、今回の検証でそういうわけではないことが示された。


「理解しましたか? 私はこの空間にいる限り、永遠に生き返るのです」

「グレイブにもここで勝ったのか?」

「さて。どうだったでしょうか」


 必要な情報は与えないということか。


 わかっていることは、リオンが境界線を跨ぐと発動するということ。


 そしてこの能力が発動すると、階段の上に広がる玉座の間自体がハリルを含め、全て何事もなく綺麗な状態に戻るということだけだ。

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