第十二話 仇討ち

 グレイブが大きく腕を広げると、周囲でこちらを遠巻きに見ていた魔獣達が一斉に駆け寄ってきた。


 すわ集団戦かとリオンが警戒すると、魔獣達は彼を無視してグレイブの身体へと向かう。


 魔獣達はグレイブにぶつかるとその定形を失くしていき、溶けるように吸収されていく。

 その分、グレイブは徐々に身体を肥大化させ、内側から生えてくるかのように筋肉も骨格も増え続ける。


 ――大きさだけなら、いつか見たな。


 再生力をウリにしていた奴がいた、と思い出す。

 ブレイドの故郷にて生贄にされた住民だ。


 あの場合、力の源は本人ではなくロキだったわけだが。

 眼前のグレイブと同じように肥大化し、その体躯と再生力のみでリオンに挑んできた。


 目の前のグレイブも既に見上げるほどの大きさとなり、魔獣の眼光でリオンを捉えている。


「さて。死を前にして何を思う?」


 グレイブの中に数百の魔獣が取り込まれ、異形の存在として姿を変えていた。


 体躯で言えばリオンの三倍。

 ゴツゴツの岩に覆われたような肌。丸太どころか大木並に膨れ上がった四肢。

 その巨大な身体から発せられる魔力の渦が、グレイブの全力であることを示していた。


 リオンは彼を見上げ、それでも余裕を絶やさずに手招きをする。

 魔力の量や見た目だけで強さを図れないことは先刻承知だ。


「いいから来い」


 御託はもう充分。

 打ち合うに値するかどうかは、刃を交えて初めてわかるものだ。


「死を急くか。いいだろう……!!」


 グレイブの周囲を迸る魔力が急激に、その大きな身体に収束していく。

 あれだけ荒れ狂っていた魔力が今では漣のような静けさを保っている。


 とっておきの一撃が来るのだと察知し、リオンは刀を収めて構えた。


 大砲が放たれたような音と共に、グレイブの巨体が飛来する。

 衝撃によって土塊が宙空に舞い上がった。


 それが落ち始める前。そのわずかな時間の中で、グレイブはリオンへと急接近してくる。


 全身に途方も無い魔力を込めた、ただの体当たりだ。

 しかし、その強化した肉体を利用した攻撃としてはこの上なく有効である。


 速度があるので避けられない。

 硬さがあるので破れない。

 強さがあるので助からない。


 普通の人間であれば、どうやったところで生き残ることすら難しい。

 グレイブが通り過ぎた後、人間など血煙となって消滅するのが関の山だろう。


 だが。リオンは死を待つ者ではない。

 居合いの構えを取り、自らの持つ【スキル】を選択する。


 ――なら、こっちだ。


 必要なのは手数ではなく、鋼鉄以上の脅威を持ちながら突進してくる物体を斬れる一撃。

 地面を抉り、空間を削り、今まさにリオンを消し飛ばさんとグレイブが迫る。


 直後、グレイブはリオンへと触れるだろう。

 それだけでリオンの身体は粉々に砕かれることは容易に想像できた。


 それでもリオンは目を見開いて、眼前の巨獣へと刀を振るう。


朔望輪廻さくぼうりんね


 刹那。


 グレイブはリオンを通り過ぎ、リオンもまたグレイブの突撃を見送った。

 一瞬の静寂の後、鍔鳴りの音が響き渡る。


「まさか……そうか……」


 巨体が砂のように崩れ始め、徐々に元の大きさへと戻るグレイブ。

 リオンが振り返った時、彼は肩で息をしながら本来の姿で片膝を突いていた。


 龍鱗をも断った万物斬りの一撃。

 いくら防備を固めようとも防げるものではない。


「魔王様を……殺しに来たのだな……」


 彼我の実力差を理解したのか、グレイブは苦悶の表情で呟く。


 リオンは背中越しに崩れていく肉体を見下ろした。

 元の姿になっても尚、グレイブの身体からこぼれ落ちる砂は止まる様子はない。


 全力を出した反動なのか。

 それとも、今の一撃で心臓部を断たれた影響なのか。


 全力の攻撃を退けた相手にもう興味はない。

 それにもう一度、歯向かってきたとしても下すのは容易だ。


 吸血鬼の再生力を十全に発揮するには心臓が必要不可欠であり、それを両断して消滅させた以上、再起はないのだから。

 故に、そこにいるグレイブはもう死に体だった。


 リオンは崩れ落ちていくグレイブを置き去りにし、レナの救援に向かうのだった。






     ◇






「いいザマだな」


 リオンが去ってから数分と立たず、ルーシーは倒れ伏すグレイブの頭側に立った。

 グレイブは首を上げ、苦笑いと共に彼女を見返す。


「ほぅ? 何も出来ず私に見逃されたくせに、動けなくなったところを殺すのかね? 人間とはかくも浅ましいものよ」


「黙れ。元より負けていない。奴とお前を戦わせ、弱ったところを両方殺すつもりだっただけだ。正々堂々など、貴様ら吸血鬼の為にある言葉ではない。特に貴様にはな」


「ならば言い訳せずに討つがいい。仇討ちはさぞ心地の良いものだろうよ」


 グレイブは不敵な笑みを絶やさず、ボロボロの身体でルーシーを見上げ続ける。

 もう既にその身体の大部分は砂と化している。下半身は消え、残すも上半身と右腕のみ。


 ルーシーはぐっと槍を構え、穂先をグレイブに向けた。


「貴様を追って十年余り。ようやく、あの時の雪辱が果たせるというわけだ」


 シィン、と森閑が音を象って落ちる。

 同時に槍が走り、一直線にグレイブへと突き進んだ。


「バカめ!!」


 瞬間。


 グレイブの身体が蛇のように変容し、槍を躱すとその柄を昇り始める。

 滝のぼりにも似た勢いでルーシーへと迫り、跳び上がった蛇は彼女の首元へと迫った。


 吸血さえできてしまえば、グレイブは心臓もろとも回復する。

 崩壊寸前であっても、人の血さえ吸えば復活できるのが吸血鬼なのだ。


 その真っ黒な蛇の持つ牙が、ゆっくりとルーシーに突き立てられ――。


「くどい」

「ガアアアァァァァァァァ!!!」


 グレイブは弾かれたように吹き飛び、地面にて転げ回る。

 その姿は既に蛇から、元の上半身だけに戻っていた。


「貴様! まさか、予想して……!?」

「私は吸血鬼だけを殺して生きてきたんだ。貴様らの生き汚さについては嫌というほど知っているさ」


 ルーシーは懐から小瓶を取り出した。

 中身は聖水。聖なる火種ほどの浄化作用はないが、闇の眷属を寄せ付けない効果を持つ液体である。


 ルーシーはその水を首に塗り込んでおいたのだ。

 どうせ最後の最後まで観念しないだろうと、経験を以て知っていたから。


 苦悶の表情で右腕を振り回し、必死にのたうちまわるグレイブ。

 ルーシーは腕を振り上げ、そのまま小瓶をグレイブに投げつけた。割れた瓶から聖水が飛び散り、グレイブの身体を溶かしていく。


「グオオオォォォ!! 私が! この私が、このような末路など!!」


「吸血鬼の最期なんてそんなものだ。じゃあな。あの世で私の村の人間――特に両親にあったら、地に額を擦りつけて謝れ。それなら来世で少しは報われるかもしれないぞ」


「ま、待て……!」


 ルーシーはグレイブの懇願など耳に入らないように、懐から出した火種を落とす。

 火種がグレイブへと落ちるわずかな時間。


 グレイブはスローモーションのように焦りから絶望へと表情を変え、ルーシーはそれを見て鼻で笑った。


「ガアアアアアァァァァァァァァァ!!!」


 怨嗟の叫びの中。

 火種は煌々と火を灯し、蒼い炎がグレイブの身体を焼いていく。


 心臓を失くした吸血鬼は、どうあがいても聖なる炎には耐えられない。

 再生力さえなければ、吸血鬼など神聖な【光属性】に勝てる道理はないのだ。


 数十秒後、灰と化したグレイブを見下ろし、ルーシーは呟く。


「……仇を、討ったというのに。なんだこの気持ちは」


 灰を革袋に集める気にもならなかった。

 彼女はため息と共に思考する。


 自分で倒したわけじゃないから?


 いや、そうではない。吸血鬼相手に正しいも卑怯もないのだ。

 それはルーシーが数多の吸血鬼との戦いで得た教訓であり、それこそ奴らの倒し方はどうだっていいと思っている。


 だが。ルーシーの心の奥底から、リオンへの渇望が湧いていることに気付く。


 あのロキとか言う女の甘言に乗ってしまい、身体の中へ色々と詰め込まれた。

 おかげで自分の身体の内側に、常に異物が存在するような感覚を得てしまっている。


 その代わり、身体能力だけで言えば、強化魔術を使用した時よりも遥かに馬力が出せるようになったのだ。

 故に、このことに関しては後悔していないのだが。


 ――槍が、鈍っている。


 ただでさえ身体能力が向上したのに、それに技量が付いてきていない。

 以前のように槍を振るおうと思えば、どうしても力をセーブするしかないのだ。


 となれば、身体能力に槍を合わせればいい。


 言葉にするだけなら簡単だ、とルーシーは自嘲めいた笑みを漏らす。


 それを実践すると今度は槍が槍ではなく、ただの長い棒になってしまう。

 これでは別の武術だ。槍術と棒術では海と空ぐらいの違いがある。


 似て非なるものなのだ。

 少なくとも、復讐を誓ってから槍一本で来た彼女にとっては。


 だからこそリオンにも意志が鈍っていると言われてしまったのだ。

 槍ではなく、別の方法で戦う自分に対しての戸惑いがあったから。


 そして、これだけの力を得ても尚、単純な身体能力ではリオンには一切歯が立たなかった。

 槍の技術を全面に押し出して戦った以前の方がマシなほどに。


 ――まだ。この身体を使いこなすには、時間が足りない。


 しかし、それはつまり。

 時間さえあれば、きっとこの身体を上手く動かせるようになるということ。


 それまで。あの男を逃がすわけにはいかない。

 例え、結果的にその旅路を追跡することになろうとも。


 決して。


 その背中を追い、ルーシーはリオンが去った方向へと足を進めることにした。

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