第十五話 魔王城へ
リオンはロキを吹き飛ばして、レナに駆け寄る。
彼女は魔力の使い過ぎで疲弊こそしているものの外傷はなく、リオンはひとまず安堵した。
「それで。今度はレナに負けたみたいだな、ロキ?」
「ええ……でも貴方が来なければ、私の勝ちだったのに」
ロキは地面に仰向けのまま薄く笑った。
もう逆転を諦めているような雰囲気を纏っており、リオンは刀を握り直す。
だがここでロキの首を狩っても意味がない。冥界の女王という名乗りは伊達ではなく、首を落とそうが、心臓を貫こうが難なく生き返ってくるのだ。
かといって唯一、浄化できそうなレナの攻撃魔術も期待できそうにない。
魔力を瞬時に回復させる術など、リオンもレナも持っていないからだ。
「ああ、気にしないで。もう私は貴方たちを殺さないから……今はね」
「今は?」
「えっとね、リオン……」
リオンはレナの説明を静かに聞く。
彼女とて全てを理解できているわけではないので所々ロキの修正が入ったが、リオンは概ねの事情を把握できた。
「レナが死ぬまでは敵対しないってことか」
「何度も言わせないで。魂が濁れば即殺すわ。ここまでされれば、次はないもの」
虚勢ではないようだった。
ロキはもう油断しないということだろう。ただの人間にここまでボロボロにされたのだ。
次に機会があれば、恐らくはリオンが離れた隙に闇討ちでもするつもりだと思われる。
そうなればリオンにも防ぎようがないが、リオンはその機会自体を無くせばいいだけだと考えていた。
ただし、彼女の言う『次』というのがロキにしか判断できないのが不安材料ではあるが。
「難しく考えなくていいわ。自分にとって正しくない行動をすれば魂は濁る。遵守事項はそれだけ。簡単でしょ?」
大の字で寝っ転がりながらそんなことを言うロキ。
簡単なことかどうかはわからないが、とにかく今は彼女が敵対状態じゃなくなったことを喜ぶべきだろうとリオンは結論付けた。
これでリオンとレナを狙う一因が減ったことになるのだから。
――あとは。
延々と自分を狙う女性を思い出し、背後から迫りくる闘気に身構えた。
次の瞬間、リオンは刀で槍を受け止める。
「またやるのか?」
「……フン」
リオンが視線を向けると、ルーシーは珍しく悪態も吐かずに引き下がった。
「私とて実力差を受け入れるだけの頭はあるさ」
また猪のようにただ向かってくるだけだと思っていたが、とリオンは刀を収めた。
「仇を倒して、少しは余裕ができたか」
「勘違いするな。吸血鬼は全て殺す。お前も、この力を使いこなした暁には、必ず殺してやる」
「楽しみにしていよう」
敵意のないルーシーに背を向け、リオンはレナを抱え上げた。
「とりあえず俺達は戻る。お前達は……」
敵対はしていないが別に共闘する必要もないんだよなと思い、リオンは言葉を詰まらせた。
ロキもルーシーも、それぞれにリオンが何か言うこともないだろう。
「共和国に戻るの? なら、ここを通って行きなさい」
ゆっくりと立ち上がったロキが腕を翻す。
その瞬間、リオンの足元に黒い渦が現れ、不穏な大口を開けていた。
地面とは全く違う色と雰囲気であり、漆黒のそれは全てを呑み込まんとしている。
「これは?」
「ゲートよ」
「いや名前を聞いてるんじゃなくてだな」
ロキはふっと微笑む。
「そっちの人間……レナは前に通ったことあるでしょ。冥界を通る為に必要な門よ。冥界を通ればどんな距離も一瞬だもの」
「転送魔術みたいなもんか?」
「まあそれでいいわ。ここまでリオンの足を持っても一時間。レナを気遣わなければ数分でしょうけど。まさか、その娘を置いていくなんて言わないわよね?」
リオンは「当たり前だ」とそっけなく返した。
ただ、ロキの言うことを全て鵜呑みにしていいものか、と今更ながら疑心暗鬼の鎌首がもたげる。
とはいえ、一瞬で移動できるのならば、それを使わない手もないわけで。
「じゃあどうぞ。ああ、でも罠の可能性もゼロじゃないわよ?」
リオンはロキのその言葉によって、むしろ安心した。
「本当に罠ならわざわざ言わないだろ」
「さぁ? どうかしらね」
いたずらっぽく笑うロキを尻目に、リオンは意を決してレナを抱えたまま飛び込むのだった。
視界が一瞬にして奪われ、身体は真っ暗な中を落ちていく。
夜闇でさえリオンは見通せるのだが、この暗闇には一切の光がないらしい。
周囲は深淵のような暗さを保ったままだ。数秒後には落ちているのか、昇っているのかわからないような感覚に陥る。
――もしかして、本当に罠だったのか?
リオンが先程の自分の判断に疑問を抱いた頃、ようやく落下速度が緩やかになり、静かに足裏が地面に接触した。
その瞬間、辺りの暗闇が一気に晴れて太陽光が降り注ぐ。
目を細めて周囲を見渡すと、辺りは変わらず【戦場】の荒野だった。
だが、遠い前方に共和国と【戦場】の境目に建てられた鉄の壁が見えた。
「共和国の手前まで飛んできたのか」
行く時はリオンが跳んだとはいえ、それでも小一時間掛かった距離だ。
それを本当に数秒で移動してしまうとは、とリオンは改めて驚く。
「でも、なにか様子が変だよ?」
腕の中にいるレナが前方を指差す。
リオンは大して気にも留めなかったが、そこには多くの魔獣達が集まっていた。
「まあ【戦場】だからな」
「そうじゃなくて。あの魔獣達、共和国に向かってない? 確かダインさんが言うには……」
レナに言われて思い出す。
ダインは「魔獣達は共和国に近づくとやられることを知っているからか、本能的に近付いてこない」と言っていた。
それに続けて「オレ個人の考えでは、魔獣にはそんな知恵やチームワークがないから」だと思っていることも。
しかし、今。共和国は明らかに攻められていた。
大量の魔獣達によって。
リオンが集中して壁付近を見ると、どうやら大量の兵士達にまぎれてブレイドも最前線で戦っているようだった。
指揮される軍団とは別方向を処理していることから、遊撃隊のような立ち位置なのだろうか。
「リオン。あれ、助けに行った方がいいんじゃない?」
レナの強い表情を受けて、リオンは覚悟を決める。
――目立ちたくないのは本心だが、ここで人間を見捨てられるほど薄情じゃない。
抱えていたレナを下ろす。
彼女はややふらついていたが、少しは体力が回復したらしく両足で立っていた。
「じゃあ行って……」
「待ちなさい」
リオンが一足で跳んでいこうとした瞬間、背後から声が掛けられた。
「なんだ、ロキ」
振り向きながらその声の主に答える。
ロキの横にはルーシーも不機嫌な表情で佇んでいた。
二人もゲートを使ったらしい。
ロキの魔術なのだから、同じように移動できるのは当然なのだけど。
「さっき貴方が……いえ、トドメはこっちだったかしら?」
ロキがちらっと横に目を向けるが、ルーシーは特に顔色を変えない。
「とにかくさっきの吸血鬼、えーっと、確かグレイブだったかしら? アイツが魔獣を操っていたのは聞いたかしら?」
そういえばそんなことを言っていた気もする。
魔獣を操るのがグレイブの本業だとかなんとか。
リオンはてっきり、卓越した【闇魔術】によって操作しているのだと思っていたのだが。
その考えを告げると、ロキは首を振った。
「そうじゃないの。魔獣を操作できるのはアイツ自身の能力にくわえて、【魔王】の力を預かっていたからよ」
「つまり、魔獣を操る力はそもそも【魔王】にも備わっている、と?」
「そういうこと。そして魔獣担当のグレイブが倒された今……」
ロキは視線を魔獣が集まる鉄の壁へと向けた。
そこでは今まさに魔獣と人間の正面対決が行われている。
「もしかして、あの魔獣達も【魔王】によって?」
リオンの疑問にロキは頷く。
「だから。貴方は【魔王】を倒しに行きなさい」
「……だがそれでは」
今まさに戦っている兵士達やブレイドに加勢できず、またレナも休めさせられない。
すると、ロキは不敵に笑って。
「こっちのことは気にしないで。今の貴方がどう動くか、ようやく理解できたもの」
ロキは掌を胸元で空に向ける。
直後、【戦場】全体から魔力の塊が無数に迫って来るのがわかった。
リオン、レナ、ルーシーは三者三様に周囲を見回す。
集まってきた魔力の塊――白く浮遊する魂のようなもの――はロキの掌の上で融合して、徐々に大きな球体へと変化していく。
「ああ……半分くらいかしら。ま、でもこれぐらいで充分加勢できたでしょ」
気怠げにロキは言い放って、その球体を地面へと押し当てた。
球体は炸裂することも爆発することもなく、ゆっくりと地の中へと吸い込まれていくように消えていく。
「なにをしたんだ?」
球体全てを地面に押し込み、ロキはほうっと息を吐いた。
「【戦場】にいる魔獣達の魂を回収したのよ。でも、やっぱり地上では【冥界の女王】として十全に力を発揮できないわね」
ロキはやれやれと肩を竦める。
普段がどれだけのものかは知らないが、リオンは確かに周囲から魔獣の気配が薄れているのに気付いた。
――恐らくだが、ロキが魂を回収してくれたおかげで魔獣の増援は発生しないだろう。
あとは鉄の壁に群がる魔獣達を一掃するだけ。
「残りは私がやる」
ルーシーが槍を携えて鉄の壁へと歩き出す。
「おい、お前は……」
「幸いにも私はほとんど消耗していない。そもそも魔術で一掃しようとすれば、兵士達を巻き込んでしまう。それがお前の本意なら止めはしないが、私はその隙を見逃さないぞ?」
止めようとしたリオンだが、ルーシーの言うことが正しい為に言い返せない。
大魔術で魔獣を一掃するのは簡単だが、目立つ・目立たない以前に、人間に被害を出さないことの方が難しいのだ。
「それに。私とてこの力を使いこなす為に、運動が必要だからな」
ルーシーから闘気が溢れ出す。
まだまだ暴れるだけの力だが、彼女はそれを乗りこなそうと言うのだ。
であれば、リオンに止める権利はない。
「死ぬなよ」
「誰に言っている」
彼女は低く構え、一気に駆け出した。
風の如き速さでルーシーの姿が小さくなっていく。
「さぁリオン。これが魔王城へと繋がるゲートよ」
振り向くとリオンの足元に黒い渦が発生していた。
「行ったことのない場所にも行けるのか?」
「? 行ったことある場所だけよ」
「ならどうして?」
「私はずっと世界を見ているもの。この大陸で知らない場所はないわ」
ロキは決して誇張ではなく、ただの事実として語ったように見えた。
リオンはそれに関してはもう驚かずに納得し、レナへと視線を向ける。
「レナは……」
「安心なさい。私が殺す時まで、勝手に死なれたら困るもの」
「……いえ。自分の身は自分で守りますから」
隣に寄ったロキからレナは離れる。
ロキはともかく、レナには苦手意識があるらしかった。
何度も狙われたのだから当然と言えば当然だが。
リオンはロキを手招きで呼び、小声で釘を刺すことにした。
「おい。くだらない喧嘩はするなよ」
「ふふっ。大丈夫。彼女は嫉妬してるだけよ」
「嫉妬?」
「ほら。いいから行きなさい。乙女の心をそう暴こうとするものではないわ」
「おい押すな! わかった! 自分で行くから!」
ロキにどんどんと押され、リオンはゲートへ落ちそうになる。
それをなんとか堪えてレナへと視線を向けた。
「じゃあ、行ってくる」
庇護対象として心配するのではなく、信頼してこの場に残すのだ。
リオンの言葉を受け止めたのか、レナは微笑んで頷く。
「待ってるから」
リオンも頷き返し、ゲートへと飛び込んだ。
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